- 1 :けめたん :2022/07/17(日) 12:37:04
- 満州国建国の正当性について話し合います
- 5 :けめたん :2022/07/17(日) 18:19:20
- 17世紀に満州の地にあった「満州族」の国家である大清が、
「漢民族」の国家である明を破り、漢民族を支配した。 ここで大清(満州族)による帝国においての他民族や国との支配関係を見てみましょう。
----------------------------------- しかし、清帝国支配化のアジア諸民族の地位はそれぞれ違っていた。朝鮮や越南は属国であり、 モンゴルは盟友で、チベットは教王領として、ダライ・ラマとパンチェン・ラマは、皇帝の国師となっていた。 新疆の回部とともに藩部と称され、外様大名であった。だから、モンゴル・チベットは朝鮮のような属国ではなかった。
清朝支配下の中国について、たとえば岡田英弘教授のように「清の植民地」とみる学者もいる。 ではなぜ清王朝の中国支配が「植民地支配」とみなされるのだろうか。 それは征服国家が植民地に対して行う取り扱いと共通項があるからだ。 たとえば、満州人は宦官にしない。漢族を絶対に官女としない。漢族の藩部、藩属、化外の地への移住禁止。 対外公文書は漢文を使わずすべて満蒙文やラテン文。漢人の夷語(外国語)学習の禁止。 夷人への漢語・漢文伝授も禁止。満州人と漢人の二重官僚制度、皇帝直属の最高権力者の軍機大臣に漢人を登用しない。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 6 :けめたん :2022/07/17(日) 18:33:10
- 辛亥革命というのは「自国の王朝を倒す革命」ではなく、
「漢民族による大清帝国からの独立運動」だったのである。 辛亥革命のそもそも始まりは14の省が清国から分離独立宣言をした時からです。 アジアの植民地が欧米諸国から独立するようなものです>>4
三民主義を知っていますか? 皆さんも学校で習ったと思うが、ある事が隠されていた。 教師が教えなかった事がある。 --------------------------------- 1905年、中国同盟会が創設されたときに「韃虜の駆除・中華の回復・民国の建立・地権の平均」の 「四綱」が綱領として採択され、孫文はこれを民族(韃虜の駆除・中華の回復)・民権(民国の建立)・ 民生(地権の平均)の三大主義と位置づけた。
ウィキペディア【三民主義】 --------------------------------- (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 7 :けめたん :2022/07/17(日) 18:37:06
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シナでの革命が危険なものに思われはじめた時、 満洲朝廷は満洲へ隠棲する可能性を見過ごしていたわけではない。 それどころか、この問題は真剣に議論されたのであり、 シナと満洲の多数の帝国主義者は、これこそ追求すべき最も賢明な方策だと主張したのである。 ところが最終的に摂政と多くの親王が北京に残留することを決断したのは、 袁世凱が優待条件の中で彼らのために確保した条項を、彼らが、愚かにも、 そしておめでたくも、すばらしいと信じたからである。
完訳 紫禁城の黄昏(上) 祥伝社R・F・ジョンストン 中山 理(訳) 渡部昇一(監修) ------------------------
この時に大清の満州族が父祖の地である満州に帰っていたら、 中華民国とは別の国、大清(国名はそのままかどうか分からない)が 満州の地で続いていた事になる。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 8 :けめたん :2022/07/18(月) 18:02:01
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中華民国政府が清朝と締結した『退位協定』(抜粋)
1 大清皇帝(宣統帝・溥儀)は辞位(退位)後も皇帝の尊号を廃止せず、中華民国(支那共和国)は外国君主に対する礼を以てこれを待遇する。 2 大清皇帝は年金として毎年400万両(テール)を中華民国より受領する。 3 大清皇帝は暫時、紫禁城内に居住し、後日、頤和園に移住する。 4 大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護する。 5 先帝・徳宗景皇帝(光緒帝)陵の工事は予定通り続行する。その奉安の儀式も旧制のままとする。 6 紫禁城内の各職員は従来通り使用出来る。但し太監(宦官)は今後採用出来ない。 7 大清皇帝の私有財産は中華民国が特別に保護する。 8 禁衛軍(皇帝守備軍)は中華民国陸軍部の編成下に置かれる。 ttp://www.teikoku-denmo.jp/history/honbun/chuuka_minkoku1.html
- 9 :けめたん :2022/07/18(月) 18:03:45
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清帝退位協定付属の第二文書
満、蒙、回、蔵各族待遇条件
第一条 満、蒙、回、蔵各人種ハ漢人ト完全ニ同等ナルベシ。 第二条 満、蒙、回、蔵各人種ノ私有財産ハ完全ニ之ヲ保護ス。 第三条 満蒙ノ王公其ノ他ノ貴族ハ従前ノ通リ其ノ称号ヲ保持スベシ。 第四条 貧困ナル王公ニハ生活費ヲ支給ス。 第五条 八旗ノ生計ニ關スル規定ハ速ニ之ヲ定メ其ノ規定ノ制定セラルルマデ八旗ノ俸給ハ従前ノ通トス。 第六条 満、蒙、回、蔵各人種ニ対スル通商及居住ニ關スル制限ハ之ヲ撤廃シ爾今各省県ノ居住ハ自由タルベシ。 第七条 満、蒙、回、蔵各人種ハ完全ナル信教ノ自由ヲ享有ス。 ブロンソン・レー著『満州国出現の合理性』(日本国際協会、昭和11年8月)、付録ノ三より。 ------------------------------
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 10 :けめたん :2022/07/18(月) 18:05:52
- しかし一番重要な事は、中華民国政府はこの清帝退位協定をハーグ国際法廷に登録し、諸外国に通達して国際法として遵守する※としていたのに、
12年後の1924年に協定を破棄してしまったのであった。 つまり中国は国際法的にも道理の面でも、チベットやウイグルの主権を主張する根拠が全くないのである。
そして1928年、協定にもあった「4 大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護する」が 蒋介石の北伐軍によって蹂躙された。 宣統帝溥儀は先祖の墓荒らしをされた事で、父祖の地である満州に還る決心をした。 -------------------------- ※ハーグ国際法廷に登録し、諸外国に通達して国際法として遵守する
このような事をしたのは清朝に「協定は遵守する」と安心させるのと同時に、 諸外国に清国の後継国家と認めさせるため
- 11 :けめたん :2022/07/18(月) 18:07:45
- >>10
>宣統帝溥儀は先祖の墓荒らしをされた事で、父祖の地である満州に還る決心をした。
------------------------------ 他のことなら、たとえば侮辱でも、嘲笑でも、死の威嚇でも、財産の没収でも、 そして契約の破棄でも許す事ができよう。 しかしこの残忍極まりない、神聖冒涜のおぞましい行為だけは絶対に許すことができない。 このとき以来、シナに対する皇帝の態度が変化したのである。 もっと正確に言えば失政の責任を負うべき人々に対する皇帝の態度が変化したのである。 皇帝は生まれつき寛大で思いやりがある方なので、最も凶暴な敵に対してでさえ、 今までただの一言も怒りや不平を漏らしたことがない。だが今度ばかりは、 さすがの皇帝も到底見逃せない事件だったのである。
その時まで皇帝は、満州に勢力が結集していることは知っていたものの、 独立運動にはまったく関与していなかった。また、皇帝自身が先祖の故郷の満州へ戻るよう (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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