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他宗教、他思想のエッセンス(過去ログ)

1jaja:2005/08/08(月) 03:52:22

1 名前: jaja 投稿日:2004/11/07(日) 23:20
真光教団にかかわらず、他宗教、他思想の中でもス神様の働きがあると思われるものがあります。み教えの理解に役にたつ部分もあると思いますので紹介したいと思います。


2 名前: jaja 投稿日:2004/11/07(日) 23:41
1920年頃英国のモーリス・バーバネルという人に降りた霊言より。
地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂はちゃんと自覚しております。なにも知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境で、こういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です。あなたがた地上の人間にとっての大きな問題点は、やむを得ないことかもしれませんが、人生というものを間違った視点から観ていることです。つまり、あまりにもこの世的・物質的観点からのみ人生を考えていることです。人生には確かに地上的な要素がありますが、同時に霊的なものであり、永遠に続くものなのです。その永遠なるものを地上的視野だけで眺めてはいけません。神の子には、一人の例外もなく、善悪ともに「埋め合わせ」の原理が働くのですが、地上生活のみで判断しようとすると全ての要素を考慮することができなくなります。人生には目的があります。しかしその目的は、それに携わる人間が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません。笛に踊らされる人形ではないのです。人間の一人一人に分霊が宿っており、一人一人が無限の創造活動に参加できるのです。つまりあなた方には、個的存在としての責任と同時に、ある限界内での自由意志が与えられているのです。・・・つづく


3 名前: jaja 投稿日:2004/11/08(月) 22:22
自由意志といっても、大自然の法則の働きを阻止することが出来るという意味ではありません。ある限られた範囲内での選択の権利が与えられているということです。運命全体としての枠踏みは出来ております。しかしその枠踏みの中で、あなた方が計画した予定表に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第だということです。
もしかしたら、すのブループリントさえ自覚できないかもしれません。
でも魂は神性を宿すが為に、常に活動を求め、自己表現を求めて波のようにうねります。時にはそれが悲観、無念、苦悩、病苦という形をとり、無気力状態のあなたにカツを入れ、目をさませることになります。もしも神があなたに創造活動へ参加させ、そうすることによって潜在的神性を開発させることを望まないのであれば、あなたがこの世に生を受けた意味を無いことになりましょう。そこに「埋め合わせの原理」が働いていることを理解しなくてはなりません。つまり創造活動に貢献する仕事に携わりつつ、潜在能力を開発していく生活の中で、あなたの人間的発達が促進されていくという仕組みです。
つまり2重の仕組みになっているわけです。進歩の誘発は内と外の両側から行われるのです。


4 名前: jaja 投稿日:2004/11/08(月) 22:54
魂の奥には物質界のいかなるエネルギーよりも大きい威力が秘められています。宇宙の大霊の一部だからです。それが無ければ生命は存在しません。なぜならば生命は霊そのものだからです。物質は影にすぎません。この2重のエネルギーをどこまで活用できるかは、その魂の悟り程度にかかわっています。霊は生命そのものであり、生命は霊そのものです。霊のないところに生命はありません。物質は殻にすぎません。霊という実在によって投影された影にすぎません。物質それ自体には存在はないのです。あなたが存在し、呼吸し、動き、考え、判断し、反省し、要約し、決断し、勘案し、熟考する事ができるのは、あなたが霊であるからこそです。

2jaja:2005/08/09(火) 03:19:30
5 名前: jaja 投稿日:2004/11/09(火) 22:54
霊があなたの身体を動かしているんです。霊が離れたら最後、その身体は元の土くれに戻ってしまいます。物質を崇拝する人間は間違った偶像を拝していることになります。そこに実在が無いからです。物質は1次的な存在にすぎません。
霊は全ての存在を形成する基本的素材であるが故に永続性があります。人間という形体によって表現される生命力は、小鳥、動物、魚類、樹木、草花、果実、野菜等に表現されるものと同じ生命力なのです。いかなる形体にせよ、生命のあるところには必ず霊が働いております。


6 名前: jaja 投稿日:2004/11/09(火) 23:04
霊の表現形体は無限だからです。無限なるものに制限を加えるわけには参りません。その生命の背後の力をあなた方は 神 と呼び、私は 大霊 と呼びます。それは全ての霊の極致であり源泉であり頂上であるからです。いかなる形体を取ろうと、創造者たるその大霊の表現であることに変わりはありません。残念ながら、人の役に立つ仕事はなかなか思うようにまかせないものです。私が法則をこしらえたのではありません。宇宙の理法はこうなっているということをお教えしているだけです。最大の貢献をなさんと心がける人は、苦難や難問を避けようとしてはなりません。その困難、その難問こそが、そうした志をもつ人々の魂の根底を起こし、奉仕の仕事に役立つ道具として是非とも具えねばならない隠れた資質を活用させることになるからです。


7 名前: よね 投稿日:2004/11/10(水) 17:51
 生命の主体は実は霊体である、という実感を霊の昇華と共に得て行く
すると、目に見えるモノより、目に見えないものを観ようとする様に
観察の仕方が変わって行く、目先の功利優先から、未来を慮る本質重視
に視点が変わる、視点が変われば自分の行動や選択が変わる、自分が
変われば周囲が変わる、周囲が変われば、自分は更に霊的に変化する
契機を世を通して神に与えられる、こうして善循環が一つ完成する、
という、水紋を広げる様な伝播力を我々は既に持っているはずです、
神の発する波動(光)を正しく伝播できれば、この世の大抵の事は
糺されるものと私も信じてます。


8 名前: jaja 投稿日:2004/11/10(水) 23:29
よねさん私も着実にその方向に世界は進んでいると思いますよ。
ス神様だけでなく、何千、何万というみ使いの神霊が私達の背後についています。陽光子が奮起したときには、その背後にその愛の波動をキャッチした神霊が必ずや援軍として霊界からのアシストをして頂けると信じています。この世には乗り越えられない試練は用意されていません。勇気をもって、不安を排し
着実に物事を行って行きたいと思います。

3名無しさん@訪問者:2005/08/14(日) 00:15:01
9 名前: jaja 投稿日:2004/11/10(水) 23:33
6のつづき。
奉仕という名の貨幣にもその価値を示す表示があるということです。真に役立つ人間になる為は魂の最奥まで響く強烈な体験がなくてはなりません。魂が円熟の花を咲かせるためには奥深く耕さなければなりません。そのことを思うと、私は時として、その逆であってくれればいいのに・・・・と思う事があります。つまり自己犠牲の道を歩む人間がいうなれば「ばら色の人生」を歩むことが出来ればと思うのです。しかし、その美しいバラにもトゲがあります。
以上、霊について真理を幾つか紹介しましたが、私がそれを変更するわけには参りません。できもしないことをあたかもできるかのように言うわけにはいきません。出来ないものは出来ないのです。無限なる霊である神の働きは完璧です。完璧なる公正のもとに働きます。完璧というものは、未完成の地上の人間だけでなく私どもの世界の多くの階層の霊にとっても理解できるものではありません。物事には必ず埋め合わせがあり、応報があります。その計量は完璧な天秤によって行われます。犠牲生活によって魂が損をすることはありません。


10 名前: jaja 投稿日:2004/11/10(水) 23:47
また利己的生活によっても得をするということはありません。魂の進化の程度と悟りの指標はどれだけ「ゲッセマネの園」に生き、(キリストが最大の苦難と裏切りにあった場所)どれだけ「変容の丘」(キリストがこの世のものとは思えぬ輝ける姿に変容した丘−苦難克服の象徴。)に達するかにあります。そこに神の真の愛の働きがあります。
人のために己を棄てる仕事にはいろいろあります。あるものは人目につく派手なものであり、あるものは人目につかない静かな聖域で行われます。何れも大切なものは人の役に立つことです。霊的真理の悟りを一人でも多くの、受け入れる用意のできた人に施すことです。不安と恐怖に満ち、数知れぬ人々が明日はどうなるかと案じつつ生きているこの世においては、表面的なことではなく、真実の相を教えてあげなくてはなりません。


11 名前: jaja 投稿日:2004/11/11(木) 00:03
大切なのは、人間が永遠なる魂であり、地上生活はその永遠の巡礼の旅路のほんの短い、しかし大事な一部なのだという事実を知ることです。
その地上生活を無知の暗闇の中でなく、叡智の光の中で、肩をすぼめて背筋をまっすぐに伸ばして、恐れを抱かず堂々たる落ち着きを持って生きるべきです。
あなた方は1次の勝ち負けのために備えているのではありません。目先の結果、一時の勝利ではなく、永遠なる目的、無?の闘いに携わっているのです。成就したものがいかなる結果をもたらすかを容易に推し量ってはいけません。今日世界各地で、難攻不落と思われた城壁が剥がれ落ち、特権階級が揺さぶられ、独占支配は崩壊し、迷信が減り、無知が次第に押し寄せる霊的真理によって追い払われていきつつあります。


12 名前: jaja 投稿日:2004/11/11(木) 22:14
あなた方の懸念は無意味であり、根拠がありません。しっかりとした手に守られております。これまでもずっと、それによって支えられてきました。もしそうでなかったら、とうの昔に地上を去っていることでしょう。霊的なものにとって「恐れる」という事がなによりも強烈な腐蝕作用を及ぼします。恐怖心と心配の念は、私達が特に不断の警戒を要する敵です。なんとなれば、それが霊力が作用する通路を塞いでしまうからです。
光の中でばかり暮らしておれば光の有難さは分かりません。光明が有難く思われるのは暗闇の中で苦しめばこそです。こちらの世界で幸せが味わえる資格を身につける為には、そちらの世界での苦労を十分に体験しなければなりません。果たすべき義務を途中で投げ出してこちらへ来た者は、こちらで用意している喜びを味わうことはできません。少なくとも永続的な幸せは得られません。


13 名前: jaja 投稿日:2004/11/11(木) 22:28
人生の目的は至って単純です。霊の世界から物質の世界へ来て、再び霊の世界へ戻った時にあなたを待ち受けている仕事と楽しみを享受する資格を身に付けるために、さまざまな体験を積むということです。その為の道具としての身体をこの地上で授けてもらうというわけです。この地上があなたにとって死後の生活に備える絶好の教訓を与えてくれる場所なのです。その教訓を学ばずに終えれば、地上生活は無駄になり、次の段階へ進む資格が得れないことになります。このことは地上だけでなく、私ども霊の世界でも同じことです。
毛を刈り取られたばかりの羊は冷たい風に当たらないようにしてやるものです。神の帳簿は一銭の間違いもなく収支が相償うようになっております。つまり人間の行為の一つ一つについて、その賞と罰とが正確に与えられます。これを別の言い方をすれば、原因があれば必ずそれ相当の結果があるということです。

4jaja:2005/08/15(月) 23:23:50
14 名前: jaja 投稿日:2004/11/12(金) 23:28
いかなる苦難にもそれ相当の償いがあり、体験を積めばそれ相当の教訓が身につきます。片方なくして他方はあり得ません。体験もせずにどうして教訓がえられますでしょう。そして教訓を学んだ時から、その教訓を生かす義務が生じます。なにも知らずに犯した罪より、悪いと知りつつ犯した罪の方が重いに決まっています。
あなた方は内部に完全性を秘めそれを発揮せんとしている未完の存在です。地上生活において物質と霊との間がしっくりいかず常に葛藤が続いている以上、あなた方は当然のことながら罪を犯すことになります。私はこれを「過ち」とよぶ方を好みます。もし過ちを犯さなくなったら、地上にも私どもの世界にも誰一人存在しなくなります。あなた方が地上という世界に来たのは、霊的な力と物質的な力との作用と反作用の中においてこそ内部の神性が発揮されていくからです。


15 名前: jaja 投稿日:2004/11/13(土) 00:19
光を有難いと思うのは陰と暗闇を体験すればこそです。晴天を有難く思うのは嵐を体験すればこそです。物事の成就を誇りに思えるのは困難があればこそです。このように人生は対照の中において悟っていくものです。もしもたどる道が単調であれば開発は無いでしょう。さまざまな環境の衝突の中にこそ内部の霊性が形成され成熟していくものです。
時として人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配も無い人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中に生きるように思えることがあります。しかしその観方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。
私はあなた方に較べれば遥に長い年月を生き、宇宙の摂理の働き具合を遥に多く見てきましたが、私はその摂理に絶対的敬意を表します。なぜなら、神の摂理がその通りに働かなかった例を一つとして知らないからです。


16 名前: jaja 投稿日:2004/11/13(土) 00:52
こちらへ来た人間が「自分は両方の世界を体験したが私は不公平な扱いを受けている」などと言えるような不当の扱いを受けている例を私は一つも知りません。神は絶対に誤りを犯しません。もしも誤りを犯すことがあったら宇宙は明日という日も覚束ないことになります。あなた方が誕生する遥か以前から地球は存在し、あなた方が去った後も永遠と存在し続けます。何億年もの昔、まだ何一つ生命の存在しなかった時から太陽は地球を照らし続け、そのおかげで石炭その他の、太陽エネルギーの貯蔵物を燃料とすることができているのです。なんと?長な教訓でしょう。せっかちと短気はいけません。内部から援助してくれる力は静穏な環境を必要とします。物事には一つの枠、つまりパターン(型)があり、そのパターンに沿って摂理が働きます。宇宙の大霊も、自ら定めた摂理の枠から外れて働く事はできないのです。


17 名前: jaja 投稿日:2004/11/13(土) 22:49
指導と援助を求める時はそれなりの条件を整えなくてはいけません。そのためには、それまでの経験を活用しなくてはいけません。それが魂にとっての唯一の財産なのです。そして自分に生命を与えてくれた力がきっと支えてくれるということに自信を持つ事です。あなたはその力の一部なのであり、あなたの魂に内在しているのです。正しい条件さえ整えば、その神性は、神の遺産として、あなたの人生の闘いを生き抜くあらゆる武器を用意してくれます。せっかちと短気はその自由?達な神性のほとばしりの障害となるのです。
故あなた方は常にリラックスし、受身的で穏やかで平静で、しかも奥に自信を秘めた状態であらねばなりません。その状態にあるかぎり万事がうまくいき、必要とするもの全てが施されるとの確信をもたなければいけません。

5jaja:2005/08/17(水) 22:08:20
容易な人生からは価値あるものは得られません。困難な人生からのみ得られるのです。神はけっしてあなたを見捨てません。見捨てるのはあなたの方です。あなたが神を見捨てているのです。困難に直面した時、その神の遺産を集結し、必ず道は開けるのだという自信を持つ事です。不動の信念を持てば必ず道は開かれます。これは私が何年にも渡って説いてきたことです。真実だからです。実践してみればそのとおりであることを知ります。物質は霊の僕です。霊は物質の僕ではないのです。
もし私の説いている真理を聞くことによって楽な人生を送れるようになったら、それは私が神から授かった使命に背いたことになります。私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。それに整然と立ち向かい、それを克服し、そしていっそう力強い人間になってくださることが私どもの真の目的なのです。


19 名前: jaja 投稿日:2004/11/14(日) 00:50
愛は大きさを測ることができません。重さ測ることもできません。いかなる器具を持ってしても分析することは出来ません。なのに愛は厳然として存在します。宇宙における最大の力です。大自然の法則を機能させる原動力です。愛があればこそ全宇宙が存在するのです。宇宙がその使命を成就し、全存在がそれぞれの宿命を成就していく背後にはこの愛の力が存在します。生命活動の原動力であり、霊の世界と物質の世界の間に横たわる障害を克服していくのも愛の力です。
あなた方を今日まで導き、これ以後もより一層大きな霊的回路とする為の受容力の拡大に心を砕いてくれている背後霊(守護霊)の愛に目を向けてください。昼の後に夜が訪れるように、春の後に夏が訪れるように、種を蒔けば芽が出るように、霊は着実に開眼し一歩一歩その存在意義の成就に向けて階段を昇ります。日常の煩瑣な雑事の中にあって一時には僅かな静寂の中に退避し、己の存在の原動力である霊性に発現のチャンスを与えてください。


