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☆近畿百科☆ニュース その8

377よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/17(水) 23:03:02 ID:8UDMm2I.0
ノーベル賞みな関西…陽性の文化が知性を生む 編集委員・安本寿久
2012.10.17 10:27
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121017/wlf12101710350004-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121017/wlf12101710350004-n2.htm

 日本人初のノーベル賞受賞者、京都大教授の湯川秀樹博士は座談の名手だった。筆者が物心ついたころはすでに50歳代後半だったが、テレビや雑誌で実に幅広い分野の人と対談していた。無論、詳しい対談内容は理解できなかった。ただ、本当に楽しそうに笑う人だったことを記憶している。

 やっぱり博士だな、と子供心に思った。筆者は『鉄腕アトム』を読んで、見て育った世代である。この中の知的ヒーローはお茶の水博士だった。頭脳明晰(めいせき)でしかも陽性の性格、人間味あふれる言動。これこそが博士、というのが筆者の判定である。

 京都の、というより関西ゆかりのノーベル賞受賞者は例外なく、この博士の範疇(はんちゅう)に入る気がする。決して教授などではなく、博士と呼びたくなる人たちばかりのような気がする。

 受賞を知って、万歳すると思ったら大間違いと言いながら、カメラの前で万歳した益川敏英氏は京都大助手時代の業績での受賞だった。記者会見中に妻から携帯電話に連絡が入り、「今、記者会見してるから」とぼそぼそと応待した田中耕一氏は、その生真面目さがユーモラスだった。

 今年、日本人で19人目の受賞者になった山中伸弥・京都大教授も博士と呼びたくなる人だ。「手術が下手で、じゃま中と呼ばれていた」。自らの経歴を、笑いをまぶして紹介する姿は、筆者の中の博士像そのものである。

 ただ、この印象はあくまでも表面的なものだ。湯川博士にしても元々は、引っ込み思案で、子供時代は面倒なことがあると「言わん」で済ませるだんまり屋だった。「実績が重なってようやく自信が出てきた」。陽気の理由を弟子たちにはそう言っていたという。その逸話を筆者は12年前、湯川博士と父、小川琢治の親子関係を取材していて、佐藤文隆・京都大教授(当時)から聞いた。関西の研究者は陽性でなければ務まらないという話だった。


研究資金に悩む学究生活


 概して、関西の研究者を悩ませるのは研究資金難である。山中氏も例外ではなかった。受賞決定後、数多く紹介される逸話の中で目立つのは、資金を求める苦労話だ。マラソン姿の写真を目にした人は多いだろうが、これは今春の京都マラソンに出場した時のものだ。所長を務める京都大学iPS細胞研究所の寄付専用サイト「ジャスト・ギビング・ジャパン」への寄付を呼びかけるための出場だった。

 独立行政法人科学技術振興機構の研究事業に応募した際の苦労話も紹介されていた。山中氏はその面接に、人の胚が泣いたり、腫瘍ができたマウスが涙を流すイラストなどを自作して臨んだ。それまでの再生医療の研究対象だったES細胞(胚性幹細胞)が、受精卵を利用していることや実験用マウスを犠牲にしていることを訴えて、iPS細胞の優越性をアピールする作戦だった。この工夫が奏功して5年間で3億円の研究資金を獲得した山中氏は、こう振り返っている。


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