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☆近畿百科☆ニュース その8

670よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/27(木) 23:25:02 ID:CZYL1RUQ0
【日本の名城】伏見城 秀吉が隠居しても独自の権力を振るう場所として整備
2012.12.14
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20121214/dms1212140710004-n1.htm

 豊臣秀吉は、関白を甥の秀次(ひでつぐ)に譲り太閤になると、文禄元(1592)年、朝鮮の役を起こす。同時に自らの隠居城として伏見に城を築くことを命じる。

 伏見城は山城国(京都府)の東山連峰の最南端にあたる桃山に、諸大名に1万石につき200人の賦役(ぶえき)を課し、25万人が工事にあたり、2年の歳月で完成する。

 この地は宇治川の水運によって京と大坂を結ぶ要所にあり、秀吉は隠居しても独自の権力を振るう場所として伏見を整備した。城の周りには大名屋敷を配置し、京、大坂の商人を集めて人口6万の大都市へ発展した。

 文禄4年、伏見を襲った大地震で城は崩壊する。秀吉は直ちに城の再建に取りかかり、再度伏見城に入城するも、慶長3(1598)年に没してしまう。

 秀吉の没後、遺言によって豊臣秀頼は伏見城から大坂城に移り、代わって5大老筆頭の徳川家康が入城し、豊臣政権の政務を担う。伏見城は関ケ原の合戦の前哨戦で、家康家臣、鳥居元忠(もとただ)が守っていたが、挙兵した石田三成らによって攻められ、落城、炎上した。

 家康は関ケ原で勝利すると、再び伏見に戻り、京での活動と大坂城攻撃への拠点とするため、新たに伏見城を築城する。しかし、京に二条城を築き、大坂の陣が終わると城の存在価値はなくなる。その後、家康が駿府城(静岡市)を隠居城とすると、廃城となる。

 廃城後に建造物は各地に移築され、大手門と車寄せは京都の御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)に移され現存している。福山城、江戸城にある伏見櫓は、伏見城から移されたものだ。

 現在、伏見城跡には明治天皇、昭憲皇太后の御陵が築かれている。昭和39(1964)年、城跡の一角には「洛中洛外図」に描かれた伏見城を参考にして、5層6階の大天守と3層4階の小天守、櫓門を伴った模擬天守が再建されている。
 【所在地】京都府京都市伏見区桃山町大蔵45
 【城地の種類】平山城
 【交通アクセス】JR奈良線「桃山駅」下車、徒歩約15分。京阪線「伏見桃山駅」下車、徒歩約20分。

 ■濱口和久(はまぐち・かずひさ) 1968年、熊本県生まれ。防衛大学校卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、栃木市首席政策監などを経て、現在、拓殖大学客員教授、国際地政学研究所研究員。日本の城郭についての論文多数。


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