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英国(第二次世界大戦勃発直前)がファンタジー世界召喚されますた。

1名無し:2008/03/08(土) 09:25:39 ID:DguCBHyc0
もし第二次世界大戦勃発直前の英国がファンタジー世界に召喚されたらどうなるでしょう。なお、当時の英国の植民地も一緒に召喚されたという設定です。

238HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:15:33 ID:xcVmLF4g0
そして始まる最後の食事、これから待ち受けている別れのことを意識してか、皆言葉少なにただフォークを上げ下げし、皿の上のものを口へと運ぶ。結果意外なほど早く終わる朝食、その片づけを手早く済ませると今度は野営地の撤収作業が始まる。
防水布の天幕が手早く畳まれる側でストーブの中身――燃えさしと灰、そしてガソリン臭い土――が掘られた穴へとあけられ、水をかけられた後しっかりと埋められる。普段は土に埋められる空き缶、空き瓶の類は一纏めにされ、空っぽになった『フリムジー』へと詰め込まれた。
これはこの世界に出来る限り余計なものを残したくない、というブッシュの意向によるものである。

そして最後の荷物を荷台に積み込み、全てのものがしっかりと固定されていることを確認すると再び車上の人となる一同。運転席にブラウン、助手席にブッシュ、荷台にはウールトンとファウナ。四人がこの形で車に乗ることはこれが最後となる。次にトラックを走らせる時は、荷台に彼女の姿はない。
おもむろにブラウンがエンジンを始動させ、暖機運転が始まった。
相変わらず異様な、そして不安定な音を出しつつ回転するエンジンをブラウンがひとしきりあやし、十分エンジンを温めるとアクセルを心持ち踏みつつクラッチをそっと繋いだ。
ゆっくりと動き出すトラック、徐々に加速しながら草の上に轍を残し、オアシス外縁の灌木帯を乗り越えると一気に加速、短い間だが慣れ親しんだ野営地に別れを告げる。だが振り返る者は誰もいない。重要なこと、男たちにとっては元いたところへ帰ること、そしてファウナにとっては彼らを元いたところに帰すことで頭が一杯なのだ。
そんな一同の行き先は四日前、男たちがこの地に始めて降り立った場所だ。
まだまだ低い位置にある太陽の光を受け、周囲の風景と残された轍を頼りにその場所を目指す一行。誰もが言葉少なであり、最低限必要な事意外は口をきかない。それは壊れかけのトラックが時折不調を訴えた時、応急修理(という名のやっつけ仕事)を行うときも変わらなかった。
そして今――――


ふとしたことから始まった会話、そこに新たな参入者が加わる。

「軍曹殿、作業終了です」
「この眺めを見るのは久しぶりですね、まあこれが最後でもありますが」

作業を終えたウールトンとブラウン、前者は律儀に報告を行い、後者は上官に同調するように景色のことを話題にする。
そこにはここまでの道中で漂っていた重たい空気はなく、一同の口も自然と軽くなる。
高く昇った太陽の光がもたらした心境の変化か、それともこれが最後の会話となると分かっての行動か。

239HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:17:08 ID:xcVmLF4g0
「ところで、私たちを元居た所に帰したら旅立つのですな」
「ええ、昨夜も話した通り、まずは同胞を探しに旅に出ます」

その後無論準備というものがありますから、ここからすぐに旅立つわけではありませんけど、と付け加え微笑む彼女。
明るい、心からの笑み、目にした男たちもまた釣り込まれるように微笑み、髭だらけの顔を緩める。

「同胞たちを見つけ、呼び集めてそこから妖精の国を復興させる、ですか。ですがそれは楽なことじゃありませんね」
「承知しております。長い、とても長い時が必要になるでしょう。ですが必ずやり遂げる覚悟です」
「大したものじゃありませんか。怪物相手の戦いの時の活躍にこの決意、ヴィクトリア・クロスでもおっ着かない」

今度はブッシュの指摘に対して断固たる表情で決意を表明する彼女、その言葉に反応し賞賛の言葉を発するのはブラウンだ。
かつては彼女に対し不信感と怒りを示していた彼だが、今の彼からはそのような否定的なものは一切消え去り、替わって戦場で勇敢な行為を示したことに対する賞賛と敬意があふれ出している。

「この国中を巡って生き残りを探し、彼らをあそこに呼び集める。それから家を建てたり井戸を掘ったりしてまともに暮らせるようにする」
「まだまだやることはありますが、必ずやり遂げて見せます。そして一区切りついたなら、街の真ん中に記念碑を建てようと思うんです」
「記念碑? ……もしかして我々の、ですか?」
「ええ、もちろんです」

彼女の口から出し抜けに飛び出した言葉に反応したのはブッシュ。そして半信半疑といった体の質問に返ってきた言葉に驚き、一瞬言葉を失う三人。だが発言した当の本人は至極真面目な表情だ。

「…………こいつはたまげましたな」「いや、まったくですよ」
「……俺たちの、記念碑、か」

しばしの沈黙を破り、口々に内心を吐露する三人。
言葉では驚きを示しつつ笑みを浮かべるウールトン、相槌を打つのがやっとのブラウン。そしてブッシュは万感を込め、記念碑という言葉を口にする。
だが男たちが胸の内にあるものを言葉として発せたのはそこまで、再び沈黙が降りる。
これまで意識して抑えてはいたがそれでもゆっくりと高まってきていた感情、別れを目の前にした人間が抱く様々な想いが胸中を行き来し、男たちから言葉を奪っていたのだ。
それはファウナもまた同じ、あふれ出ようとする感情を隠そうとでもするように軽く頭を振り、横を向いてうつむくと手で顔を覆う。乾いた大気がそこだけ湿り気と重みを増した。
そんな暗い空気を吹き飛ばそうとでもするようにウールトンが大声を発する。

240HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:18:44 ID:xcVmLF4g0
「ああもう、湿っぽいのは無しにしましょうや、そうでしょう?」
「……ああ、そうだな」

部下の一声に大きな深呼吸を一つしてから応じるブッシュ。傍らのブラウンも軽く息を吐き、敢えて笑みを浮かべた。ややあってファウナも手をどけ、向き直る。
その緑色の両目は心持ち潤んでいたが、敢えてそれを指摘するような無粋な者はいない。

「皆さん、本当にありがとうございます。それでは――――」
「ああ、ちょっと待ってください。渡すものがあるんです」

喋りかけた彼女を唐突に押し止め、トラックの方へ取って返すブラウン。残りの三人が不審げな表情を受かべる中、定位置である運転席によじ登り、座席後方の空きスペースに手を突っ込む。
ひとしきり手を動かすと目当てのものを取り出し、再び彼女の前へと小走りで戻り、差し出す。

「これは、あなたの?」
「ええ、そうですよ」

ブラウンが彼女に差し出したもの、それは彼がしばしば被っているニュージーランド軍のスローチ・ハットだった。
カーキ色のフェルト地で作られたつば広の帽子、『レモン絞り』という別名通りにすぼまった天辺、正面にはLRDGの徽章である『車輪の中の蠍』が縫い付けられている。
おずおずと手を伸ばし、差し出された帽子を受け取ると恐る恐る頭へと載せるファウナ。だが少々大き過ぎたようで、両目のすぐ上までがすっぽりと隠れてしまう。まるで子供が大人の帽子を被ったかのようだ。
それをあみだに被ることで何とか取り繕う彼女。微笑みながら見守る男たちに照れたような笑みを返すと差し出した相手に問いかける。

「良いのですか、その……」「いいんですよ。ええ、いいんです」

打てば響くように返ってきた言葉、当の本人も、そして他の二人も満面の笑みを浮かべ、無言で頷く。
その視線に込められたのは賞賛と親愛、そして敬意だ。
彼女は黙ってその全てを受け入れ、続いて中断されていた感謝の言葉を再び述べる。

「皆様、本当にありがとうございます。この国が救われたのは皆様方のお陰、私も、そして同胞たちもあなた方のことを永遠に語り継ぐことでしょう」

笑みと共に述べられた感謝の言葉、だがその声には隠し切れない涙の湿り気がある。
それに応えたブッシュの言葉もまた、同様だ。

「それは我々もです。皆あなたとこの国で体験した出来事を死ぬまで忘れませんよ」

短いが万感をこめた言葉、傍らの二人は無言で頷く。
一息後、三人の男は見事な敬礼を行い、ファウナもまた、慣れない手つきでそれに応えた。
短い沈黙、言葉にならない想いが一人の女性と三人の男の間を行き交う。

241HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:20:17 ID:xcVmLF4g0
「それでは皆様トラックへ、これより魔法を用いて皆さんを元居た場所へと帰します」

上げていた手を下ろし、絡みついたものを断ち切るかのようなきっぱりとした口調で指示を出す彼女。男たちは無言でトラックへとよじ登り、持ち場に着くと防塵ゴーグルを掛け、口元をスカーフでしっかりと覆う。一方彼女は小走りでトラックから離れると踊るようなしぐさをしながらトラックの周囲を回り始めた。かすかに聞こえてくる彼女の声、呪文か何かを唱えているのだろうか。
一周、二周、そして三周、いつしか風が巻き起こり、時間の経過とともに強くなる。だが奇妙なことに歩き続ける彼女の衣服は乱れず、あみだに被ったスローチ・ハットも吹き飛ばされるようなことはない。
そして舞い上がる砂塵、薄茶色をしたベールが視界を遮り始め、三人の目から彼女の姿をゆっくりと隠してゆく。やがて視界を巻き上がった砂塵と土埃が完全に覆い、空も大地も覆い隠した。
吹きすさぶ風のせいで呪文を唱える彼女の声はもう聞こえないが、この風が途切れていないところを見ると儀式は未だに続いているようだ。
それぞれの場所で姿勢を低くし、無言で『その時』を待つ三人。だが感じ取れるような異変は全く起こらず、やがて砂嵐は弱まり始め、視界が回復し始める。
そして――――



「見えたぞ! 味方のトラックだ! 帰ってきたんだ!」






イタリア領リビア東部キレナイカ地方、クーフラ。
キレナイカの南部にあり、西のエジプト、南のフランス領チャド、そしてリビア各地へと繋がる街道の結節点であるこのオアシス都市は1941年5月現在、その所有者をイタリア人からイギリス人へと変えていた。
それを証明するかのように焼け付くような陽光に照らされた町のあちこちには英国兵の姿があり、主要な建物にはユニオンジャックが掲げられている。また郊外ではナイル川のほとりからはるばる砂漠を超えてやってきた輸送部隊のトラックが荷を下ろし、開設された野戦飛行場には主翼と胴体にラウンデルを描いた連絡機が翼を休めていた。

そんなクーフラ市街地の一角にある建物の一室では現在、LRDGの主要メンバーによる会議が開かれていた。
砂漠の強い日差しを遮るために全ての窓にブラインドが下ろされているため、室内は昼だというのに薄暗い。また室温は戸外より低いとはいえかなりの高さ。ただし湿度が極めて低いため、蒸し暑さで不快極まりない思いをすることだけはない。
そんな乾いた熱い空気を天井に設置されたファンがかき回し、室内にささやかな空気の流れを作り出している。その下で使い込まれた四角いテーブルを囲み、椅子に深く腰掛けて手にした書類の束に無言で目を通す五人の男たち。誰もが熱帯用の軍服をラフに着こなし、日焼けした顔には髭を蓄えている。

242HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:21:55 ID:xcVmLF4g0
一同の上座に座るのはLRDG創設者であり指揮官でもあるバグノルド中佐。元々は有名な探検家であり、過去には自動車を用いてサハラ砂漠を何度も探検したことのある人物だ。またLRDGの車両に必ず備え付けられている航法装置、バグノルド式サンコンパスの発明者でもある。
その右側に座るのはプレンダーガスト少佐、隊長の片腕にして彼とともにサハラ砂漠探検を行った人物。日頃は石橋を叩いて渡るような性格であるが、その一方で無能者には容赦ない罵声を浴びせるような『熱い』部分も持ち合わせている。
そのプレンダーガストのさらに右にはケネディ=ショウ大尉、見た目は生え際がだいぶ後退した(加齢のせいではない、砂漠の苛酷な環境に毛根が痛めつけられたのだ)しょぼくれた見かけの男といったところだが、実はバグノルドやプレンダーガスト同様砂漠の専門家であり、そして腕利きの情報将校でもある。
一方中佐の左側にはR偵察隊隊長であるスティール大尉とG偵察隊隊長であるクライトン=スチュアート大尉がプレンダーガスト、ケネディ=ショウの両名と対面する形で座っている。二人とも偵察任務の時は伸ばし放題であった髭をさっぱりと剃り落とし、ぼさぼさであった髪もきっちりと整えていた。

容姿も生まれも育ちも違う五人の男たち。だが今、一同の顔にはほぼ同じ感情が浮かんでいた。
隠し切れぬ困惑、あからさまな疑い、非常識さに対する呆れ、そして精神的な疲労。彼らはそんな感情を代わる代わる顔に浮かべつつ、おおよそ一時間前から無言で手にした書類――ウールトン、ブラウン、そしてブッシュが手ずから記した供述書と彼らの尋問を行ったLRDG幹部たちの報告書――の束を繰り、内容に目を通し続けてきた。
だがそんな時間も終わり、一同が書類に目を通し始めてから今まで降りていた沈黙がついに破られる。

「正直、何度読んでも信じられんな」

ため息交じりの発言、プレンダーガストのものだ。
普段は冷静かつ慎重な言動の彼だが、そんな彼をしてこのような言葉を吐かせるほどその内容は突拍子もないものであった。それに対し残りの四人はある者は賛同の唸りを洩らし、またある者は無言で眉をひそめる。

「ですが私とスティール、スチュアート両大尉の三人で何度も尋問を繰り返したのです。そして言動にも内容にもなんら矛盾は見られなかった」

そう発言したのは隣に座るケネディ=ショウ。彼のその発言に合わせて対面に座る二人の大尉もまた、肯定の頷きを行った。

243HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:23:36 ID:xcVmLF4g0
「もちろん、身体や精神に異常がないか検査も行いましたよ、でも結果は異常なし」

まあ疲労やら些細な怪我やらはありますがね、と付け加え、発言を締めくくるケネディ=ショウ。
腕利きの情報将校の発言に現在のLRDGナンバー2はまたもやため息を漏らし、相手同様禿げ上がってしまった前頭部の中で未だに生え残っている前髪の辺りを掻く。

「まったく、ただでさえあれこれと面倒事が山積みなのに……どうしたものでしょうね、ラルフ?」

ラルフと呼ばれた上座の男、即ちバグノルド中佐はそんな友人にして部下をちらりと見ると、その場の全員に向けて己の意見を述べる。

「どうするか、だって。そりゃ決まってるよ」

咳払いを一つ、ついでに卓上のマグカップから水を一口飲んで喉を湿らせると言葉を継ぐ。

「偵察任務中にトラック一両が部隊からはぐれるも無事に再合流に成功。なおはぐれた連中はイタリア軍と思しき部隊と交戦し損害を受けるも全員無事。これが全てだよ」

そこまで言うと卓上のコップに再度手を伸ばし、乾いた口をまた湿らせて口を開く。

「報告書とかにはそう書き記した上で関係者全てに『あの一件はそういうことになった、他言は無用』と一筆書かせた後念押しでもしておけばいい。それでこの件は終わりさ」

その発言に一同の顔色がはっきりと変わる。無論、肯定的なものではない。
この奇妙な事件をしかるべき所へ報告もせず『無かったもの』として取り扱い、終わらせる。それは明らかな隠蔽工作、組織の一員として明らかな問題行動だった。
不穏さを増す一座の空気、普段は生みの親であり指揮官でもあるバグノルドの元家族の如く団結しているLRDGでは珍しいことだった。
そんな雰囲気をいち早く読み取った中佐が機先を制して口を開く。

「この状況で詳細な調査なんてする余裕もないし、そもそもそれはLRDGの役目じゃない。今の我々は探検家じゃなく軍人だぞ、少佐」
「ですが報告すらしないとは……」

長い付き合いの友人を敢えて階級で呼び、現在の自分たちが何者であるのかを遠回しに示すバグノルド。一方プレンダーガストは納得できぬという表情で食い下がる。
だが当のバグノルドはにべもない。

「だいたいこの報告書をそのままカイロの司令部に送ってみろ、我々は確実に狂人扱いされる。場合によってはここにいる皆がLRDGから外される、いや」

咳払い一つして再び口を開く、その声は重々しい。

244HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:25:24 ID:xcVmLF4g0
「LRDGそのものが縮小、最悪解体される可能性だってある。君もカイロのお偉方の石頭ぶりは知ってるだろう?」
「……ええ」

自分たちLRDGの上位組織である中東方面軍司令部の高官たちについて言及するバグノルド。
LRDGの前身であるLRPが誕生したおよそ一年前、その頃から彼とプレンダーガスト、ケネディ=ショウといったLRDG主要メンバーは、古い考えに凝り固まった老人や官僚主義丸出しの連中と会議のたびに何度も顔を突き合わせ、時には激しいやり取りをしてきた。
特にプレンダーガストなどはその性格ゆえ、軍歴も階級も数段上の相手に対して容赦ない言葉を吐いたことが一度ならずある。結果LRDGという新興の部隊の存在を煙たがる人物の数は現在、結構なものとなっていた。

「彼らのような職業軍人から見れば我々LRDGは司令官に取り入った探検家上がりが植民地の連中を率いて探検隊ごっこと戦争ごっこを同時にやってる、そんな存在さ。正直目障りで仕方ないだろう」
「ですがウェーベル閣下のような人もおられます。無論、誰もがそうでないことは承知しておりますが」

それでも彼らがこうして戦い続けていられるのはこれまでに挙げた戦果とLRDGの前身、LRPの設立を承認したアーチボルト・ウェーベル中東方面軍司令官を初めとする理解者、後援者たちの存在あってのことだ。
無論、この部屋にいる男たちはそういった事情を部分的、もしくは全体的に把握しており、それゆえ現在の部屋の空気は先ほどの不穏なものから一転、不承不承、あるいは納得出来ずとも受け入れるしかないといった具合のものになりつつある。
事実ため息や鼻を鳴らす音が続けざまに室内に響き、男たちの表情に浮かぶ不満げな表情は先ほどのそれとはやや色あいが違ったものになりつつあった。
そんな流れを把握しつつ再び口を開くバグノルド、ただし今度の話題はLRDGのものではない。

「そのカイロのお偉方たちが反攻作戦の準備を進めている。今月中にも国境地帯で小規模な攻勢作戦が行われるし、来月にはそれ以上の規模の作戦が決行される」

その一言に表情を引き締める一同。
昨年秋に始まったイタリア軍の規模こそ大きいが鈍重な侵攻を撃退し、余勢を駆ってリビアへと逆侵攻。撤退するイタリア軍の大部隊の退路を断って包囲殲滅し、さらにトブルクやベンガジといった主要な都市を次々と陥落させるという多大なる戦果を挙げた中東方面軍。だが年が変わり、暦の上では冬と春が入れ替わる頃に彼らの前に新たに現れたのはヒトラー直々の命を受け、送り込まれたドイツ軍だった。

245HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:27:02 ID:xcVmLF4g0
エルウィン・ロンメルという名の将軍に率いられたこのドイツ軍部隊は小規模かつ戦備も不十分であるにもかかわらず積極果敢な攻勢に打って出て、リビアの大半を手中に収めつつあった英軍各部隊をわずか一月の間に蹴散らしリビア・エジプト国境まで進出、今や首都カイロやアレクサンドリア軍港、そしてスエズ運河といった大英帝国にとってかけがえのないを要衝を窺うまでになっている。
その新たな敵、イタリア軍とは比べ物にならぬ強敵に対し本格的な反攻作戦がついに行われるのだ。

「つまり我々にはこのような些細なことよりも大事なことがある、というわけですか」
「ああ、情報収集に後方撹乱、やることは幾らでもある。そんな時にこんな与太話を報告してみろ。頭がおかしくなったと思われるのが落ちだよ」

彼らの指揮官の発言に賛同のうなり声を上げる一同。
極めて重要な作戦が開始される前の多忙極まりない時期に新参者の部隊が意味不明な報告を上げる、確かに良い印象も好意的な評価もされないであろう。
否定的な考えを持つ者はここぞとばかりに非難の声を上げ、好意的な者も弁護をためらい、口をつぐむ。結果部隊の信用と評価は低落し、場合によっては部隊そのものの浮沈がこれで決まるだろう。
室内の男たちの頭脳にそういった想像が浮かび、染み渡っていった。

かくして会議の流れは決し、程なくして採られた決によりこの奇妙な事件は封印されることが決定する。
そして散会、まず二人の小隊長が相次いで辞去の挨拶をすると、今回の問題の渦中にある己の部下にしかるべき命令を下すべく去って行く。行き先は市街地にある別の建物、そこに件の三人が適当な名分の下隔離されているのだ。
薄暗く暑い部屋にはバグノルド以下三人が残り、それぞれが手元の書類を読み返したり、無言でタバコをふかしたりしていた。
紫煙とともに室内に立ち込める重たい沈黙、そんな時残った三人の中で口を開いた者がいた。ケネディ=ショウ、手にした書類をテーブルに置き、思いつめた表情でバグノルドの方に向き直ると話しかける。

「ラルフ、この『妖精の国』のことなんですが……」
「君の言いたいことは大体予想がついている、ゼルズラ、だろう?」

それはサハラ砂漠東部、現在のリビアかエジプトのどこかに存在すると言い伝えられてきた伝説の都市のことだった。
砂漠の中に存在する緑豊かなオアシスとそこにある石造りの建物で作られた、美しく豊かな都市。だがその所在を明らかにした者は20世紀の現在に至るまで誰一人としていない。

246HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:28:25 ID:xcVmLF4g0
この部屋にいる三人もかつで探検家だった頃に何度も聞いた耳慣れた名前ではあるが、実在するとは思っていなかった存在だ。
ところが今、奇妙な偶然からその幻の存在との関わりがありそうな情報が転がり込んできている。

「ええ、ひょっとしたら、あの伝説と何か関わりがあるんじゃないかと思うんですよ」

そう言って卓上の書類に目を落とす彼、その一言に隣でタバコをふかしていたプレンダーガストが反応する。

「もしそうだとしても、誰がこの話を信じる? まあ、あのハンガリーの『伯爵』あたりなら喜んで飛びつきそうだが」
「アルマシーか、彼はゼルズラにことのほか御執心だったからな」

バグノルドが口にした人物の名前に反応する二人。浮かべた表情にはどこかしら昔を懐かしむような雰囲気がある。
『伯爵』ことラズロ・アルマシー、ハンガリー貴族の生まれであり、彼ら同様サハラ砂漠の探検家として名を成した人物だ。数多の探険家たちの中で彼ほどゼルズラに固執し、伝説の都市を見つけ出すために情熱を傾けた人物は他にいないだろう。
事実彼はゼルズラ探索のための探検隊を何度も組織し、ついにはゼルズラの伝説に出てくるものと思しき谷や先史時代に描かれたであろう壁画まで発見している。

「だが彼は今現在、敵国の人間です。まあこの戦争が終わったら――――」
「話すのかね?」

軽い口調で何気ない発言をする自分の部下に固い口調でバグノルドは問いかける。その表情は厳しく、視線は鋭い。
その反応にケネディ=ショウは思わず口をつぐみ、隣のプレンダーガストも姿勢を正す。