20 名前: jaja 投稿日:2004/11/14(日) 22:00
いやゆる因果律というものは必ずしも地上生活中に成就されるとは限りません。しかし、いつしいつかは成就されます。必ず成就されます。原因があれば結果があり、両方を切り離す事は出来ないのです。しかし、いつ成就されるかという時期の問題になると、それは原因の性質いかんに係わってきます。すぐに結果が出るものもあれば、地上生活中には出ないものもあります。その作用には情状酌量といったお情けは無く、機械的に作動します。罪を犯すとその罪がその人に記録され、それ相応の結果を生み、それだけ苦しい思いをさせられます。それが地上生活中に出るか否かは私にも分かりません。それはさまざまな事情の絡んだ複雑な機構の中で行われます。因果律の根本の目的が永遠の生命である「霊の進化」にあることだけは確かです。


21 名前: jaja 投稿日:2004/11/14(日) 22:10
人間生活には三つの側面があります。まず第一に霊であり、次に精神であり、そして肉体です。人間としての個性を存分に発揮するようになるのはこの三つの側面の存在を認識し、上手く調和させるようになった時です。物的世界にのみ意識が奪われ、物質感覚しか反応を示さなぬ人間は、精神的ならびに霊的な面においてのみ獲得される、より大きい、より深い、より美しい喜びを味わうことはできません。反対に精神的なもの、霊的なものばかりの瞑想生活から生まれる内的満足のみを求め、この世の人間としての責務をおろそかにする人間は、一種の利己主義です。

6jaja:2005/08/19(金) 23:17:52
22 名前: jaja 投稿日:2004/11/14(日) 22:40
名声が何になりましょう。子供のおもちゃのようなものです。なんの価値もありません。そもそも名声はどうやって得られるかを考えてごらんなさい。お金があるとか世間的に出世したということで名が知れたにすぎません。イエスはそういう名声をいっさい求めませんでした。先師、聖者、先駆者、改革者といわれた人は名声を求めたでしょうか。大切なのは、どれだけ人の役に立つとこをしたかであって、その人の名前ではありません。ですから、いわゆる有名人の名前を名乗って出る霊には気おつけた方がよろしい。判断の基準は何と名乗っているかではなく、どういう態度でどんなことを説いているかです。


23 名前: jaja 投稿日:2004/11/16(火) 00:25
問 「死とは何かを子供にどう説かれますか。」
答 「その子供に理解力があればの話であることは無論ですが、死とは、小鳥が鳥かごから放たれて自由に羽ばたくように肉体から解き放たれて、より大きい生活の世界へ進んで行くことであると説明しましょう。」


24 名前: jaja 投稿日:2004/11/16(火) 00:34
クリスチャンがイエスの本当の生きざまを見習いはじめた時、歴史に画期的な新時代が始まったことになります。が、今の所まだ始まったとはいえません。私の目にはその兆しが見えないのです。イエスの名を口にするだけではイエスに忠誠を尽くすことにはなりません。その「生き方」を見習わないといけません。
イエスも言っているではありませんか。「私に向かって主よ主よと言ってくれる者すべてが天国へ召されるわけではない。天なる御心志を実行する者こそが召されるのである」と。

7jaja:2005/08/22(月) 21:41:40
5 名前: jaja 投稿日:2004/11/16(火) 00:42
霊的治療家が苦痛を取り除いてあげることが許されるのは、それが霊的自我の目覚めへつながるからこそです。病気を治してあげることが立派な仕事であることは間違いないのですが、治療家にはそれよりもっと大切な仕事があります。その病気が縁で訪れてくれる人の魂を目覚めさせ、真の自我を発見させてあげることです。それに比べれば、症状がとれるというだけの治療は大して重要ではありません。


26 名前: jaja 投稿日:2004/11/16(火) 22:43
あなたの説く霊的真理が敵意を持って迎えられた時は、その素晴らしい宝石の光が見えない気の毒な人への適切な言葉を求めて神に祈りなさい。もしもそれが少しでも効果があれば、その人との出会いは無駄ではなかったことになります。もしも何の効果もなければ、それはその人がまだ霊的真理を受け入れる用意が出来ていなかったことを意味します。魂に準備ができていない時には、なすすべがありません。


27 名前: jaja 投稿日:2004/11/16(火) 22:58

祈りはかなえられる時もあればそうでない時もあります。祈りの中身と動機次第です。人間はとかく、そんな要求を叶えてあげたら本人の進歩の妨げになる、あるいは人生観をぶち壊してしまいかねない祈りをします。そもそも祈りとは人間が何かを要求してそれをわれわれが聞き、会議を開いて検討してイエスとかノーとかの返事を出すのと違います。祈るということは、叶えられるべき要求が自動的に授かるようのな条件を整えるために自分自身の波長を高めて、少しでも高い界層との霊的な交わりを求める行為です。

8jaja:2005/08/25(木) 00:30:01
8 名前: jaja 投稿日:2004/11/16(火) 23:37
問−子供には神のことをどう説いてきかせたらよいでしょう?
答−説く人みずからが全生命の背後で働いている力について明確な認識を持っていれば、それは別に難しいことではありません。私だったら大自然の仕組みのみごとな芸術性に目を向けさせます。ダイヤモンドの如き夜空の星も数々に目を向けさせます。太陽のあの強烈な耀き、名月のあの幽玄な耀きに目を向けさせます。あたかも囁きかけるようなそよ風、そしてそれを受けて揺れる松の林に目を向けさせます。さらさらと流れるせせらぎと、度同の大海原に目を向けさせます。そうした大自然の一つ一つの動きが確固とした目的を持ち、法則によって支配されていることを指摘いたします。そして更に人間がこれまで自然界で発見したものはすべて法則の枠内に収まること、その全体に、人間の想像を絶した広大にして入り組んだ、それでいて調和した一つのパターンがあること、全大宇宙の隅々まに至るまで秩序が行き亘っており、惑星も昆虫も風もそよ風も、その他あらゆる生命活動が、その秩序によって経綸されていると説いて聞かせます。


29 名前: jaja 投稿日:2004/11/16(火) 23:40
そう説いてから私は、その背後の力、全てを支えてるエネルギー、途方もなく大きい宇宙の全パノラマと、人間にはまだ知られていない見えざる世界までも支配しているくしびな力、それを神と呼ぶのだと結びます。


30 名前: jaja 投稿日:2004/11/17(水) 22:50
イエスキリストのことについて問われて
この問題の取り扱いには私もいささか慎重にならざる得ません。なるべくなら人に心を傷つけたり気を悪くさせたくないからです。が、私の知るかぎりを、そして又、私が代表している霊団が理解しているかぎりの真実を有りのまま述べましょう。それにはまずイエスにまつわる数多くの間違った伝説を排除しなくてはなりません。それがあまりに長い間事実とごちゃ混ぜされたため、真実と虚偽の見分けがつかなくなっているのです。
まず歴史的事実から申しましょう。インスピレーションというものはいつの時代にも変わらぬ顕と幽とをつなぐ通路です。人間の自我意識が芽生え成長しはじめた頭初から、人類の使命の成就へ向けての大衆を指導する者へインスピレーションの形で指導と援助が届けられてきました。
地上の歴史には予言者、聖人、指導者、先駆者、改革者、夢想家、賢者等々と呼ばれる大人物が数多く存在しますが。その全てが、内在する霊的な天?の才能を活用していたのです。それによってそれぞれの時代に不滅の光輝を附加してきました。霊の威力に反応して精神的高揚を体験し、その人を通じて無限の宝庫からの叡智が地上に注がれました。

9jaja:2005/08/25(木) 00:32:52
31 名前: jaja 投稿日:2004/11/17(水) 23:09
その一連の系譜の中の最後を飾ったのがイエスと呼ばれた人物です。ユダヤ人を両親として生まれ、天?の霊能に素朴な弁舌を兼ね備え、ユダヤの大衆の中で使命を成就することによって人類の永い歴史に不滅の金字塔を残しました。地上の人間はイエスの真実の使命についてほとんど知りません。わずかながら伝えられている記録も汚染されています。数々の出来事も、ありのままに記述されておりません。増え続けるイエスの信仰者を権力者の都合の良い方へ誘導するために、教会や国家の政策上の必要性に合わせた捏造と改ざんが施され、神話と民話を適当に取り入れることをしました。イエスは(神でなく)人間でした。物質的心霊現象を支配している霊的法則に精通した大霊能者でした。今日でいう精神的心霊現象(1930年頃の話)にも精通していました。イエスには使命がありました。それは当時の民衆が陥っていた物質中心の生き方の間違いを説き、真理と悟りを求める生活へ立ち戻らせ、霊的法則の存在を教え、自己の内在する永遠の霊的資質についての理解を深めさせることでした。


32 名前: jaja 投稿日:2004/11/17(水) 23:26
ではバイブルの記録のどの程度まで真実なのか?とお聞きになることでしょう。福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの四書)の中には真実の記述もあります。たとえばイエスがパレスチナで生活していたのは本当です。低い階級の家に生まれた名もなき青年が聖霊の力ゆえに威厳を持って訓えを説いたことも事実です。病人を霊的に治療したことも事実です。心の邪まな人間に取り付いていた憑依霊を追い出した話も本当です。しかし同時に、そうしたこと全てが霊的自然法則に従って行われたことも事実です。自然法則を無視して発生したものはひとつもありません。なん人といえども自然法則から逸脱することは絶対にできないからです。イエスは当時の聖職者階級から自分達と取って代わることを企む者、職権を犯す者、社会の権威をないがしろにし、悪魔の声としか思えない教説を説く者として敵視される身となりました。そして彼らによりご存知の通りの最期を遂げ、天界に帰ったあとすぐに物質化して姿を現し、伝道中から見せていたのと同じ霊的法則を証明してみせました。


33 名前: jaja 投稿日:2004/11/17(水) 23:41
臆病にして小胆な弟子たちは、ついに死んでしまったと思っていた師の蘇りを見て勇気を新たにしました。そのあとはご承知の通りです。一時はイエスの説いた真理が広がり始めますが、また聖職権を振り回す者たちよってその真理が虚偽の下敷きになって埋もれてしまいました。
その後、霊の威力は散発的に顕現するだけとなりました。イエスの説いた真理はほぼ完全に埋もれてしまい、古い神話と民話が混入し、その中から、のちに二千年近くにわたって説かれた新しいキリスト教が生まれました。それはもはやイエスの教えではありません。肉親を失った者を
慰める言葉も知りません。憑依霊を除霊する霊能も持ち合わせません。彼らはもはや霊の道具ではないのです。
さて、以上、いたっておおざっぱながら、キリスト教誕生の経緯を述べたのは、イエスキリストを私がどう位置づけるかという質問にお答えする上で必要があったからです。ある人は神と同じ位に置き、神とはすなわちイエス・キリストであると主張します。それは宇宙の創造主、大自然を生んだ人間の想像を絶するエネルギーと、二千年前にパレスチナで30年ばかりの短い生涯を送った一人の人間とを区別しない事になり、これは明らかに間違いです。

10jaja:2005/08/31(水) 22:52:18
34 名前: jaja 投稿日:2004/11/18(木) 21:10
ではイエスをどう評価するべきか。
人間としての生き方の偉大な模範、偉大な師、人間でありながら神の如き存在、ということでしょう。霊の威力を見せつけると同時に人生の大原則−愛と親切と奉仕という基本原則を強調しました。それはいつの時代にも神の使徒によって強調されてきていることです。もしもイエスを神に祭り上げ、近づき難い存在とさし、イエスのなせる業は実は人間ではなく神がやったのだということにしてしまえば、それはイエスの使命そのものを前面的に否定することであり、結局はイエス自身への不忠を働くことになります。イエスの遺した偉大な徳、偉大な教訓は、人間として模範的な生き様です。私たち霊界の者から見ればイエスは、地上人類の指導者の長い霊的系譜の最後を飾る人物です。だからといって私どもはイエスという人物を崇拝の対象にするつもりはありません。イエスが地上に遺した功績を誇りに思うだけです。イエスはその後も私たちの世界に存在し続けております。ナザレのイエスが手がけた仕事の延長ともいうべきこの大事業の総指揮に当たっておられるのが他ならぬイエスであることも知っております。


35 名前: jaja 投稿日:2004/11/18(木) 21:19
イエスは決して自分を辱めるような行為はしませんでした。いかなる時も自分の利益のために使用することをしませんでした。霊的法則を完璧に理解しておりました。そこが単に偉大な霊能力者であったこと以上に強調されるべき点です。歴史的には数多くの優れた霊能力者が輩出しております。しかし完璧な理解と知識をともなって霊的法則をマスターするということは、これはまったく別の次元の問題です。


36 名前: jaja 投稿日:2004/11/18(木) 21:55
私の興味は真理だけです。真理こそ最も大切です。私のいう新しい世界が基盤とすべき永遠の霊的真理を理解して頂くために私は、ひたすら自分を役立てることだけを考えております。その大事業からはずれたことをする人間は、本来同胞のために捧げるべきエネルギーを無駄に費やしていることになります。私たちがこうして地上へ戻って来たそもそもの目的は、聞く耳を持つ者の魂に刺戟を与えて、新しい世界の構築のため、地上の人間なりの役割を果たしていただくことにあります。
形式への盲従が度を越しています。困襲を大切にしすぎます。私は知識の普及とそれを今なお暗闇にいる人々の啓発のために使用していただくこと意外に関心がありません。私にとって宗教はたったひとつしかありません。人のために自分を役立てることです。教会、聖堂、教理、こうしたものは私はまるで興味がありません。行為、生活、動機、これで評価します。


37 名前: jaja 投稿日:2004/11/19(金) 20:48
地上の同士の方々にいつも申し上げているのは、私たち霊団側としては、皆さんが誠心誠意、精一杯の努力をすること以上のことは要求しないということです。あなた方は欠点をそなえた人間的存在であり、その欠点を一つ一つ取り除いていかなければなりません。しかしそれには大変な時間を要する作業であり、たった一度の地上生活では成就できません。

11jaja:2005/09/03(土) 10:53:26
38 名前: jaja 投稿日:2004/11/21(日) 00:00
宇宙の大霊すなわち神は無限の存在です。そしてあなた方もその大霊
一分子です。不動の信念を持って正しい生活を送れば、きっとその恩恵に浴することができます。このことに例外はありません。
いかなる身分の人であろうと、魂が何を求め、その人の信仰に間違いがなければ、かならずやそれを手にすることができます。
それが神の摂理なのです。その摂理に調和しさえすれば、かならずや良い結果が得られます。
もしも良い結果が得られないとすれば、それは摂理と調和していないことを証明しているにすぎません。地上の歴史を繙けば、いかに身分の低い者でも、いかに貧しい人でも、その摂理に忠実に生きていれば決して裏切られる事がなかった人々が大勢いることがわかります。忠実に生きずして摂理に文句を言う人間を引き合いにだしてはいけません。


39 名前: jaja 投稿日:2004/11/21(日) 00:11
時として厳しい環境に閉じこめられ、それが容易に克服出来ないことがあります。
しかし、正しい信念さえ失われなければ、そのうちきっと全障害を乗り越える事ができます。
そんな時は神の象徴であるところの太陽に向かってこう述べるのです。
「自分は神の一部なのだ。不滅なのだ。永遠の存在なのだ。
 無限の可能性を宿しているのだ。その自分が限りある物質界のことで
 挫けるものか!と。」
そう言えるようになれば、決して挫けることはありません。

12jaja:2005/09/03(土) 10:57:35
42 名前: jaja 投稿日:2004/11/23(火) 20:49
死ということは霊が肉体から脱皮して姿を現す過程のことです。なに一つ怖がる要素はありません。死は有難い解放者です。死が自由をもたらしてくれるのです。
地上では赤ん坊が生まれると喜びます。ところが、いよいよ地上へ誕生しようとする時こちらでは泣いて別れを惜しむ霊が大勢いるのです。それと同じく、地上で誰かが死ぬと泣いて悲しみますが、こちらではその霊を出迎えて喜んでいる人たちがいます。
死とは地上生活がその目的を果たし、霊がこれから始まる霊的な生活が提供してくれる圧倒的な豊かさと美しさを味わう容易が出来たことを意味します。少なくとも本来はそうあらねばなりません。


43 名前: jaja 投稿日:2004/11/23(火) 20:57
自分が正しいと思う事、良心が指図する事を忠実に実行しないといけません。最後は自分が自分の裁判官となります。振り返ってみると正しかったこともあれば、間違ったことをしていることもあります。しかし、動機がが人のためということであれば、たとえ間違っていても罪になることはありません。動機が何よりも考慮の対象になるからです。

