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英国(第二次世界大戦勃発直前)がファンタジー世界召喚されますた。

261HF/DF ◆e1YVADEXuk:2018/02/18(日) 20:02:22 ID:xcVmLF4g0
最終話 砂漠に消ゆ

その後も私、エドワード・ブッシュはLRDGで戦い続けた。
あの一件のあれこれが『封印』という形で片付いた後、しばらくしてG偵察隊へと復帰した私を指揮官であるクライトン=スチュアート大尉や近衛時代からの戦友たちは多少ぎこちなくはあるが、それでもかつての仲間として温かく迎えてくれた。
そして再び戻ってきた偵察、襲撃、情報収集の日々、北アフリカの戦場でイタリア軍やドイツ軍を相手に我々は戦いぬき、手痛い損害を彼らに与え、少なからぬ負担を彼らに強い続けた。
我々を取り巻く戦況も幾度も変わった。初夏に行われた最初の反攻作戦の失敗後、新司令官オーキンレック将軍の下で冬に行われた第二次反攻作戦は成功。我が軍は再びキレナイカ地方を手中に収める。
だがそれも次の年の初夏に始まったドイツ人の反撃で一気にひっくり返され、枢軸軍はキレナイカを取り返した余勢を駆ってついにエジプトの地を踏む。これに対して我が軍は必死の防戦を行い、我々LRDGもまた敵後方において新たに設立されたスターリング少佐のSAS(特殊空挺部隊)やペニアコフ少佐の第1爆破戦隊(PPA、ポプスキの私兵たち、という呼び名の方が通りが良かった)と共に数限りなく襲撃作戦を行った。

そして1942年冬のエル・アラメイン、あの戦場で全てはひっくり返った。総崩れになった彼らをエジプトからリビア、さらにチュニジアへと押し戻し、ドイツ人とイタリア人に白旗を上げさせた所で北アフリカの戦いは終わった。
だがLRDGの戦争は終わらなかった。連合軍のイタリア本土上陸に続いて行われたエーゲ海のドデカニーズ諸島攻略戦――隊長のイーサンスミス中佐を初めとする多くの戦友を失ったLRDGにとって最悪の戦場――にバルカン半島でのレジスタンス支援任務。砂漠を離れたLRDGはドイツの裏庭ともいえる地域で様々な作戦に投入され、時に勝利し、時に敗北した。
やがて東から大波のごとく押し寄せたソ連軍によるベルリンの陥落とヒトラーの自殺という形でヨーロッパでの戦争が終わると、LRDGは最期の敵である日本を相手に戦いを挑むべく極東への派遣を申し出たが却下され、1945年8月に部隊は解散の運びとなる。
そしてそのひと月後、東京湾のアメリカ戦艦の上で日本の代表団が降伏文書にサインをし、ここに第二次世界大戦は終結。私の戦争もまた、終わりを告げた。


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