「この件はなかったものとする、先ほど決めたはずだよ」
「……申し訳ありません」

部下の謝罪の言葉に無言で頷き、立ち上がるバグノルド。そのままドアへと歩み寄り、部屋を出る前に振り向くと告げる。

「さあ諸君、会議は終わりだ、そしてこの件も終わりだ。仕事が待っているぞ」

その言葉に立ち上がり、卓上の書類を纏めると上官の後を追う二人。
かくして三人のLRDG隊員が体験した奇妙な事件は封印され、公式文書へと載ることはなかった。そして関わった者たちの記憶もまた年月とともに磨耗、そんなことがあったということすら忘れ去られてゆく。
ただ一部の者が漏らした断片が不確かな噂話となり、物好きな連中の口に時折上ることはあったが、それもまたあぶくのように儚く消え去り、滔々たる歴史の流れの中に深く沈んでいった。



ただ真相を知る三人の男を除いては

247HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/12/10(日) 20:29:42 ID:xcVmLF4g0
投下終了
次回投下は来月中旬の予定です

248HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/06(土) 20:50:19 ID:xcVmLF4g0
予定を繰り上げて明日午後8時より投下を開始します
なお今回は本編よりいったん離れ、短めの番外編3作をまとめて投下します

249HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:00:30 ID:xcVmLF4g0
それでは予定通り投下を開始します

250HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:02:16 ID:xcVmLF4g0
番外編その1『ポプスキの与太話』


む、ここらじゃ見ない顔だな

うん? ――の記者なのか、ということは君も特ダネ目当てか。
断っておくが、君たちの喜びそうな話はもう無いぞ。

なに? まだあるだろうって? いい加減にしてくれ。
若造の君は知らんだろうが、私は北アフリカやイタリアで戦ってた頃から君のような連中の取材を数えきれないほど受けてきたんだ。
少年時代、学生時代のことに始まり最初の世界大戦、戦間期、そして今回の戦争……違う奴相手に同じことを何度喋ったことか。

申し訳ない? だったらせめてペンと手帳を引っ込めてくれないかな。
そうしてくれたなら君のその勤労意欲に敬意を表して一杯おごろうじゃないか。

ああ、聞き分けがいいな。これまで会った連中とは大違いだ。
ウェイター君、彼にギネスを一杯。

ところで君、その喋り方はもしかしてスコットランド生まれ、それも都会育ちじゃないか。
やっぱりな、生まれも育ちもグラスゴーか、うんうん。
そういえばスコットランド人絡みでちょっとした噂を聞いたことがあるな。
ただこの噂、本当のところ喋っちゃいかん事なんだろうが…………。

お、食いついてきたな。でもこの噂は君の上司が欲しがってるようなものじゃない。
むしろこんな話を持っていった日には、働きすぎて頭がおかしくなったと思われるぞ。

おやおや、それでも聞きたいって? 好奇心旺盛だな。いいだろう。
でも聞いた後であれこれ言わんでくれよ。これはあくまで私が聞いた噂話であって、実際に体験したことじゃないからな。
では、話すとするか。


 ―――――――――――――――――


――と、まあこんなところだ。
……流石に信じられないか、無理もない。

からかわないで下さい? いやいや、私は至極大真面目だよ。
ただ話す前にも言ったがこれはあくまで噂話だ、この話自体誰かがでっち上げた与太話なのかもしれない。
君も学生の頃に先輩からその手の話を聞かされたことがあるだろう?

なぜそんな話をしたかって? そうだな、本当かどうかはさておき、面白くはあったろう?
まあ突拍子もない話だという君に意見には同意するがね。

さあどうする
この話を兵隊たちのジョークとして記事にするかい? それとも戦場の噂話、真偽不明な逸話として記事にするのかな?
まあ何にせよ、それを決めるのは君だ、私じゃない。

251HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:03:53 ID:xcVmLF4g0
……やれやれ、行ってしまった。せっかちな若者だな。
彼はもう少し落ち着いた行動を心がける、いや『立ち止まって考える』ことを大事にした方がいいな。
まあ記者なんて速さが求められる商売にはあれで良いのかも知れんが、見ていて少々危なっかしい。

ん、こいつは何だい、ウェイター君。ほう、君からのおごりだって?
はは、仕事しながら私の与太話を聞いてたのか、しかも興味を持ってくれるとは嬉しいね。
なに、もう一度話して欲しいと? ああ、今度はちゃんと聞きたいのか、いいとも。
おーい店主、ちょっと彼を借りるよ。店も空いてるようだし構わんだろう?
そら、お許しが出たぞ、それじゃそこに……ああ、その前にギネスをもう二杯頼むよ。もちろん払いは私だ。

やあ、ご苦労さん。じゃあそっちの方を貰おうか、もう一つは君の分だ。
いやいや、そこまで恐縮せんでもいい。この頑固な老いぼれの与太話に興味を持ってくれた君への礼だよ。
うん、それじゃもう一度話すとするか。
知っての通り少々長い話だ、楽にして聞いてくれたまえ。


 ―――――――――――――――――


…………ふう、流石に同じ話を二度続けざまに話すというのは疲れるな。
しかし君、凄い顔をしてるな、話に完全にのめりこんでいる。
まあそこまでかぶりついてくれるのは話し手としては嬉しい限りだがね。

うん? この話をどこで誰に聞いたかって? もちろん北アフリカの砂漠でLRDGの連中からだよ。
まあイタリア人から分捕ったワインを空けながらの内輪話、しかも聞いての通り与太話だったから相手の名は明かせないがね。

ところで君、名前はなんと言うんだ?
ふむ その姓からすると君もスコットランド生まれか、なるほど。
まあ偶然なんだろうが、なんというか運命じみたものを感じてしまうな。
おっと、年甲斐もない事を言ってしまった、今のは忘れてくれよ。

お、もう仕事に戻るのか。働き者だな。
だが若い頃は働いてばかりじゃ駄目だぞ、もっとこう、冒険をしないといかん。
例えば、この話の出どころを調べてみるとか、手がかりを探しにエジプトへ旅に出る、とかな。
そうやって知識と経験を身に着け、己の見識を広げるんだ。そうすれば後々役に立つ。
まあそのためには先立つものがいるんだが、働き者の君ならそれくらいすぐ用意できるだろう。

それじゃ、頑張りたまえよ。
お、いい返事だな、結構結構。だが私の階級は大佐じゃなく中佐だし、もう退役してるんだがな。
店主、彼を返すよ。出来る奴だから良くしてやってくれ。

…………さて、そろそろ暗くなってきたしお暇するとするか。
この世界に、そしてあるかどうかも分からぬ妖精の国に平和あれ、そして未来ある若人達に幸いあれ、だ。

252HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:05:47 ID:xcVmLF4g0
ウラジミール・ペニアコフ(Vladimir Peniakoff)

英国陸軍軍人、1897年生、1951年没、男性。愛称は『ポプスキ』。
第1爆破戦隊(No.1 Demolition Squadron)、別名『ポプスキの私設軍』(Popski's Private Army,PPA)創設者にして指揮官。
英国で教育を受けたベルギー生まれのロシア系ユダヤ人。
第二次大戦では英陸軍に志願。語学に堪能であることから通訳として1942年に新設のアラブ人部隊、リビア・アラブ軍に配属されるが、自身はこの待遇に満足せず独断で特殊部隊『リビア・アラブ軍コマンド』(LAFC)を立ち上げ、イタリア領リビアのキレナイカ地方において枢軸軍に対しゲリラ戦を行う。
1942年半ばにLAFCが解体されるとLRDGに協力、その後1942年10月に新設の特殊部隊である第1爆破戦隊の指揮官となり、その後は同部隊の指揮官として北アフリカ及びイタリアで戦った。
戦後に中佐で退役後、回想録『Private Army』(後にPopski's Private Armyと改題される)を著している。
愛称の『ポプスキ』の由来は当時英国の新聞『デイリー・ミラー』で連載されていた人気漫画『Pip,Squeak and Wilfred』の登場キャラクターの名前からである。


第1爆破戦隊(No.1 Demolition Squadron)

第二次世界大戦中に創設された英軍の特殊部隊の一つ。別名『ポプスキの私設軍』(Popski's Private Army,PPA)。
1942年10月にエジプトにおいてウラジミール・ペニアコフ(Vladimir Peniakoff)英陸軍少佐によって創設された。
当初の構成員は英陸軍軍人であったが、これ以外にも様々な人種、国籍の民間人や対独レジスタンスなどが途中から参加している。
主な任務は敵戦線後方における情報収集と破壊活動、友軍の支援など。
なお、隊の別名である『ポプスキの私設軍』の由来は当時の新聞漫画の登場人物の名前からであり、隊を率いたペニアコフ少佐のあだ名でもあった。

253HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:07:56 ID:xcVmLF4g0
番外編その2『L分遣隊隊長のメモ』


メモ

妖精事件(仮称)について

時期:
1941年春(クーフラ陥落以降)から初夏(バトルアクス作戦)の間
複数の噂話を総合するに事件が起こったのはこの頃のはず

場所:
おそらくリビア北東、キレナイカ地方北部
この時期LRDGが主に活動していた地域から推定。ただし隣接するトリポリタニア地方北東部、もしくはフェザーン地方東部である可能性もある

関係者:
LRDG-R偵察隊、もしくはその一部
NZ偵察隊の関与は確実
この時期NZ偵察隊中動けたのはRとWのみ、Wは無関係と確認、よってR

関与した者の人数:
最低三名(LRDG車両の標準的な乗員数より)
ただしこれ以上の可能性は十分ある

妖精:
未知の原住民部族か? 未確認
女性が族長? ありえない
彼女以外に人はいたのか? 規模は? 全て不明

怪物:
意味不明
落伍したイタリア軍部隊の車両? 不明
戦車ではない、装甲車?
地下から現れた、地下壕?
乗員についての言及なし 何故?

生存者:
NZA、不明、おそらく複数。ドデカニサ戦で戦死? 原隊に復帰?
BA、少なくとも一名。近衛もしくはヨーマンリー出身者?
何故R偵察隊に? 不明

公的文書:
一切記録なし、隠蔽されたと見て間違いないだろう
どの段階で? R偵察隊? LRDG? 中東方面軍?

R偵察隊:可能、ただしこうして情報が漏れている以上、公算は低いと思われる
LRDG:可能、最も公算高し
中東方面軍:不可能、関与する者が多すぎる

LRDG首脳陣:
RB、GP、BKSの反応はシロ、ただし状況的に知っていたのはほぼ確実
彼らが隠蔽した?
JEは戦死、近しい者に話を聞くべきか?
DLOの反応はシロ、こちらは知らされてない公算のほうが高い

その他の人物:
VP――何か知っている?

要調査-必要?