13jaja:2005/09/06(火) 22:58:37

44 名前: jaja 投稿日:2004/11/23(火) 21:13
私たちがお教えしようとしている人生の秘訣は、今を大切に生きるということです。明日のことを思い悩んではいけません。あなたには霊的知識があります。どこかに仕舞い込んでおいてはいけません。それを全人生の基盤とするのです。その知識が生み出す自信を持って生き、けっして悲観的になってはいけませんと言っているのです。明日という一日を素敵な冒険と可能性をもたらしてくれるものとして、ちから強く迎えるのです。人生は陽気さと快活さに満ちたものでなくてはなりません。心配の念はけちらしなさい。心配は無知と迷信の産物です。あなたは光栄にも素晴らしい知識の中で生きられる条件を手にしているのです。笑顔のあるところに神の働きがあるのです。悩みの中にあっても笑顔を失ってはいけません。それが出来るようになれば何事も必ず解決します。俗世の事に悩まされて笑顔を忘れるようでは、まだまだ真理を悟ったとは言えません。


45 名前: jaja 投稿日:2004/11/24(水) 22:29
一つの仕事を始めると、遅かれ早かれ難問が生じるものです。しかし克服できないほど大きい問題は生じません。先のことを心配してはいけません。私も大きな歯車の歯の一つにすぎません。歯車は確実に回転します。それを動かしている力は物質界と霊界とを包含する大宇宙を経綸している力なのです。その力が森羅万象を生み出してたのです。星雲を、太陽を、惑星を、大洋を、大海を、山を、花を、小鳥を、動物を、そしてあなた方人間を生み出したのです。それほど大きな力が、あなた一人の人生にてこずるわけがありません。私たちは人間の挫折を見たくて戻ってきたヤジ馬ではありません。私たちがお持ちした霊力はすでに地上に根づいております。その力を阻止できるのは地上には存在しません。背後霊に全幅の信頼を置きなさい。

14jaja:2005/09/06(火) 23:01:51
46 名前: jaja 投稿日:2004/11/25(木) 22:18
母体内での受胎の瞬間から、あるいはそれ以前から、その人間の守護の任に当る霊が付きます。そして、その人間の死の瞬間まで、与えられた責任と義務の遂行に最善を尽くします。守護霊の存在を人間が自覚するとしないとでは大いに違ってきます。
自覚してくれれば守護霊の方も仕事がしやすくなります。守護霊は決まって一人だけですが、その援助に当たる霊は何人かおります。守護霊にはその人間の辿るべき道があらかじめ分かっております。が、その道に関して好き嫌いの選択は許されません。つまり、自分はこの男性にしようとか、あの女性の方がよさそうだ、といった勝手な注文は許されません。こちらの世界は実にうまく組織された機構の中で運営されています。


47 名前: jaja 投稿日:2004/11/25(木) 22:33
霊的な宝はいかなる地上の宝にも優れます。それはいったん身につけたらお金を落とすような具合になくしてしまうことは絶対にありません。苦難から何かを学びとるように努めることです。耐え切れないほどの苦難を背負わされるようなことは絶対にありません。何らかの荷を背負い、苦難と取り組むということが旅する魂の本来の姿のなです。
それはもちろん楽なことではありません。しかし魂の宝はそうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るようであれば、なにも、苦労する必要などないでしょう。痛みと苦しみのさなかにある時はなかなかその心得がいかないのですが、必死に努力して苦しんでいる時こそ、魂にとって一番の薬なのです。

15jaja:2005/09/08(木) 00:01:52
8 名前: jaja 投稿日:2004/11/25(木) 22:41
私どもは、いくらあなた方が重荷を背負い悩み苦しむ姿をあえて手を拱いて傍観するほかない場合がよくあります。そこから教訓を学び取り霊的に成長してもらいたいと願い祈りながらです。知識にはかならず責任が伴うのです。霊はいったん視野が開ければ、悲しみは悲しみとして冷静に受け止め、決してそれを悔やむことはないはずです。燦燦と太陽の輝くか穏やかな日和には人生の教訓は身に沁みません。魂が目を覚まし、それまで気付かなかった自分の可能性を知るのは、時として暗雲垂れこめる暗い日々や、嵐の吹きまくる厳しい日でなければならないのです。


49 名前: jaja 投稿日:2004/11/26(金) 22:54
地上の人生はしょせんは一つの長い闘いであり試練です。魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言っていいでしょう。魂にはありとあらゆる種類の長所と欠点が秘められております。すなわち動物的進化の段階の名残りである下等な欲望や感情もあれば、あなた方の個的存在の源泉である神的属性も秘められております。そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。地上に生まれくるのはその試練に身をさらすためなのです。人間は完全なる神の分霊を享けて生まれていますが、それは魂の置くに潜在しているのであって、それを引き出して磨きをかけるためには、慈悲とも厳しい試練が必要なのです。


50 名前: jaja 投稿日:2004/11/26(金) 23:10
運命の十字路にさしかかるごとに右か左かの選択を迫られます。つまり苦難に厳然と立ち向かうか、それとも回避するかの選択を迫られるわけですが、その判断はあなたの自由意志に任されます。もっとも、自由といっても完全な自由ではありません。その時点において取りまかれている環境による制限があり、それに反応する個性と気質の違いによっても違ってくるのです。地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されております。そのチャンスを前にして、積極的姿勢をとるか消極意的姿勢をとるか、滅私の態度にでるか自己中心の態度にでるかは、あなた自身の判断によって決まるということです。
地上生活はその選択の連続と言ってよいでしょう。選択とその結果、つまり作用と反作用が人生を織りなしていくのであり、同時に又、寿命尽きて霊界に来た時に待ち受けている生活、新しい仕事に対する準備が十分に出来ているか否か、能力的に十分か不十分か、霊的に成熟しているか否か、といったこともそれによって決まります。単純なようで実に複雑なのです。

16jaja:2005/09/11(日) 00:38:56
51 名前: jaja 投稿日:2004/11/27(土) 21:10
肉食に関するもの集めました。

理想を言うならば食する物は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます。 
人間は動物を食するために地上に置かれているのではありません。
(人間の)身体的構造を見てもそれが分かります。全体として見て、人間は肉食動物ではありません。

低い動物形態においては、見た目には残忍と思える食い合いの形を取ります。
が、進化するにつれてその捕食本能が少しずつ消えていきます。先史時代をごらんなさい。
捕食動物の最大のものが地上から姿を消し、食い合いをしない動物が生き残ってきております。

動物界にも進化の法則があります。歴史を溯(さかのぼ)ってごらんなさい。
有史以前から地上に生息して今日まで生き延びている動物は、
決して他の動物を食い荒らす種類のものでないことがお分かりになるはずです。

動物を殺して食べるということに罪の意識を覚える段階まで魂が進化した人間であれば、
いけないことと知りつつやることは何事であれ許されないことですから、やはりそれなりの報いは受けます。
その段階まで進化しておらず、いけないとも何とも感じない人は、別に罰は受けません。
知識にはかならず代償が伴います。責任という代償です。

17jaja:2005/09/12(月) 23:48:08
日月神示にも肉食を戒めている神示が多くなり、とても内容がにています。
時期的にも戦前、戦後の頃で共通点も多く、興味深いですね。

日月神示より

「四つ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろう。臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ」

五穀・・・米、麦、アワ、ヒエ、キビ、豆など
四ツ足・・・牛、豚などの獣類
共食い・・・獣類は同じ哺乳類で人間と性が近い
      よって共食いとなるという意味

また霊人の食物は、その質において、その霊体のもつ質より遠く離れたものを好む。現実社会における、山菜、果物、海藻などに相当する植物性のものを好み、同類である動物性のものは好まない。
何故ならば、性の遠く離れた食物ほど歓喜の度が強くなってくるからである。霊人自身に近い動物霊的なものを食べると歓喜しないのみならず、反って不快となるからである。

霊人からしてみれば、霊食を自分自身たる霊人の一部とするのであるが、食物から見れば、霊人を食物としての歓喜の中に引き入れる事となるのである。
食物は歓喜であり、歓喜は神であるから、神から神を与えられるのである。以上の如くであるから、他から霊人の食べるのを見ていると、食べているのか食べられているのか判らない程である。

18jaja:2005/09/15(木) 22:13:17
54 名前: jaja 投稿日:2004/11/28(日) 20:36
神の存在を信じ、神を賛美する教説を朗読し賛美歌を歌い、日曜日には礼拝に出席しているからといって、それだけで霊性が1ミリたりとも伸びるわけではありません。
それは他人への思いやりの心を鼓舞して、暗闇の生活から光明の生活へと導いてあげる行為を実践させる、その手段と考えるべきです。


55 名前: jaja 投稿日:2004/11/28(日) 21:04
問−最愛の伴侶に先立たれて生きる希望を失った人が、自ら命を断つということは許されるものでしょうか。

答−許されません。因果律という摂理の働きは完璧ですから、それに忠実に生きなければなりません。摂理というのは完全なる愛である大霊によって統制されており、全ての中に存在すると同時に全てのものを通して働いております。その働きに干渉する権利を有する者はいません。もしも干渉して自殺すれば、それなりの代償を支払わねばなりません。
 例えば熟さないうちにもぎ取ったリンゴは美味しくないように、寿命をまっとうせずに無理やりに霊界へ行けば、長い調整期間の中でその代償を支払わねばならなくなります。その上、その伴侶はもとより、他の縁ある人々とも会えなくなります。(利己的な波動によって)周囲にミゾをこしらえてしまうからです。


56 名前: jaja 投稿日:2004/11/28(日) 21:14
こんなことを言うとまたわたしは不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げねばなりますまい。理想的な人間のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が人間の進化にとって良いに決まっています。
 地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど人間の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。
 これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)な能力(パワー)の開発に益があるでしょうか。もちろん無いに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当り前の理屈ですが、理想を言うならば、人間は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます。

19jaja:2005/09/17(土) 22:49:00
57 名前: jaja 投稿日:2004/11/30(火) 02:05
霊的治療(ヒーリング)について
無限なる叡智と愛を具えた大霊は、不治の宣告を受けた人たちにもう一度チャンスを用意してくださっています。
大切なのは魂の琴線に触れるということです。そのとき魂が、それまで有るか無いかの状態で明滅していた神性の火花を美しい大きな炎と燃え上がらせ、潜在する霊的エネルギーを活気づけ、それが身体の病を治し、精神に教訓を学ばせ、霊的本性を開発させるのです。
それが首尾よく行われた時は、霊的治療家はその貢献の栄誉をさずかったことを大霊に感謝すべきです。


58 名前: jaja 投稿日:2004/11/30(火) 02:11
もしも身体は治っても魂を目覚めるまでに至らなかった時、
それは残念この上ないことです。
その患者は霊的真理にめざめるチャンスを目の前にしながら、それを手にすることがでなかったことを意味するからです。
いずれにせよ、霊的治療家は精一杯の努力して、霊力が存分に流入し、神の意志が届けられるようにすることです。


59 名前: jaja 投稿日:2004/11/30(火) 02:16
すべての魂が受け入れる用意が出来ているとはかぎりません。
それは有りえないことです。霊的治療家のもとを訪れる人のすべてが治せるわけではありません。
が、もしも絶望視されていた人に何らかの改善が見られたら、それは、いやしくも思考力と理性とを具そなえた人間にとって、物質よりはるかに勝る力が働いたことを示す明確な証拠というべきです。

20jaja:2005/09/19(月) 23:10:34
0 名前: jaja 投稿日:2004/11/30(火) 02:32
起源においても本質においても霊的治療力は、今日の地上界へ流入している大切なエネルギーの一つです。地上界は今とても病んでおります。あまりにも多くの人が調和の乱れた生活環境が生み出すストレスと不自然さによって病気になっております。みずから-文明-と読んで誇っているものが実は、本来ならエネルギーを供給してくれる大自然から人間を絶縁させているのです。
そのために人間のバッテリーである魂が枯渇しており、それを霊的な力によって再充電してあげなくてはならないわけです。それが効を奏してバッテリーが働きはじめると、身体と精神と霊との間に調和がもどります。それが健康です。神はその無限の叡智によって、人体の骨格およびその関連器官を、霊の自然治癒力がよく働くようにこしらえてあるのです。
その身体と精神と霊という三位一体の関係が乱れた時に病気になるのです。健康とは全体の調和状態のことです。


61 名前: jaja 投稿日:2004/12/02(木) 00:06
では霊的治療家がその治療エネルギーの通路となると、どういうことが起こるか。生命力、すなわち霊の力(神の光)が治療家を通って患者に流入し、その魂と接触をとり、さきほど述べたバッテリーを補給し、原因はともあれ、乱れてしまった調和を取り戻させるのです。
霊的治療の肝要な点は、治療家自身が苦痛を体験していて、訪れる人々に対する思いやりの心が培われていることです。それが摂理の働く唯一の道なのです。これを読まれてる方どなたよりも永い年月を生きてきた私は、今なお、全存在を包摂する宇宙的摂理を考案した大霊の無限の叡智に感銘させられることばかりなのです。
平和の有難さがわかるのは嵐の中においてこそです。晴天の気持ちよさがわかるのは雨の日があるからです。このようにすべてが両極の原理で成り立っているのです。もしも全体が光ばかりだったら、光の有難さはわかりません。そうした違いが分かり自然の摂理の素晴らしさが分かるのは、そのコントラスト、比較対照の原理のお蔭です。


62 名前: jaja 投稿日:2004/12/02(木) 00:17
そこで苦しみがあるのです。苦しみの中において霊性が目を覚まし、その結果として霊的治療がゆるされ、自分のものと訪れる人の苦しみも分かるのです。
みなさんみ申し上げたいことは、明日のことを思い悩んではいけないということです。治すべき患者はちゃんと導かれてまいります。
治療してあげて、取りあえず身体上の痛みや症状が消えれば、それはそれなりに結構なことです。が、それよりさらに一歩踏み込んで、そうした変化が何を意味しているかを患者が理解してくれれば、なお結構なことです。
その段階から患者の霊性が目を覚まし、真の自我を知り、地上に生まれた目的を成就しはじめることになります。そこが大切な点です。症状が取れれば、それはそれなりに結構です。が、霊的実在のめざめることになれば、なおいっそう結構なことです。

21jaja:2005/09/21(水) 19:57:33
3 名前: jaja 投稿日:2004/12/02(木) 00:36
問−神が完全は叡智と知性と愛を具えた普遍的な霊であり、全生命を支配し、しかも人間を自分に似せて創造したのであれば、なぜ人間は不完全なのでしょうか?
答−それはミクロとマクロの問題です。人間は神の完全性の要素をミクロの状態で内臓しております。人間はそれを発現させ完成させなくてはならないのです。それは無限の時間を要する過程です。
別に難しい問題ではありません。人間を自然の摂理に順応させるのが人間の務めなのです。人間の間違っている事は、自分で勝手な神を想像することです。男性である方が女性であるより勝れているかに信じているわけです。
神は人間を「霊的に」ご自分に似せて創造されました。生命は霊であり、霊は生命です。霊的に似せて創造された以上、あなたは永遠に神とつながっており、神聖を共有しているのです。ということは必然的に人間は霊的大家族の一員であるということになります。同じ神聖は宿っているからです。ですから人間は「霊的」に神に似ているのであり、「姿」が似ているということではありません。


64 名前: jaja 投稿日:2004/12/04(土) 00:15
地上世界を一気に変革することはできません。人々を変えるのも容易ではありません。が、自分自身を変えることは今すぐからでも始められます。いつどこにいても人のためを心掛けるのです。力になってあげるのです。自分が教わったものを分けてあげるのです。もしそれが受け入れられれば喜び、拒否されればその人の思う道を行かせてあげればよろしいのです。あなたが導いてあげるべき人が次々とあなたのもとに案内してこられるのです。
神は、愛と知性をもってこしらえたその霊力によって活力を与えている地上世界から分離して存在することはできません。


65 名前: jaja 投稿日:2004/12/04(土) 00:33
問−祈りの効用について説明してください。
答−知識の領域を少しでも広めようとする努力、病める人を一人でも多く治してあげたいと思う心、死別の悲しみに暮れる人をもっと慰めてあげたいと思う気持、人生に疲れた人があなたという灯台を見つけられるように一層の輝きを増したいという願い−いずれも私たちがたずさわっている仕事なのですが−こうした祈りが何の反応もなく見過ごされることは絶対にありません。
あなたは一人ぼっちではないのです。大軍の一員なのです。われわれの背後、みえざる次元には、たぶんあなたには想像もできないほど進化した神霊の大集団が控えているのです。あなたも、私も、そして私たちと志を同じくする者は、いつでもその援助を授かることができるのです。
唯一の制約条件は、それを受け入れ吸収する能力です。霊的資質を培うほど、それだけ多くの美しさと輝きと壮大さと高潔さと光沢を身につけることになります。それが魂を刺戟して、地上への誕生とともに賜った遺産である内部の神性をますます発現したいと願う気持ちにさせるのです。

