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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

798よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/04(水) 06:07:21 ID:qV2f.g4I0
神童役務める大槻君宅で清祓式 神職らが訪問
2012年7月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120702/20120702022.html

 天神祭(24、25日)に奉仕することしの神童に任命された西天満小6年、大槻英生君(11)の「自宅清祓(はらい)式」が1日、大阪市北区で執り行われた。大阪天満宮の神職らが大槻君宅を訪れ、各部屋をはらい清めた。

 神童は24日の鉾流(ほこながし)神事で、船上から大川に神鉾を流すなどの重要な役割を担う。毎年、神鉾講の推薦を受けた同小に通う児童から選ばれる。

 この日は寺井種治権宮司ら同宮の神職をはじめ、講の関係者らが大槻君の自宅を訪問。神職が祝詞を読み上げ、家族らのおはらいの後、各部屋をはらい清めた。清祓式を終えた大槻君は「健康に注意して、立派に大役を果たしたい」と話していた。

799よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/04(水) 06:11:20 ID:qV2f.g4I0
クライマックスの奉納花火 個人協賛を募集
2012年7月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120703/20120703023.html

 大阪天満宮花火実行委員会は、25日に行う天神祭のクライマックスを飾る奉納花火の個人協賛を募集している。協賛金は1発5千円で、3号玉の花火玉のレプリカ1個が記念品としてもらえる。

 大阪市都島区の桜宮公園野球グラウンドから打ち上げられる2・5号玉(直径約9センチ)の「紅梅」が対象。打ち上げられると、ピンクの大輪の梅の花びらが咲いたように夜空に浮かび上がる。協賛金が10万円以上なら5号玉、30万円以上なら10号玉の花火玉のレプリカが進呈される。

 受け付けは23日まで。問い合わせは電話06(6353)0025、大阪天満宮社務所へ。

800よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/06(金) 00:19:29 ID:sy71M6uc0
「『文枝』の名に恥じぬよう頑張る」 三枝さん、大阪で盛大に襲名披露パーティー
2012.7.5 21:32
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120705/wlf12070521370014-n1.htm

 7月16日に上方落語の大名跡「六代目桂文枝」を襲名する桂三枝さん(68)の襲名披露パーティーが5日、大阪市内のホテルで行われ、各界から約1千人が駆けつけ祝福した。

 2日の東京でのプリンセス天功さんのイリュージョンによる華やかな演出と違って、この日の三枝さんは上方落語隆盛の象徴で、初代桂春団治(1878〜1934年)ら人気者が移動に使った「赤い人力車」の復刻版に乗って登場。三枝さんは、阪神タイガースの和田豊監督や作家の藤本義一さんから贈られたサインボールと色紙も披露、「文枝の名に恥じないよう頑張りたい」と誓った。

801よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/06(金) 05:46:33 ID:sy71M6uc0
彦星・織姫キャラ初対面
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120705-OYT8T00130.htm

 七夕伝説にゆかりの枚方、交野両市は7日、京阪電鉄と共同で、両市のゆるキャラ「ひこぼしくん」「おりひめちゃん」をPRするイベントを枚方市役所前の岡東中央公園などで開く。伝説になぞらえ、枚方市の「ひこぼしくん」が京阪電車で交野市の「おりひめちゃん」に会いに行く。

 両市には「天の川」にちなんで和歌に詠まれた天野川が流れ、七夕ゆかりの地とされる。枚方市が5月、新ゆるキャラの「ひこぼしくん」を発表し、2年前から活躍中の交野市の「おりひめちゃん」との<出会い>を演出し、地域を盛り上げることにした。

 イベントでは、7日午前9時45分、京阪枚方市駅に「ひこぼしくん」が登場。車体などに両キャラのイラストをあしらったラッピング電車で交野市の私市(きさいち)駅へ出かける。「おりひめちゃん」と対面した後、そろって枚方市に戻り、午後1時半、岡東中央公園で開かれる青空市場「七夕マルシェ」に参加する。問い合わせは枚方市地域振興総務課(050・7102・3222)へ。

(2012年7月5日 読売新聞)

802よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/06(金) 06:10:44 ID:sy71M6uc0
大阪城天守閣に「七夕かざり」−2000人の願い、色とりどりの短冊に
http://kyobashi.keizai.biz/headline/1054/

 大阪城天守閣(大阪市中央区大阪城1、TEL 06-6941-3044)で7月6日・7日、ササを飾る「七夕かざり」が行われる。

  3年前に始まった同イベント。小天守台に高さ1メートル80センチのササを5本設置し、来場者が書いた願い事の短冊を飾る。両日で2000人分の短冊を用意。短冊は小天台に設置したテーブルで書いてもらい、自分でササに飾ってもらう。色とりどりの短冊が天守閣を彩る予定だ。

 イベント担当の高満津子さんは「ぜひ思いをしっかり込めて自分の手で飾ってほしい」と話す。「昨年の東日本大震災を風化させないよう、イベントを通して復興の願いも込められれば」とも。

 同日夜には「七夕ライトダウン(クールアース・デー)」も行う。環境省が地球温暖化防止のために施設の消灯を呼び掛ける「CO2削減/ライトダウンキャンペーン」の一環で、今回が10回目。20時〜22時の2時間完全消灯し、ライトアップに慣れた日常生活の中、電気を消すことでいかに照明を使っているかを実感し地球温暖化問題について考えるもの。大阪城天守閣をはじめ、1万7297の企業や施設が参加予定。

 「七夕かざり」の開催時間は9時〜16時。

803よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:04:20 ID:Hs9jW./.0
短冊に願い事 大阪城天守閣「七夕かざり」
2012年7月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120707/20120707040.html

 大阪城天守閣(大阪市中央区)は6日、来場者に願い事を書いてもらい短冊を笹(ササ)に飾り付ける「七夕かざり」を始めた。平日のこの日は海外からの観光客が多く、英語や中国語、韓国語で書かれた短冊が日本の夏の風物詩を彩っていた。7日午後4時まで。

 夏休み前に季節の行事を楽しんでもらおうと3年前から行っている。今年は1・8メートルの笹を5本と2千枚の短冊を用意。初日は617枚の短冊が飾られた。

 大阪の祖母に会いに来たというハワイに住む岡田大画君(9)は「いつもみんなでいろんなところにいけますように」とつづり、新婚旅行で英国から訪れたルークさん(28)とメリッサさん(29)は「ビューティフル」と言い、色とりどりの笹を眺めていた。

 天守閣の広報担当者は「この時季に来るお客さまに楽しんでいただき、東日本大震災を風化させないよう復興の願いも短冊に込めてもらえたら」と話していた。

804よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:07:58 ID:Hs9jW./.0
墨一色の躍動感 割り箸で天神祭描く
2012年7月7日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120707/20120707047.html

 大阪府和泉市池上町4丁目の府立弥生文化博物館で、割り箸を筆代わりに墨で天神祭などの風景を描いたぼく画家、潮見満英さん(72)の作品展「天神祭とたつ」が開かれている。目前に迫った天神祭(24、25日)の魅力を、一足早く伝えている。14日まで。

 ぼく画は、割り箸を使い墨の色のみで独自の絵を描き上げる手法で、潮見さん自身の「僕」、割り箸の「木」、絵の具代わりの「墨」の三つの意味を指す。今展では天神祭やことしのえとの「辰(たつ)」をテーマにした約50点を展示している。

 会場には天神祭の宵宮の24日に行われる鉾流(ほこながし)神事をはじめ、大阪市の大川を行き交う船渡御の様子などが墨一色で描かれ、一味違った祭りの魅力を伝えている。

 同館学芸員の角南なつみさんは「墨の色だけで描かれた躍動感を感じてもらうとともに、実際の天神祭と比べて楽しんでもらえれば」と話している。

 9日休館。入館料は一般400円、65歳以上・高大生300円。

805よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:22:39 ID:Hs9jW./.0
大阪、ゆるキャラが七夕イベント 
2012年7月7日 12時38分
http://www.chunichi.co.jp/s/chuspo/article/2012070701001423.html

 七夕伝説ゆかりの地とされる大阪府枚方市と交野市が7日、京阪電気鉄道と合同で、七夕にちなんだ両市のゆるキャラが出会うイベントを開いた。

 「天野川」が流れる両市と、川に並走する京阪交野線を「七夕伝説 出会いのまち」としてPRし、地域活性化につなげるのが狙い。

 枚方市のゆるキャラ「ひこぼしくん」が枚方市駅から京阪電車に乗って交野市の私市駅に行き、同市の「おりひめちゃん」に出会った。2人は抱き合って喜び、寄り添ってイベントに参加した。

 電車の車体には、ひこぼしくん、おりひめちゃんがラッピングされており、交野線で8月26日まで運行される。

806よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/08(日) 09:42:02 ID:Hs9jW./.0
四天王寺で七夕のゆうべ
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003359121.html

七夕の昨夜、大阪の四天王寺の境内に200本のササと天の川をイメージしたイルミネーションがお目見えし、大勢の家族連れなどでにぎわいました。
「七夕のゆうべ」と名付けられたこの催しは、大阪・天王寺区の四天王寺で、地元の商店街などが中心となって4年前から行われています。
境内では、200本のササが約20メートルに渡って飾りつけられ、頭上には、天の川をイメージしたLEDのイルミネーションがともされました。
昨夜はあいにく雲が広がり星空を見ることはできませんでしたが、浴衣姿の家族連れなどが大勢訪れて、「家族みんなが笑って過ごせますように」などと願い事を書いた短冊をササに結びつけていました。
幼い息子と夫と一緒に初めて訪れたという女性は「イルミネーションがきれいだと聞いていましたが、実際に見てみるととてもきれいで、来てよかったです」と話していました。
この催しはきょうも四天王寺で午後1時から行われ、イルミネーションは午後7時から午後9時まで点灯されます。

07月08日 07時21分

807よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/09(月) 22:27:39 ID:sJcBjt8U0
「花娘」口上を披露 大阪天満宮星愛七夕まつり
2012年7月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120708/20120708062.html

 大阪市北区の大阪天満宮で7日、七夕恒例の「星愛七夕まつり」が開かれた。家族連れやカップルらが「恋愛成就」や「家内安全」を願い、境内に設置された七つの「茅(ち)の輪」をくぐった。

 天神橋筋商店連合会の主催で、天神祭の関連行事。同宮の神事「天満天神七夕祭」に花を添える催しとして親しまれている。

 今年は「エコ感たっぷり」に涼んでもろうと、会場内にオホーツク海の流氷による40センチ角の氷柱を設置。忍者による「冷や汗の出る」演技などもあり、参拝者らがひとときの涼を楽しんでいた。

 またこの日お披露目となる天神天満花娘らが、扇町総合高吹奏楽部の演奏に合わせて商店街をパレード。境内の特設ステージで、「そうらえ、聞きそうらえ、われれ天神花娘」と口上を初披露した。

 たくさんの声援を受け励みになったという田中梨乃さん(20)は「天神祭では暑い中でも笑顔と元気を与えられるように頑張りたい」と意気込んでいた。

808よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/10(火) 00:07:25 ID:sJcBjt8U0
創業110年迎える大同生命 所蔵文書を公開
2012年7月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120708/20120708061.html

 15日に創業110周年を迎える大同生命保険は、記念事業として行っている同社所蔵文書研究プロジェクトの研究成果の一部とその資料を14日から、同社大阪本社で一般公開する。同社の創業一族である大坂の豪商・加島屋(広岡家)より伝わる米取引にまつわる文書や新撰組の借用書をはじめ、戦前から残る同社の株主総会議事録など歴史的意義のある文書と、その研究成果を展示する。

 同社は、3社合併による創業時に中核をなした大阪の豪商「加島屋」に伝わる江戸時代からの文書を含め約2500点の文書を保存している。今回、110周年記念事業の一環として、大阪大や神戸大、秀明大の教授らの協力を得て、産学協同で保存文書の研究を進めている。

 6月28日には研究の中間報告が行われ、保存文書を基に得られた研究成果の一部が報告された。

 米の現物ではなく米切手と呼ばれる兌換(だかん)券を流通し世界初の先物市場といわれた堂島米会所を舞台に、米切手を担保に融資を行う入れ替え両替として市場を金融的に支えた加島屋久右衛門と、大名の過剰発行による米切手の信用低下に悩む幕府との間の対応策に向けてのやりとりや、米価安定のために幕府が米の買い支え資金として御用金の拠出を求めた際のやりとりなど。

 今回の展示では、これら加島屋の足跡や堂島米会所の概要などを紹介するほか、同社創業時の様子や肥後橋のランドマークといわれた旧本社ビルの建築を手掛けたヴォーリズについてなど、同社の源流とその発展の歴史を貴重な資料とともにたどる内容となっている。

 会場は同社大阪本社(西区江戸堀1の2の1、大阪市営地下鉄四つ橋線肥後橋駅すぐ)2階メモリアルホール。展示期間は9月28日まで。入館無料。開館は午前10時〜午後4時(入館は同3時半まで)。毎週土、日曜日、祝日は休館(7月14〜16日、8月11〜12日、9月15〜17日は開館)。

809よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/12(木) 07:05:40 ID:wcJK9wmk0
枕太鼓の練習 小学生威勢よく 大阪・茨木神社
2012.7.12 02:02
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120712/osk12071202020002-n1.htm

 茨木市元町の茨木神社で今月13、14日に行われる夏祭りに向け、小学生たちが祭りを盛り上げる枕太鼓の練習に取り組んでいる。境内では威勢のいいかけ声と太鼓をたたく音が鳴り響き、祭りの準備が着々と進んでいる。

 同神社の夏祭りは約300年の伝統があるといい、古くから「島下郡の祇園祭」として親しまれてきた。14日の本宮には、神輿(みこし)や枕太鼓が登場し、神社周辺を練り歩く。

 境内で行われている練習には、近くの小学校に通う5、6年生ら二十数人が参加。子供たちは太くて短い木製のばちを握り、「ヨイサー、ヨイサー」との大きなかけ声とともに、本番用の枕太鼓2台と太鼓に見立てた古タイヤを一生懸命たたいていた。

810よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/12(木) 21:09:00 ID:C.OPEedw0
「のしてーのしてー」威勢よく 杭全神社夏祭り始まる
2012年7月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120712/20120712029.html

 大阪市平野区の杭全(くまた)神社(藤江正謹宮司)の恒例の夏祭りが11日始まった。初日は早朝から布団太鼓の出発式が行われ、4日間の安全を祈願。その後、祭り装束の若者たちが威勢よく「のしてーのしてー」の掛け声とともに神社周辺を練り歩いた。

 町を9組に分け、各組のだんじりが境内に入る「宮入(みやいり)」には毎年多くの人が訪れ、にぎわいを見せる。布団太鼓の巡行には当番である「野堂町南組」をはじめ、すべての組が参加。練り歩いた後、同区平野東4丁目の樋乃尻橋にある祭壇でみこしを清める「足洗い神事」が執り行われた。

 祭りは14日まで。クライマックスのだんじりの「宮入」は13日夜に行われる。

811よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/13(金) 22:30:20 ID:sxcg7VYM0
江戸時代の豪商の古文書を一般公開=新選組の借用書も−大阪
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012071300650

 大同生命保険は創業110周年を記念して、14日から同社が保有する古文書約2500点の一部を一般公開する。大阪本社ビル(西区)2階メモリアルホールで、9月28日まで開催する。入館は無料。
 同社は、ルーツとなる江戸時代の豪商「加島屋」の古文書の分析を大阪大学などの研究者に委託し、世界初の先物市場として知られる大阪米市場の取引実態を示す史料などが見つかった。展示される古文書の中には、新選組が加島屋から400両を借金した借用書があり、局長の近藤勇と副長の土方歳三の名前が記されている。また、幕府の金融市場統制政策について幕府と加島屋など両替商とのやりとりを記した「御用日記」や、加島屋を含む両替商が、米価の買い支え資金として幕府に拠出した20万両の御用金控えなども展示される。

812よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/13(金) 22:32:29 ID:sxcg7VYM0
金銀みこし大阪城へ 生國魂神社夏祭り本宮
2012年7月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120713/20120713026.html

 「いくたまさん」の愛称で親しまれる生國魂神社(中山幸彦宮司・大阪市天王寺区)の夏祭りは12日、本宮を迎え、同神社元来の鎮座地である大阪城(同市中央区)への渡御などが執り行われた。

 築城前には同地に生國魂神社が鎮座し、大阪城への渡御はその里帰りにあたる。枕太鼓を先頭に獅子舞や金銀の神輿(みこし)などの渡御列が同神社を出発、大阪城内の鎮座跡を目指した。

