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☆☆ エジプト カイロ観光 総合情報スレ ☆☆

171在カイロ スルタンホテル 塾長まる。:2009/01/29(木) 00:30:01 ID:e5voLFs6
>>170
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/090119/mds0901192251005-n4.htm
「些細(ささい)なことをきっかけに宗派感情の対立が表面化するケースがこの数年、急増している。原因はさまざまだが、突き放してみれば双方の宗教指導者は“共犯関係”にあるといえる」

 政府系のシンクタンク、アハラム戦略研究所副所長のナビール・アブドルファッターハ(58)は「こうした対立は宗派意識を肥大させ、宗教的多数派と少数派を作り出し、エジプト社会をイスラムとキリスト教という、たった2つの宗教ブロックに変容させる。19世紀以来続くエジプトの近代国民国家実現への歴史と努力を破壊するものだ」と指摘した。=敬称略

 (村上大介)

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【用語解説】エジプトとキリスト教

 古代王朝のピラミッドや7世紀のイスラム征服以降の歴史的なモスク(イスラム教礼拝所)群で有名なエジプトは、キリスト教成立初期にも深いかかわりをもっている。

 マタイによる福音書には、ユダヤの王ヘロデが自分の地位を脅かすことになる神の子イエスを恐れ、ベツレヘムに生まれた2歳以下の赤子を全員殺害するよう命令し、天使のお告げで聖母マリアはイエスを連れてエジプトに避難したという話が記されている。

 エジプトのコプト正教会の信者にとって、幼子イエスがエジプトでかくまわれ、養われたという「聖家族のエジプト逃避」の伝承は信仰の重要な一部であり、聖家族が住んだとされる洞窟(どうくつ)などが各地に残り、いまも生きた信仰の対象となっている。コプト教会の中では、後年にガリラヤで宣教を始める以前の幼子イエスを、すでに主と認めたとさえ信じられている。

 一方、コプト教会とは無関係だが、紀元2〜3世紀ぐらいまでの原始キリスト教期には、善とされる神も不完全な悪の世界の創造主であれば「偽の神」であり、どこかに別の「真の神」が存在する−と考える世界観を、イエス信仰と融合させた異端思想のグノーシス派がエジプトで活発に活動していたことが、20世紀半ばに発見された膨大なコプト語のパピルス文書(ナグ・ハンマーディ文書)などから裏付けられている。


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