22jaja:2005/09/23(金) 21:56:44
6 名前: jaja 投稿日:2004/12/07(火) 23:52
胎をすえなさい。私がこの仕事を仰せ使った時、これが大変な仕事であること、多分それまでに体験したことのない大きな挑戦課題であることを聞かされました。そして用意された計画の説明を聞かされて私は、「精一杯頑張ってみましょう」と引き受けました。今はどうでしょう。活字のお蔭で霊力が地球のすみずみまで行渡っております。


67 名前: jaja 投稿日:2004/12/08(水) 00:03
自分の内部に宿る威力を認識し、それを活用しさえすれば、克服できない困難というものはありません。それをいかにすれば活用できるかとなると、まずその能力を、開発しなければなりませんが、ただ開発しただけではだめです。
高い波長に感応できるものでなければなりません。ではどうすればよいのか。それは日常生活の中身を人の為に役立つもので満たしていくことです。そう努力することで霊性を高めるのです。自己中心的で俗世的すぎると、波長は低いものしか感応しません。自我を滅却して利他的なことに関心をしめすほど、高い波長のものに感応するようになります。その時内部の神性が発揮されるのです。


68 名前: jaja 投稿日:2004/12/08(水) 00:07
私の説く宗教は実践の宗教です。一日一日の宗教、一日24時間、一時間60分、一分60秒、そのすべてを実践の時とする宗教です。それが私の評価基準です。それが目標とする理想です。

23jaja:2005/09/25(日) 21:29:49
72 名前: jaja 投稿日:2004/12/09(木) 23:22
持てる能力や才能が多ければ多いほど、それだけ責任も大きくなります。地上へ再生するに際して各自は、地上で使用する才能についてあらかじめ認識しております。才能がありながらそれを使用しないものは、才能の無い人より責任を取らされます。当然のことでしょう。
悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中で特に意味を持つものです。悲しみはそれが魂の琴線にふれた時、いちばんよく魂の目を覚まさせるのです。魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めるためによほどの体験を必要とします。悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとっても教訓を学ぶための大切な手段なのです。もしも教訓が簡単に学べるものであれば、それは大して価値の無いものだということになります。悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学ぶだけの準備の出来ていた魂にとって価値があると言えるのです。


73 名前: jaja 投稿日:2004/12/11(土) 01:07
繰り返し述べてきたことですが、真理は魂がそれを悟る準備の出来たときに初めて学べるのです。霊的な受け入れ態勢が出来るまでは決して真理に目覚めることはありません。こちらからいくら援助の手はさしのべても、それを受け入れる準備の出来ていない者は救われません。霊的知識を理解する時を決するのは魂の発達程度です。肉体に包まれているあなた方人間が物質的見地から宇宙を眺め、日常の出来ごとを物質のモノサシで測り、考え、評価するには無理もないことですが、それは長い物語の中のほんそ些細なエピソード(小話)にすぎません。


74 名前: jaja 投稿日:2004/12/11(土) 01:20
魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂のこやしです。魂がその秘められた力を発揮するにはいかなるこやしを摂取すればよいかを知る必要があります。それが地上生活の目的なのです。失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかのような感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。あなた方にはまだまだ発揮されていない力ーそれまで発揮されたものよりも遥かに大きな力が宿されているのです。それは楽な人生の中では発揮されません。苦痛と苦難の中にあってこそ発揮されるのです。金魂もハンマーで叩かないと、その純金の姿を拝むことが出来ないように、魂という純金も、悲しみ、悲しみや苦しみの試練を経ないと出てこないのです。それ以外に方法がないのです。

24jaja:2005/10/02(日) 22:34:18
5 名前: jaja 投稿日:2004/12/11(土) 23:53
人生の生活に過ちはつきものです。その過ちを改めることによって魂が成長するのです。苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わねばなりません。何もかもがうまくいき、日なたばかり歩み、何一つ思い患うことの無い人生を送っていては、魂の力は発揮されません。何かに挑戦し、苦しみ、神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において、魂の兵器庫の扉を開き、神の武器を持ち出すこと、それが悟りを開くということです。


76 名前: jaja 投稿日:2004/12/12(日) 21:18
われわれは偉大にして遠大な目的に向かって協力し合っております。その目的とは、薄幸の人々、虚弱な人々、苦痛にあえぐ人々、寄るべなき人々、悲嘆に首をうなだれ、胸のふたぐ思いをしている人々に、少しでも援助の手を差しのべてあげることです。霊の力は人間を媒体として注ぎ込むチャンスをうかがっております。そのチャンスを見つけると、病気の場合であれば治癒力を見せつけることによって、人間の協力さえ得られれば見えざる世界の威力と光明とをもたらすことができることを示します。
霊の力はすなわち生命力です。生命があるのは霊があるからこそです。霊は生命であり生命は霊です。このとてつもなく広大な宇宙を創造した力も、あなたがたを生かしめ、これから後もずっと生かしめていく力と同じものです。又、あなたがたが愛し合い、物を思い、心を馳せ、判断し、反省し、決断し、勘案し、熟考し、霊感を受け、人間的情感の絶頂からドン底までを体験させてくれる力、それは霊の力なのです。
 あなたがた一人ひとりが大霊であり、大霊はあなたがた一人ひとりであると言えます。程度の差があるだけで、その本質、実質においては同じです。人間は言わばミクロの神です。その力が病人を癒すのです。それを分析してお見せすることはできません。何で出来ているかを説明することもできません。わたしに言えることは、それが無限の形態をとって顕現している―なぜなら、生命は無限だから、ということだけです。


77 名前: jaja 投稿日:2004/12/12(日) 21:24
わたしたち霊界の者が人間の苦しみに無関心であると言う意味ではありません。病をかかえた人々の悲劇や苦痛やわびしさに無頓着でいるわけではありません。が、そうした問題の究極の原因に手をつければ、精神と身体と霊との間の不調和に終止符をうつことができ、そうなれば、地上生活が必要としている光輝がふんだんに注がれるのです。神の子が享受すべく意図されている本来のもの―気高さ、崇高さ、威厳、豊かさ、光輝、美しさを見出すことでしょう。
 そうした生活の末に死を迎えれば、来世にそなえるための地上生活の大役を果たしてくれた肉体を、何の苦痛もなく脱ぎ捨てて、気持よく霊界の門をくぐり抜けることができます。

25jaja:2005/10/07(金) 01:08:45

78 名前: jaja 投稿日:2004/12/16(木) 00:29
ものごとは善にもなり悪にもなります。そこにあなたの選択権、自由意志、決断力、判断力を使用する要素があるわけです。それは神があなたに与えた神性のひとつです。言い変えれば、あなたは神の操り人形ではないということです。その判断・決断に際して背後霊は、あなたが正し選択をするように精一杯努力をします。しかし時には大切な教訓を学ばせるために思い通りにさせることもあります。が、その裏にはあなたがきっと無傷で立ち直り貴重な叡智を身につけてくれるとの確信があります。


79 名前: jaja 投稿日:2004/12/16(木) 00:35
霊的知識を手にした者にとって大切なことは、
二度とこの世的な悩みごとのために塞ぎこむようなことがあってはならないことです。
悩みごとは影にすぎません。実在ではないのです。実在は霊です。霊とは内部の神性です。それがあなたに生命を与えているのです。内にも外にも霊にまさる潜在力は存在しません。


80 名前: jaja 投稿日:2004/12/17(金) 21:08
私たち霊団の者も皆さんも、ともに神の奉仕者です。ただ私たちは皆さんよりほんの少しばかり先を歩んでいるというに過ぎません。そこでこうして引き返してきて、これまでに学んできたものの中から皆さんのお役に立つ物をお分けしようというわけです。お互いに扶助し合うということが生命の根本原理だからです。互助の精神がないところには荒廃があるのみです。互助の精神のあるところには平和と幸せが生まれます。地上世界はその互助の精神によって新しく社会を築かないといけません。原理はいたって簡単なのです。人間がそれをややこしくしているのです。

26jaja:2005/10/08(土) 00:21:25
1 名前: jaja 投稿日:2004/12/17(金) 21:15
塞ぎこむのはやめなさい。誰の人生でも孤独感を味わう時期があるものです。まわりにどんなに親しい人がいてくれても孤独に思うものです。が、そこから意気消沈の状態へ落ち込んではなりません。あなたほどの霊的知識を手にされた方なら、地上にも霊界にも、恐れるものは何一もありません。

83 名前: jaja 投稿日:2004/12/18(土) 20:48
こうして地上世界のための仕事に従事している私たちの多くは、これから先の地上はこうなるという未来像を見せていただいております。それを受け入れ能力のある地上の同志に伝え、挫けがちな心を鼓舞しております。
私が見せていただいた未来図にくらべると現在の地上世界がひじょうに醜く見えます。が私には地上世界はこれほどまでに立派になるのだ、こうならねばならないのだということが分かっております。あとは時間の問題です。それを早めるも遅らせるも人類の自覚一つに掛かっております。


84 名前: jaja 投稿日:2004/12/18(土) 22:30
時おりみなさんは自分の魂にとって為にならないもの、進化を遅らせることになることを要求されます。それを叶えてあげるわけにはいきません。また時おりそれを手にするだけの十分な努力をしていないものを要求されます。それも与えられません。そして時にはそれを手にする用意の出来たものを要求されます。それは、ここという好機をみて与えられます。このように皆さんが心に抱く祈りは、口に出さずとも神は先刻ご承知なのです。

27jaja:2005/10/11(火) 23:32:31
84 名前: jaja 投稿日:2004/12/18(土) 22:30
時おりみなさんは自分の魂にとって為にならないもの、進化を遅らせることになることを要求されます。それを叶えてあげるわけにはいきません。また時おりそれを手にするだけの十分な努力をしていないものを要求されます。それも与えられません。そして時にはそれを手にする用意の出来たものを要求されます。それは、ここという好機をみて与えられます。このように皆さんが心に抱く祈りは、口に出さずとも神は先刻ご承知なのです。


85 名前: jaja 投稿日:2004/12/23(木) 01:04
同じこの地球上に身を横たえる場所もなく、星空の下で寝なければならない人が大勢いるのです。風雨にさらされている人が大勢いるのです。その日の食べ物にす事欠いている人がいるのです。

そういう現実のもとで、あなたは今の自分の身の上について神に向かって不平を言う資格があると思われますか。


86 名前: jaja 投稿日:2004/12/23(木) 01:06
あなたにとってまったく見知らぬ霊、名前すら聞いたことのない霊でありながら、あなたのために力になってあげたい一心で来てくれる霊が大勢いるものです。そういう霊は名乗りたがりませんし、見返りというものを一切期待しないものです。

28jaja:2005/10/13(木) 22:37:42
87 名前: jaja 投稿日:2004/12/23(木) 17:26
そもそも貴方がこの地上へ生まれてきたのは、陰性のもの、邪悪なものを克服して霊的に一段と強くなるためです。それが容易に達成されるとは申しておりません。大変難しいことです。しかし、霊的価値の高いものがそう簡単に達成されるはずがありません。なぜなら、それには霊的視野と焦点を常に誤らないようにするための強烈な精神的鍛錬を要するからです。


88 名前: jaja 投稿日:2004/12/23(木) 23:36
霊的なものと物的なもののいずれにも偏らないように配慮しなくてはいけません。物的なことに向けておられる関心よりもっと多くとは申しませんが、せめて同じ程度の関心を霊的なことにも向けるように努力してください。
あえて断言しますが、人のために自分を役立てようとする行為を真摯に、謙虚に、そして敬虔な気持ちで実行する時、そのための手段が得られなくて挫折することは決してありません。


89 名前: jaja 投稿日:2004/12/24(金) 23:23
人生の難問の一つ一つを、あなたが解決を迫られている課題として受け止めなさい。
それに挑戦していく過程の中で霊性が磨かれ、発達し、潜在的神性が表面に出てくるのです。

順調に事が運んでいる時に感謝する必要はありません!

難問が生じた時こそ感謝すべきです。あなたにとっての挑戦課題が突きつけられたのであり、それを真正面から受け止めることによってあなたの霊性が一段と磨かれる、その絶好のチャンスだからです。

29jaja:2005/10/14(金) 21:16:22
90 名前: jaja 投稿日:2004/12/26(日) 09:15
叡智というものは体験から生まれます。
十分な体験を経て魂がそれを要求するようになった時にはじめて真理が受け入れられます。
それから今度は、その知識をどうするかの段階となります。
その知識を他人のために活用する義務の問題です。
そうした過程は実に遅久としたものですが、人類はそういう過程を経るしかないのです。

94 名前: jaja 投稿日:2004/12/26(日) 22:49
「悪」とは何かということを見極めておく必要があります。
地上生活の究極の目的は「死」と呼ばれている現象のあとに待ちかまえている次の生活ステージに備えて、内部の霊性を開発することにあります。開発するほど洞察力が深まります。霊性が開発されるにつれて自動的に他人に対して寛大になり憐れみを覚えるようになります。これは、悪や残忍さや不正に対して寛大であれという意味ではありません。
相手は自分より知らないのだという認識から生まれる一種の我慢です。人間は往々にして自分のしていることの意味がわからずに、まったくの無知から行為に出てくることがあるものです。そこがあなたの我慢のしどころです。それは悪を放任し黙認してしまうことではありません。それは我慢ではなく目の前の現実に目をつむることです。真の意味の寛大さには洞察力が伴います。そして、いつでも援助の手を差しのべる用意ができていねければなりません。

7 名前: jaja 投稿日:2004/12/27(月) 23:32
勇気を持って進みなさい。落胆や失敗がないというのではありません。これからも数多くの失敗と落胆があることでしょう。
しかし、いかなる事態にあってもあなたの背後には、困難に際しては情熱を、疲れた時には元気を、落胆しそうな時には励ましを与えてくれる霊が控えてくれていることを忘れてはなりません。
一人ぼっちということは決してないということです。
神が使者を派遣してくださっております。
私もその中の一人です。

30jaja:2005/10/20(木) 00:14:54
98 名前: jaja 投稿日:2004/12/28(火) 21:29
大切なのはあなたの「行い」です。
そして他のことは信じなくてもこれだけは信じてください。
たった一つの魂を光明へ導いてあげたら、
あるいは飢えに苦しむ人に食を与え、喉の渇きに苦しむ人に飲み水を与えたら、あるいは又、
肩の重荷を軽くしてあげ、足もとの石ころを取り除いてあげたら、
それだけで地上の全財産にも勝る大切なことをしたことになるのです。

106 名前: jaja 投稿日:2004/12/30(木) 00:43
目先の結果だけで判断してはいけません。
あなた方は物質の目だけでご覧になっておられます。
もし霊の目で見ることができれば、一人ひとりに完全な公正が行き渡っていることがお分かりになるはずです。
私は時おり皆さんの祈りに耳を傾けることがありますが、
もしも神がその願い通りになさったら
却って皆さんにとって好ましくない事態になるのだが
と思う事ばかりです。

08 名前: jaja 投稿日:2004/12/30(木) 22:23
私たちはみな神の子供です。
神はそのうちのある者を赤く塗り、
ある者を黄色く塗り、あるも者を黒く塗り、
そしてある者には何も塗らずにおきました。
が、それぞれが神の機構の中で存在価値をもってるのです。
いつの日か神の摂理が行き渡り、さまざまな肌色の人種が混ざり合い、
愛の心を抱いて共に暮らすようになった時に、
世界中に調和が実現します。
その一つ一つの色が何を意味するかは皆さんは理解しておりません。
それぞれ大きな目的を持ち、
造化の摂理に貢献しております。
すべての肌色が融合し、肌色で区別することをせずにその背後の
魂を見るようになるまでは、地上に平和は到来しません。