 渡御列一行が大阪城公園内南西に位置する鎮座跡に到着すると、御羽車と金神輿、銀神輿を鎮座跡の駐輦(れん)所に据え置き、元宮著御(もとみやちゃくぎょ)祭を斎行。神職による祝詞奏上のほか、神楽や枕太鼓の奉納などが行われた。

813よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/13(金) 22:40:50 ID:cDW8FLLk0
大阪ロマン紀行

母なる森の「葛の葉姫」
今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年7月13日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/120713/20120713031.html

信太森神社(葛葉稲荷神社) 和泉市葛の葉町

 今回は信太森(しのだもり)神社、通称、葛葉稲荷(くずのはいなり)神社に伺った。創建は和銅元(708)年。この神社には有名すぎる伝説がある。ご存じの人も多いと思うので、簡単にあらすじをご紹介しよう。

 大阪阿倍野の里に住む安倍保名(あべのやすな)という若者が、家の再興を志して、信太の森の稲荷に日参していた。ある日、一匹の白狐(キツネ)が保名に助けを求めてきたのでかくまうと、追ってきた狩人と争いになり、保名は負傷し、その場に倒れてしまった。そこへ、一人の女性が現れ、彼を介抱した。名を葛の葉と言い、その後、保名と夫婦となり、男の子が生まれた。

 しばらくは幸せな生活が続くが、葛の葉が子どもに添い寝して眠っているうちに、神通力を失って元の姿にもどってしまった。葛の葉は実は助けた白狐であったのだ。

 自分の本来の姿を見られた葛の葉は、今後は一緒には住めないと、口にくわえた筆で障子に「恋しくは たづねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみくずの葉」という歌を残して去った。残された子は、後に出世して陰陽師となる安倍晴明である。

 この伝説が、古浄瑠璃の「信田妻」となり、歌舞伎の「芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」となった。歌舞伎は葛の葉の子別れの場面を中心に構成することが多く、そのときは「葛の葉子別れの場」「しのだ妻」というような名称となる。

 過去のさまざまな書物にも、この神社は記されていて、雑誌や書籍の類いは沼通子(ぬまみちこ)宮司も知らないところで掲載されていることが多い。古くは「和泉名所図会」(寛政8・1796年)や、境内にも掲示している「松井章之(てるゆき)参府日記」(安政3・1856年)に絵入りで描かれている。手塚治虫のマンガにも「悪右衛門」という作品がある。

 このごろは、昨今の安倍晴明ブームで、晴明の母とはどんな人か興味を持った人が訪れるという。境内を沼宮司に案内していただきながらお話を聞くと、なんと、この神社にはまだまだたくさん神様が祀(まつ)られていて、全部で68もの神様がいらっしゃる。しかも本殿に集めているのではなく、ちゃんとそれぞれ鳥居や祠(ほこら)があり、森の中に点在しているのだ。

 そう、ここは森なのである。昔はうっそうとした森の中を散策するように、一つ一つ、歩きながら巡って参ったのだろう。

 周りが森であることにあらためて気づくと、きつい日差しもやわらいで、木々の間を風がさわやかに通り過ぎていく。森全体がやさしい……。

 そうか、だからここは葛の葉の、母なる森なのである。

814よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/14(土) 06:20:07 ID:57U9VDtg0
国内最古の木造洋式灯台「旧堺燈台」 15、16日に内部公開
2012.7.13 17:56
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120713/wlf12071317590018-n1.htm

 堺市のシンボルとなっている国史跡「旧堺燈台」(堺区大浜北町)の内部が15、16の両日、無料公開される。「海の日」(16日)に合わせた恒例行事で市文化財課は「年に1度の機会に現存する国内最古の木造洋式灯台に親しんで」とPRしている。

 旧堺燈台は明治10年に建設。堺旧港の突端にあり、所在地が変わらずに現存する灯台としては国内最古のものの一つとして、昭和47年に国史跡に指定された。老朽化が激しかったため、市が平成13〜18年度に大規模な保存修理を行った。

 高さ11・3メートル。英国人技師が設計した美しい六角形の白い灯台は、周囲の埋め立てに伴って役割を終える昭和43年までの約100年間、堺港を照らし続けた。15、16の両日は午前10時〜午後4時、市文化財課の職員4人が常駐し、普段非公開の1階内部を特別に公開。灯台からの堺港の眺望なども楽しめる。問い合わせは市文化財課((電)072・228・7198)。

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816よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 08:19:11 ID:n262VVqo0
シカゴも驚いた!? 先端金融市場に響く大証の伝統「大株締め」
2012.7.14 17:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120714/wec12071417010002-n1.htm

 「打ーちまひょ、もひとつせー」−。

 大阪証券取引所は毎年最初の取引開始に先立って開く記念行事「大発会」や新規上場の記念式典で、独特の節回しの口上と拍子木(ひょうしぎ=木打ち)による「大株(だいかぶ)締め」を披露する。戦後、全国の取引所は一般的な「三本締め」で行事を納めるようになったが、大証では平成13(2001)年に56年ぶりに復活した。大証はデリバティブ(金融派生商品)取引きで東京証券取引所を凌駕(りょうが)する国内最大の取引所。そんな最先端の金融の世界で、なぜこんな“古めかしい”行事が復活したのか…。

 「打ーちまひょ」(拍子木でチョンチョン)

 「もひとつせー」(チョンチョン)

 「祝うて三度」(チョチョンのチョン)

 独特の掛け声と拍子木の組み合わせは、最先端のコンピューターシステムを駆使する証券取引所を考えると、どこかのんびりとした調子で、ユーモラスにさえ思える。

 これを拍子木を使わずに手拍子でやると「大阪締め」と呼ばれ、今も関西財界などの集まりではよく使われている。

817よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 08:22:49 ID:n262VVqo0
>>816

http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120714/wec12071417010002-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120714/wec12071417010002-n3.htm

 この「大株締め」の歴史は1730(享保15)年ごろまでさかのぼる。青物市場など、関西の流通経済の中心を担った大阪・中之島で、堂島米市場の契約成立時に使われた「手打ち」が発祥とされる。

あの“北浜の風雲児”、合理主義者だが文化を重視

 平成12年、大阪の手締めを研究していた大塚清明・大阪高検次席検事(当時)が、老舗の料亭から聞き取りや確認をしたところ、昭和20(1945)年に全国の取引所が一時閉鎖され、4年後に再開されたときには全国共通で三本締めになっていた。

 大塚氏がこの経緯をある会合で同席した巽悟朗・大証理事長(当時、故人)に指摘したことが見直しのきっかけになり、平成13年1月の大発会で56年ぶりに大株締めが復活した。

 巽氏といえば、25歳で光世証券を創業。一代で東京証券取引所1部上場を果たし、その豪快ぶりから「北浜の風雲児」と称された人物。大証と米ナスダックの提携に貢献した立役者としても知られる。

 北浜の地場証券関係者は「コンピューター化の最先端の業界にあって、巽さんは大阪証券マンの心意気を何らかの形で残したかったとも聞いている。批判的な意味で合理主義者と称された人だったが、その一方で文化の保護に理解があった」と振り返る。

 その後、大証は伝統を受け継ぎ、今日、新規上場など記念ごとがあるたびに大株締めで祝い続けており、上場会社や関係者から好評を得ている。

 今年5月にダウ工業株平均に関連した商品を上場した際、会場にはダウ指数のライセンスを持つ、米シカゴで商品取引所を運営するCMEグループ関係者が出席した。

 商品説明やくす玉有りといったセレモニーに続き、「これより大株締めで祝います」と、赤いひものついた拍子木を渡されると、CME関係者は一瞬面食らった後に破顔一笑。にこやかに拍子木を打ち鳴らした。

 大証関係者は「大株締めは上場日の記念として、経営者らに記憶にとどめてもらえる。他の証券取引所にはないサービス」と話している。

 ともすれば“非情”なイメージのある金融取引きの最先端と、温もりを感じる伝統文化のコントラストがどこか大阪らしく、社員の誇りにもなっているようだ。

(平岡康彦)

                           ◇

 【用語解説】大阪証券取引所

 1878(明治11)年大阪株式取引所として売買取引を開始。本社は大阪市中央区北浜。大証1、2部市場と新興企業向けのジャスダック市場があり、指数先物、オプション市場など、金融派生商品(デリバティブ)が得意分野。営業収益は224億円(平成24年3月期)、従業員は323人(同3月末)。来年1月に東京証券取引所と経営統合し、「日本取引所グループ」になる予定。

818よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 08:25:59 ID:n262VVqo0
縄文魂継いで豊かな大阪を 一心寺でシンポ
2012.7.15 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120715/osk12071502010001-n1.htm

 「大阪に“縄文魂”を!」と題するシンポジウムが14日、大阪市天王寺区の一心寺三千佛堂で開かれ、上田篤元大阪大教授らが「縄文時代の精神を受け継ぎ、幸福で豊かな大阪を築こう」などと訴えた。

 上田氏は講演で「自立自尊の精神で時代を築いた縄文人の心意気は、戦争が起きるたびに立ち直った大阪人の復興の原動力になっている」と指摘。こうした精神は、失敗が許されない官僚社会とは異なり、失敗を可とする大阪の中小企業の風土に引き継がれているのではないかとの見解を示した。

 講演を受けたパネルディスカッションでは、「日本は約1千兆円に上る借金国家となり、国民が自立をしていない」(平岡龍人・清風明育社理事長)、「縄文魂は大阪よりも日本人全体に呼び覚ますべきだ」(高口恭行・一心寺長老)などと意見が交わされた。

819よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 20:20:33 ID:Ncsc3MzE0
今日は「大阪港開港記念日」。意外と知らない、大阪港の歴史とは?
http://suumo.jp/journal/2012/07/15/24643/?vos=nsuusbsp20111206001

本日7月15日は、大阪港開港記念日。1868年のこの日、安治川の河口に開港されたことを記念して制定された。大阪港といえば、大阪府大阪市にある日本を代表する港湾。スーパー中枢港湾の指定を受けている、国際戦略港湾だ。

そもそも、大阪港の歴史は1400年前までさかのぼるとされている。それまで国際港として栄えていた難波津や住吉津といった海港が衰退してしまったため、安治川上流の川口波止場に運上所をつくり、大阪港として開港した。

しかし、安治川は洪水のたびに土砂がたまってしまい、大きな船が入れなくなる。そのため大型船は沖合いで小さな船に貨物を積みかえて、港に運ばなければいけなかった。そこで安治川河口に新しい大阪港を作ろうとなり、1897年に築港工事を開始して、約30年もの時間をかけて完成された。

その後大阪港は、1939年には取り扱い貨物量が3,000万トンを超える、日本一の港として繁栄。さらに、フェリーターミナルや客船ターミナル、鉄道や橋、スポーツ施設、住宅、学校などをつくり、いくつもの働きを兼ねた今のような新しい姿へと変わっていった。

ちなみに現在大阪市では、大阪港を通して海や港へより親しんでもらおうと、「大阪港みなとまつり」を開催中。本日は「大阪港カッターレース」や「大阪市長杯市民ヨットレース」、「ヨット体験乗艇」などが行われている。さらに、7月21日〜22日には「大阪港見学会」も予定されているなど、イベントが目白押しだ。

中でも目玉の「大阪湾クルーズ」には、今年は募集定員720名のところ、8114通もの応募があったという好評ぶり。抽選に外れた方も興味が出てきた方も、ぜひ来年また応募して、普段とは違った大阪港を楽しんでもらいたい。

820よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/15(日) 20:52:16 ID:Ncsc3MzE0
暗越奈良街道 歩いて知って 大阪、奈良の4団体でガイド制作
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120714-OYT8T00090.htm

 奈良時代から江戸時代に幹線道としてにぎわった暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)の見所約150か所を紹介するガイドブックを、街道沿いにある大阪と奈良の住民グループなど4団体が作った。それぞれ、各地域の旧跡を生かしたまちおこしなどを手がけてきたが、「街道を軸に名所をつなげれば、より広く発信できる」と協力した。「多くの人に訪れてもらい、歴史を実感してほしい」と呼び掛けている。(中山亨一)

 ガイドブックを作ったのは、大阪市東成区の「区未来わがまち推進会議」と、東大阪市の「まち・むら文化研究会」、奈良県生駒市の出版社「読書館」、奈良市の社団法人「奈良まちづくりセンター」。

 4団体はいずれも、地域の活性化につなげようと、長年、各地域の忘れられた旧跡やユニークな建造物などを探して紹介。活動を通じて知り合い、2008年に「暗越奈良街道倶楽部(くらぶ)」を結成、年1回シンポジウムを開くなどしてきた。昨年1月にガイドブック作りを始め、今年3月に完成。5月から販売している。

 ガイドブックでは、街道沿いにある見所を解説し、カラー写真を添えた。創建に聖徳太子が関わったとされる熊野大神宮(東成区大今里)や周辺の古民家、江戸時代に幕府が認めた街道唯一の宿場「松原宿」の道しるべ(東大阪市松原)など、さまざまな歴史について説明。表紙には、東大阪市と生駒市の境にある暗峠(標高455メートル)に残る江戸時代の石畳を掲載した。

 また、昭和のレトロな雰囲気が漂う「喫茶むらかみ」(東成区大今里)、河内平野の特産品・河内ブナの洗いなどが食べられる「居酒屋淡路屋」(東大阪市足代新町)など、地域に詳しい住民グループならではの情報も。付属のマップには、街道を歩く際の助けになるようにと、トイレやコンビニエンスストアも収録した。

 編集に携わった同倶楽部代表の松下和史さん(63)(東成区)は「名所は、長い歴史を今に伝える『まちの遺伝子』。ぜひ実際に歩いてみて」と話している。

 1500円(税込み)。216ページ。問い合わせは読書館(0743・73・0676)。

◆暗越奈良街道

 高麗橋(大阪市中央区)から春日大社(奈良市)に至る約40キロ。奈良時代に東大寺大仏建立に協力した仏僧・行基や、江戸時代の俳人松尾芭蕉も行き来した。生駒山の暗峠を越えることから命名された。現在は、一部が国道308号になっている。

(2012年7月14日 読売新聞)

821よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 11:17:45 ID:EEXiIliA0
再三兵火にさらされた「葛井寺」
2012.7.16 10:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n1.htm

 藤井寺駅前の商店街に入ると、まもなく左手に中国風の帽子をかぶった小さな石像が立っていた。目をまるくし、にっこりと笑った少年の像である。

 「井真成」とあり、「いのまなり」とルビをふっていた。かたわらには、藤井寺市観光案内所の入り口があった。観光パンフレットなどが置いてあり、「井」君はそのシンボルキャラクターとなっているらしい。

 2004年10月、中国の西安市で、日本からやってきた留学生の古い墓誌が見つかった。「井真成」という名前で、藤井寺が有力な出身地であった。

 だが「いのまなり」という訓読みをするのはあやまりで、ただしくは「せい・しんせい」であろう。「井」は、この商店街のすぐ先にある「葛井寺(ふじいでら)」を造った渡来系の葛井連の「井」だという。

 19歳で遣唐使船に乗って留学し、36歳で客死した「井」君の生涯を書いた墓誌の最後のくだりは、ちょっと泣かせる。

 「哀しきは茲(こ)れ遠方なること。形は既に異土に埋むるとも、魂は故郷に帰らんことを庶(こいねが)う」

 同時期、唐にわたり、百人一首にも採用された阿倍仲麻呂の「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」という、これまた哀切に満ちた歌を思い出させる墓誌である。

822よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 11:20:00 ID:EEXiIliA0
>>821

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n2.htm

 「井」君は勉学に励んだとあるが、仲麻呂のように中国の官位に就くまでにはいたっていない。

 常識的に考えれば、青春の17年間、ずっと勉強ばかりしていたとは思えない。色恋沙汰のひとつくらいは、あったはずであろう。なかったら、それこそ哀れである。

   *  *  *

 商店街のアーケードを抜けると、すぐ左手に葛井寺の伽藍(がらん)が建っていた。西国第五番札所である。四国八十八カ所とことなり、西国三十三カ所は観音霊場巡りである。とりわけ、この寺の千手観音菩薩は屈指の傑作とされ、国宝にも指定されている。

 西国巡礼の札所には、これまで十数カ所ほど見学したが、四国のお遍路さんのような集団参拝の客にはめったに会わない。

 だが歴史は四国よりも古い。三十三カ所は、和歌山県・熊野から岐阜県にまでまたがり、気軽にまわるというわけにはいかない。

 葛井寺は7世紀代の建築とされるから、「井」君が生まれたころには、完成したばかりの大伽藍が建ちならんでいたはずである。

 大きな藤の棚が、濃いミドリに濡れていた。千年ほどまえに訪れた花山法皇が、

 「まゐるより頼みをかくる葛井寺はなのうてなに紫の雲」

 と詠んだ。春には薄い紫色の藤の花が雲のように咲き乱れるのである。山号を「紫雲山」とよぶゆえんである。

823よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 11:21:56 ID:EEXiIliA0
>>821>>822

