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☆近畿百科☆ニュース その8

121よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/09(日) 19:25:09 ID:v4uO.LpE0
エルトゥールル号展
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004543071.html?t=1347174768062

120年余り前、和歌山県の沖合で沈没したオスマン帝国の軍艦、「エルトゥールル号」の調査で、海底から引き揚げられた品々が和歌山県立博物館で展示されています。
エルトゥールル号は、現在のトルコ、当時のオスマン帝国の軍艦で、明治23年に親善使節団を乗せて和歌山県串本町の沖合で座礁し、500人以上が死亡しました。
和歌山県立博物館にはトルコの研究者らによって行われている海中の調査の映像や引き揚げられた軍艦の器具などおよそ950点が展示されています。
銅製の鍋は直径70センチの大きなもので船の調理場で使われていたと見られています。
また、小さな香水の瓶は、乗組員が遠く離れた家族をしのぶため家族の香水を船に持ち込んだものと見られています。
エルトゥールル号の事故では、69人の乗組員が地元の住民によって救助されたのをきっかけに日本とトルコが友好関係を結ぶようになったと言われています。
展示会は来月11日まで開かれています。

09月09日 12時28分

>エルトゥールル号の事故では、69人の乗組員が地元の住民によって救助されたのをきっかけに
>日本とトルコが友好関係を結ぶようになったと言われています。

 そして・・・
 この和歌山の人たちの献身的な行動が後にこういう事につながっていくわけです。
 まさしく『情けは人の為ならず』ですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B3%E8%88%AA%E7%A9%BA
イラン・イラク戦争の1985年3月12日、イラク軍によるイランの首都テヘランに対する空爆が始まった。テヘランの在留外国人は空爆を避けるために国外避難を準備し始めたが、3月17日に至って、イラクのサッダーム・フセイン大統領は「3月19日20時半以降はイランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」という声明を発した。

宣言後、イランに住む外国人についてはそれぞれが国籍を置く国の軍隊、ないしは民間航空会社を使っての脱出が計られた。しかし、当時日本では自衛隊の海外での活動は禁止されていた。また過去にテヘランに寄港していた日本航空は当時既にテヘランへの寄港を停止していたため、日本政府は現地との調整に手間取り、日本航空チャーター機の派遣も会社、労働組合ともに反対であったこと、前記期日までの脱出が困難であることを理由に実現しなかった。そのため、在イラン日本人200名以上は脱出方法が見つからずに生命の危機に瀕していた。

イランの日本大使館の野村豊大使は、トルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えると大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答え、大使の要請を受けて2機のトルコ航空機がテヘランへ派遣された[5]。2機のトルコ航空機が215人の在留邦人を乗せてイラン国境を越えてトルコ領空に入ったのはタイムリミット直前のことであった。

この事件はのちにインターネット上の電子掲示板やメールマガジンを通じて親日国トルコのイメージを広めることに貢献し、テレビでもTBSのクイズ番組「日立 世界・ふしぎ発見!」、フジテレビのバラエティ番組「奇跡体験!アンビリバボー」や、2004年にはNHKのドキュメント番組「プロジェクトX」でも取り上げられた。


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