31jaja:2005/10/22(土) 00:31:57
109 名前: jaja 投稿日:2004/12/30(木) 22:36
苦痛と老いと疲労と憂うつから解放された人をなぜ悲しむのでしょう。
暗闇から脱して光明へと向かった人をなぜ悲しむのでしょう。
霊の本来の欲求である探求心を心ゆくまで満足できることになった
人をなぜ悼むのでしょう。
それは間違っております。
その悲しみには利己心が潜んでおります。
自分が失ったものを嘆いているのです。
自分が失ったものを自分で耐えていかねばならないこと、
要するに自分を包んでくれていた愛を奪われた、
その孤独の生活を嘆き悲しんでいるのです。


110 名前: jaja 投稿日:2005/01/01(土) 10:52
動機がなんであるか−
これが最後の試練です。
魂の奥の静かな、そして小さな声が反発するがゆえに戦争に参加することを拒否する人間と、
これが国家への奉仕なのだという考えから、
つまり一種の奉仕的精神から敵を殺す覚悟と同時にイザとなれば我が身を犠牲にする覚悟をもって戦場へおもむく人間とは、
私達の世界から見て上下の差はありません。
動機がもっとも優先的に考慮されるからです。

32jaja:2005/10/24(月) 23:45:24
11 名前: jaja 投稿日:2005/01/02(日) 18:42
人間の大半がなにもならないものを求め、必要以上の財産を得ようと躍起になり、
永遠不滅の実在、人類にとって最高の財産を犠牲にしております。
どうか、種子を蒔ける場所に一粒でも蒔いてください。
冷ややかな拒絶に会っても、相手になさらぬことです。
議論をしてはいけません。
伝道ぶった態度に出てもいけません。
無理して植えても不毛の土地には決して根づきません。
根づくところには時がくれば必ず根づきます。
小ばかにしてあなたに心ない言葉を浴びせた人たちも、
やがてその必要性を痛感しうれば向こうからあなたを訪ねてくることでしょう。


112 名前: jaja 投稿日:2005/01/03(月) 20:31
世間がどう言おうと、まわりの人がなんと言おうと、自分で正しいことをしなさい。その方が都合が良いとか得策だからではなく、心の奥でかくあるべきと確信したこと、良心がそう命じていることを実行すればよいのです。いたって簡単なのです。
ところが人間はなぜか複雑なこと、ややこしいことを好みます。
もう当たり前になってしまった単純素朴なことは毛嫌います。
私はあくまでも良心の命じるままに従いなさいと申し上げます。
良心こそ神の声であり、善と悪とを選り分け、進むべき道を指示します。

33jaja:2005/10/26(水) 00:10:36
115 名前: jaja 投稿日:2005/01/04(火) 20:56
心配からは何一つ良いことは生まれません。
心配と恐れはあなたにとって味方ではなく敵です。
不屈の心、冷静さ、自信、決意、こうした資質は悟りを開いた魂から生まれるものです。
あなたはこれまで立派に導かれてきたのです。これからも導きがあります。
疑念が生じた時はいったん心の働きを止めて内的静寂の世界へ引き込み、霊的資質の発現を待つのです。
この地上人類の霊的覚醒のための闘いに参加している将校は、
戦況がいかに苦しくなっても、盤石の信念をもってその場を死守しないといけません。
そのためにこれまで厳しく鍛えられた試練にさらされてきたのです。
背すじをまっすぐにしなさい!


116 名前: jaja 投稿日:2005/01/05(水) 22:24
地上には幾十億と知れぬ人間がおり、みな成長段階も違えば進歩の速度も違い、進化の度合いも違います。
したがって全ての者に一様に当てはめられる型にはまった法則、物的ものさし、といったものは存在しません。
固定した尺度を用いれば、ある者には厳しすぎ、あるものには厳しさが足りないということになるからです。
殺人者に適用すべき法則は、およそ犯罪者とは縁のない人間には何の係わりもありません。

34jaja:2005/10/27(木) 22:55:08
117 名前: jaja 投稿日:2005/01/07(金) 00:22
時には万策つきて万事休すと諦めかけた、その最後の一瞬に救いの手が差し伸べられることがあります。霊的知識を授かった者は、いかなる苦境にあっても、その全生命活動の根源である霊的実相についての知識が内なる冷静、不動の静寂、千万人といえども我行かんの気概を失うようなことがあってはなりません。


118 名前: jaja 投稿日:2005/01/07(金) 23:55
知識には責任が伴うということが私の一貫したテーマです。
知識による恩恵を受けたからには、今度はそれをいかに生かすかという責任が必ず生じます。そこにあなたの自由意志による選択が問われます。
それがあなた自身の責任の尺度となるのであり、
これだけは他の誰一人として代わってあげるわけにはいきません。


119 名前: jaja 投稿日:2005/01/08(土) 00:04
みなさんも神の僕(しもべ)です。皆さんの労苦を通して神の御心が地上に行きわたるのです。
その労苦の中に大きな喜びがあることを知ってください。
なぜなら、多くの人々の生活の中にかつて思いも寄らなかった新たな希望をもたらしてあげているからです。
皆さんは霊の力が地上へ降下するお手伝いをなさっているのであり、
それは神の摂理が正しく地上で作用するお手伝いをしていることにほかなりません。
それが物的世界の苦しみや悲しみを取り除くことにもなるのです。

35jaja:2005/10/30(日) 21:33:34
20 名前: jaja 投稿日:2005/01/08(土) 21:56
神は全生命に宿っております。
全存在の内部に宿っております。
全法則に宿っております。
神は宇宙の大霊です。神は大生命です。
神は大愛です。神は全存在です。
僕にすぎないわれわれが、どうして主人を知ることができましょう。
ちっぽけな概念しか抱けないわれわれに、
どうして計り知れない大きさに存在が描写できましょう。


121 名前: jaja 投稿日:2005/01/08(土) 23:51
担わされた使命が大きければ大きいほど、遭遇する試練もまた大きくなります。
そうならざるを得ないのです。
人生の上っ面だけを生きている人より、
霊的な資質に目覚めその意味を理解した人の方が、
より大きな貢献を求められるのです。

36jaja:2005/10/31(月) 23:07:19
123 名前: jaja 投稿日:2005/01/11(火) 07:58
人生が両面性から成るということは挑戦の機会があるということであり、障害や不利な条件に立ち向かうことになるということです。
そうでなかったら素晴らしい内部の神性は永遠に発現する機会がないことになります。


124 名前: jaja 投稿日:2005/01/12(水) 01:22
−理屈を言ってはいけません。そう信じればよいのです−
私はそんなことは申しません。
反対に神が与えてくださったもの(知的判断力・理性)
を存分にお使いになって私をお試しなさい。
そしてもしも私の言うことに卑怯なこと、酷いこと、
道徳に反することがあれば、どうぞ拒否なさってください
と申し上げます。

37jaja:2005/11/05(土) 01:01:55
125 名前: jaja 投稿日:2005/01/14(金) 01:13
邪霊に憑依される人は、みずからそういう条件を内部でこしらえています。
あくまでもその人個人の問題です。
愛と奉仕の精神に燃えた人に高級霊が引き寄せられるのと原理は同じです。
法則は良いことばかりに働くのではありません。
崇高な目的に作用する法則が悪い方向に作用することもあります。
問題はあなたがどういう心掛けでいるかに掛かっております。


126 名前: jaja 投稿日:2005/01/15(土) 22:01
死ぬことは悲劇ではありません。
今日のような地上世界に生き続けねばならないことこそ悲劇です。
利己主義と貪欲と強欲の雑草で足の踏み場もなくなっている大霊(神)の庭に生き続けることこそ悲劇というべきです。
“死ぬ”ということは物的身体のオリの中に閉じ込められていた霊(真の自我)が自由を獲得することです。
苦しみから解放され真の自我に目覚めることが悲劇でしょうか。
豪華けんらんの色彩の世界を目のあたりにし、
地上のいかなる楽器によっても出すことのできない妙なる音楽を聴くことが悲劇なのでしょうか。
 地上で存分な創造活動ができなかった天才が、その潜在する才能を発揮する機会を得るのが悲劇なのでしょうか。利己主義もなく貪欲もない世界、魂の成長を妨げる金銭欲もない世界に生きることが悲劇でしょうか。あなたはそれを悲劇と呼ぶのでしょうか。一切の苦痛から解放された身体に宿り、一瞬の間に地上世界をひとめぐりでき、しかも霊的生活の醍醐味を味わえるようになることを、あなたは悲劇とお呼びになるのですか

38jaja:2005/11/08(火) 00:19:42
127 名前: jaja 投稿日:2005/01/17(月) 23:38
地上生活の悩みごとから逃れることはできません。必ず生じるものです。
それなしには目的地にたどり着けない、踏み石のようなものです。
人生の嵐を一つ一つ切り抜けていくうちに霊性が強化されていきます。
困難こそ霊的な力と成長を身につけさせてくれるのです。
ですから、困難にしりごみしてはなりません。
内部から引き出す力と、外部から引き寄せる力とによって克服していくべき挑戦課題として、
堂々と受け入れていくことです。


128 名前: jaja 投稿日:2005/01/17(月) 23:50
人間の健康を動物の犠牲のもとに獲得することは神の計画の中にはありません。
すべての病気にはそれなりの治療法が用意されております。
その神の用意されてた自然な方法を無視して動物実験を続けるかかぎり、
人間の真の健康と福祉は促進されません。
動物はそんな目的のために地上に生をおけているのではありません。
真の健康は調和です。
精神と霊と肉体の正しい連係関係です。
三つの機能が一体となって働くということです。
これは動物を苦しめたり体内から特殊成分を抽出したりすることによって得られるのではありません。

−同じく人間に食べられる為に生まれてきた動物(牛、豚等)
 と言う考え方もおかしいと個人的には思います。
 イヌ、ネコは人間の友人としてで・・・?どこが違うのでしょう?
 同じ哺乳類ですよね           − by jaja

39jaja:2005/11/08(火) 23:53:48
130 名前: jaja 投稿日:2005/01/22(土) 06:06
私達はもはや書物や人物や権威を拠り所といたしません。
神から授かっている理性、これを拠り所とし、これに訴えかけます。
真理というものは、神聖のスタンプを押されている書物から文句を引用することで広まるのではありません。
理性が納得しないといけません。
もしも私の述べることがあなたの理性にそぐわない時は、あっさりと拒絶なさってください。
しかし同時に、私の申し上げていることが人間の最高にして最上の本能に訴えていること、
古い時代からの誤った知識を取り除いて、人間にとって大切な霊的真理をお届けしようとしていることも分かっていただけるでしょう。
地上で宗教と呼ばれているものは真理を基盤としなければなりません。
そして理性の攻撃に耐え切れないものは捨て去らないといけません。


131 名前: jaja 投稿日:2005/01/22(土) 06:11
聖書もりっぱな本です。
が、もっと立派な本があります。
森羅万象がそれです。
大霊(神)の情理によって維持されている大自然の営みです。
地上のいかなる書物、そえがいかに分厚いものであっても、
いかに敬われているものであっても、
いかに神聖視されているものであっても、
その大自然が教えてくれるものに較べれば、物の数ではありません。

40jaja:2005/11/09(水) 22:36:03
133 名前: jaja 投稿日:2005/01/22(土) 21:17
私は教義も儀式も作法も説きません。神の愛が子らを通して顕現しようとしている事実だけを説きます。
いかなる書物や巻物、ドグマ、特定の指導者や権威、あるいは学識さえも絶対と思ってはなりません。
聖遺物を信仰の対象としてはなりません。
神の摂理に従うことだけを心掛ければよいのです。
それが宇宙でもっとも大切なものだからです。
それが唯一絶対の権威なのです。


134 名前: jaja 投稿日:2005/01/23(日) 00:07
これからも地上にはいくつもの大変動が生じます。
崩壊もあれば隆盛もあります。
みなさんには暗黒と苦難の時代の到来のように思えるかも知れません。
゛大変な時代になった・・・゛
そうおっしゃるかもしれません。
しかし、そうした変動の背後には地上世界の進化へ向けての
大きなエネルギーの働きがあるのです。

41jaja:2005/11/10(木) 22:52:49
135 名前: jaja 投稿日:2005/01/23(日) 17:17
成長・変化・進化・進歩・開発・発展−これが宇宙の大原理です。
一口に進化と言っても、そこには必ず潮の干満にも似た動きがあることを知ってください。
循環運動、周期運動、スパイラル運動−こうした運動の中で進化が営まれており、
表面は単調のようで内面は実に複雑です。
その波間に生きるあなたも、寄せては返す波に乗って進化と退歩を繰り返します。
物的繁栄の中にあっては霊的真理を無視し、
苦難の中にあっては霊的真理を渇望するものです。
それは人生全体を織りなすタテ糸でありヨコ糸であるわけです。


136 名前: jaja 投稿日:2005/01/27(木) 01:59
あなた方が道徳的だと考えていることが私達からみると非道徳的である場合があります。
そこにの見方の問題があります。
私にとって道徳とは、その人がそれまでに悟った最高の原理に忠実に行動しようと考え方を抱かせる、努力目標のことです。
それは親切であろうとすることであり、
手助けをしようということであり、
人の心を思いやることです。

42jaja:2005/11/11(金) 23:50:18
138 名前: jaja 投稿日:2005/01/28(金) 01:49
霊的計画が推進されていく実情を何とか皆さんにお見せしたいものです。
一度ご覧になれば、取り越し苦労などしなくなることでしょう。
悲しむということがなくなるでしょう。
何事が起きようと、すべては神の叡智で良きに計らわれているとの確信を持つようになることでしょう。
宇宙は無限の叡智を伴った無限の愛の力で支配されております。
愛はそれ自体でも崇高さを極めた力ですが、叡智との組み合わせによって、必要なものは必ず成就してまいります。


139 名前: jaja 投稿日:2005/01/29(土) 01:50
地上は幼児の学校であり、こちらは大人の学校です。
地上では神から授かっている霊的資質を少しでも発揮するように、精神を修養し霊性を鍛錬して他人のために役立つことをする、
その練習をしているのです。


140 名前: jaja 投稿日:2005/01/29(土) 01:54
幸運(ツキ)というようなものは存在しません。
法則の働きがあるのみです。
たまたまそうなったというようなことは一つもありません。
法則によって規制されている宇宙においては、
すべての出来事は原因と結果の関係で生じています。

43:2005/11/12(土) 22:09:37
人の死も。今の少年犯罪も。どう説明できますか?