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n4.htm

 それにしても、こぢんまりとした古刹である。白洲正子の『西国巡礼』でも、「何となく、町に侵蝕(しんしょく)されたという感じで、閑散とした境内は、子供達の遊び場になっている」と、拍子抜けしたように書いている。

 あたりの古墳群は砦(とりで)として「再利用」できたため、南北朝時代から戦国期にかけて再三、戦場となった。この寺も兵火にさらされた。なかでも有名なのは、「藤井寺の合戦」である。

   *  *  *

 勝算のまったくない神戸・湊川の戦いに向かうまえ、楠木正成は摂津・桜井で、息子の正行(まさつら)と今生の別れをした。「青葉茂れる桜井の〜」の唱歌とともに、戦前はだれもが知っていた。

 異説はあるが、このとき、正行は13歳だったとされる。それから11年後の正平2(1347)年には、24歳になっていることになる。

 この頃から正行はときたま、摂津方面に進出し、得意のゲリラ戦を展開した。「あの正成の遺児が……」と京方も驚き、同年夏、細川顕氏を大将とする3千余騎を藤井寺に派遣した。

 正行勢は約700騎、正規戦ではまず勝てない。「誉田の八幡宮の後ろなる山陰」(『太平記』)に潜み、菊水の旗をはためかせ、突入した。

 藤井寺球場跡付近にさしかかったあたりで、正行は「いてまえ!」と雄叫(おたけ)びをあげたにちがいない。この「いてまえ攻撃」のまえに、大混乱に陥った細川勢はたちまち潰走し、300騎が討ち死にしてしまった。

 葛井寺を出て、商店街の反対側に辛国神社という、これまた由緒ありげな神社があった。「からくに」と読むから、渡来人と関係のある社であろう。

 さらに行くと、住宅街の一角に、先端が二股に分かれた屋根を持つ「シュラホール」という、ユニークなかたちをした建物に行きあたった。もうだいぶまえ、巨石を運ぶ「修羅」が見つかったという記事を読んだことがあった。屋根はその修羅をかたどっている。

 「阿修羅」というコトバが浮かんだ。「井」君は阿修羅の決意を持って唐にわたり、正行は阿修羅の形相で突撃したのであろう。

824よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:37:10 ID:DhF/6Gtk0
福島天満宮天神祭「一番みこし」 25年ぶり修復
2012年7月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120715/20120715031.html

 福島天満宮(大阪市福島区福島2丁目)の天神祭(7月24、25日)を前に、老朽化のため約25年ぶりに行っていた陸渡御で巡行する「一番神輿(みこし)」の修復作業が、このほど終わった。神輿に再びきらびやかな輝きが戻り、一番神輿の巡行に携わる福島天満宮八丁目西町会神輿講と、福島天満宮七丁目南町会神輿講の講員らは、神輿を通じた街の活性化に期待を込める。

 二つの講は天神祭宵宮の7月24日、陸渡御で一番神輿による氏地の巡行を交互に担当してきた。しかし担ぎ手の高齢化により長年、神輿を台車に載せて執り行うのが慣例化していた。そんな中、「神輿はやっぱり担ぐもの」と、昨年の天神祭では約15年ぶりに、八丁目西町会神輿講が、御輿を担いでの巡行を復活させた。

 一方、地元の関係者によると、現在巡行で使われている神輿はおそらく戦前に作られていたとされ、約25年前には修復したという。しかし神輿の上部に設置されている鳳凰像の尻尾が折れるなど、老朽化が目立っていた。昨年は巡行中に御神体の鏡が脱落する事態も起きた。

 そのため修復を求める声が上がり、二つの講が修復費用の約110万円を集め、同区の宮匠永田神器に修復を依頼。鳳凰像の尻尾が復元されたほか、剥がれていた金箔などが張り替えられるなどして、輝きを取り戻した。

 八丁目西町会神輿講総代の渡部基義さん(63)は「去年15年ぶりに担いだことで、今まで傷んでいたところに負担がかかったかもしれない。これからも大切に使っていきたい」と今年の巡行を待ち望む。七丁目南町会神輿講総代の古高英比己さん(64)は「神輿がきれいになり、街が活気づけば」と期待を込める。

825よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:39:53 ID:DhF/6Gtk0
[Naniwaなう]地域の誇り一新
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120716-OYT8T00115.htm

 だんじりやふとん太鼓がにぎやかに巡行する堺の秋祭り。そんな伝統を守ろうと堺市西区草部、石橋自治会(約700世帯)は約120年間使ってきただんじりを6年がかりで新調した=写真=。

 高さは3・8メートル余り、重さは4トン。岐阜県産の15トン以上の原木から質の良い中心部分を使った総ケヤキ造り。浦島伝説を表現した細かな彫刻が施されている。

 テンポと威勢の良い音を奏でる大太鼓やだんじりを保管する地車(だんじり)庫などの刷新を含めた総事業費は約1億5000万円。地域住民の寄付でまかなった。

 新調委員会の木綿哲也さん(69)は「お年寄りから子どもまで団結するだんじりは時代とともに希薄になったコミュニケーションの場にもなる。伝統を次代に引き継ぎたい」。

 16日、地元の日部(くさべ)神社での入魂式後、記念曳行(えいこう)される。(夏)

(2012年7月16日 読売新聞)

826よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:40:48 ID:DhF/6Gtk0
陸渡御250人ミナミ練る 難波八阪神社夏祭
2012年7月15日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120715/20120715027.html

 巨大な獅子舞台で有名な大阪市浪速区の難波八阪神社の夏祭本宮祭が14日、開かれた。前日の道頓堀川などでの船渡御に続き、約250人が市内を練り歩く陸渡御が執り行われた。

 陸渡御は、氏子衆らが境内の渡御祭典で身を清めた後、先導役の猿田彦を先頭に出発。子どもたちが勢いよくたたく太鼓や、屋根に鳳凰の飾りを載せるみこし、にぎやかなだんじりなどが続いた。

 渡御列は、氏子地域となる同区や西区、中央区を巡行。大阪ミナミに夏祭りの音色が響き渡った。

 渡御委員長を務めた氏子総代会の甲斐幸治会長は「一人でも多くご参拝いただき、難波八阪神社が繁栄していけば」と思いを込めていた。

 難波八阪神社は、高さ12メートル、幅7メートル、奥行き7メートルの巨大獅子頭の中に舞台がある獅子舞台があることなどで知られる。

827よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:45:13 ID:DhF/6Gtk0
一足早く祭りムード 天神祭を前に催太鼓台絡み
2012年7月16日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120716/20120716034.html

 日本三大祭りの一つ、「天神祭」(24、25日)を前に15日、大阪市北区の大阪天満宮では、25日に斎行される陸渡御の先陣を切る催(もよおし)太鼓の担ぎ棒などを組み付ける「台絡み」が執り行われた。大阪市内ではこのほか、同祭を盛り上げようと企画されている創作浴衣のファッションショー「天神祭コレクション」のリハーサル、奉納ドラゴンボート大会も行われ、一足早く祭りムードを盛り上げた。

 大阪市北区の大阪天満宮では、催(もよおし)太鼓の台絡みが行われた。太鼓を担ぐ「太鼓中」のメンバー約千人のうち約320人が、台に担ぎ棒を組み付ける作業などを行った。

 催太鼓は25日の陸渡御の先頭を務める大役で、太鼓を打ち鳴らす願人(がんじ)や担ぎ手らが「チェーサジャー」の掛け声で勇壮に進む。23日夜の前夜祭、24日の宵宮にも登場する。

 この日、午前6時ごろから集まった太鼓中のメンバーは、麻ひもを結んだり、担ぎ棒を押さえて木づちでたたいて締め付けを強くしたりと、声を掛け合いながら伝統の手法に従って作業を進めていた。

 本殿では、「太鼓中願人定書授与式」が行われ、寺井種伯宮司から定書を受け取った36人の願人は、気持ちを引き締めていた。願人の一人で寝屋川市の豊田光昭さん(23)は「ことしで8年目。全力でやり、みんなを引っ張っていきたい」と意気込んでいた。

 戦後第1回から催太鼓に携わってきた太鼓中の島田学総代(85)と西川輝彦幹事長(73)は「けがのないよう、無事に終わってくれれば」と作業を見守り、祭りの安全を祈っていた。

828名無しさん:2012/07/16(月) 23:49:54 ID:NljF3Dd.0
>>823
>>821>>822

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071610010000-n4.htm


> 藤井寺球場跡付近にさしかかったあたりで、正行は「いてまえ!」と雄叫(おたけ)びをあげたにちがいない。この「いてまえ攻撃」のまえに、大混乱に陥った細川勢はたちまち潰走し、300騎が討ち死にしてしまった。

藤井寺球場が出ているのは大阪近鉄バファローズのいてまえ打線に掛けているから
産経新聞なのにこういう記事が書ける人がいることに驚きます

829よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/16(月) 23:59:29 ID:DhF/6Gtk0
大阪の三大夏祭りに「生玉さん」は欠かせない
2012.7.16 16:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071616310006-n1.htm

 大阪三大夏祭りというと、皆さんは何を挙げるだろう。

 大阪天満宮の「天神祭」は文句なしだ。京都の祇園祭、東京の神田祭とともに日本三大祭りにも数えられるし、7月25日の本宮に大川を舞台に繰り広げられるメーンイベントの船渡御と花火は、例年、ちょうど梅雨が明ける頃で、なにわの夏をひときわ熱くする。

 これも異論がないのは住吉大社の「住吉祭」だろう。7月30日から8月1日までの、夏祭りシーズンの締めくくりである。

 なにしろ住吉さんは、お正月の初詣の人出が大阪ではダントツのメジャーな神社だ。仁徳天皇が開いたとされる住吉津に鎮座する海の神で、古くは遣隋使、遣唐使を守護し、のちの元寇の際には社前で蒙古撃退の浜祈祷(きとう)が行われた。住吉祭は大阪中をお祓いする「お清め」の意味があるという。

                    ◇

 で、もう一つだが、これは意見が分かれる。

 どうやら多数意見は「愛染まつり」のようだ。四天王寺の別院・愛染堂勝鬘(髪の友の部分が曼)院の夏祭りで、6月30日の宵宮から7月1日の本宮、2日の残り福は三大夏祭りのさきがけとされる。

 公募で選ばれた愛染娘が浴衣姿で参加することや、この時期から浴衣を着始めることから「浴衣まつり」とも呼ばれる。「宝恵駕籠(ほえかご)」のパレードなど華やかさでも群を抜いている。

 大阪の夏祭りは、愛染まつりから始まって住吉祭で終わるところから「あい(愛)すみ(住)ません」と言うそうだ。

830よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/17(火) 00:01:05 ID:DhF/6Gtk0
>>829

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071616310006-n2.htm

 だが、異論を唱えたい。やはり大阪三大夏祭りのさきがけは生国魂(いくくにたま)神社の「いくたま夏祭」だと思うからだ。

 生国魂神社は神武東征の際、大八洲(おおやしま)(日本列島)の御霊である生島大神・足島大神を祀(まつ)ったと伝えられる大阪で最古の神社である。

 古代、大阪は海で、淀川、大和川が運んだ土砂によって次々に島が生まれた。八十島(やそしま)と呼ばれ、それが日本の国土を意味した。

 当初、生国魂神社は上町台地の北端にあったが、豊臣秀吉がその地に大坂城を築城、明け渡して現在の天王寺区生玉町に移った。

 いくたま夏祭は7月11日が宵宮、12日が本宮だが、ハイライトは「陸の生玉」「川の天神」と並び称された元宮の大阪城まで巡行する陸渡御である。明治から昭和初期にかけての最盛期には数千人が行列に参加して、先頭が大阪城に到着しているのに最後尾はまだ神社を出発していないほどだったという。

                        ◇

 ところが、現在は交通事情から陸渡御はトラックによる巡行になってしまった。

831よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/17(火) 00:04:31 ID:DhF/6Gtk0
>>829>>830

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071616310006-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120716/wlf12071616310006-n4.htm

 生国魂神社そのものも歴史に翻弄された。戦争中、空襲で社殿のあらかたが焼け、宝物や貴重な資料も焼失、散逸してしまった。本殿は戦後まもなく再建されたが、今度はジェーン台風によって倒壊してしまう。それでも寄進で昭和31(1956)年に鉄筋コンクリートの本殿が建てられ、夏祭も地元の人たちの熱意によって再興された。

 神様のお通りを知らせる勇壮な枕太鼓や、子供たちが演じる獅子舞お練りなどは、ほかにはない由緒ある行事だ。

 以前、中山幸彦宮司に取材したことがある。橋下徹大阪市長が、府知事時代に大阪都構想をぶち上げた頃で、中山宮司は、これは冗談ですが、と断って、「大阪府庁はあるところも昔は生国魂神社の境内でした。もし、大阪都になって府庁が移転するのなら、お返し願いたいものです」。

 だが、これは本気です、と。「せめてお祭りは昔のようににぎやかにしたい。行列で陸渡御ができるように、交通規制など知事さんも力を貸してもらえませんかね」。

 かつて勤めた大阪天満宮で、ギャルみこしを実現するばど天神祭を盛り上げたアイデア宮司である。

 いくたま夏祭が異論なく大阪三大夏祭りに数えられるようになるのも近いと思う。いや、愛染まつりも加えて四大夏祭りでいいではないか。

>「せめてお祭りは昔のようににぎやかにしたい。行列で陸渡御ができるように、交通規制など知事さんも力を貸してもらえませんかね」。

 これは本当に何とかならないものでしょうか。
 交通量が少ない時間帯を選ぶとかすれば、何とか出来ると思うのですが。

832よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/17(火) 22:53:46 ID:Rwt6YnsM0
囃子交え花娘ら天神祭PR リーフレット手渡す
2012年7月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120717/20120717032.html

 天神祭(24、25日)を目前に控えた16日、大阪市北区のディアモール大阪や都島区の京阪京橋駅などで天神天満花娘らが同祭をPR。にぎやかなだんじり囃子(ばやし)が通行人らの注目を集めた。

 ディアモール大阪では、天満宮の象徴である梅をあしらった花飾りをかぶった花娘らが、「そうらえ 聞きそうらえ われら天神花娘−」と口上を披露。天神祭を紹介するリーフレットを通行人らに手渡し、PRした。

 まただんじり囃子「車楽(しゃがく)」のメンバーらが、お囃子と龍おどりを披露。買い物客であふれるディアモール一帯を祭りムードで包んだ。

 天神橋筋商店連合会の土居年樹会長は「みなの安全・安心を願い、祝う一日。たくさんの方々にお越しいただき、楽しんでいただければ」と祭りへの来場を呼び掛けていた。

833名無しさん:2012/07/18(水) 15:37:42 ID:rKMyAT7Q0
文楽協会への補助金全額カット、これ余裕のない大阪市ではなく金持ちのパトロンがここぞと保護するチャンスですよ。

芸術文化に理解がなく全部経済面でフラットに見る政治手法の橋下さんじゃ無理もないから、いっそ文化人コンプレックスのある石原さんが保護すればいいのではないかな?

東京都が金出して文楽を保護すればいいと思う。ケチらずどーんと太っ腹なところを東京は見せるべき。
文楽を守るのは金持ちの仕事!

834よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/18(水) 20:46:35 ID:xt8fH85k0
いや石原が都知事の東京じゃダメでしょう。
文化人コンプレックスをこじらせて何が良いかが分からなくなっているしね。


都民の税金を石原慎太郎家臣団が食い漁る
http://www.asahi.com/business/aera/TKY200612180178.html

 豪華視察、度を過ぎた身内登用と公費出張――。剛腕、石原慎太郎知事の足元がざわついている。「無駄遣い許さず」の言葉は誰に向けていたのか。国のせいではない。事務方のせいでもない。家臣団を束ねる知事の自覚こそ問われている。(編集部・藤生明)

     ◇

 東京都庁7階の会議室に、石原慎太郎知事の四男延啓氏が描いた曼陀羅模様の絵が飾られている。知事はもともと画家志望で、息子の絵を前に誇らしげだという。その知事が、よもや「私のトップダウン」とみえを切って始めた文化事業「トーキョーワンダーサイト」(TWS)で、しかも自分の夢を叶えてくれた息子をめぐってケチがつくとは、思いもよらなかったに違いない。

 「適正な手続きを経て旅費の費用弁償を受けたもので、違法性も問題もない」

 12月7日夕の都議会本会議場。四男の公費出張を執拗に追及する野党議員に、知事は不機嫌極まりない様子で、そう答えた。

 ●憶測呼ぶ「指示」メール

 TWS事業は、若手芸術家の育成を目的に2001年度から始まった知事肝いりの事業。本郷、渋谷、青山の3カ所に施設がオープンし、発表や制作の場として内外の芸術家に提供されている。

 この事業に当初から深く関わってきた四男をめぐって、二つの公費出張が発覚した。一つは、TWSのアドバイザリー委員に1カ月就任し、その間にドイツとフランスへTWS館長夫妻らと一緒に渡航した一件。もう一つは、ダボス会議(04年)で都が催したパーティーをめぐり、事前調査と合わせて2度現地を訪ねていた一件だ。

 特にダボスの一件では、四男の旅費約130万円が、パーティーで太鼓公演をした演奏者への会場装飾委託費に組み込まれていたことから、様々な憶測を呼んでいる。それというのも、公演の舞台背景「鏡板」を制作した四男の旅費支払いについて記した「指示文書」ともいえそうなメールが存在するからだ。

 そのメールは、荒川満文化振興部長(当時)が、公演に関わっていた都参与の今村有策TWS館長に送った業務連絡で、03年11月26日発信の文面には、こうある。

 《都と○○さん(太鼓演奏者)とで公演委託契約を結びます。その契約の中に鏡板制作費を盛り込まさせていただきます。この鏡板は、○○さんから延啓さんに制作発注してもらいます。延啓さんの旅費も含めて》

 当の荒川氏は、

 「太鼓演奏者が四男を芸術家として指名したもので、公費の迂回支出では決してない」

 と言うのだが、編集部が独自に手に入れた領収書や見積書と重ね合わせると、この説明はいかにも不自然にみえる。

835よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/18(水) 20:47:20 ID:xt8fH85k0
>>834

●芸術家仲間招くサロン

 たとえば、渡航滞在費。「事前調査時@61万7440円*2、公演時@63万8940円*2」と記された見積書は、メールから20日も後の12月17日付。都側がおぜん立てし、見積書に延啓氏を含めた2人分の渡航費を盛り込ませた、と読み取るのが自然だろう。

 事情をよく知る都職員は言う。

 「四男のドイツ・フランス公費出張が問題になった後ですから、ダボスにも行っていたとは、とても言えない。しかし、共産党や新聞社が噂を聞きつけ、情報公開を仕かけてきた。『メールも明細もなかったことにしよう』と信じられない議論までされたようです」

 かつて、薬害エイズ問題で厚生省がないと言っていた文書が大臣の一喝でロッカーから「発見」されたことがあったが、存在する文書を「ない」と言えば、都民を裏切る行為だ。メールの写しが出回っていたため観念したようだが、現物が外部に漏れていなかったら「公費出張」は闇に葬られてしまったのではないか。

 別の都関係者は、こう解説する。

 「そもそも、知事は家族がすべて。四男の活躍する場を自分がつくったとはさすがに言いませんが、本郷のTWSに、息子の芸術家仲間を招いてブランデーを傾ける、そんなサロン化した様子は庁内で知られていました。画家になりたかった知事にとって、この事業は特別な思いがあるんですよ」

 ●日テレ氏家氏が諫言

 そもそも、延啓氏とはどんな人物なのだろうか。次男の良純氏が書いた『石原家の人びと』(新潮文庫)には、こんな一文がある。

 《弟はそのまま画家の道を選んでしまった。そんな弟の選択に親父が反対しようはずもない。自分のやりたかったことを子供にやらせる、親父の深遠なる計画にまんまと引っかかったとも解釈できる》

 慶大2年の時、水球部をやめ、画家で生きることを宣言した。大学卒業後、ニューヨークへ。そこで留学仲間として知り合ったのが、知事特別秘書の高井英樹氏と今村氏だった。高井氏は石原氏の秘書になり、知事当選とともに都庁に乗り込んだ。その2年半後、今村氏も参与に抜擢された。

 「だから、知事に忠誠を示すためにも、みんなで延啓さんをもり立てる、彼らの中では至極当然の行動原理なんですよ」(都関係者)

 知事は今村氏について「単に延啓氏の友人だから選んだのではない」と最近の記者会見でも説明している。だが、外野からは、息子の友人ゆえに公職に就いたように見えるから皮肉だ。その上、知事の厚い信頼に反して今村氏の評判が内外で芳しくないことが、皮肉な見方を助長してもいる。

 04年の都監査報告は、TWSのずさんな運営の改善を求めている。

 《事業計画の決定と決算の認定が審議されないまま、補助金の申請と精算書を提出している》

 《事業経費配分、事業内容の変更、中止や廃止には、都の承認が必要なのに手続きがされていない》

 税金の使い道が厳しく問われるこのご時世に、知事肝いりの事業が手続きを無視して運営されてきたとは驚きなのだが、ある関係者は、TWS事業が都歴史文化財団(理事長・氏家齊一郎日本テレビ取締役会議長)に統合されてもなお常勤21人態勢が整わず、派遣の事務方2人が切り盛りしている、と嘆く。

 「今村で大丈夫なのか。四男をかわいがりすぎるのもどうか」

 11月上旬にあったTWS青山の開所式の際、氏家氏が知事に、そう諌言した。氏家氏は、今村氏が03年に主導した「能オペラ」が頓挫したことで、今村氏に懲りたと言われている。知事は一言も返さずに黙っていたが、見るからに不機嫌な様子になったという。

 一目も二目も置く氏家氏の一言。肝に銘じたのかと思いきや、その後の追及にも、こう反論し続けている。

 「違法なんですか、違法だったら指摘してほしい」

836よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/18(水) 20:48:18 ID:xt8fH85k0
>>834>>835

●知事名代で浜渦氏訪欧

 長野県政策アドバイザーを務めた青山貞一武蔵工大教授(公共政策論)は、こう批判する。

 「李下に冠を正さずのたとえどおり、政治家は、身内なり側近を説明責任が十分果たせないような形で重用・登用することには慎重であるべきです。違法でなければ何をしてもいいなんてことは、政治家にはありえません」

 この秋、都庁で、もう一つの欧州旅行が噂になっていた。その主は、昨年自民党との暗闘の末に辞職した浜渦武生前副知事。知事も同氏の専横を認めたはずが、今年7月末に参与として都庁に返り咲いた。9月、ベネチアの国際建築展に参加し、ウィーン、プラハと訪ね歩いたというのだ。

 知事の推薦文には、こうある。

 《浜渦参与は都市計画行政分野を担当していた前副知事、(中略)私の代わりに赴く人物として最適であると考えております》

 かくして浜渦氏は、都市整備局技監ら4人を引き連れて欧州3カ国を歴訪したのだが、元都最高幹部の一人は首をかしげる。

 「知事名代は副知事の役割です。前副知事といっても、今は参与。問責決議もされた人をなぜ」

 ところが、浜渦氏は厚遇されたようだ。

 まず、航空運賃。「8時間以上のフライトで体力的に厳しい」などとして、往復ともエコノミークラスからビジネスクラス(計92万2200円)へとアップグレード。さらにベネチアのホテルでは、参与の条例規定額1泊1万8800円をはるかに超える6万1000円(食卓料6700円含む)に切り替えた。

 「出張が急だった」「秋の観光シーズンと重なった」が増額の理由で、一行の予定経費は約835万円に膨らんだ。そもそも訪欧の約10日前になって名代を立て、高額の出張を組む必要があったのだろうか。

837よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/18(水) 20:49:15 ID:xt8fH85k0
>>834>>835>>836

●高額な知事交際費

 騒動の中、知事の新刊『もう、税金の無駄遣いは許さない!』(WAC刊)が出された。都が今春導入した新会計方式をつづった内容で、知事はこう書いている。

 《無駄遣いを許さないこの上なく強力な方法を編み出した》

 高らかに宣言した知事に期待したいところだが、一連の知事発言を聞く限り、にわかには信じられない。

 市民の知る権利擁護を目的に活動している情報公開クリアリングハウスの三木由希子室長は、高額な公費出張や知事の豪華出張に関する報道からこんな感想をもった。

 「自分では説明がついていると思っている節があるのですが、客観的にみて、あれで説明がついていると思っている人は少ないんじゃないでしょうか」

 そして、目を通したことがある都知事交際費の開示資料を例に、こう付け加えた。

 「あれは『知事の交際費』ではなくて、『政治家個人の交際費』といった中身でした。友達の有名人など、都の支出基準から考えると信じられない金額。いまどきの他県の知事交際費は儀礼的なものですが、石原知事は質が違うんですよ」

 知事が率いた政策集団「黎明の会」で事務局長だった大貫悦司氏は、知事の心中を、こう忖度する。

 「『オレはこれだけ東京のために成果をあげている。だから、そんな小さなことで何を言っているんだ』と石原さんは思っているのかもしれませんね。古い政治家にはそうした傾向がありましたが、今の時代、手続きが重要。もう通用しないんですけれどね」

838名無しさん:2012/07/19(木) 02:17:29 ID:F4/fewOY0
文楽は大阪を捨てて東京に越させましょう。
補助金全額って3900万円でしたか?
東京で、伝統文化を守ろう!

と言いたいが・・・石原都知事ねえ。
芸術コンプではあるが・・・

839よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/19(木) 06:26:36 ID:JWAZTDx.0
オフィス街で武者行列
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003600521.html

大阪の御霊神社で夏祭りが行われ、よろいやかぶとをつけた武者行列がオフィス街を練り歩きました。18日は、江戸時代から続く武者行列を再現しようと、よろいやかぶとをつけた武者姿の氏子など約150人が、午後2時に神社を出発しました。
大阪・中央区の御霊神社の周辺には、江戸時代、土佐藩や島津藩などの蔵屋敷がたち並び、大勢の武士や商人でにぎわいました。
武者姿の一行が太鼓やひちりきの音色とともに御堂筋のオフィス街を練り歩くと、道ゆく人たちは、江戸時代さながらの行列に驚いた様子で、足を止めて眺めたり写真をとったりしていました。
このあと、一行は淀屋橋の船着き場から5そうの船に乗り込み、大阪の中心部を流れる木津川や道頓堀川を回遊する船渡御を行いました。
船渡御は、大阪を元気づけようと、去年約140年ぶりに復活したということです。

07月18日 21時06分

840名無しさん:2012/07/19(木) 08:30:57 ID:J4nD8NLc0
>文楽は大阪を捨てて東京に越させましょう。

なんでそんな事をさせなきゃいけないんでしょう?
なんか変な人間が混じってますね。

841名無しさん:2012/07/19(木) 08:34:03 ID:lA46cLCQ0
>>文楽は大阪を捨てて東京に越させましょう。
>なんでそんな事をさせなきゃいけないんでしょう?
>なんか変な人間が混じってますね。

そのあとを読めばわかるでしょうが、単なる皮肉ですよ。

842よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/20(金) 22:10:52 ID:U65AqPNo0
「日本の文化は神話から」 大阪で講演会 滋賀
2012.7.20 02:17
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120720/shg12072002170003-n1.htm

 産経読者ファンクラブ・ウェーブ産経の文化サロン「神話で日本を元気に」の第1回講演会が19日、大阪市浪速区の産経新聞大阪本社で開かれた。枚岡神社(大阪府東大阪市)の中東弘宮司が「国生み・神生み」と題して講演した。

 会員約150人が参加。中東宮司はまず「古い神道の中に先人の知恵があり、日本の文化は神話を知らないと分からない」と神話の大切さを強調。

 その上で古事記の国生み神話を紹介し、人と人とを結ぶ神ともされる高御産巣日(たかみむすびの)神について「中間子も素粒子も知らない祖先が、何か結ぶための力があることを感性で分かっていた」と解説。「国生みで誕生した島々には、人々が大陸から渡ってきた流れが書かれていると思う」と述べた。第2回は9月19日に「天の岩戸」をテーマに開かれる。

843名無しさん:2012/07/20(金) 23:10:47 ID:NljF3Dd.0
普段、大阪を犯罪の巣ごとく決めつけている産経がこんなことをするなんて
どういうことだろう?

844名無しさん:2012/07/21(土) 00:10:26 ID:F4/fewOY0
古事記ブームに乗ろうってことじゃないですか?

845よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:34:12 ID:zXYqpNSw0
「発見」が楽しい天神祭
2012.7.22 13:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120722/wlf12072213000012-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120722/wlf12072213000012-n2.htm

 夏祭りの季節。祇園祭も天神祭も若いころに行ったきりで、この猛暑の最中、人混みに突っ込んでいく元気はとてもないが、祭りへの関心はこの年になってふくらんでいる気がする。

 そもそもの由来とか変遷とか。とくに大阪最大の祭り、天神祭については地元だけあってお勉強の機会に事欠かない。思いがけない発見に「へええ」といちいち感心できるのもうれしい。由緒なんてどうでもよかった時代にはわからなかった祭りの楽しみ方のひとつ。

 昨年は大阪天満宮文化研究所の高島幸次さんの話を聞く機会があった。夏祭りには疫病払いの意味合いがあり江戸時代すでに40万人が住んだ密集都市では重要な行事であったとか、御迎え人形とか大阪締めとか見物客を楽しませる仕掛けが多く臨機応変に行事を変えるサービス精神があるとか、大阪に軸足を置いた話が面白かった。

 ことしは同じ天満宮文化研究所の研究員、近江晴子さんの話を聞く機会に恵まれた。昭和16年生まれ、船場の商家に育ったことから大阪の古い習慣にも精通しており、おっとりと上品な船場言葉でのお話をたっぷり楽しんだ。

 歴史研究の一端を知る思いだったのが天神祭が古文書にどう登場するかの話。由緒では祭りの始まりは天満宮鎮座の2年後、951年だが、文書ではお公家さんが平安末期に詠んだ漢詩で初めて登場する。その後もお公家さんの祭礼見物として記述が残る。そうかお公家さんか。だから古い記述は京都が手厚いのだ、などと妙に納得。

 天神祭が江戸時代に隆盛を誇るようになったのは、御旅所(おたびしょ)がざこば(いまの西区)に移動してから。魚市場の面々が天満宮の氏子になり、もともとの天満の青物市場、堂島の米市場がそろって天神祭を支え、商都・大阪を代表する祭りになった。などなど古地図をもとに聞くのも興味深い体験だった。

 天神祭のごちそうに欠かせないのはハモ、タコ、きくらげ入りの白天。「大阪でも年中行事は仕出料理。店員さんも同じもん食べました。大阪はケチやといわれますが、やるときはやりますよ」

 御迎え人形随一の男前、近江さんイチ押しの「安部保名(あべのやすな)」も一度お目もじしたい。

(編集委員・石野伸子)

846よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:36:23 ID:zXYqpNSw0
お皿も食べられまっせ! ゴミ減量 天神祭に向け開発
2012.7.21 18:30
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120721/wlf12072118300024-n1.htm

 大阪の夏の風物詩「天神祭」がクライマックスを迎える25日の本宮で出る大量のごみを減らそうと、協賛企業のセキュリティー会社「関西SCシステム」(大阪市中央区)の矢口浩二社長(39)が、えびせんべいと同じ材料で作った「食べられるトレイ」を開発した。

 大勢の観光客らでにぎわう本宮の翌日は例年、船渡御や奉納花火大会などが行われる大川沿いなどで大量のごみが発生。矢口社長は「ボランティア500人が3日間清掃しても片付けきれないほど」と話し、ごみを減らすだけでなく、天神祭をごみ問題を考えるきっかけにしてもらおうとトレイを考案したという。

 原材料はデンプンやエビなどでサイズは縦10センチ、横14センチ、深さ2センチ。たこ焼きや焼きそばを載せてもソースが漏れ出さないようプレスして密度を高め、深さ1ミリの凹凸を入れて格子模様の底にするなど工夫した。

 船渡御の奉拝船に計460枚を無償で提供する。効果をみて、今後導入を検討する。

847よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:46:51 ID:zXYqpNSw0
浪華紙魚百景 
大商大商業史博だより

淀川治水の利害関係
2012年7月18日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120718/20120718039.html

江州瀬田川洲浚絵図

 先日、夜間の大雨による大和川の増水で、通勤に使っているJR大和路線のダイヤが早朝から乱れた。徐行運転中の車窓から見ると河川敷の公園が水没しており、大量の水流の静かなうねりに巨大な生き物の蠕動(ぜんどう)のような不気味さを感じた。

 昔から河川の増水は流域の住民にとって脅威であった。大阪商業大学商業史博物館蔵の「河内国若江郡御厨村加藤家文書」には、享和2(1802)年の大雨による水害の記録が残されている。

 6月28日から降り続いた大雨で7月1日に茨田郡点野村・仁和寺村両所(現在の寝屋川市)の淀川堤防が決壊し、その水害は若江郡御厨村(現在の東大阪市御厨)にまで及んだ。御厨村の記録には7月2日から居宅床上1・2尺ほども浸水したと記されている。このように淀川の決壊は、沿岸地域だけではなく、かなり広い範囲に影響を及ぼしたことが分かる。

