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☆近畿百科☆ニュース その8
193
:
よっさん
◆XxkTNAUYOc
:2012/10/09(火) 00:29:33 ID:JgPIc0qo0
山中氏は「足は遅く、ハンドリングも…」 神戸大医学部ラグビー部50周年誌に記録
2012.10.8 22:27
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121008/wlf12100822290037-n1.htm
山中伸弥教授が所属していた神戸大医学部ラグビー部の「50周年誌」には、学生時代の山中氏のプレーや人柄を語るコメントが残されている。
昭和62年度の主将(当時)による評価は「ポジションはロック一筋。他はできない。足は遅く、ハンドリングもままならないが、なぜかモールの中からボールを持って抜け出てくる変な奴」。
一方、大学3年春という遅い入部のハンディをはねとばすように「ストイックでナルシスト。初めは出遅れたが、研究熱心」という、後の業績につながるような努力家の一面も記されている。
「誠実さに結果がついてきた」 神戸大・ラグビー部の仲間ら
2012.10.8 20:42
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121008/wlf12100820430026-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121008/wlf12100820430026-n2.htm
山中伸弥教授が卒業した神戸大医学部(神戸市中央区)でも、学部時代の同級生や、ラグビー部でともに汗を流した仲間たちが8日夜、大学近くの神緑会館で会見し、喜びの声を上げた。
大学時代に一緒に勉強に励んだ同大大学院保健学研究科の伊藤光宏教授(49)は山中氏の人柄について「誠実そのもの」と分析。シンポジウムなどでも最新の研究内容を包み隠さず説明することがあるといい、「学問に対しても誠実にやってきたから、結果がついてきたと思う」と同級生の快挙を手放しでたたえた。
また、山中氏が所属していた医学部ラグビー部の後輩で、一緒に楕円球を追いかけた神戸市立医療センター中央市民病院皮膚科部長の長野徹さん(47)は「山中さんのプレーはまさに『縁の下の力持ち』。試合中、一歩でも確実に前に出ようという姿勢が、研究成果につながったと思う」とかつての勇ましい先輩の姿を思い浮かべながら目を細めた。
長野さんによると、山中氏の当時のポジションは、体を張った地道なプレーが求められるロックで、「よく体を鍛えていて、力強かった」という。
同じくラグビー部の後輩で、同大学医学研究科の黒田良祐准教授(47)は自身がプレー中にけがをした際、病院に付き添ってくれた山中氏が、駆けつけた黒田准教授の親に症状を丁寧に説明してくれたエピソードを披露。「とにかく優しく、ひたむき。そんな姿勢があったから、医学の世界ですごい成果を上げたと実感しています」と感無量の様子で話した。
同大医学部附属病院の杉村和朗院長(59)は「山中先生は誰にでも気軽に声を掛けてくれるフレンドリーな人。学生たちにとっても身近に感じられる人の受賞で、頑張れば(偉大な)賞を取ることができるいう希望になったのでは」と“第二の山中”の誕生に期待を寄せた。
山中氏と神戸大で一緒に勉学に励んだ神戸薬科大臨床薬学研究室の江本憲昭教授(51)は「諦めなくて良かったな」と同級生の朗報を喜んだ。
江本氏によると、山中氏は米国留学から帰国した後の平成9年ごろ、米国とはあまりに大きな差がある日本の研究環境の劣悪さに絶望し、「研究を諦めようか」とこぼすことがあったという。
しかし、その後、雑誌や新聞、テレビなどの取材もよく受けるようになったといい、江本氏は「広く注目してもらうことで、研究環境を改善するためではではないか」と推測。その上で、「試練を乗り越え、彼は人間的な厚みが増した。ノーベル賞おめでとう」とたたえた。
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