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☆近畿百科☆ニュース その8

1880名無しさん:2016/04/16(土) 16:00:49 ID:mhIIsmnU0
明治・海軍の佐久間艇長をしのぶ…在米海軍幹部も称賛、出身地福井で顕彰式典
http://www.sankei.com/west/news/160416/wst1604160050-n1.html

旧日本海軍の第6潜水艇の潜航訓練中に殉職した福井県出身の海軍大尉、佐久間勉艇長(明治12〜43年、30歳没)の遺徳顕彰式典が命日の15日、同県若狭町北前川の顕彰碑前で行われた。町民や自衛隊関係者ら約300人が参加し、冷静沈着な行動が後世まで称賛された佐久間艇長をしのんだ。

 式典は佐久間艇長の生家近くにある「沈着勇断」と刻まれた顕彰碑の前で行われ、森下裕町長が「佐久間艇長は軍人としてだけではなく、人間としていまなお世界中の人に感銘を与えている。その思いやりや行動の規範としていた美徳を艇長の生涯から学ばねばならない」と式辞を述べた。

 また、在米海軍参謀補佐官のジョン・T・ピタ中佐が「佐久間艇長は船員たちの死が確実になってしまったとき、自ら模範を示し、船員たちを落ち着かせた。リーダーにとってこれ以上資質を試される状況はない。海上自衛隊と米海軍の同盟は互いを成長させてきたが、その根底に流れているのは佐久間艇長と乗組員の素晴らしい勇気と人格だ」などとスピーチした。

 顕彰碑前での献花では、自衛隊関係者や地元の三方小、明倫小の児童らが白菊をささげ、佐久間艇長の人柄をしのんだ。

http://www.sankei.com/west/news/160416/wst1604160050-n2.html

佐久間艇長以下乗員14人が乗り組んだ国産初の潜水艇は明治43年4月15日、山口県新湊沖で沈没。佐久間艇長は死が迫る中、潜水艇造船の妨げにならないことを願って事故の状況などを記録し、明治天皇に潜水艇の喪失をわび、部下の遺族への配慮を求める遺書を残した。後に遺書の存在や、乗員全員が持ち場を離れず艇の修繕にあたっていた事実が明らかになり、国内外に大きな感銘を与えた。

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