 さて、「河内国若江郡御厨村加藤家文書」の中には、江戸時代の「江州瀬田川洲浚絵図」が含まれる。この絵図は明確な年代表記はないが、比較的保存状態の良い鮮明な彩色図で、堆積した土砂の浚渫(しゅんせつ)箇所を図示した瀬田川の治水資料である。瀬田川は琵琶湖畔の近江国にあり、地理的にはかなり離れているのに、なぜ御厨村にこの絵図が残ったのだろうか。

 淀川の上流にあたる瀬田川沿岸地域とその下流域の摂津・河内の淀川及びその支流の沿岸地域は川続きのため、治水の状況いかんが相互に甚大な影響を及ぼす。たびたび、浸水の被害に悩まされていた湖辺の村々からの、文政9(1826)年の瀬田川浚渫願を受けて、幕府は文政10(1827)年に淀川沿岸の村々に瀬田川浚渫の承認を迫った。

 これに対し同年8月、土地が低い淀川通南水場摂河州165カ村は下流域の増水を恐れて、この瀬田川浚渫の中止を求める歎願書を奉行所に提出している。その中に御厨村が含まれていた(加藤家文書「江州勢田川浚差障ニ付歎御願写」)。

 この反対運動は同一利害に基づく摂津・河内の大規模な治水連合の形成を短期間に促し、最終的には摂河309カ村の反対運動にまで発展した(小林茂『近世農村経済史の研究』)。幕府はその抵抗に抗しきれず、この瀬田川浚渫は計画倒れに終わる。そして、この反対運動を通じて関係した村々に瀬田川浚渫に関する史料が残されたのである。

 (大阪商業大学商業史博物館学芸員・池田治司)

848よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:49:13 ID:zXYqpNSw0
きよし・なるみ名コンビ復活 天神祭、今年も生中継
2012年7月21日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120721/20120721026.html

 開局以来欠かさず天神祭の生中継特番を放送しているテレビ大阪。開局30周年を迎えたことしは、西川きよし、なるみの名司会コンビと、同局の他番組に出演するゲストを招いた、節目にふさわしい豪華な布陣で「2012 天神祭生中継〜ようこそ祭りの特等席へ〜」(25日後6・59)と題して放送する。

 祭りの迫力を美しい映像たっぷりで伝えるため、これまでで最も多い16台のカメラを駆使し、9カ所を中継。「祭りを見るならここが一番」と言われる恵まれた立地のテレビ大阪屋上特設スタジオをメーンに、天満宮の境内や参道、大川川岸、取材船などからリアルタイムで祭りの雰囲気を伝える。

 ゲストには、「和風総本家」に出演する大阪出身の萬田久子、「おとな旅あるき旅」の三田村邦彦、「たかじんNOマネー」から眞鍋かをり、「カイロスの微笑」ナビゲーターで大阪出身の國村隼を迎える。

 9年連続司会を務める西川きよしは「大阪やテレビ大阪にゆかりのあるゲストから、天神祭の思い出を引き出し、視聴者に共感してもらえる番組にしたい」と意気込む。9年ぶりに司会を務めるなるみは「自宅の近くにタワーマンションが建ち、花火が見えなくなった。花火がよく見えるこの番組にまた呼んでもらえないかと思っていたのでうれしい」と笑わせた。

849よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:51:02 ID:zXYqpNSw0
関西国際大の留学生 大阪天満宮で参拝方法や歴史学ぶ
2012年7月22日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120722/20120722036.html

 天神祭(24、25日)で船渡御に参加する関西国際大学(濱名篤学長)の留学生10人が21日、同祭への知識を深めるため、大阪市北区の大阪天満宮(寺井種伯宮司)を訪れ、神社の参拝方法や祭の歴史について学んだ。

 留学生は手水舎で身体を清め、本殿前で二礼二拍手一礼をして勉強会に臨み、大阪大招聘教授で大阪天満宮研究所の研究員の高島幸次さんと、同研究所が養成する祭の案内人「天満天神御伽衆(おとぎしゅう)」の喜多條啓子さんら2人を講師に、神様の年に一度のお出かけ「渡御」について学んだ。

 講師の高島さんは「乗船に先立って神様にあいさつし、祭の歴史を知ることは大学生らしい」と語ったほか、御伽衆の喜多條さんは「祭を一人でも多くの人に知ってもらい楽しんでもらえたら」と話していた。

 勉強会の最後では、大阪締めも練習し、日本に来て約1年の中国浙江省出身の沈〓穎(セイイン)さん(21)は「日本三大祭りの一つで、とても興味がある。大阪締めを練習して当日楽しみます」と、笑顔で話し、祭りの本番を楽しみにしていた。

850よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 13:58:21 ID:zXYqpNSw0
住民が見た戦争伝える 軍事施設の日常再現
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120722-OYT8T00164.htm

 八尾市黒谷の郷土史家・大西進さん(71)が、大阪東部に残る太平洋戦争の遺構や証言をまとめた「日常の中の戦争遺跡」を出版した。旧陸軍の拠点だった大正飛行場(現八尾空港)と関連施設の資料や記録、戦争体験者約230人の声を集めており、庶民の日常にあった戦争を忘れないでほしいという思いを込めたという。(安田弘司)

 大西さんは2002年、40年間勤めた不動産会社を退職した。翌03年、厚生労働省の遺骨収集団に参加し、父親が戦死した東部ニューギニアを訪問。現地で約70人の遺骨を拾い、「誰が何のために戦争したのか、あの戦争は何だったのか」と強く思い、父の足跡や最期を少しでも知ろうと、戦争資料の収集や調査を始めた。

 現在の八尾市域には、大正飛行場のほか、第11飛行師団司令部や大阪陸軍航空廠(しょう)など、航空部門の拠点が集中。周辺も米軍の爆撃や機銃掃射に遭い、死傷者95人、焼失戸数130戸などの被害を受けたが、戦争を郷土史としてまとめた本はなかったという。

 そこで、資料の収集と並行して、05年から地元住民や軍人、軍属として司令部などで働いた高齢者らの聞き取りをスタート。地域誌「河内どんこう」に19回のリポートとして掲載するとともに、府東部にある戦争の遺構を訪ね歩いた。

 「日常の中の戦争遺跡」では、これらのリポートを再構成、これまでに集めた証言から、軍事施設での日常を再現し、米軍機による襲撃の様子や八尾周辺が受けた空襲被害も盛り込んだ。軍用機を隠すため、生駒山麓に設けられた壕(ごう)跡や、八尾空港近くに残る航空廠格納庫の支柱などの現在の写真や、戦時中の地図を添え、住民たちが間近に見た戦争を細かに記した。

 終戦からもうすぐ67年。調査の中で出会った後で亡くなった人もいる。大西さんは「証言は単なる昔語りではなく、体験者のみが知る事実。あの戦争に関心を持ち続け、耳を傾ける人が増えてほしい」と願う。

 A5判ソフトカバーで328ページ、2600円(税別)。府内の大手書店で販売。問い合わせは、出版元のアットワークス(06・6920・8626)。

 大西さんは2002年、40年間勤めた不動産会社を退職した。翌03年、厚生労働省の遺骨収集団に参加し、父親が戦死した東部ニューギニアを訪問。現地で約70人の遺骨を拾い、「誰が何のために戦争したのか、あの戦争は何だったのか」と強く思い、父の足跡や最期を少しでも知ろうと、戦争資料の収集や調査を始めた。

 現在の八尾市域には、大正飛行場のほか、第11飛行師団司令部や大阪陸軍航空廠(しょう)など、航空部門の拠点が集中。周辺も米軍の爆撃や機銃掃射に遭い、死傷者95人、焼失戸数130戸などの被害を受けたが、戦争を郷土史としてまとめた本はなかったという。

 そこで、資料の収集と並行して、05年から地元住民や軍人、軍属として司令部などで働いた高齢者らの聞き取りをスタート。地域誌「河内どんこう」に19回のリポートとして掲載するとともに、府東部にある戦争の遺構を訪ね歩いた。

 「日常の中の戦争遺跡」では、これらのリポートを再構成、これまでに集めた証言から、軍事施設での日常を再現し、米軍機による襲撃の様子や八尾周辺が受けた空襲被害も盛り込んだ。軍用機を隠すため、生駒山麓に設けられた壕(ごう)跡や、八尾空港近くに残る航空廠格納庫の支柱などの現在の写真や、戦時中の地図を添え、住民たちが間近に見た戦争を細かに記した。

 終戦からもうすぐ67年。調査の中で出会った後で亡くなった人もいる。大西さんは「証言は単なる昔語りではなく、体験者のみが知る事実。あの戦争に関心を持ち続け、耳を傾ける人が増えてほしい」と願う。

 A5判ソフトカバーで328ページ、2600円(税別)。府内の大手書店で販売。問い合わせは、出版元のアットワークス(06・6920・8626)。

(2012年7月22日 読売新聞)

851よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/22(日) 20:51:30 ID:27L/6d7I0
阪急電鉄で『天神祭』ヘッドマーク
http://railf.jp/news/2012/07/19/225800.html

 阪急電鉄では,2012(平成24)年7月18日(水)から,『天神祭』のヘッドマークを一部編成に掲出して運転しています.
 『祇園祭』のヘッドマークと同様,今年2012年はデザインが変更され,奉納花火,大川に掛かる綺麗な斜張橋「川崎橋」,屋形船などを配し,天神祭の見所を凝縮したイラストになっています.
 掲出編成は神戸・宝塚・京都の各本線8編成ずつで,掲出期間は7月25日(水)までとなっています.

852よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/23(月) 22:49:41 ID:uKpiKV5A0
コンテスト浴衣ショー 天神祭コレクションが開催
http://www.apalog.com/report/archive/554

第二回「天神祭コレクション」が7月21日、JR大阪駅上の「時空(とき)の広場」にて開催された。「天神祭コレクション」は、伝統的夏の和装である浴衣を題材に、コンテスト形式で行うファッションショーである。

「大阪のまちを元気にしたい」そんな思いから始まったこのショーイベントは、服飾系の学生をはじめとした若手クリエイターたちの創作活動の発表の場となっており、「次世代の教育」「まちや産業の活性化」「文化の継承」「新たな文化の創造」というそれぞれのテーマに一石を投じている。

実際、モデルやイベントの運営にも専門学生たちが参加しており、会場全体に若者のパワーが溢れていた。

ショーは「意匠デザイン部門」、「コーディネート部門」、「クリエイション部門」
の3部門からなっており、「意匠デザイン部門」はあらかじめ決定している1位〜3位のデザインの発表、「コーディネート部門」及び「クリエイション部門」は当日のコンテストで受賞者が決められた。

浴衣の柄を創作する部門である「意匠デザイン部門」は百貨店の協力で行われ、それぞれの百貨店からテーマが出されていた。大阪高島屋からは「変わらないのに新しい」。JR大阪三越伊勢丹&大丸は「ステーションシティに遊びに行く浴衣」。

受賞作はどれも独創性に溢れ、伝統にオリジナリティを加え新たな息吹を吹き込んだものや、全くの新しい感覚でデザインされたグラフィカルなものなど、浴衣という限られた表現の場ながらも、枠にとらわれない自由な発想を見せつけていた。特に目をひいたのは、通天閣をかぶった女の子をモチーフにしたパターンの浴衣。大阪らしさを全面に出した大胆な発想だが、淡い色味とふぞろいの優しいドット柄で違和感なく浴衣に馴染んでいた。

続いての「コーディネート部門」では、「洋服と浴衣の融合」をテーマに、様々な新しい浴衣の着方が提案された。浴衣をドレスやワンピース、トレンチコートなどに見立てたり、ユニークな小物で遊び心を表現したりと、可愛らしく元気で楽しいコーディネートが登場し、会場を明るい雰囲気で包み込んだ。
1位となったのは、タイトル「和tashi(わたし)」で、白黒の鮮やかなストライプに小さなハットやレースの手袋などでゴシック要素をプラスしたスタイル。一見融合しえないもの同士の組み合わせが斬新であった。

853よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/23(月) 22:52:18 ID:uKpiKV5A0
>>852

最後の「クリエイション部門」のテーマは「海外との融合」。和の伝統と異文化のユニークなコラボレーションが次々と発表された。海外の伝統衣装や民族衣装を浴衣で表現したり、浴衣をベースにさりげなくデザインやアクセントとして海外の要素を取り入れたりと、どれも個性的でインパクトがあり、目が離せないショーであった。
1位は、タイトル「レースとお花」。紺地のシックな浴衣に華やかなレース刺繍をあしらった、女性的な美しさを最大限に引き出すデザイン。かごや帯につけたピンクの花が可愛らしさを添えた。

今、大阪で最も活気がある大阪ステーションシティで行われたエネルギッシュなショーイベント。オープンスペースで行われたショーは多くの観客に囲まれ、かなりの熱気に包まれていた。これから大阪の夏の風物詩の一つとして根付いていきたいという同イベントは、若者の表現の場として非常に重要な役割を果たしている。若者が元気になることによって未来が明るくなり、まち全体の活性化にもつながるのだ。これからも一人でも多くの若者にチャンスを提供し、大いに大阪を盛り上げて行ってもらいたい。

天神祭コレクション
http://www.naniwa-bunka.com/ten-colle/

854よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/24(火) 05:31:53 ID:bIZl5Nvo0
きょうから天神祭、ムード上昇 前夜祭 大阪
2012.7.24 02:07
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120724/osk12072402070004-n1.htm

 24、25日に行われる天神祭の前夜祭が23日、大阪市中央区の大阪ビジネスパークツイン21ギャラリーであり、天神祭で披露される代表的な出し物が紹介され、会社帰りのサラリーマンやOLらを喜ばせた。

 前夜祭は、天神祭の伝統的な出し物を多くの人に知ってもらおうと大阪天満宮(大阪市北区)などが企画。昭和61年から行われ、天神祭のムードを盛り上げる恒例行事となっている。

 「講」と呼ばれる祭りの支援組織のメンバーによる催太鼓や獅子舞などが次々と披露され、威勢のいい掛け声やリズミカルな太鼓のリズムで会場を盛り上げた。

 大阪狭山市の大石邦代さん(62)は「太鼓がすごく迫力があるので、毎年楽しみに見に来ています」と笑顔で話していた。

855よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/24(火) 21:14:14 ID:pAw.WwsE0
かれん古代の美 東大阪で「原始ハス」
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120724-OYT8T00179.htm

 府の天然記念物に指定されている「枚岡の原始ハス」が、東大阪市善根寺町4の会社役員稲田清治さん(69)方の池で咲き始め、涼しげな雰囲気を漂わせている。

 この地区の周辺では5世紀頃からハスが自生し、花が咲きそろう風景を詠んだ歌が古事記にも載る。1920年代まで普通に見られたが、都市化や大発生したアメリカザリガニの食害などで激減。稲田さん方では、ちょうど50年前の62年、父が自宅に池を作って移植し、大切にしてきた。

 通常のハスより花はやや小さく、直径15センチほど。淡いピンク色の花びらは、日の出とともに開き、昼前にはしぼむ。3日程度で散るが、8月上旬まで次々に新しい花が開くという。

 稲田さんは「開花は例年より10日ほど遅かったが、一度に複数がそろって咲くのは珍しい」と話していた。

(2012年7月24日 読売新聞)

856よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/24(火) 21:24:43 ID:pAw.WwsE0
大阪 天神祭の鉾流神事
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2003118371.html

大阪の夏の風物詩、「天神祭」は、きょう、大阪の堂島川に木でつくったほこを流す神事が行われ、2日間にわたる祭りが始まりました。この「鉾流神事」は大阪天満宮の夏祭り、「天神祭」の幕開けを告げる神事です。
けさは本殿で神童と呼ばれる神の使いを務める小学生が、ひのきの白木でできた神鉾と呼ばれるほこを授かったあと、300人ほどの行列とともに大阪の中心部を流れる堂島川まで練り歩きました。
一行は川岸に到着した後、おはらいを受けて身を清めた神童が神職とともに手こぎの舟に乗り込みました。
そして、川の中央付近で神童が船から身を乗り出して神鉾を川に流し、無病息災などを祈願しました。天神祭は、あすの夕方から約100そうの船が川を行き交う、「船渡御」が行われるほか、約3000発の花火が打ち上げられる予定です。

07月24日 19時12分

857よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/24(火) 21:38:18 ID:pAw.WwsE0
天神祭 鉾流神事復活祝う縁起物
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120724-OYT8T00177.htm

 24日に大阪天満宮(大阪市北区)で天神祭の開幕を告げる鉾流(ほこながし)神事が行われるのを前に、昭和初期に数年間だけ作られたとみられる〈飾り鉾〉の展示が、同区のそば店「衣笠総本店」で23日、始まった。江戸初期以降、中断していた神事が復活した際の記念の縁起物とみられる。天満宮にも残っていない貴重な品で、今年2月に見つかった。関係者は「多くの人に見てもらいたい」と呼びかけている。(斎藤七月)