22.Jul.1950


1990年代後半、某所にて開かれたオークションに出品された古い手帳のあるページの内容より。
手帳はSAS初代指揮官である故デヴィッド・スターリング英陸軍大佐のものと言われているが、真偽は不明である。

254HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:09:36 ID:xcVmLF4g0
アーチボルド・デヴィッド・スターリング(Archibald David Stirling)

英国陸軍軍人、1915年生、1990没、男性。
特殊空挺部隊(Special Air Service)創設者にして初代指揮官。
第二次世界大戦では将校訓練過程を経て近衛旅団スコッツ・ガーズ大隊に任官し、さらにそこから第8コマンド大隊に志願する。その後1941年7月にSASを組織、初代指揮官として北アフリカで様々な作戦に参加した。
1943年1月、チュニジアでの作戦行動中にドイツ軍の捕虜となるも数度に渡って脱走を試みる。しかしいずれも失敗に終わり、最終的にはヨーロッパへ送られ、ドイツ東部にあるコルティッツ城(当時捕虜収容所として使用されていた)で1945年4月まで捕虜生活を続けた。
大戦終結後も1960年代半ばまで軍に留まり続け、最終的には大佐で退役している。


特殊空挺部隊(Special Air Survice)

第二次世界大戦中に創設され、現在も存在する英軍の特殊部隊。
1941年7月、エジプトにおいて英陸軍のデヴィッド・スターリング少佐により創設された。
当初の任務は敵飛行場への襲撃作戦が中心だったが、後に敵軍戦線後方への潜入作戦や情報収集、飛行場以外の重要拠点への襲撃なども行うようになる。
創設当初の部隊名称は『特殊空挺旅団L分遣隊』、これは部隊規模を実際より(発足当初の人員は65名)大きく見せかけることで敵を撹乱するための偽装名称である。
第二次世界大戦では北アフリカ、イタリア、バルカン半島、フランスなどで戦う一方でSAS自体も部隊規模を拡張、終戦時には英軍二個部隊に加え自由フランス軍二個部隊およびベルギー軍一個部隊が存在していた。
大戦終結と共に一旦解体されるが、1947年に再結成。その後も様々な戦争、紛争、対テロ作戦で活躍しつつ現在に至る。

255HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:11:21 ID:xcVmLF4g0
番外編その3『「伯爵」の独白』


――――今ややむを得ぬ事情で故郷を離れ、愛しているとはいえ異郷の地であるこのエジプトで人生を送っている私にとって、先日転がり込んできたこの奇妙な情報はある意味信じがたいものだった。
にわかには信じがたい噂話、その切れ端を集め纏めたもの。出所こそある程度特定されてはいるものの、情報自体は断片的かつ整合性を欠いたものだ。
だが同時にこれが長年追い求めてきたものと何らかの関わりがあることは、恐らく間違いないであろう。

ただ私自身はこのことを周囲の者に話すことは考えてはいないし、記録に残しておくつもりもない。
出所がかつて敵として戦った英軍、それも知己のいたLRDGである公算が極めて高い以上、彼らの名誉のためにもこのことは秘されるべき。それが私の考えだ。
バグノルド、プレンダーガスト、ケネディ=ショウ、そしてパット・クレイトン、意見の違いから対立することもあったが皆いい男たちだった。
そんな彼らがいた部隊がこの不正確かつ信じがたい噂話の出所だ、などとこの私が書き残し、死後にそれが人目に触れた場合、彼らはあらぬ疑いと無遠慮な視線により迷惑をこうむり、不快な思いをするであろう。そんなことは到底出来ない。

もっとも、私自身はこの噂話に大いに惹かれている。
何度確かめても怪しげな話ではあるが、幾度となく探し求め、追い求めたゼルズラ。あの伝説のオアシス都市へと至る道しるべとなるかも知れないのだ。
大抵の者ならこんな噂話を信じて行動を起こすなんて正気の沙汰ではない、と言うだろう。だがわからず屋には言わせておけばいい。
トロイアを発掘したシュリーマンだって最初は狂人扱いされたのだから。
だからこそ、今の自分の状態、若さも健康も地位すらも失い、かつての知己の温情にすがって異郷の地で生きていかざるを得ないという落魄したありさまが残念でならない。
失ってしまった三つのうち二つ、いや一つでもあれば…………いや、詮無いことだ。

ああいけない、思考が逸れてしまった。これも老いたということの表れなのか。
何とも情けないことだ、だが自己憐憫に浸るつもりはない。
この不確かな手がかりを元にして目指すものへとたどり着くには相当な時間が掛かるのは間違いなく、そして私に残された時間はもう多くはない。
無駄に出来る時間はないのだ。

256HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:12:50 ID:xcVmLF4g0
まずは今回得られた情報を整理し、私がこれまでに知りえた事とつき合わせなければならない。
断片的かつ不確かな情報ではあるが、既知の情報と比較対照を行うことで浮かび上がってくるものがあるはずだ。
相当な時間が掛かる面倒な作業だがやるしかない。

いや、ここはいっそのことバグノルドたちに直に聞いてみるべきか。
現状この一件について私が持っている知識は断片的、かつ不確かなものだ。だがLRDGを組織し指揮していた彼らなら、より詳しい情報(とはいっても所詮は噂話だろう)に接していたはずなのだから。
ただ戦争は終わり、私も彼らも軍から身を引いたとはいえかつてはお互い敵同士であり、数多くの機密情報に触れた身だ。
すんなりと話してもらえる可能性は限りなく低い、場合によっては何のことかととぼけられ、誤魔化されるかも知れない。
最悪門前払いされる可能性もある、やはり止めておくべきか。

何はさておき、まずはこの噂と手持ちの情報の照合だ。その次は新たなる探検旅行の計画立案。その後もやるべきことはまだまだある。
後援者の獲得に資金の調達、人員の募集も忘れてはいけない。
もちろん、この噂については一切を伏せたままで行わなければならない以上、関係者への説得や交渉はかなり面倒なことになるだろう。
だがかまうものか。
これから行う探検旅行はほぼ間違いなく私の人生最後のものとなるだろう、ならばなんとしてもやり遂げてみせる。

願わくば妖精の国に住まうという妖精たちよ、私を失われたオアシスへと導いてくれ。

257HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:14:50 ID:xcVmLF4g0
アルマーシ・ラースロー(Almasy Laszlo、ハンガリー語の場合、英語ではラズロ・アルマシー Laszlo Almasy)

ハンガリー人、1895年生、1951年没、男性。
ハンガリーの貴族、探検家、軍人。1920年代より北アフリカの砂漠の探検を行い、30年代からはサハラ砂漠東部にあるという幻のオアシス都市『ゼルズラ』探索のための探検隊を何度も組織し、最終的には先史時代の洞窟壁画を発見するなどの成果を挙げている。
第二次世界大戦では祖国ハンガリーが枢軸国の一員となると探検家時代に得た知識と経験を活かしてドイツ軍に協力。探検家時代共に探検旅行を行ったことがあるクレイトンが捕虜となりヨーロッパへと送られた時は捕虜収容所の彼を訪問、さらに1942年には砂漠を越えてエジプトのカイロにスパイを潜入させる『サラーム作戦』に参加。これを成功させたことによりドイツ軍から勲章を授与されている。
戦後は共産化された祖国を離れてエジプトで暮らし、1950年には新たに設立された砂漠研究所の所長に任命されたが、その翌年オーストリア滞在中に病気により体調を崩し、同地で生涯を終えた。
マイケル・オンダーチェの小説『イギリス人の患者』およびこれを映画化した『イングリッシュ・ペイシェント』の主人公、ラズロ・アルマシーのモデルでもある。


ゼルズラ(Zerzura)

サハラ砂漠東部(リビア砂漠)に存在するとされてきた伝説のオアシス都市。様々な古文書にその存在が記されているが、多くの探険家たちの努力にもかかわらず都市およびその明確な痕跡は現在に至るも発見されていない。
アルマーシはゼルズラが実在すると考えて何度も探検を行ったが、バグノルドはゼルズラはあくまで伝説上の存在であり、発見することは不可能であると考えていた。

258HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/01/07(日) 20:17:04 ID:xcVmLF4g0
番外編投下終了、次回より本編に戻ります
投下時期は来月中旬を予定しております

259HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/17(土) 19:44:11 ID:xcVmLF4g0
予定通り明日午後8時より投下を開始します

260HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:00:41 ID:xcVmLF4g0
それでは投下開始します

261HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:02:22 ID:xcVmLF4g0
最終話 砂漠に消ゆ

その後も私、エドワード・ブッシュはLRDGで戦い続けた。
あの一件のあれこれが『封印』という形で片付いた後、しばらくしてG偵察隊へと復帰した私を指揮官であるクライトン=スチュアート大尉や近衛時代からの戦友たちは多少ぎこちなくはあるが、それでもかつての仲間として温かく迎えてくれた。
そして再び戻ってきた偵察、襲撃、情報収集の日々、北アフリカの戦場でイタリア軍やドイツ軍を相手に我々は戦いぬき、手痛い損害を彼らに与え、少なからぬ負担を彼らに強い続けた。
我々を取り巻く戦況も幾度も変わった。初夏に行われた最初の反攻作戦の失敗後、新司令官オーキンレック将軍の下で冬に行われた第二次反攻作戦は成功。我が軍は再びキレナイカ地方を手中に収める。
だがそれも次の年の初夏に始まったドイツ人の反撃で一気にひっくり返され、枢軸軍はキレナイカを取り返した余勢を駆ってついにエジプトの地を踏む。これに対して我が軍は必死の防戦を行い、我々LRDGもまた敵後方において新たに設立されたスターリング少佐のSAS(特殊空挺部隊)やペニアコフ少佐の第1爆破戦隊(PPA、ポプスキの私兵たち、という呼び名の方が通りが良かった)と共に数限りなく襲撃作戦を行った。

そして1942年冬のエル・アラメイン、あの戦場で全てはひっくり返った。総崩れになった彼らをエジプトからリビア、さらにチュニジアへと押し戻し、ドイツ人とイタリア人に白旗を上げさせた所で北アフリカの戦いは終わった。
だがLRDGの戦争は終わらなかった。連合軍のイタリア本土上陸に続いて行われたエーゲ海のドデカニーズ諸島攻略戦――隊長のイーサンスミス中佐を初めとする多くの戦友を失ったLRDGにとって最悪の戦場――にバルカン半島でのレジスタンス支援任務。砂漠を離れたLRDGはドイツの裏庭ともいえる地域で様々な作戦に投入され、時に勝利し、時に敗北した。
やがて東から大波のごとく押し寄せたソ連軍によるベルリンの陥落とヒトラーの自殺という形でヨーロッパでの戦争が終わると、LRDGは最期の敵である日本を相手に戦いを挑むべく極東への派遣を申し出たが却下され、1945年8月に部隊は解散の運びとなる。
そしてそのひと月後、東京湾のアメリカ戦艦の上で日本の代表団が降伏文書にサインをし、ここに第二次世界大戦は終結。私の戦争もまた、終わりを告げた。

262HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:04:07 ID:xcVmLF4g0
戦争終結後ほどなくして私は除隊し、かつての生活へと戻っていった。もちろん何もかも元通りというわけではなかったし物不足も深刻だったが、それでも平和な生活というものは良いものだ。
まずは父を亡くして未亡人となった母の面倒を見ながらの二人暮らし、父の遺族年金と母と私の貯金をやりくりしつつ職を探す。幸い働き口は見つかり、私たち一家の経済状態は程なくして安定へと向かった。
やがて年月が過ぎるとともに日常生活も変わってきた。老いた母との二人きりだった家庭が私の結婚により華やかになり、さらに子供の誕生で一気に賑やかになった。
他にもいろいろなことがあった。老いた母の逝去と葬儀、子供たちの成長とそれに伴うあれこれ、そして成人した子供たちの結婚と出産。だがそんな中でも私たち三人は互いに連絡を取り合い、数年に一度はどこかで落ち合ってささやかなパーティーを開いた。
もちろん話題になるのはあの『妖精の国』でのことだ。ファウナとの出会い、怪物との戦い、そして彼女の勇姿、その他諸々のこと。毎回同じ話の繰り返しのはずなのに、不思議と飽きなかった。
結局『妖精の国』については皆、誰にも話さなかった。
そもそもあの一件の後取調べを何度も受け、最後にこの件を口外しないという誓約書にサインをしていたし、それ以前にあのような体験を話した所で誰からも相手にされず、それどころか戦争で頭がおかしくなったと思われるであろうことは少し考えれば容易に想像できた。だからこそ我々三人は家族にさえあの体験を話さなかったのだ。
そして我々の人生が残り僅かとなった20世紀の終わり頃、妻を亡くして再び独り身となった私のもとに一本の電話がかかってきた。

