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☆近畿百科☆ニュース その8

1857名無しさん:2016/03/19(土) 09:51:52 ID:g3SDvGAU0
延伸ルート 「悲願」40年、行方を静観 「口丹波」誘致関係者 /京都
http://mainichi.jp/articles/20160314/ddl/k26/040/268000c

北陸新幹線の敦賀以西の延伸ルートについて議論が活発化している。与党検討委員会は10日、JR西日本や各自治体の希望をふまえて3ルートに絞った。今秋以降にさらに最終候補を絞り込む見通し。府は舞鶴から京都駅を通る「舞鶴ルート」を要望しているが、口丹波地域(亀岡、南丹、京丹波3市町)で40年以上、新幹線の新駅誘致運動を続けてきた関係者は「悲願」の行方を静かに見守っている。【礒野健一】

■過去に閣議決定も

「我々は42年間、新幹線の口丹波への誘致を続けてきた。いよいよ実現が近付いたと思った矢先、これまで何もしてこなかった京都市が、後出しジャンケンのように手を挙げてきた」。2月11日、亀岡市で開かれた北陸新幹線口丹波建設促進協議会の総決起大会。あいさつに立った亀岡商工会の渡辺裕文会頭は語気を強め、約1000人の参加者から拍手が湧いた。

 この日、亀岡周辺を通過する「口丹波ルート」を要望する決議を採択。府にも報告したが、山田啓二知事は「舞鶴ルート」を要望し、亀岡ではなく京都駅通過を想定している。

 北陸新幹線は72年に政府が「基本計画」を決定し、沿線自治体が誘致合戦を展開した。亀岡市など口丹波地域の1市8町(当時)も73年8月に促進協を設立。同年11月に敦賀から小浜、口丹波地域を通過し、新大阪へ至るルートが閣議決定され、促進協は早期工事着工を求め活動を続けてきた。

 促進協によると口丹波ルートのメリットは、大規模災害発生時の東海道新幹線代替ルートとして機能することに加え、亀岡という新拠点ができることで経済効果も高いとしている。

■豪腕市長の訴え

 促進協会長は、歴代の亀岡市長が務め、中でも熱心だったのが谷口義久市長(79〜99年在職)だ。在職期間中に山陰線の電化複線化や京都縦貫道建設などの交通インフラを整備し、亀岡市の人口は約6万人から9万人以上に増加。さらなる起爆剤として、北陸新幹線の早期開通と新駅設置を訴えた。

JR並河駅(亀岡市大井町)の東側に、谷口市長在職中の95年に整備された「鉄道歴史公園」がある。展示されている0系新幹線の車両の横には、北陸新幹線誘致を求める看板が設置されている。

 大井町自治会の飯田耕市郎会長(68)は「谷口市長は、並河駅周辺が北陸新幹線の新駅と操車場の予定地だと言っていた」と話す。北陸新幹線が並河駅付近を通過することを示す文書はないが、「30年ほど前、私の親の世代が農地整備を陳情に行ったら『しばらくしたら新幹線が来るから、もう少しそのまま土地を持っていてくれ』と言われた」と振り返る。

 ■消えた熱気

 駅名は「西京都駅」(仮称)とされ、当時の大井町の住民にとっては新幹線開通は既定の計画のようだったという。しかし、99年に谷口市長が引退すると建設実現への動きは下火になり、栗山正隆前市長時代には、促進協の解散も議論された。谷口元市長は昨年4月に88歳で亡くなったが、最後まで「亀岡に新幹線を」と口にしていたという。後援会幹部として谷口市長を支えた田中功さん(81)は「府が舞鶴ルートを提案した時、亀岡市としてきちんと意見ををぶつけるべきだった。谷口さんの情熱を引き継ぐ人がいてくれたら」と嘆く。促進協の現会長を務める桂川孝裕・亀岡市長は2月22日の定例会見で「現状は口丹波ルートにとって厳しいが、既に矢は放たれ、今は結果を待つだけだ」と語った。


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