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☆近畿百科☆ニュース その8

1626名無しさん:2015/04/17(金) 21:04:05 ID:J0wmExmo0
白鷺支える「運命の木」…ヒノキ2本つなぎ柱に
2015年04月17日
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150417-OYO1T50028.html?from=oycont_top_txt

世界遺産・姫路城(兵庫県姫路市)の大天守を支える高さ25メートルの心柱は、「運命の木」と呼ばれる。遠く離れた2市町で伐採された2本のヒノキをつなぎ合わせてつくられ、半世紀前、窮地に陥っていた「昭和の大修理」を救った。平成の大修理が終わった今、その史実に目を向けてもらおうと、2市町は再び2本のヒノキをつないだ3分の1のレプリカを制作し、18日に披露する。(長尾尚実)

 姫路市などによると、昭和の大修理(1956〜64年)で解体作業が進んでいた1957年、大天守の東西に各1本ある心柱のうち西心柱の腐食が判明し、代わりになるヒノキの大木探しが始まった。

 しかし、25メートルの真っすぐな木は簡単には手に入らない。工事担当者が全国の山々を訪ね回り、姫路市に隣接する市川町の笠形神社で神木に行き当たったが、上部が反り返っていたため断念。その後、林業の盛んな中津川市の国有林で見つかったが、今度は搬出時に斜面を転げ落ち、折れてしまった。

 大修理は一時中断し、工事担当者は途方に暮れた。そんなとき、大工が2本のヒノキの端をそれぞれL字形に削ってつなぎ、1本の柱にする工法を思いついた。2本が重なり合う部分に4か所のほぞ穴を開け、木をはめこむことで強固にした。

 大木探しから1年半、大修理再開のめどが立った。

 笠形神社の記録によると、神木は59年9月に臨時列車で姫路駅まで運ばれ、多くの市民らが見守るなか、法被姿の氏子や工事担当者が姫路城まで綱で引っ張ったといい、いつしか運命の木と呼ばれるようになった。

 平成の大修理(2009〜15年)で姫路城への関心が高まり、市川町観光協会の柳瀬龍吉副会長(75)が「2本の木が出会った逸話を知ってもらおう」と、町や中津川市に提案。親交のシンボルとして、心柱の3分の1のレプリカ(長さ8メートル)1本と、つなぎ目がわかるような展示用(同4メートル)2本を作ることになった。

 レプリカは、同神社と中津川市のヒノキを半分ずつ使い、同市で姫路城の心柱と同じ工法で作製。同神社で昨年11月に切り出した木を同市に送り、現地の木と一緒に同市内で加工し、今年3月末に完成した。


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