「軍曹殿、ファウナさんに会いに行きませんか」

昔と変わらない元気な声、数年前から故郷であるニュージーランドを離れてポーツマスで暮らしているブラウンだった。私と同じく妻に先立たれた身の上で、故郷の子どもたちからの再三の誘いを断って何故か一人暮らしをしている(一度理由を聞いた時、迷惑を掛けたくない、と彼は答えた)かつての部下の藪から棒な言葉に、私はしばらく言葉が出なかった。

「いきなり何を言い出すんだねブラウン。夢に彼女が出てきたとでも言うのか」

そう言った私の耳に我が意を得たりと言わんばかりのブラウンの声が聞こえてきた。

「まさにそのとおりでして、それも一度や二度じゃあないんですよ」

263HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:05:48 ID:xcVmLF4g0
それから続く彼の話は驚くべきものだった。我々三人があの巨木の下でファウナと再会する場面を事細かに描写し、説明してくるのだが、それはまさしく、

「私がこの前見た夢と全く同じだな、恐ろしいほどそっくりだ」

と、彼が話している途中で口に出してしまうほど、私と彼の見た夢は似通っていた。そう、私も彼同様しばらく前から彼女に再会する夢を見るようになっていたのだ。
私自身はこれを昔を懐かしむ自分の心が見せたものだと思っていたのだが、どうやら彼の考えは違ったようだ。
そんな私の内心を知ってか知らずかブラウンは話を続ける。

「私だけじゃあないんですよ、伍長殿も私達と同じ夢を見ているんです。これはひょっとするとひょっとしますよ。軍曹殿、ここまで聞いたからにはやることはひとつ、そうじゃあありませんか」

とたたみ掛けてきた。どうやらこの夢のことをあらかじめウールトンと話し合った後、こちらに話を持ってきたらしい。
いつでもいけます軍曹殿、ご命令を。ということか。まったく手回しのいいことだ。


「よし……行こう」



人生二度目の北アフリカ行きを決断してからの我々の生活はかつて若かった時と同様に慌ただしいものとなった。
不要な財産の処分と換金、旅先で必要になるであろう物資の購入、そして何かあった時のために遺言状を書き、知り合いの弁護士に預けておく。そういった準備のためにおよそ二ヶ月を費やした後、私とブラウンはロンドンで落ちあい、ヒースロー空港から機上の人となった。
そしてカイロまでの短い空の旅を終え入国窓口での面倒な手続きを済ませると、一足先にここに来ていたウールトンの出迎えを受けた私たちは足早に空港を後にした。
彼は故郷のニュージーランドから一足先にここへ来てあれこれと準備をしていたのだが、ターミナルビルの中では当り障りのない話しかせず、ホテルへと向かうタクシーの中でも終始言葉少なだった。
そんなエジプト到着初日からおよそ半月後、私たちは現地で購入した中古車に買い漁った物資を詰め込み、西へと向かっていた。
目指すはリビア――もはやイタリアの植民地ではなくれっきとした独立国であるが、国際社会における評判はかつてのそれより明らかに悪い――東部のキレナイカ地方、あの戦争で数え切れぬほど駆け回った戦場、そして我々があの『妖精の国』へと通じている(証拠など何一つないが、我々三人はこのことを信じて疑うことはなかった)場所だ。

264HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:07:23 ID:xcVmLF4g0
まずはかつて見た時の姿(といってもこの目で見たのは半世紀ほど前なのだが)をほとんど失ったカイロを後にし、砂漠の中に拓かれた畑の間を抜ける幹線道路を道路標識を頼りにひたすら走り続ける。
かつて走った道路とは比べ物にならぬ程幅広い舗装道路には大小色とりどりの車が溢れ、道路の両側には乾燥に強い植物に交じって多彩な形の建造物が数多く立ち並ぶ。変わってないのは北アフリカの青い空とそこに浮かぶ白い雲だけだ。
そんな風景を眺めつつ車を走らせること数時間、ようやく海岸沿いの道路に出ると今度は右手に広がる青い地中海を横目に見つつ車を走らせ、定期的に停車して休息をとる。もちろん車両の点検や給油を行うことも忘れない。
障害物や起伏がある地面の上ではなく平らな舗装道路上を走っているとはいえ、長時間の走行は疲労をもたらし、判断力を鈍らせる。何より今の私たちは老人、かつてのような体力も精神力も持ってはいない。ならば無理は可能な限り避けるべきだ。それが私たち三人の一致した意見だった。
もっとも、老いているのは私たちの乗る車も同様だった。
カイロで購入した中古車――かつての敵国である日本製のオフロード車――はその手頃な値段にふさわしくあちこちがくたびれ、車体には塗料を何度も塗り直した痕跡があった。
幸い足回りとエンジンはしっかりしており、それはこの手の知識に詳しいブラウンが太鼓判を押すほどのものだった。

「このトヨタは見ての通りくたびれちゃいますがね、元の出来がいい上に前の持ち主が手入れをしっかりやってたんでしょう。だからほら、足回りはこの通りしっかりしたもんですよ」

そう言って彼は目の前にある傷だらけの車体をポン、と叩き、次いで我々に笑いかける。
それは彼なりの心遣い、かつての敵国の車に命を預けることに幾ばくかの不安を感じていた我々を安心させようという試みだったのだろう。
とはいえ油断は禁物、機械というものは使い手が故障して欲しくない時に限って故障するものだ、ということを我々は北アフリカの砂漠で身をもって学んでいた。
結果我々が購入した物資には予備のエンジンオイルや冷却水をはじめとする様々な自動車用品が加わることとなり、ただでさえ諸々の物資で手狭な荷台と車内をさらに窮屈にする。だが、誰も文句を言うものはいなかった。
この北アフリカの大地では、必要な時に必要な物が手の届くところにある、ということはある意味奇跡と等しいのだから。

265HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:09:12 ID:xcVmLF4g0
そんな車で走り続ける私たちの前に次々と現れる懐かしい地名、エル・アラメイン、メルサ・マトルー、シディ・バラニ……どれもあの戦争で幾度となく耳にした地名だ。
そういった聞き慣れた地名を記した道路標識を目にするたび、私の脳裏にはあの頃の記憶が蘇り、心中には強い懐旧の念が湧き起こる。これは隣のブラウンも同じだったようで、彼もまたそういった標識を目にする度に記された地名をわざわざ声に出して読み上げていた。
そんな時間を数時間にわたって過ごした後にやっとたどり着いたエジプト=リビア国境。検問所の前の長い車列に並び、無能な役人の手際の悪さのせいなのか、遅々として進まぬそれに時折悪態をつき、あるいは一向に変わらぬ状況に大きなあくびを漏らす。
だが退屈な時間も程なくして終わり、我々は妙な言いがかりをつけられることもなく無事に越境。だが今度はリビア側検問所が我々の前に立ちはだかった。
その入国審査の面倒さは観光が主要な産業の一つであるエジプトのそれとは比べ物にならぬほど面倒で煩雑だ。まあこの国の国際社会における立ち位置を考えれば止むを得ないと言えなくもないのだが、結果ただでさえ長い待ち時間はさらに延び、我々はまたしても暇を持て余すことになる。
この再び訪れた手持ち無沙汰な状態を私たち三人はひたすら話をすることで紛らわそうとした。もっぱら話題となるのはLRDG時代に経験したあれこれ、それにあの戦争前後の生活に関する思い出話が加わる。
北アフリカの砂漠とエーゲ海の島々であった様々なこと(私の場合、これにバルカン半島で体験したことも加わる。あの最悪の戦いの後ニュージーランド人たちは本国の命令によりLRDGを去っていたためだ)、LRDGに志願する前の近衛時代、ニュージーランド師団時代の軍隊生活のあれこれ。軍に入った切っ掛けに除隊後の苦労話。どの話も最低一度は聞いた、もしくは話したことのある話だったが、暇つぶしの手段としては十分だった。

ただどの話でも流れは同じだった。
もっぱら話題を振るのは運転席のブラウン、それを受けて始まる一連のおしゃべりでも彼は老いた外見からは想像も付かないほど良く喋った。
そんな彼に応じるのはこの私、ただこれは隣に座っているために否応無しに応じざるを得ないという事情もある。一方後部座席のウールトンはこんな時でも言葉少なであり、話の節目節目で短く言葉を挟むのみ。もっとも、私もブラウンもそんな彼を敢えて会話に引き込もうとはしなかった。もちろん隔意からの行動ではない。

266HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:11:04 ID:xcVmLF4g0
彼も私やブラウン同様妻に先立たれているのだが、その原因は老いや病ではなく交通事故。4年前に故郷オークランドの街中で起こったこの事故により彼は重傷を負い、妻は搬送先の病院で手当の甲斐もなく亡くなった。
そして彼の体には大きな傷が残り、結果今でも時折右足を引き摺っている。だが心にはそれ以上に大きな傷、決して癒えることのない深い傷が残り、それは今でも血を流し続けているのだ。
あの温厚で世事に長け、面倒見の良かった男はもういない。いるのは心の傷から血を流し続ける老人一人。
そのウールトンが珍しく重い口を開き、話を振った。

「その、軍曹殿」「どうしたんだ、我々はもう軍人じゃないのに」

普段は私をエドと呼ぶ彼の形式ばった呼びかけにそう応えると彼の緊張を解そうと軽く微笑み、目で先を促す。

「妖精の国の時にトムが話してた昔話のことなんですが、確かリップヴァムなんとかとかいった名前の」
「リップ・ヴァン・ウィンクルですよ」
「ああそれだ、リップ・ヴァン・ウィンクル」

律儀に言い間違いを訂正するブラウンとそれに応じるウールトン。
これまでの口の重さとは打って変わった彼の振る舞いに疑問を抱くが、そのことについて考えを巡らす前に質問が飛んでくる。

「その、彼はその後どうなったか分かりませんかね?」
「その後?」「つまり話の続き、ですよね。でもあの話はあれでおしまいだったはずです」

投げかけられた奇妙な問いに首をひねる私とブラウン。だがウールトンの表情は真面目そのものだった。
いや、真剣という言葉ですら足りないほどの真面目さ、何か思いつめたようなものすら感じ取れるような重々しさがそこにはあった。
そんな彼の醸し出す雰囲気に影響され、私たち二人も眉を寄せ、他愛ない御伽噺、その終わりの後に何が起こったのかを大真面目に考え出す。

「ある意味未知の土地で身一つで新生活を始めたわけだからな。やはり時間と共に新しい生活に馴染んでいったのではないかな?」
「ですが彼には家族がいたはずです。となれば何としても家族に再会すべく何らかの行動を起こした可能性もある」
「再会、か。つまりそれは過去に戻るための手段を捜し求めた、ということか…………無茶だな」
「ですが人間というものは必要とあればどんな無茶だってやってしまうものです。実際私たちもそうしたことがありましたしね」

267HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:12:40 ID:xcVmLF4g0
考えを巡らせつつ意見を戦わせる私たち二人。一方話を振ったウールトンは後部座席に深く腰掛け、再び沈黙を続けている。
ただ彼のまとう雰囲気はそれまでのものと異なり、何やら思い詰めたような、あるいは覚悟を決めたような印象を私に与えていた。そんな彼の様子にブラウンもまた気付く。

「さっきからどうしたんです、ハンク? 妙な質問をしたかと思えば今度はえらく深刻な顔をしてる。心配事があるのなら話してくださいよ」
「…………」

体をひねって運転席から上半身を乗り出し、同郷人の気安さからか親しげに声を掛けるブラウン、だが返ってきたのは重い沈黙だった。
ブラウンの相手を気遣う表情が困惑へと変わり、縋るような視線が私の方を向く。

「ヘンリー、その」「過去、ですよ」

見かねた私の言葉を遮るように言葉を発するウールトン。その視線は伏せられており、私たち二人のどちらにも向けられてはいない。

「過去に、あの頃に戻りたい。私もそうなんです」

思いもかけない告白、車内に重い空気が立ち込める。そして大きなため息、隣のブラウンが漏らしたものだ。
その青い目は大きく見開かれ、食い入るようにかつての戦友を見つめている。
一方私は目の前の戦友の心中を何とか推し量ろうとしていた。

やはり妻を亡くしたことが原因か。あと子供たちともあまり行き来が無いようだが、そちらも影響しているのか。
それに加えて老いと怪我による気力体力の衰えもあるのか。いや、我々にも話さぬ何か重大な問題を抱えているのか。
その思考が思いもよらぬ方向からの一撃で断ち切られる。

「まあこの私だってここ最近はそう思うことが多くなってきましたがね。でもそんな思い詰めた顔して言うなんて、一体何があったんですか?」

ブラウンの一言、沈黙を続けるウールトンからさらなる言葉を引き出そうとして口にしたのだろうが、それは今の私にあることを気付かせた。

私自身はどうなのだ?
先程から口を開けば昔話ばかり、私もまた彼やブラウン同様、かつての若かりし日々に戻りたいと願っているのではなかろうか。違いがあるとすればその願いを自覚しているか無自覚であるか、ただそれだけ。
何たることだ。他人の内心を推し量る前に己のそれを見つめ直さねばならぬとは。
あの戦場で様々なものを見聞きしてかつ生き残り、この歳まで生きてきたというのに相変わらず無知で鈍感なままとは。
この愚かな馬鹿者め、亡くなった戦友たちが今のお前を見たら何と言うだろう?

268HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:14:17 ID:xcVmLF4g0
思わず自嘲の笑みが漏れ、冷房が効いた車内に自分のくぐもった笑い声が流れる。私自身は別段それを気にしてはいなかったのだが、残る二人は流石に違った。

「あの……」
「……軍曹殿、一体何を?」

笑いを収めて視線を上げるとまるで不気味なものを見るかのような視線が二つ。云うまでもなくウールトンとブラウンだ。
まあ一座のリーダー格である(軍隊時代の階級はもう関係ないはずなのだが、我々三人の間にはいつの間にかそういう序列が出来上がっていた)この私がいきなり奇怪な行動をとったのだ。両者の驚きと心配は相当なものだったろう。
そんな彼らを安心させるべく口を開く。

「いやなに、他人の心を推し量ろうとしたが、その前に己の心を見つめ直さなきゃならんと気付いたんだよ」

その一言に今度は怪訝そうな顔をする二人。そんな二人についさっき自身が気付いたことについてひとくさり話すとやっと彼らは腑に落ちた表情を浮かべた。

「身近なものほど分からない、良く見てない。そういうことですな」
「自分のことは自分が一番分かってる、なんて嘘ですからね。何せ鏡が無いと今の自分の顔すら分からないんだ」

何度も頷きつつそれぞれの言葉で同意を表明する二人の戦友。そんな彼らを眺めつつ私のせいで脱線してしまった話を本筋へと戻すべく、私は再び口を開いた。

「それで、このタイミングで過去に戻りたい、などと口にしたのは何故なんだ? もしかしてこの旅が関係があるのか?」
「ええ、より正確にはあの『妖精の国』ですが」
「ああ、それで私の話を聞いて今回の旅のことを言い出したわけですか」

私へのウールトンの返答を聞き、納得したと言わんばかりの表情で何度も頷くブラウン。続いて聞かれもしないのに私に向けて説明を始める。

「実は今回の旅行、ハンクが言い出したことでしてね」

ええ、あの夢の話を初めてした時、話の途中から黙り込んでたまに生返事だけするようになりましてね。で、私が話し終えるとやおら『よし行こう』。失礼ですが、あの時は正直頭がどうかしたと思いましたね。だいたい――――

まだまだ続きそうな彼の説明、だが私の関心は他の所にあった。
片手を上げて喋り続けようとするブラウンを押しとどめ、改めて目の前の戦友に問う。

「それで、何故妖精の国へ行こうだなんて言い出したんだ?」

まさかあそこに行けばあの頃に若返ることが出来る、なんて考えてるんじゃないだろうな。という私の問いかけに彼はかぶりを振る

269HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:15:52 ID:xcVmLF4g0
「そんな都合の良い考えからじゃないんです。ただなんと言いますか、上手く言葉に出来ないんですが……」

そう言ってうーむ、と唸り、すっかり白くなった残り少ない頭髪をかきむしる。
しばしの沈黙の後、彼は再び口を開いた。

「この話をブラウンから初めて聞いた時、閃いたんですよ」
「閃いた?」
「ええ、これは行くべきだ、何故なら運命だからだ、ってね」

私の問いに笑って答えると言葉を継ぐウールトン。先程までの沈黙の反動か、堰を切ったように喋りだす。

ご存知の通り今の私は身軽ですからね。そんな時にこの話が転がり込んできた、これぞ運命じゃないか。
5年前なら家族がいるから無理だったでしょうし、5年後なら私は多分この世にいない。
何故かって? 情けない話ですが、正直私の身体も精神ももう限界でしてね。あとは……まあ分かるでしょう?
そう、この旅行を実行出来るのは今、このタイミングしかないんですよ。

「なるほど、だから私の話を聞いてあんな反応をしたわけですか。おまけにその後もあれこれと積極的に動いてましたが、そんな理由があったんですね」

半ば驚き、半ば納得した表情で何度も頷くブラウン、話の途中で出た不穏な一言には敢えて触れない。
その隣で私もまた同意の頷きを返すと口を開く。

「なるほどな、だが身軽なのは君だけじゃないぞ。私も、そしてブラウンもだ。そうだろう?」
「ええ、エドもこの私も今は気楽な一人暮らしの身ですよ、ハンク」

そう、我々は皆似たような環境にあるのだ。
妻を亡くして一人暮らし、子供たちとの行き来はほとんどない。
そしてたまに集まっては昔話に花を咲かせ、若かりしあの頃、特にあの『妖精の国』での出来事を懐かしんでいる。どことなく、ついさっき自分たちが想像した昔話の登場人物のその後と似通っていなくもない。

いや、違う。
自分たちの『今』を下敷きにリップ・ヴァン・ウィンクルという架空の人物の『その後』を捏ね上げたのだ。
その事実に気付くと同時に、以前から自分の心の中に湧き上がっていたぼんやりしたものがはっきりとした姿をとる。
ブラウンから話を聞き、エジプト行きを決断した時から心の中にあった曖昧模糊とした意識、それが今、明確に自覚できる存在となる。

昔に戻りたい
偶然迷い込んだあの『妖精の国』へ再び行きたい
若かりし頃に出会った彼女に、ファウナに会いたい
死ぬ前に、もう一度
そして昔みたいにストーブの炎を囲んで食事をしたり、お喋りをしたり――――

270HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:17:24 ID:xcVmLF4g0
そんな物思いがけたたましい警笛の音で破られる。われに返って視線を上げると先程まで停止していた車列がゆっくりと動き出していた。
そして先程までの渋滞が嘘のように次々と検問所を通過する車両、担当者がやる気を出したのか、それとも無能な者から有能な者へと交代したのか。
急いでパスポートをはじめとする必要な書類を取り出す。その間にも車列は流れ続け、今や我々の車と検問所の間にいるの車は数両となっていた。程なく自分たちの番が来るだろう。
そして1時間後、私たちが乗った車はキレナイカの大地をひた走っていた。
目指すはキレナイカの中心である港湾都市トブルク(これもまた、私たちにとっては馴染みの名だった)、ここでひとまず体を休め、物資の補給を行った後内陸へと進路を取る。
あとは手元の地図とコンパス、そしてかつての記憶を頼りに砂漠へと踏み込むだけだ。





外国人観光客三人、リビアで行方不明

――――行方不明となったのは英国人のエドワード・ブッシュさん、ニュージーランド人のヘンリー・ウールトンさん、トム・ブラウンさん。
友人の話によれば三人は先月末にエジプトへ観光旅行へ行くと話していたとのこと。
また捜索活動を行っている現地の警察によれば一行が最後に目撃されたのはリビア東部の砂漠地帯へ向かう幹線道路上であったとのこと。
この地域はほぼ無人地帯であり、彼らが犯罪やテロに遭った可能性は極めて低いと思われる。
現在も現地の警察および軍による捜索が続いているが、未だ手がかりは見つかっていない。

271HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:18:35 ID:xcVmLF4g0
投下終了

もう少し続きます
次回投下は来月下旬の予定

272HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/23(金) 21:33:33 ID:xcVmLF4g0
予定通り明日午後8時から投下を行います

273HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/24(土) 20:00:39 ID:xcVmLF4g0
それでは投下開始します

274HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/24(土) 20:02:03 ID:xcVmLF4g0
エピローグ

若かりし日に何度も経験した北アフリカの砂嵐。
容赦なく吹き荒ぶ風の音が耳を聾し、巻き上げられた細かな砂が視界を奪うあの現象が止む。普通に止む時のように徐々に風が弱まり、それに伴って視界が開けたのではない。唐突に風が止み、静寂が訪れたのだ。
そう、あの時と同じように。
記憶を頼りに砂漠地帯をあちこち動き回り始めてからはや三日目、私たちが待ち望んでいたことがついに実現したのだ。
恐る恐る目を開け、窓ガラスを通して周囲を観察する。
先程まで揺れに揺れていたトヨタ、物資を消費したせいでやや広くなった車内にはうっすらと細かい砂が積もっている。ドアの隙間などから侵入したものだ。
窓ガラスを通して降り注ぐ日光を受け、白く輝いているそれから視線を転じ、窓の外を見やる。周囲の光景は一変していた。
一面の緑なす大地、黄緑色の草原とあちこちに点在する大小の濃緑色の塊。灌木帯もあれば広葉樹の林もあり、中には森林と呼んでいいほどの大規模なものもあった。
地平線のあちこちには幾つもの丘が点在し、風景にアクセントをつけている。その配置は脳内の記憶とまったく同じだ。
ふと気がつくと、ウールトンとブラウンの二人もまた私同様に周囲の光景を食い入るように見つめていた。
窓ガラスに顔を寄せ、食い入るように外の風景を眺める二人、とりあえず手近な方に声をかける。

「また、来れたな」
「ええ…………」

私の声にピクリと動き、次いでゆっくりとこちらを振り向くブラウン。言葉少なであるが、その表情は内心の興奮を雄弁に語っていた。
一方ウールトンは冷静に周囲を観察し、把握した情報を報告する。

「風景はがらりと変わってますが、あの丘、あの二つ並んだ丘やあっちの大小の丘は記憶の通り。どうやらあの時とほぼ同じ位置にいるようですな」

数日前に己の内心を吐露した時とは別人のような冷静な声音、かつての古参兵であった時を思わせる落ち着いた口調。その表情もまた、昔のように自信と落ち着きを湛えている。
そんな彼の態度が私に今何をなすべきかを思い出させた。

「眺めを楽しむのは後だ、まずは車両と荷物を点検する。それが終わったら出発だ」
「では私が車の方をやりましょう。あの時もそうでしたからね」
「となると私は車外の荷物の確認ですな」

275HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/24(土) 20:03:45 ID:xcVmLF4g0
私の一言に打てば響くように応えると行動を起こす二人。それぞれドアを開けて車外へ出ると後部に回り、ウールトンは後部ドアに取り付けられた梯子をよじ登って屋根に取り付けられた荷台に山積みされた荷物の点検を始めた。
一方ブラウンは車内後部の荷物スペースから工具箱を引っ張り出すとボンネットを開け、エンジン周りの点検を開始。私も車外に出ると後部ドアを開け放し、荷物スペースに詰め込まれた箱や袋を取り出しては中身を点検する。
あの時とほぼ同じ作業、だが老いた体にはいささか辛かったようですぐに体のあちこちが痛み出す。そして吹き出す汗、身に着けた衣類のそこここに染みが出来、所々濡れた下着が体に張り付く。
幸いあの時とは違い、荷物自体の種類や量が少なかったため、そして己の受け持った作業を終えたウールトンとブラウンが手伝ってくれたため、作業自体は短時間で終わった。
そして出発、使い古しのトヨタが快調なエンジン音と共に動き出す。