44jaja:2005/11/15(火) 00:14:27
ここでの書き込みは私の考えではありません。4000年ほど前に生存していた名も無き古代霊のメッセージを参考までに抜粋して載せているだけですのでよろしくお願いいたします。

45jaja:2005/11/15(火) 00:16:40
141 名前: jaja 投稿日:2005/01/29(土) 23:16
地上世界にもこれまでに何度となく霊的啓示がもたされ、
そして失われていくということが繰り返されてまいりましたが、
今度こそは全面に押し出して二度と失われることのないように
しようとの決意のもとに、大々的な努力がなされております。
私はそのための一個の道具にすぎません。
今度こそは物質万能主義と利己主義の勢力の跋扈を抑制し、
人間がややもするととりこになってしまいがちな煩悩に負けないように
するための努力がなされております。
そのためには日常生活の中にそうした霊的真理をいかしていくしかないのです。


142 名前: jaja 投稿日:2005/01/30(日) 22:35
決断を下さなければならない事態に立った時は、それが特定の少数の人でなく、
全部の人、あるいはなるべく多くの人にとって益になることを
動機として判断しなさい。


143 名前: jaja 投稿日:2005/02/01(火) 00:25
魂が完全に打ちのめされるほどの出来事は決して生じません。
一つ一つの出来事は、いかに困難をきわめるものであっても、
魂をいっそう成長させるための手段と心得てください。
現実に数多くの問題と困難に取り囲まれているあなたにとっては、
そういう受け止め方は決して容易なことではないでしょう。
が、その場かぎりの捉え方ではなく、永遠の価値をもつ尺度があることを忘れてはいけません。
それが霊的真理です。
疑念に襲われた時はその真理にしがみつくことです。
人間である以上は煩悩を完全に閉め出すことは出来ません。
が、だからと言ってその煩悩を怠慢の言い訳にしてはなりません。
心構え一つで煩悩を力に変えることが出来るのです。

46jaja:2005/11/17(木) 22:51:35
144 名前: jaja 投稿日:2005/02/02(水) 00:09
いったいあなたとは何なのでしょうか。
ご存知でしょうか。
自分だと思っておられるのは、
その身体を通して表現されている一面だけです。
それは奥に控えるより大きな自分に比べれば
ピンの先ほどのものでしかありません。


145 名前: jaja 投稿日:2005/02/03(木) 00:21
厳密に言えば霊は身体に宿るという言い方は適切ではありません。
霊と身体とは波長の異なる存在だからです。
本当のあなたは体内にいるのではありません。
心臓と肺の間に小さく縮こまっているのではありません。
地上で生活するためにこしらえられた物質装置を通して
自我を表現しているのです。

47jaja:2005/11/17(木) 22:53:59
146 名前: jaja 投稿日:2005/02/04(金) 01:11
心配の念が心をよぎった時は、
実質のないただの影にすぎないものとして、
一刻も早く放り棄てることです。
考えてもごらんなさい。
光の方が闇に勝るのです。
知識の方が無知に勝るのです。
真理は迷信を内破り、必ずやその存在価値を発揮します。

48名無しさん@訪問者:2005/11/20(日) 02:04:18
147 名前: jaja 投稿日:2005/02/08(火) 22:36
危機に立ち至ったら、それまでの過去を振り返って、
お先真っ暗な絶対絶命の道が開かれてきたことを思い出してください。
そこに背後霊の導きがあったのです。
それはこの後も決して見棄てることはありません。


148 名前: jaja 投稿日:2005/02/10(木) 00:51
無数の生命の相がお互いに融合しあっています。境界線のようなものは存在しません。
一方の側に物的なものが存在し、他方の側に霊的なものがあって、
それが混ざり合っているのです。
原理は無線通信と同じです。
無数の波長、無数の振動があるのですが、
同じ空間を飛び交じっております。
そのうちのどれに反応するかは機器の感度によります。
地上の人間は物質の波動の世界に閉じ込められております。
物的な波長しか感知できません。
霊視能力者はふつうの波長より一段と精妙な波長を感知できる人であり、
霊的能力者はふつうの音の波長より一段と精妙な波長を感知できる人です。

49\:2005/11/20(日) 20:13:25
どうしたら近づけるの。このかたはどういうう修行していたの。出来たら簡単におしえてください。

50jaja:2005/11/23(水) 02:36:33
149 名前: jaja 投稿日:2005/02/10(木) 23:48
霊的知識を手にしながら、その意義を日常生活に生かしていない人のことを気の毒に思ってあげないといけません。
かくあるべきと承知していながら、その摂理にのっとった生き方ができない人は、霊的知識を知らない人よりも霊的に大きな罪を犯していることになります。


150 名前: jaja 投稿日:2005/02/10(木) 23:55
良心が命じていることは、たとえその方向へ進むと困難に遭遇することが分かっていても、迷わず従いなさい。
最後にきっといいようになります。
難しく考えることはないのです。
これ以上簡単な話はありません。


151 名前: jaja 投稿日:2005/02/11(金) 23:25
私はその場限りの、ただ有難がたれるだけの説教はしたくありません。
人間はかくあらねばならないという、
あるがままの真実をお教えする絶好のチャンスだと思って説いているのです。
困難こそありがたいのです。
真実の自我を見出す最良の手段なのです。
ですから、言いにくいことを申すようですが、
困難に遭遇したら、よくぞお出でくださいましたと歓迎することです。
それは困難のマスクをかぶった友なのです。

51jaja:2005/11/25(金) 00:30:20

152 名前: jaja 投稿日:2005/02/12(土) 23:03
悩みは尽きることはありません。
だからこそ地上に来ているのです。
すなわち問題を一つ一つ片付けていく中で、
新たな力、より大きな発展を獲得していくのです。
次から次へと生じる問題を挑戦課題として受け止め、
一つ一つ処理していくことです。

154 名前: jaja 投稿日:2005/02/15(火) 22:40
地上生活のどこかの段階でその人なりの真理の受け入れ態勢が整う時期がきます。
それは神が一人ひとりに用意してくださる絶好機です。
それが時として病気、死別、危機という過酷な体験を通して
届けられることがあります。
しかしそれが魂を目覚めさせるために必要な触媒なのです。

52jaja:2005/11/26(土) 01:03:00
155 名前: jaja 投稿日:2005/02/16(水) 23:39
−罪そのものが罰を生み出す−
これが聖書の言うところの?赦し難き罪?です。
赦し難いとは、神が赦さないという意味ではありません。
みずからその道を選んでいるという意味です。
その道が性分に合い、いささかの悔い改めの念も感じないためです。
罰は、つねに罪そのものが生み出すのです。
それが罰の本質であり、決して第三者によって割り当てられたものではありません。摂理を犯したことによる不可避の結果なのです。
その報いから免れることは絶対にできません。
もっとも、悔い改めによってその苦痛が和らぐことはあり、
その結果として罪悪への嫌悪感と善への志向をつちかうことにもなります。これが誤った方向から引き戻し、過ちを償わせ、その結果として、魂の新たなる希望をはぐくんでいく、その第一歩といえましょう。
1883年刊行 モーゼスの霊訓より


156 名前: jaja 投稿日:2005/02/19(土) 01:08
せっかちと短気はいけません。
せっかくの目的を台無しにします。
内部からの援助してくれる力は静穏な環境を必要とします。
物事には一つの枠、つまりパターンがあり、そのパターンにそって摂理が働きます。
宇宙の大霊もみずから定めた摂理の枠から外れて働くことはできないのです。
指導と援助を求める時はそれなりの条件を整えないといけません。
それが魂にとっての唯一の財産なのです。そして、自分に生命を与えてくれた力がきっと支えてくれるという自信をもつことです。
あなたはその力の一部なのであり、あなたの魂に内在しているのです。
正しい条件さえ整えば、その神性は神からの遺産として、あなたの人生の闘いを生き抜くためのあらゆる武器を用意してくれます。
せっかちと短気はその自由な神性のほとばしりの障害となるのです。
神はあなたを見捨てません。見捨てるのはあなたの方です。
あなたが神を見捨てているのです。
困難に直面した時、その神の遺産を集結し、必ず道は開かれるのだという自信を持つことです。
不動の信念持つことです。
そうすれば道は必ず開かれます。


157 名前: jaja 投稿日:2005/02/19(土) 23:51
あなたは今その地上にある時から立派に霊的存在です。
死んでから霊的存在になるのではありません。
霊的身体は死んでから与えられるのではありません。
死は肉体の牢獄からあなたを解放するだけです。
それはあたかもカゴの中の鳥が放たれるのと同じです。

53jaja:2005/11/28(月) 23:41:31
158 名前: jaja 投稿日:2005/02/20(日) 20:57
後退のやむなきに至ることはあります。
が、後退するということは、そのあとの一段と大きい前進の喜びを教えてくれることでもあります。
時には俗世の喧騒から身を引くことも大切です。
そして内的自我に静寂をもたららすことができるようでないといけません。


159 名前: jaja 投稿日:2005/02/23(水) 02:03
神は地上の人生を、人間であるがゆえの弱さの限界に到達したかに思う段階で強さを見出すように配剤しております。
もはや地上のどこにも頼るべきものが見出せず万事休すと思えた時こそ、
魂が霊的真理の光に照らし出される用意が整ったのです。


160 名前: jaja 投稿日:2005/02/27(日) 22:38

私達にとって神の道具として活躍しておられる方のお役に立つことほど大きな喜びはありません。
他人のために倦まず弛まず尽くしておられる方が私の述べる言葉に少しでも役に立つと思ってくだされば、私を地上へ派遣した霊団のマウスピースであることを光栄に存じます。
われわれはお互いに同じ使命に携わっております。
病める地上世界がみずからを癒す事業を援助し、無謀な愚行に走るのを食い止めさせ、霊がその本来の輝きと美質を発揮するように導くという責務を負っています。
この道がラクでないことは今さら私から申しあげるまでもありません。
苦難は進化を促し、魂を成長させる為の不可欠な要素なのです。魂が真の自我に目覚めるのは苦難の中にあってこそです。
人生のうわべだけ生きている人間には、魂が自己開発する機会がありません。
地上的方策が尽き果て、八方ふさがりの状態となったかに思える時こそ、魂が目覚めるものなのです。

54名無しさん@訪問者:2005/11/30(水) 02:44:12
61 名前: jaja 投稿日:2005/02/27(日) 22:53
言い換えれば、物質が行き詰まった時に霊が目覚め、小さな神性のタネが芽を出し、花を咲かせ、内部の美質をじょじょに発揮し始めるのです。
苦難はコインの裏側と思えばよろしい。闇なくしては光もなく、嵐なくしては晴天もありません。このことはみなさんもすでによく理解していらっしゃると思います。
あなた方は豊かな恩恵に浴していらっしゃいます。奉仕活動に手を染め、すべてを天命にまかせる覚悟をされて以来、一度たりとも見落とされたり、忘れられたり無視されたりしたことはありません。
この道は、他にもその恩恵を知る縁の無い人々に霊力と光明と癒しをもたらせることになる、雄大な霊的冒険です。
宇宙最大の力の道具として働くことは大変光栄なことです。
神より強力な力はこの宇宙には存在しません。その神がみなさんに要求しているものは忠誠心であり、強調的精神であり、一途さであり、信頼心であり、そして知識が生み出す信仰心を土台とした絶対的な自信です。


162 名前: jaja 投稿日:2005/03/01(火) 00:33
挫けてはなりません。いかなる事態にあっても、不安の念をカケラほどでも心に宿すようなことがあってはなりません。
今日まで支えてきた力は、これからも決して見捨てるようなことはいたしません。
絶対に裏切ることはありません。
もしあるとしたら、この宇宙そのものが存在しなくなります。
みなさんは霊力という最大の武具を備えていらっしゃいます。
それを、ある時に支えとし、ある時は安息所とし、ある時は避難所とし、ある時は聖所とし、そしていつも変わらぬインスピレーションの泉となさることです。

55jaja:2005/12/02(金) 23:19:22
163 名前: jaja 投稿日:2005/03/03(木) 00:09
物的な必需品は必ず授かることをみなさんは体験によってご存知です。
飢えに苦しむようなことにはなりません。
渇きに苦しむようなことにもなりません。
身を包み保護するだけの衣類は必ず手に入ります。
ぜいたくなほどにはならないでしょう。
が、進化せる霊はぜいたくへの願望は持ち合わせないもです。
物的身体にはそれなりの最低限の必需品があります。
神はその分霊の物質界での顕現の手段として創造された身体にどんなものが必要かはちゃんとご存知です。
迷わず前進なさることです。今日は今日一日のために生きるのです。
そして、過去が霊の導きを証明しているように、未来も間違いなくあなたが志願された使命を全うさせてくれるのを信じることです。


164 名前: jaja 投稿日:2005/03/06(日) 00:21
勇気をもって前進しなさい。
背負った重荷も、知識から生まれた信仰があれば軽く感じられ、
重さが消えてしまうものです。
行く手をさえぎる苦難や困難には堂々と立ち向かい、そして克服していくべき挑戦だと思うべきです。
きっと克服し、万事うまく運ぶでしょう。
見た目がいかに大きくても、物的な事態によって圧倒されるようなことがあってはなりません。
この物質の世界には、その生みの親である大霊(神)の力をしのぐものは何一つ存在しないのです。
何事もきっと克服できます。そして心が明るく弾むことでしょう。
万事落ち着くべきところに落ち着きます。
時間は永遠なのです。
人間はその永遠の時の流れの中にあって、今というこの時間、この一瞬を大切に生きていけばよいのです。

56jaja:2005/12/05(月) 23:10:51
165 名前: jaja 投稿日:2005/03/07(月) 04:34
あなたがもし霊的真理についての知識を手にしながらそれに適った生きかたをすることができなければ、それ相応の代償を払わねばなりません。

知らなかったという言い訳をゆるされないからです。

知識は自動的に責任をもたらします。
真理を知った者はそれだけ余分なものを要求されます。
それは言い変えれば、その人への信頼にほかなりません。


166 名前: jaja 投稿日:2005/03/07(月) 22:49
神とは法則です。全生命を支配する法則なのです。
その法則を離れては何も存在できません。
あなた方が憎しみと呼んでいるものは未熟な魂の表現にすぎません。
その魂も完全な法則の中に存在しておりますが、現段階においては判断が歪み、正しく使用すれば愛となるべき性質を最低の形で表現しているまでのことです。
愛と憎しみは表裏一体です。
愛という形で表現できるエネルギーは、憎しみを表現する時に使用するエネルギーと同じものなのです。

57jaja:2005/12/06(火) 22:30:48
167 名前: jaja 投稿日:2005/03/12(土) 00:16
宇宙間のすべてのことが知れるようになっております。
すべてを知らしめすための、高級霊による一大組織があるのです。
その中には一度も物質界に降りたことのない霊もいます。
すべてが大霊の計画の直接の実行者です。
総合的な基本計画というものがきちんと出来上がっており、
その中にすべてのもの、すべての人間に対する配慮がなされております。
私がすべてはよきに計られているから安心しなさいと
申し上げる根拠はそこにあるのです。


168 名前: jaja 投稿日:2005/03/12(土) 00:22
図太さを失ってはなりません。
愚かな人間による抵抗に惑わされはなりません。
むしろ哀れに思い、せっかくのチャンスを失ったことを
気の毒に思ってあげなさい。
そういう人たちは自らを傷つけ、さらには彼らが生きがいとしているものまで台無しにしているのです。
が、根気よく、そして図太く生きておれば、そのうちそれも排除されてまいります。

58jaja:2005/12/08(木) 23:04:10
169 名前: jaja 投稿日:2005/03/14(月) 00:12
面倒なことが生じないでほしいという願望は人間的煩悩の一つであり、
それ自体を非難するつもりはありませんが、
面倒なことを毛嫌いしていては、霊的成長は望めません。
成長は困難に堂々と対処し、挑戦を正面から受け止め、
そして克服していく中で得られるのです。


170 名前: jaja 投稿日:2005/03/14(月) 00:14
真理を知った者は物事が楽に運ぶことを期待してはなりません。
霊の威力について何も知らない者よりも大きなことを要求されるのです。

59jaja:2005/12/10(土) 02:40:23
171 名前: jaja 投稿日:2005/03/16(水) 23:47
誠心誠意の祈りは、その行為そのものがより高い波長と感応させます。
祈るということ自体が心を開かせるのです。
ただし、その祈りは心と魂と精神をこめたものであらねばなりません。
こうして欲しい、ああして欲しいといった、
ただの要求は祈りではありません。
真実の祈りは大変な霊的活動です。
それは何かの目的への手段であって、
目的そのものであってはならないというのが一番適格な表現かと思います。


172 名前: jaja 投稿日:2005/03/17(木) 22:54
大半の人間の魂は居眠りをしております。
小さな神性の火花が休眠状態にあります。
それを煽って大きく燃え上がらせる必要があります。
その触媒となるのが困難であり危機であり悲しみであり別れであり病気なのです。

60jaja:2005/12/10(土) 23:47:05

173 名前: jaja 投稿日:2005/03/19(土) 00:09
とり越し苦労は最大の敵です。
精神を蝕みます。
霊界から送られてくるはずの援助の通路を塞いでしまいます。
あなたを包んでいる物的、精神的、霊的ふいんきを乱します。
理性の敵でもあります。
透徹した人生観と決断力という二つの人生最大の味方の妨げになります。


174 名前: jaja 投稿日:2005/03/19(土) 20:47
星占いについて
生命現象は一連のバイブレーション、放射線物質、放散物から成り立っており、
したがって人間も自然界のあらゆる存在ないしは生命体によって影響されることは確かです。
そういったものが影響を及ぼしているのは事実ですが、どれ一つとして、宿命的な力をもってはおりません。
あなたの誕生日にある星が地平線上にあるからといって、
その星によってあなたの生涯が運命づけられていると考えるのは間違いです。
すべての惑星、すべての自然、宇宙空間のあらゆる存在、あらゆる生命体がなんらかの影響を及ぼします。
しかしあなたはあなたの魂の支配者です。
あなたには自分で背負わなければならない責任があり、
あなたの霊的進歩に応じて自分で運命を定めていくのです。

61jaja:2005/12/13(火) 00:09:50
175 名前: jaja 投稿日:2005/03/19(土) 20:57
占星術でいう惑星には確かに人体に影響を及ぼす放射性物質がありますし、
人体に影響を及ぼせば霊にも影響を及ぼすことになります。
しかし霊は絶対です。
すべてに優るものです。
ですから、いかなる恒星も惑星も星座も星雲も、人体に及ぶ影響を克服するその霊の威力を妨げる力はありません。
私が言いたいのは、要するにあなた方は神の一部であること、
そして神性を宿すがゆえに、創造力を宿すがゆえに、この宇宙を創造した力の一部であるがゆえに、
あなた方はその身体を牛耳ろうとする力に打ち克つことが出来るということです。