 飾り鉾は、長さ約30センチで木製。黒塗りの柄に、「鉾流神事」と記されている。今年2月、同店の3代目・高木浩也さん(51)が、京都市内の古美術品店で見つけた。幼い頃から天神祭に親しんできた高木さんは、1995年に親族から店を継いで以来、祭りに関わる品や本を収集。今回の飾り鉾も、柄の鉾流神事という文字を見て、「天神祭に関係があるはず」と購入し、天満宮に持ち込んだ。

 天満宮の南西約700メートルの堂島川に神鉾(かみほこ)を流す鉾流神事は、江戸初期に中断し、1930年(昭和5年)に復活した。高木さんの相談を受け、天神祭の神事を担当する禰宜(ねぎ)の柳野等さんが調べたところ、国内の郷土玩具について記した書物に、神事復活後の数年間、約30センチの白木に色を施し、神鉾を模した縁起物を毎年600個作製したことが記されていた。特徴が似ていることから、柳野さんは今回見つかった飾り鉾が、この縁起物だと判断したという。

 空襲に遭った天満宮には、この飾り鉾は残っていない。柳野さんは「神事が復活した当時、その意味を広く知ってほしいと考えた天満宮の強い思いが感じられる。大切に保管してもらいたい」と話した。

 高木さんの店は、神事が行われる場所のそばにある。高木さんは「珍しい物を見つけることができてうれしい。地元の一員として、神事への興味がさらに広がることを願っています」と語り、25日まで、飾り鉾とともに絵皿などを展示する。



 天神祭宵宮の24日は、午前7時45分から天満宮で宵宮祭が行われた後、午前8時50分頃から鉾流神事が始まる。終日、境内には地車が飾られ、夕方には勇壮な催太鼓(もよおしたいこ)が宮入りし、午後6時半からは、獅子舞の披露がある。

(2012年7月24日 読売新聞)

858よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/25(水) 05:50:35 ID:9LtZYAoE0
八軒家浜に江戸の風情
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120725-OYT8T00214.htm

 江戸時代に舟運の拠点としてにぎわった大阪市の大川沿いの八軒家浜(中央区北浜東)で、当時、乗下船の際の明かりとして使われた石灯籠2基が「川の駅はちけんや」北西の川べりに再建され、24日、除幕式が行われた。

 石灯籠は幅1.7メートル、奥行き1.7メートル、高さ4メートル。往年のにぎわいの象徴を再建し、地域の歴史資産として残したいと考え、近くの近畿大名誉教授湯浅富一さん(81)と妻禮子さん(73)が費用を出して明治時代に生國(いく)魂(たま)神社(天王寺区)に移された石灯籠や古文書を参考に当時の姿を再現、府に寄贈した。午後6時から同10時まで、電灯をつける。

 湯浅さんは「昔のにぎわいが戻ってくれればうれしい」と話していた。

 八軒家浜は周辺に8軒の船宿があったことから、その名がついたとされ、江戸時代、京都・伏見との間で物資や人を運ぶ三十石船が航行し、にぎわった。石灯籠は、地元の町人らが建立した。

(2012年7月25日 読売新聞)

859よっさん ◆yQclIeGV9A:2012/07/25(水) 05:58:42 ID:9LtZYAoE0
天神祭公式サイト
http://www.tenjinmatsuri.com/

860名無しさん:2012/07/25(水) 19:38:19 ID:BGtNQy6k0
>>858
>八軒家浜に江戸の風情
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120725-OYT8T00214.htm

なんか嫌な記事タイトルと思いました
江戸時代の風情 または 徳川時代の風情 にして欲しいなと
大阪版の記事なのでそう言わずとも分かるんですけどね

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862よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:24:41 ID:h7KzoO9o0
天神祭 夏満開、花火4000発
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20120726-OYO1T00299.htm?from=newslist

 大阪・天神祭は25日、本宮を迎えた。恒例の「船渡御(ふなとぎょ)」で、約100隻の船団が大阪市中心部の大川を行き交う中、夜空に打ち上げられた約4000発の奉納花火を、約100万人(大阪天満宮発表)が楽しんだ。

 午後6時過ぎ、法被姿の氏子ら約1万2000人が乗り込んだ船団が天神橋を出発。船は鉦(かね)や太鼓の音を響かせて悠然と進み、川面はかがり火や提灯(ちょうちん)、色とりどりの花火で煌々(こうこう)と輝いた。

(2012年7月26日 読売新聞)

863よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:29:59 ID:h7KzoO9o0
>遠く離れた大阪でも、天神祭のように復興への祈りをささげている場があることが伝われば

 大都会でありながら「祈りの街」でもある大阪らしい言葉です。


被災児童になにわの夏
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120726-OYT8T00154.htm

 25日夜に本宮を迎えた日本三大祭りの一つ、大阪・天神祭に、東日本大震災で被災した宮城県岩沼市立玉浦小の6年生22人と教員ら4人が招待され、夏のひとときを楽しんだ。船渡御(ふなとぎょ)が行われた大川に浮かぶ能船で、薪能や花火を見学、祭りの風情を満喫した。(東礼奈)

 今年、創立60周年を迎えた「大阪北ロータリークラブ(RC)」が、被災した児童を励まそうと招いた。同小では震災による津波で校舎1階や体育館が浸水、児童1人が亡くなった。今も全校の3分の1、約100人が仮設住宅などで生活し、校区外からスクールバスで通学している。

 大阪は初めてという子が多く、道頓堀でたこ焼き作りを楽しんだ後、能楽奉賛会の能船に乗り込んだ。船上で揺れる舞台に上がり、能楽師に鬼や女性の面を着けてもらって舞台歩きにも挑戦。「前が見えなくて怖い」「お面が暑くてびっくり」などと興奮していた。

 舞台では狂言「口真似(まね)」や能「羽衣」「土蜘蛛(ぐも)」が披露され、児童らは迫力いっぱいの演目を堪能。行き交う船に手を振ったり、大輪の花火が広がると一斉に歓声を上げたりして笑顔を見せていた。

 津波で家が流され、仮設で暮らしているという菊地悠花さん(12)は初めての能に「土蜘蛛の戦いのシーンは格好良くて、せりふがなくてもこんなに面白いんだと思った」と満足そう。千葉桃華さん(12)も「家族や一緒に来られなかった友達にも、舞台や花火のことを伝えたい」と喜んだ。

 大阪北RCではこの日の様子などをDVDにして東北の小学校に配り、伝統芸能の教材に活用してもらう。同RCで被災地支援を担当する鴻池一季さん(60)は「元気よく過ごし、楽しんでもらえて安心した。遠く離れた大阪でも、天神祭のように復興への祈りをささげている場があることが伝われば」と話していた。

(2012年7月26日 読売新聞)

864よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:31:03 ID:h7KzoO9o0
帝国ホテル大阪・感謝の夕べ 天神祭盛り上げ
2012年7月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120726/20120726038.html

 ことし開業17年目を迎えた帝国ホテル大阪の「感謝の夕べ」が23日夜、大阪市北区天満橋の同ホテルで常連顧客ら400人を招いて開かれた。ホテルの面した大川一帯で行われる25日の天神祭にちなんだ「ジキジン、ジキジン」と独特のリズムを刻む講社社中の鐘や太鼓の生演奏でお出迎え。奉納花火のイメージで壁に大輪の光の輪が咲き、獅子舞も繰り出して、お祭りムードを盛り上げた。

 帝国ホテル常務取締役専務執行役員の前田康廣・帝国ホテル大阪総支配人は「昨年は東日本大震災があり、その直後の天神祭開催でわれわれも正直心配したが、当日の広範囲の盛り上がりは国土全体に元気を送る日本三大祭りの一つとしての熱気がビンビンと感じられ感動した。この地で、毎年祭りに関われるのはわれわれの誇りでもある。日頃からお世話になっている皆さまにぜひ御利益も一緒に持ち帰っていただきたい」とあいさつした。

 永井明総料理長が「関西の夏らしくハモと京野菜、京ガモ、さらに瀬戸内マダイに泉州スズキ、明石だこの料理を用意しました」と説明。正統神戸牛の約半分を消費する同ホテルが誇るステーキのコーナーには長い行列ができた。

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866よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:47:21 ID:h7KzoO9o0
川面彩る夏の花 4000発奉納花火で最高潮
2012年7月26日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120726/20120726032.html

 日本三大祭りの一つに数えられ、千年を超える伝統を有する天神祭が25日、本宮を迎えた。色とりどりの衣装に身を包んだ約3千人の大行列で「時代絵巻」を出現させる陸渡御、約100隻の船団が大川を行き交う船渡御などが執り行われた。夜には船渡御の船団ににぎわいを添える第66回水都祭「天神祭奉納花火」(同実行委員会、大阪日日新聞主催)が大川一帯で催され、訪れた人らを魅了した。

 大阪天満宮(大阪市北区)の本殿では、災害疫病がないように市中の平安と繁栄を祈願する本宮祭、菅原道真公の御神霊を御鳳輦(ごほうれん)に移す「神霊移御祭(しんれいいぎょさい)」が執り行われた。その後、陸渡御列が催(もよおし)太鼓を先頭に、船渡御の乗船場になっている天神橋までの約3キロを練り歩いた。夕方からは船渡御の船団が、大川を舞台ににぎやかに航行した。

 天神祭のクライマックスを飾ったのは、奉納花火。約4千発の打ち上げ花火と約30基の仕掛け花火が、船渡御列の行き交う大川の川面を華やかに彩り、水の都・大阪を華やかに演出した。

867よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/26(木) 22:49:00 ID:h7KzoO9o0
大阪城、豊臣時代の石垣を募金で再現 売店一新、公募で
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201207260043.html

 大阪市は26日、国特別史跡である大阪城の観光振興策として、豊臣秀吉が築いた石垣の発掘・復元や、新たな売店事業者の公募を始めると発表した。石垣は、豊臣家が滅亡した大坂夏の陣から400年を迎える2015年の公開を目指し、発掘や公開の費用は市民に募金を呼びかける方針。

 大阪府市は6月の統合本部会議で、大阪城周辺を世界的な観光の重点エリアにする方針を示していた。

 現在の石垣は、秀吉による初代大坂城が落城後、徳川幕府が土を盛って新たに築いた。1959年の調査で、本丸の地下に豊臣時代の石垣が埋まっていることが確認されていた。市は発掘や再整備に向け、今秋から募金を開始。市によると、熊本城の復元の際は約5億円が集まったという。

868名無しさん:2012/07/26(木) 22:51:00 ID:J4nD8NLc0
>>860

江戸の風情は確かに違和感ありますね。
「江戸」とするなら「江戸時代の・・・」とすべきで

こここそ「浪花」or「大浪花の・・・」とすべきですね。

普段、しょうもないコテコテ用語でカタカナの「ナニワ」を
乱用し過ぎてるから逆に違和感があるかも?ですが。

869よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 05:02:51 ID:eDvrme4A0
「模擬原爆」犠牲者しのぶ 東住吉追悼式 大阪
2012.7.27 02:30
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120727/osk12072702300000-n1.htm

 昭和20年7月26日に大阪市東住吉区田辺に投下された「模擬原爆」の犠牲者をしのぶ追悼式が26日、同区の「模擬原子爆弾投下跡地の碑」で行われ、遺族や広島、長崎の被爆者、府内の中学生、東日本大震災の被災地から同区に避難している人たちが参列した。

 模擬原子爆弾は、米軍が広島や長崎への原爆投下を想定して訓練のために作った重量4・5トンの爆弾。20年7月20日から8月14日にかけ東京、富山、愛知、大阪などに計約50発が投下された。大阪では7人、全国で400人以上が犠牲になったことが後の愛知県の市民グループの調査で明らかになっている。

 東住吉区の慰霊碑は、大阪の犠牲者の遺族が戦争のない世界の実現を願い、平成13年に投下場所近くに建立した。追悼式は地元の市民グループ「7・26田辺模擬原爆追悼実行委員会」が毎年主催し、今年で12回目。平和教育の一環で模擬原爆について学んでいる地元の市立東住吉中学校の生徒をはじめ府内の中学生らも参加した。

 長崎の被爆者で同区に住む山科和子さん(90)は「親きょうだいがみんな死に、私1人が生き残った。原爆の悲劇、苛酷さを伝えるため世界22カ国を回ったが、この大阪も模擬原爆で広島、長崎とつながっていることを若い人に知ってほしい」と話していた。

870よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 05:19:02 ID:eDvrme4A0
幽玄な世界 観衆を魅了 北区で水上薪能
2012年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120725/20120725024.html

 天神祭の宵宮に当たる24日夕、大阪市北区の帝国ホテル大阪前のOAP港に係留した船上で、恒例の「天神祭 宵宮祭 奉納水上薪能」(能楽奉賛会、能楽協会大阪支部主催)が行われた。船上で繰り広げられる幽玄な世界が観衆を魅了した。

 毎年、天神祭の宵宮に合わせて行われ、今年で8回目を迎えた。

 25日の天神祭船渡御列の舞台船の一つ「能船」の船上を舞台に、大阪天満宮の神職による火入れ式の後、狂言の舞「三番三(さんばそう)」、能「羽衣」などが上演され、幽玄の世界が繰り広げられた。

 能船の周りでは、人形船でのおはやしも行われ、祭りの雰囲気をいっそう盛り上げていた。

871よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 05:23:00 ID:eDvrme4A0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより

月が照らす住吉大社と機関車
2012年7月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/120725/20120725044.html

大阪名所「住吉の月影」

 松の木はあり得ないほど倒れ込んで、汽車の勢いと速度を表す効果を生み、客車が放つ光が、月明かりに薄ぼんやりと浮かび上がる住吉大社の反橋の姿を、また鳥居前で人力車に乗ろうとする人や、赤いちょうちんを持つ女性を夜目に浮き出させる。その一方で、汽車は地面に長い影を引くが、これは月明かりによるものである。松の木が平伏するなか機関車がごう音を立てて通り過ぎれば、住吉大社はまた薄闇の中に沈んでいく。

 住吉大社といえば反橋が有名で、大阪の中でも定番の名所として知られている。その前を機関車が走るという景色は出色の出会いだ。この機関車は、日本最初の私設鉄道「阪堺鉄道」(後に南海鉄道が買収)の小型機関車で、明治18(1885)年に難波・大和川間が開通している。描いたのは、林基春(もとはる)、1858年生まれ。大阪の浮世絵師である。

 基春が機関車に何を見たのかは分からないが、私は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』というSF映画の、火が燃える中を走る自動車型のタイムマシーンを無意識に連想し、機関車に時代を切り裂いていくようなイメージを重ね合わせてしまう。

 先日見たウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』という映画の影響もあるかもしれない。映画では、パリ観光中の小説家志望の脚本家が、真夜中を告げる鐘が鳴る中、なぜかヘミングウェーやフィッツジェラルド夫妻の闊歩(かっぽ)する1920年代のパリにタイムスリップするのだが、そこでも自動車がタイムマシーンになるのだった。主人公は雨のパリを傘もささずに歩いたり、コール・ポーターの音楽が流れる「懐かしのパリ」といった情趣を好む。

 映画ではこうした古いものに対するセンチメンタルな愛着が創造の契機となるのだが、基晴の月明かりの描き方にも同様のものを感じるのだ。

 今はもっと住吉大社に近い所を、今年で創業101年の「チンチン電車」が走っている。機関車のような迫力は毛頭ないが、街のたたずまいを担い、一つの風情となっている。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)

872名無しさん:2012/07/27(金) 09:59:42 ID:9/iOb5lY0
橋下市長が文楽観賞=協会への補助金問題で
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120726-00000179-jij-soci

大阪市の橋下徹市長は26日、国立文楽劇場(同市)を訪れ、
市からの補助金を全面凍結する意向を示している人形浄瑠璃・文楽を就任後初めて鑑賞した。
鑑賞後に取材に応じた橋下市長は「(関係者と補助金について)意見交換させてほしい」との考えを改めて表明。
一方、演者として市長と面談した鶴沢藤蔵さんは「一歩前進したんじゃないか」と述べた。 

時事通信 7月26日(木)22時49分配信

アンチ市長の連中が伝統保持を盾に批判コメを書きまくっていますが、
こいつらのなかで本当に今の文楽を愛してやまないという人間がどれほどいるかも疑わしいですな。
伝統伝統とそれにばかり固執し過ぎて、現代人に見向きもされない状態になっているのでは何の意味もない。
古き良き部分を残しつつ、現代人に受け入れられるようなアレンジは絶対に必要でしょう。
まして、税金を入れると言う状況の重さを、文楽協会及びその支持者には深く理解梨てもらいたいものです。

873名無しさん:2012/07/27(金) 11:59:36 ID:F4/fewOY0
>>872
税金を入れると言う状況の重さもわかりますが、伝統を絶やさないという価値の重さもまたあるんですよねえ・・・

私は、伝統芸能分野に関してはなるたけ「金のことは任せてもらっていいから」という態度で保護してくれる自治体なりパトロンなりが
ないといけないと思ってるんです。言い方変えると自助努力だけでは無理。

これはそもそも経済合理性に反した領域の価値観になりますので、財政難の大阪には重いわなあと同情してはいます。

874名無しさん:2012/07/27(金) 12:03:40 ID:F4/fewOY0
いっそのこと、橋下市長が文楽の宣伝マンになれば一番良いのでは?と思います。
(皮肉にもすでにそうなってるかも!)