「まったく、昔乗ったシヴォレーやフォードとはえらい違いですよ、頑丈な上に手間も掛からないとは。そりゃ日本車が売れるわけだ」
「日本人があの戦争の時にこんな車を山ほど作ってたら戦争はもう少し長引いただろうな。まあそうじゃなかったのはありがたいことだが」

ハンドルを握りつつそう漏らすブラウンとそれに応じるウールトン。
実際ブラウンが受け持った車両の点検作業はごく短時間で終わり、早くから私の作業を手伝ってくれている。技術の進歩に伴う信頼性、整備性の向上がもたらしたものの一つなのだろうが、実際に点検と整備に携わっている彼からすればまた違うらしい。
そんな我々を乗せて中古のトヨタはひた走る、ただし一面に生い茂った草を掻き分けつつ走るのではない。どこまでも広がる草原の中に存在する一筋の茶色の帯、自分たちの乗るトヨタがぎりぎり通れる程度の幅しかない土の地肌の上を走行するのだ。
細かな凹凸こそあるもののしっかりと踏み固められている上、轍と思しき二本の条が見て取れるそれは明らかに道路だった。
その未舗装路の上を揺れながら走るトヨタの車内から周囲を眺め、周囲の風景を観察する。幸い走行速度が遅い(非舗装路の上を走るのだから当然ではある)ため、仔細とはいかぬまでもかなりの情報が得られた。
広葉樹の林や灌木帯が点在する草原、その草丈は見たところ膝より下、踝より上程度。ただ全てが測ったように同じ丈ではなく、所々に丈の長いものも存在する。それはこの地の植生が多彩なものであることを私に印象付けた。

276HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/24(土) 20:05:03 ID:xcVmLF4g0
ただし川や池、湿地のようなものは見当たらない。どうやら様変わりしたとはいえ、この地は元々水に富んだ土地ではなかったようだ。
続いて空に視線を転じると昔と同様に降り注ぐ陽光に一瞬目がくらみ、慌てて視線をそらす。
その視界に動くもの、白い雲を背にして飛ぶそれは種類や大きさこそ分からぬが明らかに鳥だった。気流に乗ってゆったりと滑空し、時折羽ばたくその姿に思わず口元が緩み、言葉が漏れる。

「鳥だ」
「鳥ですか」「ああ、こっちでも見えますな」

私の一言に驚くブラウンと窓から身を乗り出し、空を見上げつつ同意の言葉を返すウールトン。
あの時同様青い空、だがそこにはかつてと違い命あるものの影がある。その事実に私の老いて鈍った精神が揺さぶられる。
あの不毛な土地だった妖精の国が長かりし時を経て緑なす大地を取り戻し、そこでは命あるものが空を舞っている。多分木陰には獣が憩い、草原では小さな虫が草の葉を食んでいるのだろう。
目に土ぼこりが入ったわけでもないのに涙が滲み始め、思わず下を向いて両目をしばたたく。どうやら他の二人も同じようで、後部座席と運転席からは何度も鼻をすする音が聞こえてきた。その音が私に気を取り直させる。
泣くのは後回し、そう、今はまだ早い。
顔を上げ、再び窓の外を過ぎてゆく草原に目を凝らすと一面の緑の中に茶色の動くものが一瞬見えた。兎の類か、それとも私の知らぬこの土地の獣なのか。
思わず好奇心のままにブラウンに停止を命じようとするが思いとどまる。我々には行くべき所があり、会うべき人がいるのだ、寄り道などしている暇はないのだ。
そんな私の葛藤を他所にトヨタは走り続け、窓の外の風景は止まることなく流れ続けた。やがて一面の草原の中に色彩が違う区画が現れ始める。
土の茶色が目立つ幾何学的な形状、畑だ。栽培されているのは麦のような穀物か、それとも野菜の類だろうか。さらに外縁には垣根、木の地肌そのままのものもあれば色とりどりの塗料で塗られたものもある。
そしてその中央には人影、遠くて表情は読み取れないが、棒立ちのままこちらを見ているのは分かった。

「あれが見えるか?」
「ええ、見えますとも。停車します……ああ、こりゃ駄目だ」

277HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/24(土) 20:06:41 ID:xcVmLF4g0
隣のブラウンに注意を促し、続いて停車を指示しようとするがその前にブラウンがブレーキを踏む。見る間に落ちる速度。
だが人影は直後に身を翻し、背中を向けて一目散に逃げ出した。そのまま垣根に繋がれていた四足獣――馬のような見かけだがそれよりは小柄――に飛び乗り、すさまじい勢いで走り去る。
この国の住民から話を聞く最初のチャンスは失われた、思わず漏れるため息二つ。

「なに、そう落ち込む必要はありませんよ」

停車し、揺れが止まった車内で口を開いたのは後部座席のウールトン、かつて同様落ち着いた声で現状を分析する。

「これからあの御仁が先触れよろしく私たちのことを皆に知らせてくれるんです。それに畑があるって事は人里が近いって事ですよ」

この次出くわした相手をつかまえて話を聞けばいい、そうじゃありませんか。

その一言に気を取り直す私たち、私は彼に感謝の頷きを返し、ブラウンは車を発車させる。窓の外の風景がまた流れ始め、中古のトヨタは畑が点在する草原の中を再び走り始める。
ただその速度は相変わらず遅い。非舗装路上を走るのだから致し方ないのだが、これではさっき逃げ出した人物が乗っていた四足獣に追いつくことは到底無理だろう。
中古とはいえ仮にも自動車、それが獣に追いつけぬとは、などと考え、思わずため息を漏らしそうになるが気を取り直して再び周囲の観察に専念する私。他の二人もそれぞれの仕事に集中する。
再び静けさを取り戻した車内にトヨタのエンジン音だけが響き、我々は無言のまま時を過ごす。そしてダッシュボードに備え付けられた時計が出発から約二時間が過ぎたことを示した頃、我々は小高い緑の丘の裾に沿って走っていた
一面青草に覆われ、あちこちに灌木や低木が生い茂る丘、だがそれはかつて私がウールトンと二人で登った丘に間違いなかった。
かつてはこの向こうに彼女がいたオアシスがあり、そこで私たちは短いが生涯忘れられない一時を過ごしたのだ。
今はどうなっているのだろうか、心の中で期待と不安が膨れ上がる。
そんな想いを他所に走り続ける車、丘に遮られていた視界がゆっくりと開けてゆき、とうとうその時が来る。

「見えた!」「……昔よりさらに大きくなってますな、枝ぶりも凄い」
「……ああ…………」

最初に反応したのはブラウン、声は弾んでおり、その皺だらけの顔には喜びが表れている。続いて口を開いたのはウールトン、相変わらず落ち着いた口調であり、観察もまた的確だ。

278HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/24(土) 20:07:56 ID:xcVmLF4g0
一方私はそんな二人にまともに言葉を返すことが出来ないでいた。聳え立つ巨木を目の当たりにした瞬間あの時の記憶と様々な感情が一気にこみ上げてきたせいだ。
あの木の下で過ごした間に起こった様々なこと、彼女が見せた様々な表情としぐさ、そして戦いの記憶。激流のようにほとばしる喜びや興奮といった様々な感情。そういった諸々を意志の力で何とか押さえ込み、目の前の風景に意識を向ける。
まず目に入ってきたのは相変わらずの存在感を示している巨木、ただしその威容はかつてのそれを大きく上回り、高さも枝ぶりも一段と増していた。
だが変わっていたのはそれだけではない。その根元には数え切れぬほどの建物が立ち並び、街を形成していたのだ。

高層建築――例えばロンドンのビッグベン――のような際立って高いものこそないが、その面積はなかなかのもの。流石にロンドンやポーツマス、私の故郷スコットランドのグラスゴーやエディンバラといった大都市には及ばないが、明らかにそれは『街』だった。
その街へと続く一筋の道路の上を私たちのトヨタは走り続けた。やがて路面がむき出しの土から石畳になり、それに伴って車体の揺れも穏やかになる。同時に周囲に増え始める建物。
基本的に平屋建てであるがその大きさは様々であり、石造りのものもあれば木造のものもある。そしてその中からこちらを見つめる顔、顔、顔。走る車の上からゆえその表情を仔細に確かめることは出来ないが、考えていることはおおむね予想が付いた。
未知の乱入者に対する警戒心、奇妙な物体に対する興味、そして驚き。
ただ我々の車目掛けて石ころの類が飛んでくることがないあたり、ここの住民はよそ者に対して問答無用で攻撃を仕掛けるような性質の持ち主ではないようだ。それでも我々は周囲を警戒しつつ車を進める。
今はまだ平穏であっても何かの切っ掛けでそれが破られる、という展開は十分ありうるのだから。

そんな我々を取り巻く風景はもはや完全な市街地のものだった。
トヨタが二両並ぶ程度の幅広さの石畳の道路、その両側に立ち並ぶ様々な形の建物。今や住民たちはその建物の中に留まる事を止め、路肩にまで出てきてこちらを観察している。
男に女、若者に老人、大人に子供、身なりもまた多様。唯一つ共通しているのは誰もがこちらを観察し、時に興奮した様子で言葉を交わしているということ。
そんな中、ウールトンがポツリと言葉を漏らす。

279HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/24(土) 20:09:14 ID:xcVmLF4g0
「こうまですんなりと通してくれるとは、もしかしてここの連中、私らを知ってるんですかね?」

さほど大きくない声でつぶやかれた一言、だがその言葉は窓の外の光景に気をとられていた私の思考に大きな衝撃を与える。
不意に現れ、結構な速度で走りつつ街中へと入ってきた未知の存在である私たちの車、だがここの住民はそんな存在に対し武器を手に取り抵抗する様子もなく、ただこちらを観察するのみで後は私たちの好きにさせている。
普通なら武器を手にした男たちの隊列や急造のバリケードに行く手を塞がれるものなのに。
ということは…………

「……待ってるんだ、彼女が、私たちを」

未知の存在であり侵入者でもある私たち、だが住民はこちらを観察する以外に何の行動も起こしてない。つまり誰かが住民たちの行動を抑えている。そしてその人物は住民全てをそうさせるだけの力を持ち、同時に住民たちからの信頼を勝ち得ていることになる。
この国でそんな人物を私はただ一人しか知らなかった。

「ああ、そういう可能性もありますな。確か彼女は女王でしたから一声で住民皆を抑える事だって不可能じゃない」
「あるいは両方かもしれませんよ」

相変わらずの落ち着いた態度で私の一言の言わんとする所を察し、言葉を返すウールトン。隣のブラウンもそれを聞き、言葉を挟む。その視線の先には巨木の根方目指して真っ直ぐに伸びる道路。目に映る巨木の大きさと現在の速度から推測するに、この道を後数分走れば目的地である巨木の根元にたどり着くことが出来るだろう。
その数分も瞬く間に過ぎ、ついに私たちのトヨタは目指す場所へとたどり着く。巨木の根元、あの時は短い草に覆われた広場と小さな池があった場所。そこはいまや公園のような広場となっていた。
きれいに刈り込まれた低木や灌木、色とりどりの花が植えられている花壇、小さな池の間を石畳の遊歩道が走り、所々には木製のベンチすらある。街灯やフェンスのような文明の産物こそ見当たらないものの、その眺めはイングランドやスコットランドの都市にある公園のそれに何ら劣るものではない。
そんな風景の中央に聳え立つ巨木、昔見た時より一段と枝振りが良くなり、緑の葉をびっしりと付けた枝は頭上から降り注ぐ強い日差しを遮って大地に涼しい木陰をもたらしている。
その黒々とした木陰の中に私は何らかのオブジェを見出した。ほぼ同時に他の二人もそれに気付き、口を開く。