176 名前: jaja 投稿日:2005/03/20(日) 19:45
余暇の正しい使い方について
余暇は精神と霊の開発・陶冶に当てるべきです。これはぜひとも必要なことです。
なぜかと言えば、身体に関係したことはすでに十分な時間が費やされているからです。
人間は誰しも健康を維持し増進するための食生活には大変な関心を示します。
もっとも必ずしも健康の法則に適っておりませんが・・・・・
しかし精神と霊も発育が必要であることをご存じの方は殆どいません。
そういう人たちは霊的にみると一生を耳を塞ぎ口をつぐみ目を閉じたまま生きているようなものです。
自分の奥に霊的な宝の泉があることを知りません。
精神と霊が満喫できるはずの美しさを垣間みたことすらありません。
誰にも霊的才能が宿されていることを知らずにおります。
それの開発は内的安らぎを生み、人生のより大きい側面のすばらしさを知らしめます。
となれば霊性そのものの開発がなにより大切であることは明かでしょう。
これは個々の人間のプライベートな静寂の中で、まわりに瀰漫する霊力と一体となるのです。
すると、より大きな世界の偉大な存在と波長が合い、インスピレーションと叡智、知識と真理、
要するに神の無限の宝庫からあらゆるものを摂取することができます。
その宝は使われるのは待ち受けているのです。

62jaja:2005/12/14(水) 00:21:04
178 名前: jaja 投稿日:2005/03/22(火) 22:50
あなたが人生の嵐に遭遇するのを私達が阻止してあげるわけにはいきません。
又その嵐の中で悪戦苦闘するのを私達が防いであげることもできません。
そうした試練にあなたがどのように対処し、そこから教訓を学ぶために持てる才覚をどう働かせるかを、側からじっと見守らねばならないこともあるのです。


179 名前: jaja 投稿日:2005/03/22(火) 23:54
動物実験について
私は動物を使っての実験のすべてに反対しております。
そこに何一つ正当化すべきものは見出せません。
動物はあなた方人間が保護し世話するべきものとして
地上に存在しているのです。
動物の成長と進化を促進する責任が、全面的とは言えませんが、人間に託されております。
その無力な動物に苦痛を与えることは、動物が人間に示す情愛と献身と忠誠に対するあまりにも酷い報復です。
治療力は自然界にさまざまな形で存在し、使用されるのを待っております。
動物界の創造と進化をそんな形で邪魔しなくてもよいように、
必要なものは創造主がちゃんと用意してくださっております。
私たちの世界から援助するスピリットは苦痛を軽減したり不治と宣告された病すら治してしまう技術を身につけておりますが、
けっして生体実験はいたしません。
薬草を使うことがあります。霊波を使うことがあります。
いずれも動物に対する残酷な行為は伴いません。
宇宙には道義的な意図が行き渡っております。
非道義的なものは摂理に反します。

63jaja:2005/12/15(木) 01:47:40

180 名前: jaja 投稿日:2005/03/24(木) 00:33
代償を払わずして価値のあるものを手に入れることはできません。
よい霊的体験を得たいと思えば感受性を磨かなければなりません。
またこの世的な富を蓄積しているとそれなりの代償を支払われます。
つまり地上的なものに心を奪われて、その分だけ霊としての義務を怠れば、
地上的な富は増えても、こちらの世界に来てみると自分がいかにみすぼらしいかを思い知らされることになります。
人間の魂には宇宙最大の富が宿されているのです。
あなた方一人一人が神の一部を構成しているのです。
地上のいかなる富も財産もその霊の宝に優ものはありません。
私どもはあなた方に内在するその金鉱を掘り起こすことをお教えしているのです。
人間的煩悩の土塊の中に埋もれた霊のダイヤモンドをお見せしようとしているのです。

出来るだけ高い界のバイブレーションに感応するようになっていただきたい。
自分が決して宇宙で一人ぼっちでないこと、
いつもまわりに自分を愛する霊がいて、
ある時は守護し、ある時は導き、ある時は補佐し、ある時霊感を吹き込んでくれていることを自覚して頂きたい。
そして霊性を開発するにつれて宇宙最大の霊すなわち神に近づき、
その心と一体となっていくことを知っていただきたい。そう願っているのです。
人間は同胞の為に自分を役立てることによって神に仕えることになります。
その関係を維持しているかぎりその人は神のふところに抱かれ、その愛に包まれ、完全な心の平和を得ることになります。

64jaja:2005/12/16(金) 06:12:17
181 名前: jaja 投稿日:2005/03/25(金) 00:07
その昔、「幼な子が彼らを導くことになろう」(イザナ書)
という教えが説かれました。
下らぬ常識で頭でっかちになった大人の愚かしい浅知恵を棄てて幼子の純心さを取り戻さないかぎり、地上にあっても霊界にあっても大きな進歩は望めません。


182 名前: jaja 投稿日:2005/03/26(土) 01:56
神も、しょせんは人間という物的な道具を使用するしかないのです。
あなた方は霊力が地上へ働きかけるための道具です。
ですから心を開き、受身的になり、先入観を取り除くことが大切です。
人のために役立ちたいという願望を抱くことが大切です。
その願望に感応して、その為に必要な援助が届けられます。

65jaja:2005/12/17(土) 00:19:20
183 名前: jaja 投稿日:2005/03/26(土) 22:47
物質の世界に閉じこめられて、肉体を持つが故の数々の義務を背負っておられるみなさんにとって、
自分が本来は霊的存在であることを忘れずにいることは難しいことでしょう。
が、皆さんの本性の中を神の力が流れているのです。
また皆さんは神より大きな霊的能力を授かっております。
それは自分より恵まれていない同胞の為に使用しなくてはいけません。
皆さん方が進まれる道は決して容易ではありません。
それは皆さんが、潜在的に霊的資質を開発するチャンスを自ら欲するだけの器量を具えていらっしゃるからです。
神の使節に気楽な人生は有り得ません。
進化と向上を求める者、地上の人間として到達しうるかぎりの高級界に波長を合わさんとする者にとって、
容易な道は許されません。近道など有り得ません。
酷しい試練と絶え間ない危機との遭遇を覚悟し、
今携わっている仕事を(皆さんが地上へやってくる前にみずから志願されたもの)
あくまでも成就させんとする決意を要請されます。
それは皆さんがみずから選択された道なのです。

66jaja:2005/12/18(日) 21:04:36
184 名前: jaja 投稿日:2005/03/28(月) 00:11
霊的闘争における勝利はそう簡単には得られません。
霊的なものが支配権を握るに至る過程は長くて過酷なものです。
が、一度手中にすれば、それは永遠です。
決して失われることはありません。
霊の賞賛は決して傷つきません。
けっしてさび付きません。けっして腐食しません。
永遠に自分のものとなります。
それは皆さんが、皆さん一人一人が、自らの努力で勝ち取らねばならない、
永遠の財産なのです。

67jaja:2005/12/20(火) 00:36:17
185 名前: jaja 投稿日:2005/03/28(月) 23:26
みなさんとおもに仕事をしている私たち霊界の者が、
いくら皆さんを愛し、境地あって守り、導き、道を教えてあげようと望んでも、
所詮は皆さん自身の道なのです。
その道を進むのはあなた方自身です。
そして一つの困難を克服するごとにあなた方自信の霊性を強化し、
霊的な仕事にたずさわる者として、より大きな資格を身につけていかれるのです。
ですから、困難の挑戦を大いに歓迎することです。
困難を避けたいと思うような者は神の仕事には無用です。
闘いの真っ只中、しかも物質万能思想との闘いという最大の闘争において、
あまりの厳しさに将軍や指揮官が敵前逃亡をするようなことがあっては断じてなりません。
耐え忍び、みずから志願したこの神聖なる仕事を成就すべく、鍛えられ、しごかれ、また鍛えられ、
しごかれなければならないのです。

68jaja:2005/12/20(火) 23:56:16
186 名前: jaja 投稿日:2005/03/29(火) 22:16
われわれに対抗する勢力は、地上においても霊界においても、実に強力です。
しかし、いかに強力といっても、神の意志をしのぐほどの力はありません。
永年にわたって地上での仕事にたずさわり、
幸にして地上での神の計画の一部を知るとこを得た私が絶対的確信をもって申し上げますが、
霊力はすでに地上に根づいております。
すでに地上生活に浸透しているその霊力を駆使する力は、
物質世界に帰属する勢力、すなわち宗教界の有力者にも、新聞にも、医師にも、
あるいわそうした勢力がいかなる形で集結したものにもありません。
すぐれた霊の道具の出現によって世界各地に霊力の前進基地がすでに設けられ、
今その地固めが行われているところです。
そこを拠点として、神の子等が一体自分はどこの誰なのか、何者なのか、なぜこの地球上に存在するのか、
その存在の目的を成就するには何を為すべきかを、みずから理解して行くことになるのです。

69jaja:2005/12/22(木) 00:56:58
187 名前: jaja 投稿日:2005/03/31(木) 00:03

みなさんをここの場に集結させた力は、ふだん他人の為の仕事においてわれわれを鼓舞している力と同じものです。
私たちは何も欲していません。名誉も求めません。
ひたすらお役に立ちたいと望み、神の子等が、
霊を精神と身体とが調和的に機能した時に得られる充実感、豊かさ、美しさ、生きる喜び、
こうしたものを味わえるようになる生き方をお教えしようとしているのです。
あなた方は自分を役立てる掛けがえのない好機を手にしていらっしゃいます。
そして他人のために自分を役立てることほど偉大な宗教行為はないのです。


188 名前: jaja 投稿日:2005/04/01(金) 01:34
ですから、時として闘いが酷しく、長く、ともすると投げやりな気持ちになりそうなことがあっても、
決して挫けてはなりません。
もしも挫けそうになった時はいったん物質界から身を引くことです。
気持ちの流れを止め、精神を統一して、内部の霊的バッテリーが充電される状態にするのです。
一新された生命力、一新された元気、そして一新された目的意識をみなぎらせるのです。
かくして元気百倍して物的世界に戻り、仕事を続けるのです。
これは私個人の考えではありません。私をこの地上に派遣した霊団からのメッセージを取り次いだまでです。
私と同じように他の多くの霊が地上へ派遣されており(注釈 20世紀中頃)、みなさんと協調関係を通じて、
いかにわれわれが神の計画において一体であるかを理解していただくように
配慮してくださっているのです。

70jaja:2005/12/22(木) 23:48:42
189 名前: jaja 投稿日:2005/04/03(日) 01:13
私たちの価値判断の基準は地上とは異なります。
私たちは、出来ては消えゆく泡末のような日々の出来事を、物質の目ではなく魂の知識で見つめています。
その意味で私たちは、悲しみの涙を霊的知識によって平静と慰めに置き換えて
あげる仕事にたずさわっている人に心から拍手喝采を送るものです。
地上の大方の人間があくせくとして求めているこの世的財産を手に入れることより、
たった一人の人間の魂に生き甲斐を見出させてあげることの方がよほど大切です。
有為転変きわまりない人生の最盛期において、あなたはその肩に悲しみの荷を背負い、
暗い谷間を歩まねばならないことがありましたが、それもすべては、
魂が真実なるものに触れてはじめて見出せる真理を直接学ぶためのものです。
大半の人間がとかく感情的心情から、あるいはさまざまな魂胆から大切にしたがる物的なものに、
必要以上の価値を置いてはいけません。
いかなる魂をも裏切ることのない中心的大原理すなわち霊の原理にしがみつかれることです。

71jaja:2005/12/23(金) 22:54:18
190 名前: jaja 投稿日:2005/04/04(月) 05:49
明日はどうなるかという不安の念を一切かなぐり捨てれば、
きっとあなたも、そのあとに訪れる安らぎと静寂とともに、
それまで不安に思っていた明日は実は、これからたどらねばならない道において
あなたを一歩向上させるものをもたらしてくれることに気づかれるはずです。
非常の厳しい教訓ではあります。
しかし、すべての 物的存在は霊を拠り所としていることはどうしようもない事実なのです。
物的宇宙は全宇宙を支配する大霊の表現であるからこそ存在し得ているのです。
そしてあなたもその身体に生命と活力を与えている大霊の一部であるからこそ存在し得ているのです。
物的世界に存在するものはすべて霊に依存しております。
いわば実在という光りの反射であって、光りそのものではないのです。

72jaja:2005/12/25(日) 19:25:00
191 名前: jaja 投稿日:2005/04/04(月) 23:25
私たちとしては、あなた方人間に理想を披瀝するしかありません。
言葉をいい加減に繕うことは許されません。
あなたがもし魂の内部に平静を保つことが出来れば、
外部にも完全な平静が訪れます。
物的世界には自分を傷つけるもの、自分に影響を及ぼすものは
何一つ存在しないことを悟れば、事実、この世に克服できない困難は何一つありません。
かくして、訪れる一日一日が新しい幸せをもたらしてくれることになります。
万事がうまく行っている時に信念をもつことは容易です。
が、信念が信念としての価値をもつのは暗雲が太陽をさえぎった時です。
が、それはあくまでも雲にすぎません。
永遠にさえぎり続けることはありません。

73jaja:2005/12/26(月) 23:10:56
92 名前: jaja 投稿日:2005/04/05(火) 23:36
生活は行為だけで成り立っているのではありません。
口にすること、心に思う事によっても成り立っております。
行為さえ立派であれば良いということはありません。
むろん行為が一番大切です。
しかし口をついて出てくる言葉、心に思うこともあなたの一部です。

74jaja:2005/12/28(水) 06:40:51
193 名前: jaja 投稿日:2005/04/05(火) 23:50
祈りの言葉はたった一言しかありません。

「何とぞ私を人にために役立てる方法を教え給え」

−これです。

「大霊のため、そして大霊の子等のために一身を捧げたい」

−この願いより 崇高なもの、これに勝る宗教、これより深い哲学はありません。

75jaja:2005/12/29(木) 03:53:58
194 名前: jaja 投稿日:2005/04/07(木) 00:49
大霊の神性の種子が人間一人一人に植え込まれています。
それは畑に植えた種子と同じく、成長に必要な養分を与えれば必ず芽を出し、
大きく育ち、やがてその見事な花を咲かせ実を結びます。
あなた方は一人一人が庭師です。
内部の神性が首尾よく芽を出すかどうか、あるいはいつ芽をだすかは、各自の努力次第です。
そこには自由意思というものが許されております。
暗闇に閉じ込め、発育に必要な光を当てなければ、
大霊の顕現する機会はありません。

76jaja:2005/12/29(木) 23:47:39
95 名前: jaja 投稿日:2005/04/07(木) 23:10
世間でいう成功者になるかならないかは、どうでもよいことです。
この世的な成功によって手に入れたものは、そのうちあっさりと価値を失ってしまいます。
大切なのは、自分の霊性の最高のものに対して誠実であること、
自分でこれこそ真実であると信じるものにものに目をつぶることなく、
本当の自分自身に忠実であること、
良心の命令に素直にしたがえることです。

77jaja:2005/12/31(土) 03:42:35
200 名前: jaja 投稿日:2005/04/12(火) 23:52
賢い人間とは体験のすべてを魂にとって盃になる方向へ転換しようとする人、試練や誘惑から逃げようとせず、内部の力の限りを尽くして困難の克服に当たる人です。
その意気込みの中でこそ霊性が進化、強化されるのです。

78jaja:2006/01/01(日) 00:23:36
201 名前: jaja 投稿日:2005/04/14(木) 00:12
春という季節は喜ばしい成就の時節です。
新しい生命が誕生してくるからです。
今こそ、まさしく甦りの季節なのです。
無数の形態を通して新しい美が息づく時、
それは聖なる創造主の見事な芸術をご覧なっているのです。
皆さんは今まさに、自然界の生命の喜びの一つとして定期的に訪れる、
新しい創造の夜明けをご覧になろうとしておられます。
それには再活性化と、力と、太陽光線の増幅が伴います。
絶対的摂理の上に築かれた希望と自信と信頼をもたらす、
この新しい生命でご自分を満たされるがよろしい。
それは、生命がいかに永い眠りの後でも必ず甦ること、
森羅万象を生んだ力は永遠なる存在であること、そして、
それと同じものが皆さんの一人ひとりに宿っていることの証だからです。
ですから、取り越し苦労や悲観論、うんざりや投げやりの気持ちなどを抱く根拠はどこにもないのです。
絶対的な自然法則の確実性に根ざした霊的知識に、すべてをゆだねることです。