「人気が出るようやり方を変えてください」と要求するだけではなく、もっと皆さん文楽観に行きましょうよ!と宣伝してあげること。
市長自ら旗を振ってあげること。
なんとか3900万円の補助金も無駄ではないぞと価値をアピールしてあげること。

それが一番良いのではないのかなあ。

875よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 20:41:11 ID:rdC9O4sM0
金は任せろ、というのはイコール『無批判で惰性でだまって金を出し続ける』、ではないのでは。

876よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 21:53:17 ID:rdC9O4sM0
大阪ロマン紀行

寺は人が集まる出会いの場
今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年7月27日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/120727/20120727050.html

「全興寺」大阪市平野区平野本町

 今まで何度か足を運んだことのあるお寺、全興寺(せんこうじ)。なぜ、何度も来たことがあるかと言うと、それはなんと言っても「おもしろい」から。

 取材のその日も境内には、珍しそうにシャッターを切る人、自分が地獄へ行くのか極楽に行くのか、イエス・ノー形式で地獄堂の壁のボタンを押す女性、地獄の音が聞こえるという石に頭を突っ込む男の人、地下に下りて行く瞑想(めいそう)空間「ほとけのくに」のステンドグラスの上でくつろぐ学生カップル……。

 とにかく、それぞれに、このお寺を楽しんでいる。それが全興寺である。「お寺は出会いの場。人が集まる場所であり、安らぎ、癒やされる場所です」

 と語る川口良仁(かわぐちりょうにん)住職。境内の一角には世代を超えた遊びと学びの場「おも路地」があり、そこでは定期的に催しが行われている。「みちくさ学校」は、平日の帰り道にちょっと寄って、いろんな講座を受講でき、「だがし屋広場」は、駄菓子屋さんを兼ねた遊び場で、土・日に子供といっしょに楽しめる。

 また、全興寺は平野の町おこしにも熱心で、「平野の町づくりを考える会」の事務局もお寺の中にある。その一環として行っている「町ぐるみ博物館」は、町を観光化して人を呼ぶのが目的ではなく、住民自身が楽しみながら地域を再発見しようとする試みである。平野にあるお店など、それ自体が博物館になっており、博物館から博物館へと歩く道中で、町並みや歴史や文化を体感できるように考えられている。

 素晴らしいのは、あくまで民間の組織として活動していることで、逆に市の方から後になって補助を付けにきた、という感じがいい。何事も「補助金ありき」で、そこからしか活動を開始しない団体とは大きく違う。あくまで「自分たちが楽しみながら活動する」という信条を貫いているからこそ、誰が訪れても素直に、いっしょになって楽しい気分になれるのだ。

 全興寺の創建は飛鳥時代。平野がまだ、ただの野っ原であったころ、聖徳太子が薬師堂を建て、その周辺に人々が住み始め、しだいに村が形成されていったという。ここの旧町名「平野野堂町」はその過程をものがたっている。

 つまり、昔からこのお寺は人が集まる場所であったということだ。

 千年以上もお寺を中心に人が集まり、町が栄えてきた歴史が、今もなお続いている。「人の集まるおもしろい寺」も、ここまでくれば筋金入りである。

877名無しさん:2012/07/27(金) 22:45:41 ID:9/iOb5lY0
>>873
価値ある伝統文化は残すべきだと言うのは同意するところなのですが、
果たして文楽が「残す価値ある」伝統文化であるか否かというところです。

現状、文楽の鑑賞者のほとんどは中高年層で、
若年層はと言えば、学校の芸術教室などで見に行くだけ。
自発的に見に行っている人はほとんどいないでしょう。

みんなに大事にされて、愛されているのなら存在意義も出てきますが、
ただあるだけで、関心を浴びていないのではないのと同じです。

今の文楽の課題は、後者から前者になれるかどうかですよ。

878よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/27(金) 23:08:12 ID:rdC9O4sM0
結局、何でもそうですが『新規参入が無い業界は必ず廃れる』ということです。

文楽の場合、伝統に重きを置きすぎて、ややもすると文楽を知らない人にとって「難解で取っ付き難い」という印象を持たれてしまっている感があります。
そして普通の人が見に来なければ、見に来るのは一部の人たちだけとなり、その一部の人たちの為だけになってしまう。

これの極めて顕著な例が劇団です。日本には数多の劇団があるけれども、普通の人には取っ付き難く、限られた人たちだけを対象にしていまっている。
だから日本で劇団で採算が取れているのは、十も無いと言われています。
これは普通の人を弾いてきた結果、市場が広がらなかったのが大きな理由です。

歌舞伎や落語も伝統文化ですが、これらは伝統を守りつつも新しい事に挑戦しています。
新しく六代目桂文枝を襲名した桂三枝さんは、創作落語の達人とも言える人ではないでしょうか。
歌舞伎も落語も新しいものを取り入れる事で新しい客層を開拓し成功している。

文楽の場合は大阪の言葉を使う、という大きな制約があるのも事実ではあります。
何年か前に文楽関係の記事で「テレビの影響で純粋な大阪の言葉を使える若手が少なくなってきていて、文楽の水準の維持が難しくなってきた」とあるのを読んだ事があります。
ですから歌舞伎や落語のように自由に新しい事に挑戦するのが難しいのかもしれない。

しかしまったく新しい事に挑戦出来ない事は無いと思うのです。
私が見てみたい新しい文楽。
それは高知出身で近畿在住の大人気作家の有川浩さんの「図書館戦争シリーズ
」。
曽根崎心中が昔の恋愛ものの大傑作なら、「図書館戦争シリーズ」は21世紀の軽やかな恋愛ものの大傑作。
むろん恋愛だけではない要素も一杯で、とっても面白い。
とてつもなくトンデモナイ提案だとは自分でも理解はしていますが、若い人に向けた「敷居の低い・親しみを感じる・見てみたい」という新しい作品を作っていかないと文楽は将来、ジリ貧になるのではないかと私は危惧しています。

879名無しさん:2012/07/27(金) 23:24:32 ID:9/iOb5lY0
>>878
それいいかもしれません。

「図書館戦争」シリーズは、アニメや映画も大ヒットを飛ばした作品な上、
昨今のもろもろの表現規制騒動の影響で、非常に身近な題材となっています。
若年層の注目を集めるにはもってこいの作品だと思いますよ。

・・・ただし、作品人気で人を集めてしまうと、
演目が変わったら元の黙阿弥、となりかねないという危惧はありますが・・・

880名無しさん:2012/07/28(土) 04:18:27 ID:F4/fewOY0
>>877
>>878
今はお互いやり取りをしている最中ですので
これを機会に文楽教会側が変化するか、大阪市側が歩み寄るかは決まってないですし、その影響もどうでるかは未知数ですので
単に「伝統文化をなくしていいのか!」と突き上げるつもりはないのですが、
報道だとどうしても文化のわからない橋下が経済合理性だけで伝統文化を潰す、という単純化したものになっているのが嫌ですね。

私はそう見られてしまっている橋下さんは可哀想だと感じてます。
彼本人も誤解されて世間に伝わるリスクは自覚しているはずですし、何事も政治なんかそういうものですが
結果的には協会側と市側の付きあわせが良い方向に進むろうなという気はします。
(タブーをおそれず踏み込む市長の方法は皆が評価している通り効果的ですので)

具体的に文楽をどう現代化するか、どういうアピールをすればよいか、という案は私にはありません。
興味のある方がどうぞお考えなさって、というだけです。(私は文楽自体には全然興味ないのです。)
ただ伝統は消えたらまた復活させるのは難しいということだけは常に警戒しておくべき真実だとは思います。
それを踏まえた上で「消えるものは消えるべき運命だった」というのは、淘汰を受け入れる覚悟・姿勢ということでもちろん理解できます。

881名無しさん:2012/07/28(土) 04:42:12 ID:F4/fewOY0
 大阪市の橋下徹市長の文楽批判が止まらない。27日には「人形劇なのに(人形遣いの)顔が見えるのは腑に落ちない」、
前日には人気作「曾根崎心中」を批判するなど、わずか観劇2回で、文楽の様式や作品内容にまで発言がエスカレート。
文楽には、人形遣い個人の魅力を楽しむため江戸時代から顔をみせるようになった歴史がある。観客動員の努力不足などを
指摘する橋下市長の発言に一定の理解を示す文楽関係者らも「勉強不足では」と不信感を募らせている。(亀岡典子)

 橋下市長が国立文楽劇場(大阪市)で文楽を鑑賞したのは26日夜。その後、竹本源大夫さん(80)ら人間国宝の
楽屋を表敬訪問した後の記者会見で、「『曾根崎心中』の脚本は昭和30年に作られたそうだが、ラストシーンがあっさりしすぎ。
ファン獲得のために演出を考え直すべきだ」と批判。記者の「文楽のほとんどが江戸時代に作られた。
それでも見直しが必要ですか」との質問に、橋下市長は「へえー、そうなんですか」と答えた。

 「曾根崎心中」は江戸時代に近松門左衛門が人形浄瑠璃のために書いて大当たりをとった。その後、
心中が流行したため、幕府は心中物の上演を中止。ようやく昭和30年に江戸時代の脚本をもとに復活された。

産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120728/lcl12072800150000-n2.htm

>わずか観劇2回で、文楽の様式や作品内容にまで発言がエスカレート。
>文楽関係者らも「勉強不足では」と不信感を募らせている。

これが本当に可哀想なのです。
2回しか観てない立場でモノ申すことの必要性、それを示してくれてる市長は本当に体張ってるとおもいます。
100回文楽見た立場ではなく、市井の人々と同じく「文楽?ナニソレ?」という立場からの発言をあえてしている。
一方で伝統を大事にする人たち、もう一方で「文楽?ナニソレ?」という人たち。
後者のポジションで語り、勉強不足と突き上げられることのリスクと辱めをあえて受けてたつ橋下市長はやっぱり立派としかいいようがない。

882名無しさん:2012/07/28(土) 04:49:35 ID:F4/fewOY0
>>881記事の続き) 
 三味線の鶴澤藤蔵さん(47)も「『曾根崎心中』が作られた時代、経緯もご存じなかったようですし、
ただ面白いものを作ればいいという考え方にはうなずけない」と戸惑う。

橋下市長は、文楽の演出についても批判したが、そもそも文楽をはじめ古典芸能には「演出」は存在しない。
長い年月の中でさまざまな人たちの手で磨かれた「型」があるからだ。

 さらに橋下市長は27日には、前夜見た舞台について「人形劇なのに人形遣いの顔が見えると、作品世界に入っていけない」と発言。
これに対して国立文楽劇場の制作担当は「江戸時代から人形遣い個人の魅力が楽しめるよう、
半透明の幕から人形遣いが見えるやり方をしていた。それが顔を出す原点」と説明する。

 人形遣いの桐竹勘十郎さん(59)は「文楽は、人形を遣う3人、そして人形という、全部の影かたちで一つの役。
そこが他の人形劇とは異なるところ。根幹の部分でわかってもらえていない」と困惑する。

 長年文楽を見続けてきた作家の有栖川有栖さん(53)は橋下市長について「文化行政に一石を投じた」と評価しながらも、
「最近の相次ぐ発言は高い芸を磨いている文楽の人々を侮辱するもの。どんな芸術でも、一、二回見ただけでわかる人はほとんどいない。
知識を深めたり何度も見たりしながら好きになっていく。もし、橋下市長のように『僕の感覚』で文化を取捨選択するなら、
大阪ではその基準の文化しか残らない」としている。

産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120728/lcl12072800150000-n2.htm

883よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/28(土) 06:01:39 ID:n7BQw0GE0
>「人形劇なのに人形遣いの顔が見えると、作品世界に入っていけない」と発言。

 これはさすがに橋下市長、おかしいですよ。
 これは歌舞伎を見て「何であんなに派手なメイクをしているのだ? あれが気になって集中出来ない」と言っている様なもの。
 ね、変でしょう。
 文楽とはそういうものです。それが様式美です。それすら理解していないのでは文楽への橋下市長の発言は全て文楽への無理解からのものだ思われてしまう。
 文楽をまったく知らない人がした発言なら理解出来るのですが、仮にも大阪市長として文楽への補助金問題を扱う身でこれはダメですね。
 府知事時代のクソ教育委員会発言をはるかに超える問題発言だと私は思いますよ。

>どんな芸術でも、一、二回見ただけでわかる人はほとんどいない。

 文化や芸術を語る時に、よく出てくるフレーズですが、私はこれを聞く度に「そうかな?」と思ってしまう。
 
 私の実体験ですが、私が小学校三年生の時、おやじに連れられて生まれて初めて落語を見に行きました。
 演じてらっしゃたのが先代の三遊亭園楽師匠の「目黒のさんま」。 
 生まれて初めての落語でしたが、私は笑いまくっていました。
 それからですね、落語にはまったのは。
 
 落語が文化ではない芸術ではない、という意見は拝聴するに値しないので捨て置きます。
 
 一回見ただけでわかる文化や芸術もあるのですよ。何回か見ないと分からないというもの文化や芸術ではある。
 ただそれに胡坐をかいてはいませんかね、と私は思うのです。
 胡坐をかいて普通の人と縁遠くなってしまったのが舞台・劇団だと私は思っている。
 これも実体験ですが、中学生の時に文化体験という事である芝居を見に行ったのですが、これがまったく理解出来ない。
 すごい劇団だ、という事だったのですが、それがまったく伝わらない。
 ようは玄人には受ける、慣れている人には受けるけども、知らない人にはまったく受けない。
 こういう世界はいずれジリ貧になります。新しい顧客が得られないから。
 
 文楽もそうならないと誰が断言できるのでしょうか。
 玄人には受ける、通には受ける、というのは言い換えれば「オタクの世界」と一緒ではないですか。
 あまりに「オタク臭」が強いと普通の人は敬遠します。
 文楽はあまりに伝統ばっかり連呼するとそうなりかねない。
 様式美は守りつつ、新しいことを取り入れて、裾野を広げていかないとまずいと私は思います。
 普通の人向けに、分かりやすいものを作る。
 それを見てすぐにファンになってくれれば良し、すぐにはファンにならなくても何年後かに「そういえばあの時に文楽を見たっけな」と思い出してまた足を運んでくれればそれでも良し。
 一回見て二度と来ないのもそれで良し、なのです。
 一番良くないのは「これはこうだから、これしかダメ」と決め付けて、限られた人にしかわからないようにしてしまうこと。
 そういう世界はいずれ滅びます。

884よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/28(土) 23:09:22 ID:eXs2H96A0
〔碑にきく〕空の旅事業化の夢追う
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120728-OYT8T00037.htm

 潮の香りに抱かれた、堺市堺区の出島漁港外れ。夏草に埋もれて、「航空輸送発祥記念碑」がたたずむ。

 石碑脇の石板に、〈日本最初の定期航空を開始〉と刻まれている。1922年、大阪市でタクシー会社を経営していた徳島県出身の事業家・井上長一(1887〜1972)が、日本航空輸送研究所を設立。ここから和歌山市を経由し、徳島県小松島市までの100キロを1時間10分で結ぶ定期航空路を開設した。

 周辺は戦後、埋め立てて臨海工業地帯が造成されたが、当時は南北約7キロにわたる大浜海岸だった。建設に莫大(ばくだい)な費用がかかる陸地の飛行場ではなく、水上が飛行場になり、下部の平らな飛行艇が海岸沿いの海面で離着水した。定員は乗員乗客計6人程度。海岸から研究所の格納庫までレールが敷かれ、飛行艇を台車に載せて人力で押した。

 大浜海岸には当時、遊園地や水族館、海水の浴場・潮湯が立ち並んでいた。堺で生まれ育った郷土史家の中井正弘さん(73)(堺市南区)は「関西有数のリゾート地としてにぎわっていた。需要があるとみたのでしょう」。

 だが当初、旅客数はわずかで、業績は赤字だった。大卒初任給が50円程度だった時代に、片道40円の運賃を支払うことができる人は限られていた。事故も起きた。石板には、試験飛行などで殉職した飛行士ら20人の名前が残る。

