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聖典引用 板

748金木犀:2012/05/29(火) 13:17:44 ID:6XLEmIgs
>>747
宛名のあと行を空けずに、すぐに文を続けてしまい申しわけございませんでした。


『生長の家』誌昭和52年8月号から、
【八月の法語】 谷口雅春先生 より

二十二日の法語 宗教的「悟り」の本質について

この時に、今まで物質の世界に住んでおられたお釈迦さんが、別の次元の世界に出られたのです。物質の奥に、肉体の奥に霊妙きわまりなき存在がある――その別の次元の存在の世界に超入することが“悟り”というものでして、唯「頭でわかった」というような次元の低い単なる「知」ではないのですね。

『甘露の法雨』のお経の中に“物質にて成るものひとつもなし”と書かれておりますが、“山川草木国土”というような、そういう肉眼で視たら“物質”に見えておるものが、実は仏のいのちの現成であって、物質というものは一つもないのであると、如実に、そういう悟りに、お釈迦さんはお入りになったわけであります。この「如実に」ということが必要なのでして、これが実相世界にそのまま超入することなんです。

これは人間の生命の本質、存在の本質について釈尊が悟られた一部分でありますけれども、釈尊の悟りはですね、もっと大いなる“宇宙的悟り”にまでひろがっておられた。そしてその悟りを得られてから、二、七日目、十四日目、という時点になって、その“宇宙的悟り”を初めて演説されたのであります。

演説されたといっても、そこに立派なお寺があって、そのお寺に拝聴に信者がやって来たというわけではないのであってですね。だからこれは、誰かをこの説法で救ってやろうという意図で方便説法をなさったんじゃなくて、釈尊のその時の次元の高い“悟り”そのままをズバリぶちまけて、それを表現されたそのお経、これが『華厳経』と略称されているお経であります。詳しくは、『大方広仏華厳経』というお経であります。

二十三日の法語 “宇宙的悟り”を説かれた華厳経

「大方広仏」とは、“大”は無限に広いことを意味します。“方”は方角であります。“広”は“ひろがる”ことですから、「大方広仏」とは、あらゆる方角に、広がっている仏様ということであります。

それですから、「大方広仏華厳経」というのは、仏様すなわち如来の御生命が蓮華の荘厳なる姿に展開しているのが、この宇宙であるという、そういう宇宙的な悟りを得られた、その釈尊のさとられた真理を、方便説法ではなく、そのままズバリと演説されたお経なんであります。

本日のテキストになった生長の家家族必携の経典『聖光録』のなかに“万教帰一要典”という項がありまして、その要典には、色々の宗教の中心真理になっているその一節を、詳しく全部書いてしまったら、もうこの一冊に一つしか書けないということになるので、そうでなしに、その真理を憶い出す為のヒントになる重要な数行ずつを引用して並べてあるのが、この“万教帰一要典”であります。

その中に『華厳経』の事も書かれているのであります。

さて「大方向仏」というのは、あらゆる方角に広がっている如来さまということで、宇宙に満ち給う普遍的仏様という意味であります。宇宙の普遍的仏様だから、これはキリスト教的に言えば普遍神です。あらいは“遍一切所”というように翻訳している仏教学者もあるのであります。


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