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○試論 釈尊の説かれた縁起の法・空・無我について

274わめ:2005/12/21(水) 17:33:57
>>273
 「アビダンマは哲学や心理学を語るものではありません。瞑想する場合に役立つことだけを考えています。煩悩をなくするために修行するとき役立つようにと、その目的で書いていますから、一般には通用しません。このままでは現代の哲学にはなりません。修行者のための哲学・マニュアルなのです。- p201」

 とあり、これがブッダの正当な教えの「修行者のための哲学・マニュアル」なのか、あるいは他に「修行者のための哲学・マニュアル」があるのか、またこの修行者と言うのが出家者のみを指していて在家者向けにも「修行者のための哲学・マニュアル」があるのか、その辺はよく分かりませんが、ブッダの教えがそのまんま修行者のための「アビダンマ」そのものであるとすることは、在家者にもブッダが教えを説いていることからまた、最終的に在家のままではだめで出家者になることがすべての人々にその目的から必要であると説いていないのなら、ブッダの教えから「修行者のための哲学・マニュアル」として発展させていったひとつの仏教の形となるのではないかと思うのですが。
 そのひとつの仏教の形のアビダルマとしてそれがブッダの教えと矛盾しないのかどうかと、ブッダの教えの中心思想を縁起の思想とした場合、その(暫定)真理でもある縁起の思想を信仰と切り離して自己の中心思想として日々生きて行くことは、ブッダの教えと矛盾するのかしないのかをわめは知りたいと思っております。


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