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☆☆ エジプト カイロ観光 総合情報スレ ☆☆

179在カイロ スルタンホテル 塾長まる。:2009/02/03(火) 22:06:42 ID:KnNveKbg
【明解要解】カイロ大日本文学科創設35年 「油請い」でない文化交流に成果
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090203/mds0902030825002-n1.htm
エジプトのカイロ大学にアラブ圏初の日本研究コースが創設されてから今年で35年を迎える。日本人の教員らを派遣して、エジプト人の日本研究者の育成に地道に取り組んできた。アラブ人の視点で書かれた日本語教材が初めて出版されるなど、“果実”も目に見える形で表れている。油請い外交とは一線を画した、エジプトでの日本の文化交流の軌跡を振り返る。(特集部 大家俊夫)

 1974年にカイロ大文学部に創設されたのは日本語日本文学科だ。アラブ世界で最大の影響力を持つエジプト。しかも最高水準のカイロ大ということから国際交流基金から派遣される日本側のスタッフの水準も高く、現・東大教授の山内昌之氏のように後に国際的に活躍する人材も少なくない。

 78年に客員助教授としてカイロ大に赴任した山内氏は「エジプトではソニー、トヨタはだれでも知っていたが、日本の誇れる自前の文化を知ってほしかった」とアラビア語、英語、日本語を駆使して漢字から日本の文化・歴史まで熱心に指導した。

                  ◇

 創設当時、オイルショックで痛い目にあった日本はアラブ諸国と急速に関係を深める時代的な要請があった。ただ、そうした目先の利害関係にとどまらなかった。アラブ圏で唯一、日本研究の学位が取れるコースには「高い意欲と能力の学生が集まり、砂漠に花を咲かすような成果が表れている」(山内氏)という。

 その一つが、アラブ人の視点で作られた日本語の教科書だ。編集スタッフの中心は、卒業生で東京のエジプト大使館文化参事官のカラム・ハリール氏だ。

 「筑波大大学院に留学したとき、カルチャーショックの連続だった。ラマダン(断食月)も理解されなかった。日本人が作ったテキストも同様で、酒を勧める場面が出てきたり、アラブ人の生活様式には合わない場面が多かった」。こうした経験を踏まえ、教室で教えながら試行錯誤の末、民間企業の支援を受けて作成した。

 国際交流基金日本語事業部派遣助成課によると、カイロ大では各学年20人程度が履修し、日本に留学するなどして博士課程を修了したエジプト人はこれまで10人以上出ており、人材育成でも成果が出ている。

 エジプトでの成功例を追うように、イラン・テヘラン大、シリア・ダマスカス大、サウジアラビアのキングサウド大などでも日本語コースが開設されている。中東ではこのほか、イスラエルのヘブライ大の日本語教育も長い歴史がある。

 外交面での“ジャパンパッシング”(日本離れ)の傾向は、日本通の専門家が不足していることにも原因があろう。理解者を増やすためにはカイロ大のように日本研究コースを充実させることが遠回りのようで早いのかもしれない。


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