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☆☆ エジプト カイロ観光 総合情報スレ ☆☆

116在カイロ スルタンホテル 塾長まる。:2008/12/10(水) 23:26:24 ID:nUYvo4bU
【ナイルの風 中東のまつりごと】(10)「イスラム集団」の武装闘争放棄 (1/3ページ)
http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/081201/mds0812010838000-n1.htm
■「暗殺」は何も生まなかった

 「われわれはサダトを殺した。だが、現実は何も変わらなかった。獄中で何をどう間違えたのか真剣に向き合わざるを得なかった」

 その男は、1980年代から90年代にかけてエジプト国内で武装闘争を展開した同国最大のイスラム過激派組織、イスラム集団による武装闘争放棄への経緯を言葉少なに振り返った。

 男は81年、エジプト大統領、サダト暗殺事件で逮捕されたイスラム集団のリーダーの1人だった。「集団」は97年7月、テロ事件の公判で被告の1人が突然、声明を読み上げる形で一方的な武装闘争停止を宣言し、疑念も入り交じった驚きを内外で呼んだ。

 「集団」の武装部門は92年ごろから国内で外国人観光客やコプト教徒(キリスト教の一派)に対するテロを激化させた。インババと呼ばれる首都カイロの貧民街は一時期、治安部隊も入り込めない“イスラム過激派の解放区”になった。

 突然の宣言に反発したとみられる武装部門の小グループが97年11月、ルクソールのハトシェプスト女王葬祭殿で日本人10人を含む外国人観光客約60人を死亡させる凄惨(せいさん)なテロを引き起こす。だが、獄中の政治指導部は路線の見直しを続け、当初は反発していた海外亡命指導部の大勢も支持し、「集団」は99年、最終的に無条件武装闘争放棄を宣言するに至った。


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