79jaja:2006/01/03(火) 19:20:39
偶然、運命の気まぐれ、奇跡、偶発事故というものは存在しません。
すべては凄然とした犯すべからざる連鎖の法則にしたがって働く「因果律」の結果なのです。
自然の摂理がこの大宇宙を支配しており、どこでなにが起きようと−昆虫であろうと人間であろうと天体であろうと−
すべてにその法則が働いているのです。
そこに人間的願望や意志の入る余地はありません。
あなたの考えや見解や願望によってその法則を都合の良いように変えることはできないということです。
これまでも変わることなく働いてきましたし、今なお働いていますし、これからも働き続けます。
時間は永遠であり、法則も又永遠です。
原因がないという意味での奇跡を私は知りません。
私が知っているのは、霊の力は地上の人間の目には一見すると奇跡と思えるものを引き起こすことがある、ということです。
霊の力は生命力そのものなのです。
生命のあるところには霊が存在し、霊が存在するところには生命があります。
その霊力を存分に送り届けることができれば、生命力の全資質が持ち込まれるわけですから、そこに奇跡と思えるようなことが起きるわけです。

80jaja:2006/01/04(水) 22:58:57
要するに、別の次元の法則が働くからこそ、そこに思いも寄らなかったことが生じるわけです。
あなたは何らかの原因に対する結果を見て折られるわけです。
歩けなかった人が自由にあるくけるようになり、
物が言えなかった人が自由にしゃべれるようになり、
目の見えなかった人が見えるようになります。
その治療力は、実はそれまでその患者が呼吸し、物を考え、見たり聞いたりの生活を可能にしていたのと同じ生命力なのです。
同じ力が形を変えて働き、再び同じことを可能にさせているだけなのです。

81jaja:2006/01/06(金) 01:03:39
204 名前: jaja 投稿日:2005/04/16(土) 23:30
人生体験のすべてがそれぞれに大きな生命機構の一部としての意義を持っております。
およそ歓迎したくない体験−悲しいこと、嘆き、落胆、苦悩、痛み等々も魂にとって掛けがえのない価値をもっております。
その有難さは地上にいる間は実感できません。
地上人生の価値の明確な全体像が理解できるようになるのは、
肉体を離れて煩悩から解放され、局部にとらわれずに全体を眺めることができるようになった時です。
逆境の中にあってこそ人間性が鍛えられ、悲哀の中にあってこそ魂が強化されていることが分かります。

82jaja:2006/01/07(土) 01:08:05
206 名前: jaja 投稿日:2005/04/18(月) 17:27
あなた方は一人の例外もなく神の分霊です。
神はあなた方にこう語りかけています。
「私が全ての法則を用意し、あなた方一人ひとりに私の分霊を授けてあります。
宇宙を完全なものにするための道具はすべて用意してあります。
その全てを利用することを許しますから、自分にとって良いことも悪いことも自ら選択しなさい。
それを私の定めた法則に順応してもよろしいし、無視してもよろしい」と。

83ご神縁は青年期★:2006/01/11(水) 01:02:52
幹部の方から聞いたのですが、科学的な実験の結果、手かざし中にみ光のパワーが途切れる(あるいは弱くなる)一番の機会が、何と「時計を見るとき」だと教えていただいたことがあります。
(どんな機会で計測したのかは失念しましたが、データーにあると聞きました)
ボクサーのように体内時計を備えて感覚で3分とかがわかればよいんですよね。
 あっ。ちなみに私、元ボクサーだった。でも、経験が全く生きてない。・・・

84jaja:2006/01/11(水) 23:13:18
207 名前: jaja 投稿日:2005/04/19(火) 23:04
もしもあなたが何一つ間違いを犯さない人だったら、
あなたは今この地上にはいらっしゃらないはずです。
間違いを犯す人間だから地上に来ているのです。
しくじってはそこから教訓を学ぶのです。
もしもしくじらない完全な人間だったら、物質界に生まれてくる必要はありません。
勉強のために地上に来ているのです。
しくじっては学ぶ−それが進化の法則の一環なのです。
しかも進化はどこかでおしまいとなるものではなく、限りなく続く営みなのです。
その目的は完全性の成就です。
が、その完全性がまた無限の性質のものであり、いつまでたっても成就できないのです。
完全を成就しているのは大霊のみです。
無限なる愛と無限なる叡智の権化です。
完全性が増すほど、さらにその先に成就すべき完全性があることに気付きます。
これが完全、という静止した状態はありません。
進化の法則はありとあらゆる段階を通じて働いており、
それが全て運動しているのです。

85jaja:2006/01/13(金) 00:13:55
207 名前: jaja 投稿日:2005/04/19(火) 23:04
もしもあなたが何一つ間違いを犯さない人だったら、
あなたは今この地上にはいらっしゃらないはずです。
間違いを犯す人間だから地上に来ているのです。
しくじってはそこから教訓を学ぶのです。
もしもしくじらない完全な人間だったら、物質界に生まれてくる必要はありません。
勉強のために地上に来ているのです。
しくじっては学ぶ−それが進化の法則の一環なのです。
しかも進化はどこかでおしまいとなるものではなく、限りなく続く営みなのです。
その目的は完全性の成就です。
が、その完全性がまた無限の性質のものであり、いつまでたっても成就できないのです。
完全を成就しているのは大霊のみです。
無限なる愛と無限なる叡智の権化です。
完全性が増すほど、さらにその先に成就すべき完全性があることに気付きます。
これが完全、という静止した状態はありません。
進化の法則はありとあらゆる段階を通じて働いており、
それが全て運動しているのです。

86jaja:2006/01/13(金) 23:35:30
08 名前: jaja 投稿日:2005/04/21(木) 23:05
俗世のことを無視しなさいと言っているのではありません。
物的世界で自我を顕現させている以上は、その世界での義務というものがあります。
ただ、自分の中にも大霊が宿っており、それが自分を通じて働くのだという、この事実を忘れてはいけません。
その力は物的世界のいかなる悩みごとも克服します。

87jaja:2006/01/14(土) 23:05:20
209 名前: jaja 投稿日:2005/04/23(土) 00:53
身分、職業、血筋、地位や肩書き、肌の色や国家の別、
こうしたものには一切かかわりなく、人間のすべてに人のために役に立つことをするチャンスが用意されています。
それを怠ると、それだけ代償を払わされます。
その摂理には誰一人干渉することはできません。
イエスも言っております。
蒔いた種は自分で刈り取らねばならないと。

88jaja:2006/01/16(月) 21:55:01
210 名前: jaja 投稿日:2005/04/25(月) 00:18
霊の宝は楽々と手に入るものではありません。
もしそうであったら価値はないことになります。
何の努力もせずに勝利を得たとしたら、その勝利は本当の勝利といえるでしょうか。
何の苦労もせずに頂点を征服したら、それが征服といえるでしょうか?
霊的進化というものは先に進めば進むほど孤独で寂しいものとなっていくものです。
なぜなら、それは前人未踏の地を行きつつ後の者のために道しるべを残していくことだからです。
そこに霊的進化の真髄があります。

89jaja:2006/01/16(月) 22:05:21
14 名前: jaja 投稿日:2005/04/27(水) 13:39
魂が感動を覚えないうちは、霊力は働きません。
ですから、たとえば病気そのものは治っても、
その体験によって魂が何らかの感動を覚えるまでに至らなかったら、
その治療は本来の目的を成就できなかったことになります。


215 名前: jaja 投稿日:2005/04/28(木) 23:08
私は原初のことは何もしりません。
終末についても何もしりません。
知っているのは神は常に存在し、これからも永遠に存在し続けるということだけです。
神の法則は完璧に機能しております。
あなたはもともと完全な光りをお持ちです。
が、それを磨きの悪い鏡に反射させれば完全な光は返ってきません。
それを、光は不完全だ、光は悪だとは言えないでしょう。
まだ内部の完全性を発揮するまでに進化していないというに過ぎません。
地上で悪と呼んでいるものは不完全な段階で神を表現している「不完全さ」を意味するに過ぎません。

90jaja:2006/01/18(水) 00:05:20
217 名前: jaja 投稿日:2005/05/02(月) 00:37
最大の罪は他人を身体的のみならず精神的にそして霊的に傷つけることです。
他人へはつねに善意で接し、いつでも援助の手が差し伸べられるようでないといけません。
その手が拒絶されたら、せっかくのチャンスをみずから拒絶したその人を気の毒に思ってあげなさい。


219 名前: jaja 投稿日:2005/05/04(水) 20:11
ここにお集まりの皆さんは完璧な信仰を持っていなければなりません。
なぜならば皆さんは死後に関する具体的な知識をお持ちだからです。
霊力の証を手にしておられるからです。
そこまでくれば、さらに、今度は万事が良きに計られていること、
神の摂理に調和しさえすれば幸せな結果がもたらされるとの
信念を持たれてしかるべきです。
無明から生まれるもの−あなた方のいう「悪」の要素によって
迷わされることは絶対にないとの信念に生きなくてはなりません。
自分は神の摂理による保護のものに生き、活動しているのだという信念です。
心に邪なものさえなければ善なるものしか近づきません。
善性の支配するところには善なるものしか存在し得ないからです。
こちらの世界からも神の使徒しか近づきません。
あなた方か何一つ恐れるものはありません。
あなた方を包み、あなた方を支え、あなた方に霊感を吹きこまんとする力は、
宇宙の大霊からくる力にほかならないのです。

91jaja:2006/01/20(金) 00:38:45
220 名前: jaja 投稿日:2005/05/05(木) 19:07
その力はいかなる試練においても、いかなる苦難においても、あなた方の支えになります。
心の嵐を鎮め、絶望の暗闇から知識の光明へと導いてくれます。
あなた方は進歩の大道にしっかりと足を置いておられます。
何一つ恐れるものはありません。
完き信念は恐れを払います。知識は恐れを駆逐します。
恐れは無知から生まれるものだからです。
進化せる魂はいついかなる時も恐れることを知りません。
なぜならば自分に神が宿るからには人生のいかなる出来事も克服できないものは有りえないことを悟っているからです。
恐怖心は自らの魂の牢獄をこしらえます。
皆さんはその恐怖心を達観しそのバイブレーションによって心を乱されることなく、
完璧な信仰と確信と信頼を抱き、独立独歩の気構えでこう宣言できるようでなければなりません。
「自分は神なのだ。足もとの事情などに迷わされない。
いかなる困難も内部の無限の霊力できっと克服してみせる、と。」
その通り、人間はあらゆる環境を支配する力を所有しているのです。
それを何を好んで(恐怖心などで)縮こませるのでしょう。

92jaja:2006/01/26(木) 22:53:28
221 名前: 名無しさん@訪問者 投稿日:2005/05/08(日) 23:50
神は物的なものも霊的なものも支配しております。
神の目からすれば両方に区別はありません。
ですから物の生命を霊の生命から切り離して考えてはなりません。
決して水と油のように分離したものではありません。
両方とも一大生命体を構成する不可欠要素であり、
物的なものは霊的なものに働きかけ、
霊的なものは物的なものに働きかけております。
ですから、あなた方のように霊力の恵みを受けておられる方にとっては、
いついかなる場においても神の存在を意識した生き方をしている限り、
克服できない困難は絶対にふりかからないという信念に燃えなくてはなりません。

93jaja:2006/01/28(土) 18:17:19
222 名前: jaja 投稿日:2005/05/08(日) 23:56
世の中のいかなる障害も、神の目から見てそれが取り除かれるべきものであれば、
きっと取り除かれます。万が一にもあなたの苦難があまりにも大きくて耐え切れそうになく思える時はこう理解してください。
私の方でも向上進化の足を止めてあなたのために精一杯のことをして差し上げますが、
今はじっとその苦難に耐え、それがもたらす教訓を学び取るように
心がける方が賢明である場合がある、ということです。

94jaja:2006/01/29(日) 20:34:08
223 名前: jaja 投稿日:2005/05/10(火) 01:23
その昔
《この世を旅する者であれ。この世の者となる勿れ》
という訓えが説かれました。
死後の生命への信仰心に欠ける地上の人間にはそれを実践する勇気がありません。
金持ちを羨ましがり金持ちの生活には悩みが無いかのような口を利きます。
金持ちには金持ちとしての悩みがあることを知らないからです。
神の摂理は財産の多い少ないでごまかされるものではありません。

95jaja:2006/01/30(月) 22:40:12
225 名前: jaja 投稿日:2005/05/13(金) 06:59
人間が地上にあるのは人格を形成するためです。
ふりかかる問題をどう処理していくかがその人の性格を決定づけます。
が、いかなる問題も地上的なものであり、物的なものであり、
一方あなたという存在は大霊の一部であり、神性を宿しているからには、
あなたにとって克服できないほど大きな問題は絶対に生じません。
心の平和は一つしかありません。
神と一体となった者にのみ訪れる平和、神の御心と一つになり、
神の大いなる意思と一つになった人に訪れる平和、魂も精神も心も神と一体となった者にのみ訪れる平和です。
そうなった時の安らぎこそ真の平和です。
神の摂理と調和するからです。それ以外には平和はありません。
その昔、神の御国は自分の心の中にあると説いた人がいました。
外にあるのではないのです。
有形転変の物質の世界に神の国があるはずはありません。
魂の中に存在するのです。

96jaja:2006/02/01(水) 00:03:10
226 名前: jaja 投稿日:2005/05/15(日) 01:44
神の摂理は精細を極めて完璧ですから、一切のごまかしが利きません。
悪の報いを免れることは絶対にできませんし、善が報われずに終わることもありません。
ただ、永遠の摂理を物質という束の間の目で判断してはいけません。
より、大きなものをご覧にならずに小さなものを判断してはいけません。


227 名前: jaja 投稿日:2005/05/15(日) 23:38
いかなる事態に立ち至ろうと、それはあなたにとっての挑戦課題として受け止めなさい。
魂はその根源において神性を帯びているがゆえに、
その挑戦を真正面から受け止め克服し一段と強力になって行くだけの力を秘めております。
いかなる事態も歓迎し、決して悲観的になったりグチをこぼしたりしてはいけません。
みなさんほどの霊的知識をそなえた方ならば、
毎朝の訪れを内的な喜びを持って迎えることができてしかるべきです。
永遠の魂を傷つけるほどの事態は決して起こりえないからです。

97jaja:2006/02/04(土) 00:38:48
28 名前: jaja 投稿日:2005/05/17(火) 00:51
宇宙は神の反映です。神が宇宙組織となって顕現しているのです。
ハエに世の中のことが分かるでしょうか。
魚に鳥の生活が理解できるでしょうか。
犬に人間のような理性的思考ができるでしょうか。
星に墟空が理解できるでしょうか。
すべての存在を超えた神という存在をあなた方人間が理解できないのは当然です。
しかし、人間も、魂を開発することによって、
一言も語らずとも魂の静寂の中にあってその神と直接の交わりをもつことができるのです。
その時は神とあなたとが一体であることを悟られます。
それは言葉では言い表せない体験です。
あなたの、そして宇宙のすべての魂の静寂の中においてのみ味わえるものです。

98jaja:2006/02/04(土) 21:59:51
229 名前: jaja 投稿日:2005/05/17(火) 23:15
動機が何であるか−これが最後の試練です。
魂の奥の静かな、そして小さな声が反発するがゆえに戦争に参加することを拒否する人間と、
これが国家への奉仕なのだという考えから、
つまり一種の奉仕精神から敵を殺す覚悟と同時にいざとなれば
わが身を犠牲にする覚悟を持って戦争におもむく人間とは、
私たちの世界から見て上下の差はありません。
動機がもっとも優先的に考慮されるからです。

99jaja:2006/02/04(土) 22:01:54
230 名前: jaja 投稿日:2005/05/21(土) 00:48
背後霊(守護霊)にはあなたの困難、問題、願望がすべて分かっております。
又、ここが物質の世界であり、それなりの物的必需品というものがあるということも承知しております。
あなたが真理に忠実に生きておれば、飢えや渇きに苦しむことはありません。
絶対に必要なものは必ず用意されます。

100:2006/02/05(日) 16:32:58
うまれてこのか恋人ができないといいこともでしょうか


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