「あれは?」「結構な大きさですね、一体何でしょう」

280HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/24(土) 20:10:57 ID:xcVmLF4g0
既に車は止まり、揺れの止まった車内には日本製エンジンが立てる快調なアイドリング音だけが響いている。周囲の住民たちは相変わらずこちらを遠巻きにして観察するだけで、それ以外の行動を起こすことはない。

「行ってみよう、見れば分かる」
「大丈夫ですかね?」

私の一言に不安げに返答するブラウン、一方ウールトンは黙ったまま後部のガラス窓越しに群衆の様子を仔細に観察していた。
その彼が振り向き、あの落ち着いた口調で話し出す。

「大丈夫、彼らは何もしてきませんよ」
「何か掴んだのか?」

彼は私の問いかけに頷き、再度口を開く。

あの住民たち、ああ見えて実に統制が取れてます、パレード中の近衛連隊並みとまではいきませんけどね。
多分前列の中にちらほら見える強そうな連中、恐らく軍人かそれに相当する役職にある、あるいはあった者たちが抑えているんでしょう。だからここまでの道中でも統制を外れて勝手な行動に出る者が現れなかったんです。
あと年寄りや小さな子供が見当たらないでしょう? 安全のため列の後方か家屋の中に留められているんです、そうに違いない。

そこまで一息に言い切ると最後にこう付け加える。

「彼らは待ってるんですよ、我々が姿を現すのを」

その一言を最後に無言となる私たち、話の途中でブラウンがエンジンを止めた(残り少ない燃料を節約するためだ)ため、先程とは違い車内はしんと静まり返っている。そして私を見つめる二つの視線。
もはや我々はLRDGの一員ではなくもちろん軍人でもないのだが、彼らの心中では決断するのはこの私の役目となってるようだ。
もっとも、これはこれでそう悪い気分ではないのだが。

「では、期待に応えるとしよう」

それだけ言うとドアノブに手を伸ばし、引く。小さな音と共にドアが開き、隙間から外の空気がそよ風となって入ってくる。
砂漠の乾き熱したものとは明らかに違う、水分と草花の香りを多分に含んだそれが私の鼻腔を刺激した。
他の二人も同様にしたようで、狭い車内はたちまちのうちに未知の草花の香りで満ちる。その空気を深く吸い込むと一気にドアを押し開け、車外へと出ると降り注ぐ陽光の暖かさを肌で感じつつ周囲をぐるりと見回す。窓越しに車内から見た光景がより鮮明な形となって目に飛び込んできた。

281HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/24(土) 20:12:10 ID:xcVmLF4g0
遊歩道にベンチ、草むらに花壇、そして巨木と木陰のオブジェ。老いて視力が落ちた私の両目でもはっきりと分かる。
続いて振り向くとこちらに歩み寄るウールトンの肩越しに群衆の姿が見えた。
やはり、動かない。小声で何事かを言い交わしつつこちらの様子をただ窺っているだけだ。

「やっぱり予想通りですね」
「ああ、動かんな」

私同様車を降り、隣へとやってきたウールトン、その言葉に応じつつ目の端で群衆の様子を確かめる。
ウールトンの言っていた通り最前列には屈強そうな男たち、その後ろには普通の住民と思しき人々、男女の比率は半々、いや、六対四といったところか。
小さな子供や老人の姿はやはり無い。

「予想も当たったようですし、それじゃ行くとしますか」

陽気な声、振り向くとブラウンの笑顔があった、無言で頷き返し、先頭に立って歩き出す。
早足で目の前にある石造りの遊歩道へと歩を進め、目指すオブジェへと向かうコースを取る。背後には乱れたものと整ったもの、二種類の足音。慌てて歩調を落とす、昔の切れ味を取り戻しているとはいえ老いた上に怪我の後遺症を抱えているウールトンに無理はさせられないからだ。
そのまま石造りの遊歩道を一列になってゆっくりと進む。
進むにつれて視界の中の木陰のオブジェが徐々に大きくなり、不明瞭だったディティールが明確になってくる。どうやら大きな岩、あるいは岩を模して作られた建造物のようだ。前面にはほとんど平坦な面、刻まれているのは銘文か人の名か、それとも絵画の類がはめ込まれているのか。
そんな思考を巡らしつつ無言のままひたすら歩を進める。後ろの二人も何か考え事をしているのだろうか、私同様無言のまま、ただ足音だけを響かせていた。
程なくして、我々はついに目指す場所へとたどり着いた。

「…………」

無言で目の前のオブジェを注視する。それは大きな岩にはめ込まれた一枚の金属製レリーフだった。縦およそ3フィート、横はおよそ6フィート程の大きなもので所々が青緑色になっているのを見るに恐らくは青銅製だろう。
描かれているのは――――

「ああ、軍曹殿がいますよ」「君もな、ハンク」
「見てください、私だけ何故かスローチハット姿ですよ」「だが似合ってるじゃないか」
「後ろにあるのはシヴォレーですね、所々間違えていますけど上手く描けている」

282HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/24(土) 20:13:35 ID:xcVmLF4g0
若かりし頃の我々三人、身なりはあの時身に着けていた熱帯用の野戦服とシュマグ姿だが、何故かブラウンだけシュマグではなくスローチハットを被っている。
その背後にはトラックの車体、ディティールについては少々怪しいが我々がかつて乗っていたシヴォレーであるということは一目で分かった。
丸みを帯びたボンネット、吹きさらしの運転台、直線的なシルエットをした荷台の上にはボーイズ対戦車ライフルの姿が見える。
過ぎ去りし『あの頃』の一部がそこにはあった。

棒のように立ち尽くしたままレリーフを見つめる我々。乾いていた目がゆっくりと潤み始め、胸の奥から何か熱いものがこみ上げて来る。
その時背後で大きなどよめきが上がった、反射的に振り返る。
相変わらず同じ場所からこちらの様子を窺っていた群衆が二つに割れ、その間に出来た空間を数人の供を連れた女性が歩いて来るのが見て取れた。
ここからでも分かる細身の体型、明るい緑色のワンピースを纏い、頭にはつば広の帽子を被っている。それゆえ顔を見ることはかなわないが、その人物が誰であるかは明白だった。
言葉を失ったまま食い入るように彼女を見つめる私、他の二人も同様だ。一方彼女は供回りの女性たち(彼女と似たような身なりだが、服の色はより地味な色合いなものだった)を後ろに引き連れ、早足で近づいてくる。
そして、ついにその時がやってきた。
レリーフを背に立ち尽くす我々の前で足を止め、ゆっくりと帽子を取る彼女。その下から現れたのは、あの頃とほとんど変わらぬ美しさを保っている彼女の顔だった。
ただしその緑の眼差しにはかつてと違い、歳経た者特有の落ち着きと深みがたたえられている。
私たち同様、彼女もあの後様々なことを経験したということか。

しばしの沈黙を経て口を開く彼女。数十年ぶりに聞く彼女の声と平行して言葉が頭の中に響く。
人間同士の会話とは違う独特な感覚、久方ぶりに経験するそれにしばし戸惑うが、同時にそれすらも懐かしく感じている自分に気付く。

「お互い、歳をとりましたね」
「ええ」

胸の中を去来する感情のせいでそれだけしか応えられない私。それに気付いたのだろうか、隣のウールトンが口を開く。

「でも相変わらずお美しいですね、私たちはこんなありさまなのに」

283HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/24(土) 20:14:48 ID:xcVmLF4g0
頭髪は薄くなり皮膚はたるんで皺だらけ、目はかすみ耳は遠くなった。筋肉が失われた手足はやせ細り、関節はしきりに痛みを訴える。ウールトンにいたっては事故の後遺症を抱え込んでいる状態。
背後のレリーフに描かれているかつての若々しく元気溌剌とした姿とはまったく違う、老いさらばえた姿を晒している自分たち。その事実に思わず羞恥心がこみ上げた。
だが彼女はそんな感情を一言で吹き飛ばす。

「でも心は違います。そう、昔のまま」
「そうでしょうか?」
「私同様色々なことを経験したせいで変わってしまっていますけど、根っこの部分はあの頃のまま。ええ、間違いありません」
「…………分かるのですか?」「ええ、分かります」

体は老いても心はまだ若い、そうはっきりと言い切る彼女。思わずブラウンが疑問を呈するがさらなる返答、そしてその緑色の、何もかも見通すような眼差しに口をつぐむ。続いて行われたウールトンの新たな問いかけに対しても自信ある態度を崩さない。
かつて名乗ってた肩書き、妖精の国の女王たるにふさわしい態度と物言い。どうやら彼女の内面はあの頃のものとは比べ物にならぬほど成長しているようだ。

「どうやら、様々な経験をなさったようですね、陛下」
「ファウナ、で結構です、あの頃みたいに。見てください」

私の問いかけにそう応えると今度は手にしていた帽子を差し出す。ほぼ同時にブラウンが驚きの声を上げた。

「私のスローチハットじゃありませんか! ……ああ、それでか」

背後のレリーフをちらりと見た後視線を戻し、今度はしきりに頷くブラウン。彼の視線の先にはこの国を去る時に彼女に贈ったスローチハットがある。
長年使われてきたせいですっかり色あせた生地。あちこちに、いや帽子全体に見て取れる丁寧な修繕の痕。ずっとしまい込んだままではこうはならない。たぶんこの帽子を毎日のように被り、どこかが綻ぶと繕うという行為を幾度となく繰り返してきたのだろう。
帽子一つにこうまで手間をかけるとは、どうやら彼女も私たち同様あの時の事、そして私たちのことを一時も忘れることはなかったようだ。そうでなければこうまでするはずがない、そう思うと再び両目がまた潤み始める。

284HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/24(土) 20:16:12 ID:xcVmLF4g0
その時、彼女の後ろに控えていた供回りの一人が進み出て彼女に何事かを耳打ちした、頷く彼女。

「この場でいつまでも立ち話を続けるのも大変でしょう、続きは私の所で」
「それはありがたいですな」「宮殿だかお城だかにご招待、ですか」

二人の元部下、そして彼女の視線が私へと向く。もちろん私の返答は決まっていた。

「喜んでお招きにあずかりましょう。話すこと、話したいことが山ほどありますからね」
「私もそうです。話したいことは数え切れないほど、もうどれから話したものやら」

そこで言葉をいったん切り、花のような笑みを浮かべて言葉を継ぐ。

「大丈夫、時間なら幾らでも、そう、幾らでもありますから――――」

そう言って身を翻し、歩き始めた彼女の後に続く我々、どうやら人生最後の時間はこの国で過ごすことになるようだ。
だが私は後悔していなかった、他の二人も恐らく同じだろう。
かつてと違い自ら望んでこの地を踏んだのだ、ならばこの国に骨を埋めるのも承知の上。
そう、二十年後の世界で新たな人生を始めたあの御伽噺の主人公のように。

心の中でそうつぶやき、ふと空を見上げる。
見上げた空はかつてトラックの上から見上げたのと同じ、どこまでも青く、そして美しかった。



                                   砂漠の国のリップ・ヴァン・ウィンクル 完

285HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/03/24(土) 20:17:59 ID:xcVmLF4g0
投下終了
これにて拙作『砂漠の国のリップ・ヴァン・ウィンクル』は完結となります
二年間にわたってお付き合いくださいました読者の皆様、本当にありがとうございました

286名無し三等陸士@F世界:2018/10/02(火) 13:51:00 ID:l7vkDNYo0
おお!?いつの間にか完結してた。おめでとう&お疲れ様です。

287名無し三等陸士@F世界:2019/01/31(木) 14:55:58 ID:R8jDLGVU0
今更一気読みしてしまったわけだが終盤の雰囲気がワンスアポンアタイムインアメリカっぽくてすごく良い!


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