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☆近畿百科☆ニュース その8

300よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/10/10(水) 22:35:17 ID:jw3jTqbs0
研究室にはゆかりの品が…
http://www.nhk.or.jp/lnews/nara/2055528962.html?t=1349875375218

山中伸弥さんがiPS細胞の作成に向けた本格的な研究を始めた奈良県生駒市の大学では、山中さんたちが使った実験道具やゆかりのものが残されています。
山中さんは、平成11年から京都大学に移るまでの5年間、奈良先端科学技術大学院大学に在籍し、ここで初めて独立した研究室を持ち、iPS細胞の作成に向けた本格的な研究を始めました。
山中さんが使っていた研究室は、今は「植物の細胞分裂」というまったく違う研究テーマのグループが使っています。

しかし、机と机の間を仕切る板には、山中さんのほか3人の研究仲間が写る写真のシールが今も貼られています。
4人が顔を並べる写真には、「みんななかよし」の文字が添えられています。

平成11年12月、山中さんが37歳のときに助教授として着任してから、よくとし4月に学生を迎え入れるまでの間に撮影されたものだということです。
山中さんは、これまでの研究は奈良先端大で出会った仲間に支えられてきたと繰り返し述べています。今、この研究室を使う梅田正明教授は、「写真が残っていることに気づいた時はびっくりしました。研究仲間とのいい関係を示すもので、このチームワークが研究成果に結びついたと思います」と話していました。
また、別の建物にある実験室には、山中さんたちが使っていた細胞を培養するための設備や、顕微鏡が今も利用されています。

山中さんは論文の執筆などに追われる中でも頻繁に実験室へと足を運び、この顕微鏡で、培養した細胞を観察していたということです。そして、実験方法などについて細かく指示する一方で、研究仲間や学生たちと自由に意見を交わし、冗談まじりの話で盛り上がるなど、温かい雰囲気で研究室をリードしていったと言います。
当時、山中さんの研究室で実験にあたり、今も奈良先端大で研究技術員を務める飯田純子さんは、「山中さんは時間や場所を問わず、仲間の意見をよく聞いて議論していました。いったん研究を離れると、中学・高校で柔道をしていた山中さんらしく、『田村亮子選手と試合をしてみたい』と笑顔で話すなど、明るく活発な雰囲気の研究室でした」と振り返っていました。
また、大学では、研究の励みになるという声が聞かれました。

男性の大学院生は、「受賞を聞いた時は拍手をして喜びました。同じ大学で研究していた人の受賞が決まり、自分もさらに力を入れて研究に取り組みたい」と話していました。
また、女性の大学院生は、「自分のことのようにうれしいです。研究分野は違いますが、とても刺激になります」と話していました。

10月10日 09時53分


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