 それでも井上はあきらめなかった。航路を高松市や愛媛県今治市、大分県別府市に延長し、36年には海軍の払い下げを受けて改造した19人乗り大型飛行艇「麒麟(きりん)号」を就航させる。キリンビールをスポンサーにつけ、客室乗務員の先駆け「エアガール」がビールを振る舞い、人気を博した。

 井上の評伝「征空野武士伝」の著書がある元新聞記者の岸積さん(77)(徳島県石井町)は、本人から、若い頃パイロットを目指して操縦の訓練を受けたが上達せず、航空事業を志したと聞いた。「自動車や汽車のように飛行機が商用や旅行で使われるようになる、と信じていた。商才があると同時にロマンチスト。その夢に多くの人がついて行った」

 日本が戦争への道を突き進んだ39年、研究所は国策会社との合併で解散を余儀なくされた。回顧本で「惜別の情がひしひしと胸底を往復する」と悔しさをにじませた井上は戦後の52年、民間航空再開に伴い、現在の全日本空輸の前身「極東航空」を設立。7年後、この石碑を建てた。

 それから半世紀。工場が並ぶ、かつての水上飛行場の上空を、300人乗りの旅客機が行き交う。発祥の地の記憶は薄れたが、夢は現実のものとなった。(南省至)

885よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/28(土) 23:10:27 ID:eXs2H96A0
>>884

◆気楽に月へ 時代来る

 漫画家松本零士さん74

  SFアニメの巨匠は、自他ともに認める飛行機マニア。幼い頃、陸軍少佐で、最新型飛行機のテストパイロットをしていた父に憧れた。「自分もパイロットになる、と決めていたが、漫画の描きすぎで近眼になり、あきらめた」

 それでも空への興味が尽きることはなく、世界中の航空機を見て歩いた。鉄の塊が空を飛ぶメカニズムに触れ、代表作「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」を生み出した。

 民間航空の黎明(れいめい)期を生きた井上も、「空が好きだからこそ、資金の問題や事故など、多くの挫折にめげず、歯を食いしばることができた」と推し量る。「それが航空業界の今につながっている」と、功績をたたえる。

 井上の時代から飛行機のエンジンや機体の性能は向上した。現代も開発の歩みが止まることはない。「漫画で描いた世界に現実が追いついてきた。近い将来、飛行場から気軽に、月や火星に行く時代が必ず来る」と予測する。「空を飛ぶという人類の夢が、多くの人の努力や犠牲で実現した。そのことを忘れず、今を生きる人たちにも、夢に向かって突き進んでほしい」


 まつもと・れいじ 1938年福岡県久留米市生まれ。東京都在住。著書多数。宝塚大教授。2010年に旭日小綬章を受章。

 ◆交通手段 南海本線湊駅の北西約800メートル。出島漁港の北端の突き当たり。そばには船待(ふなまち)神社御旅所と魚貝海虫慰霊碑がある。

(2012年7月28日 読売新聞)

886よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/07/30(月) 22:02:47 ID:xlwBj1k.0
「昭和の大阪」写真集発売 産経カメラマンの写真で振り返る
2012.7.30 20:16
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120730/wlf12073020200016-n1.htm

 産経新聞の報道カメラマンが昭和時代の大阪を撮影した写真集「昭和の大阪」(光村推古書院)が発刊され、大阪を中心に全国の主要書店で発売されている。第二次大戦後の焼け野原から驚異的な経済成長を遂げた大阪のエネルギーがモノクロ写真で捉えられている。

 昭和20〜50年の大阪を写真で振り返るというコンセプトで、産経新聞の歴代カメラマンが撮影した数十万以上のカットの中から厳選した228枚を収録。戦争で焼け野原になった大阪の市街地や、復興に向けて動き出す住民たち、高度経済成長期を迎え活気づく街など、“激動の昭和”が伝えられている。

 旭屋書店なんばCITY店(大阪市中央区)は、店内3カ所に特設コーナーを設置。担当者は「写真を通して、懐かしの大阪の街をぜひ振り返ってほしい」と話している。写真集はA5横変型で240ページ、定価2千円(税抜き)。

887よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/02(木) 05:58:53 ID:vDxJ6MYQ0
夜市にエコ屋台
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120801-OYT8T00002.htm

 鎌倉時代に起源のある夏祭り「堺大魚夜市(さかいおおうおよいち)」が31日、堺市堺区の大浜公園で開かれ、約22万人でにぎわった。府立堺工科高校の生徒がリサイクル燃料で発電機を動かして綿菓子などを作り、販売。収益金を東日本大震災の被災地へ送る。

 「被災地の役に立ちたい」と、環境化学システム系で学ぶ3年生11人が昨年に続き出店。高校の食堂で使った天ぷら油などの廃油と、家庭から集めたペットボトルのふたを、生徒らが手作りした装置で燃えやすい油にした。この燃料を利用して、製造器で綿菓子350個、ホットプレートでフランクフルト300本を作った。

 炎天下、訪れた家族連れらに元気に声を掛け、売り込んだ。参加した下川床真さん(17)は「学校で学んだことを生かして、被災者を少しでも手助けしたい」と話していた。

(2012年8月1日 読売新聞)

888よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/04(土) 20:32:38 ID:WwEhoGJo0
情報プラザ:大阪歴史博物館特別企画展「大阪を襲った地震と津波」 /大阪
毎日新聞 2012年08月04日 地方版
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20120804ddlk27040407000c.html

 26日(日)まで。9時半〜17時(金曜20時まで)、大阪市中央区大手前4の同館6階特別展示室(地下鉄谷町四丁目駅9号出口前)。大阪20+件を襲った地震や津波とその被害の実態について、地質学・考古学・歴史学などさまざまな学問分野による最新の研究成果などを展示する。「嘉永七年大坂大地震つなみ 一枚刷」や「友ケ島深蛇池(しんじゃいけ)津波堆積物試料」など約50点の資料を出品するほか、関西を中心に防災や震災復興に向けて活動する機関・団体・個人の取り組みも紹介する。講演会「震災と資料保存」(5日)と「歴史に学ぶ防災の知恵」(19日)は当日先着順。観覧料(常設展示とも)540円。高大生360円(8月末までの家族でお出かけ節電キャンペーン割引料金)。中学生以下・市内の65歳以上・障害者無料。火曜休館。同館(06・6946・5728)。

889よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/08(水) 20:31:06 ID:HW9noyaA0
どんなきっかけであれ、こうやってメディアで取り上げられると多くの人に知ってもらえるわけです。
言い換えれば、橋下市長に文楽の件で、やいのやいのと言っているメディアは果たして文楽を取り上げ、多くの人に知ってもらえるように努力をしてきたか、ということです。
また文楽も伝統文化・世界遺産という称号に胡坐をかいていなかったか、ということです。


禍転じて…文楽夏休み公演の入場者数、なんと4割増
2012.8.8 12:59
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120808/waf12080813050011-n1.htm

 国立文楽劇場(大阪市中央区)で行われた「夏休み特別公演」(7月21日〜8月7日)の入場者数が、前年の約4割増の2万5516人だったことが8日、同劇場のまとめでわかった。

 夏休み特別公演が3部制になった平成5年以来、2番目に多い。同劇場では、夜間公演の「曾根崎心中」が人気演目であることが大きい、と分析。また、大阪市の橋下市長が、集客への努力不足など文楽批判を繰り返す中、公演前には技芸員がJR大阪駅前でPRイベントを開催しており、「橋下市長の影響があったかどうかはわからない。ただマスコミなどで大きく取り上げられたことで、ふだん来られない方が足を運んでくださったのでは」と話している。

890名無しさん:2012/08/09(木) 00:32:37 ID:F4/fewOY0
やはり橋下効果は間違いないですね。

この人、とんでもない傑物です。
影響力が物凄い。

891よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/10(金) 22:59:36 ID:w9Dppq2Y0
文楽の夏公演観客数が前年比4割増し
http://www.tax-hoken.com/news_afzwdZh88W.html

橋下徹大阪市長が補助金削減方針を示したことから注目を浴びている文楽の夏休み特別講演(7月21日〜8月7日)の入場者数が、前年比約4割増しの2万5,500人を記録した。

技芸員が努力した成果

同公演は大阪・国立文楽劇場で開かれた。8日に劇場がおこなった集計で、期間中の入場者総数がここ10年で最多であることが判明した。

この結果について、橋下市長は「人形遣いらが公演をPRした結果であり、技芸員の努力の成果」と評した。一連の騒動で注目されたこともあり、人気演目の「曽根崎心中」などは期間後半、ほぼ満席の状態が続く盛況だった。


補助金25%カットの方針

橋下大阪市長は今年6月にまとめた「市政改革プラン」最終案の中で、市がおこなってきた文化活動への助成金についても見直す方針を示した。

この中には公益社団法人である大阪フィルハーモニー交響楽団、公益財団法人である文楽協会なども含まれる。文楽協会については、昨年度から25%減となる3,900万円の予算を計上し、関係者の意識改革を求めた。


橋下市長が指摘した3つの問題点

文化事業への補助金カットは一見、芸術を解さない乱暴な政策に見えるが、市長が指摘した問題点は現場の技芸員とも共有できる部分がある。

補助金に頼り切っており、プロモートする努力が足りないこと。報酬が適正配分されていないこと。演者である技芸員、劇場公演をプロモートする「日本芸術文化振興会」、その他の公演をプロモートし、演者のマネジメントをおこなう「文楽協会」の間にコミュニケーションがないこと。

いずれも補助金をもらえるから、という甘えがもたらす組織の構造的な欠陥である。これを改革しないのであれば補助金をカットする、という橋下市長の対応は理にかなっている。


「もう一度見たいとは思わない」

橋下市長はさらに、文楽を鑑賞した後、「もう一度見たいとは思わない」と一蹴。創意工夫が感じられない、と批判した。今回の公演成功は、こういったムチを受け、人形遣い自らが公演のPRにつとめるなど努力をおこなった成果といえる。

乱暴との声も高いが、これまでスルーされてきた因習にメスを入れ、税金の無駄遣いを徹底的にカットしようとする姿勢は、これまでの大阪市長と一線を画す。

892よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/12(日) 08:00:19 ID:H5HAjNhQ0
〔Naniwaなう〕行基さんゆかり墓市そぞろ歩き
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120811-OYT8T01377.htm

 暑さが和らいだ夕刻、無数のちょうちんがともった。東大阪市岩田町の岩田墓地で11日に開かれた恒例行事「墓市(はかいち)」。近鉄若江岩田駅から墓地までの約500メートルに夜店が軒を連ね、大勢の家族連れらがそぞろ歩く。

 奈良時代の高僧・行基が中河内(東大阪市、八尾市)で飢餓や疫病の犠牲者供養につくったとされる「河内七墓」の一つ。文字の読める最古の墓石には、江戸中期の年号「元禄」と刻まれている。約1500基が並び、今も地元の共同墓地として守られている。

 〈盆の月内に七墓を巡れば、極楽往生できる〉。中河内ではそう言い伝えられ、東大阪市の長瀬墓地など各地の墓地で、8月下旬まで同様の行事が行われる。“行基さん”の記憶は、約1300年を経ても生きている。(司)

(2012年8月12日 読売新聞)

893よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/12(日) 10:14:06 ID:H5HAjNhQ0
神妙に鎮座する雷の手形石
今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年8月10日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/120810/20120810055.html

「若江鏡神社」 東大阪市若江南町

 その昔、雷が誤ってご神前に落ちてしまった。神の前に落ちるとは何事か、と怒りにふれ、雷は天に返してもらえなくなった。そこで今後、決してこの村には落ちない、という約束をし、その印として手形を残したのがこの石=写真=である。

 ここは、東大阪市若江南町にある若江鏡(わかえかがみ)神社。伝説によると神功(じんぐう)皇后の御世(201〜269在位)の出来事というからあまりにも古い。この若江鏡神社の創建年代は定かではないが、「文徳(もんとく)実録」(平安時代初期に編まれた歴史書)には、すでにこの神社のことが記されているから、少なくとも1200年以上は、この地に鎮座していることになる。社格も郷社(ごうしゃ)で、敷地も2千坪におよぶ由緒ある神社である。

 この雷の手形石は本殿正面の真ん中に位置しているので、本殿に向かって、何らかの儀式に使われていたものかもしれない。神主が座る「座(ざ)」であったのか、それとも神様が現れるときによりつく依代(よりしろ)であったのか……。

 この本殿が、また実に素晴らしい。山間社流造(さんげんしゃながれづくり)といって、柱と柱の間が三間ある。つまり部屋が横並びに三つあると思ってもらえればわかりやすい。向かって右に大伊迦槌火明大神(おおいかづちほのあけのおおかみ)を、左に仲哀(ちゅうあい)天皇と神功皇后を祀(まつ)っている。ということは、真ん中の部屋は空き部屋ということで、これだけでロマンをかき立てられる。どうして何もないのか、ひょっとして、ときどき何かがやってくるのか、それとも神様どうし距離を置く必要があるのか、など、楽しい想像がふくらんでいく。

 もちろん、部屋をのぞいて見ることなどできない。「見ることができるのは、代々の宮司ただ一人です」と奥野紀(ただし)宮司は語る。お寺は秘仏などを開帳することがあるが、神社ではご神体を確認するのは宮司のみ。しかも、それが何かを口外することは許されない。これもまた神社の興味深い側面だ。

 この雷の手形石も神の領域のものと思えば、異様な形状も妙に納得がいく。

 奥野宮司が小学校でお話をされてから、近所の子どもたちも連れ立ってやってくる。この石は中庭にあるので通常は見ることができない。宮司が中庭まで案内する。子どもたちも雷の手形石の後ろにある本殿を前にして神妙な気持ちになるのか、ふざけたりすることもなく、ゆっくり、興味をもって見学していくようである。

 気持ちを静かに落ち着かせて、おだやかな気持ちになれる場所。それもまた、神社の役割であろう。子どもにも大人にも、必要な空間がここにある。

894よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/12(日) 18:40:23 ID:cmlHUy3E0
大阪襲った地震・津波の歴史展
http://www.nhk.or.jp/lnews/osaka/2004029561.html

大阪を襲った地震や津波の歴史資料を集めて、市民に防災意識を高めてもらおうという展示会が開かれています。
大阪・中央区にある大阪歴史博物館で開かれているこの展示会には大阪を襲った地震や津波について記録した縄文時代から昭和までの文書や写真など50点が展示されています。
このうち、江戸時代の末期に起きた「安政南海地震」による津波を記録した瓦版には何隻もの船が津波で押し流されて川をさかのぼり、道頓堀などに架かる橋を壊したことが地図と文書で記されています。また、大阪・平野区にある「長原遺跡」で見つかった地層を保存したパネルは引きちぎられた木の杭がそのまま土の中に埋まっていて、平安時代後期の「康和南海地震」で地層がずれた地震の痕跡とみられます。
大阪歴史博物館の飯田直樹さんは「大阪は地震や津波に何度も襲われた歴史があることを市民にもっと知ってもらいたい」と話しています。
この展示会は今月26日まで開かれています。

08月12日 12時22分

895よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/12(日) 18:55:45 ID:cmlHUy3E0
幽玄の世界を堪能 夏の風物詩大阪薪能始まる
2012年8月12日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/120812/20120812055.html

 大阪の夏の風物詩「第56回大阪薪能」(能楽協会大阪支部など主催)が11日、大阪市天王寺区の生国魂神社で始まった。夕暮れから宵へと移り変わる中、かがり火に照らされながら能楽が披露され、来場者らは幽玄の世界を堪能した。12日まで。

 大阪薪能は、同神社が1546年に新築された際、祝いの能が演じられた故事にちなみ1957年から毎年開かれている。観世、宝生などの5流派が競演し、2日間で6番の能楽、2番の狂言などを繰り広げる。

 セミの鳴き声が響く野外の特設会場では、能「竹生島」などが演じられた後、火入れ式が執り行われ、かがり火が灯ると一気に幻想的な雰囲気が深まった。炎の揺らめく中、能「千手」などが披露され、来場者はたえなる日本の古典芸能の魅力に浸っていた。

 家族連れで来場した福西広和さん(40)=同区=は「欧米化された生活の中で本当の日本が舞台の中に残っている」と感じ入っていた。

 12日は午後5時半開演、能「船弁慶」などが演じられる。

896よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/13(月) 09:59:31 ID:OPmButos0
あの大阪の輝きと戦争の影 「旧大阪府庁舎跡」が伝える当時の様子
2012.8.13 08:56
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120813/wlf12081309020002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120813/wlf12081309020002-n2.htm

 まるで明治時代のテーマパークに足を踏み入れたようだった。昨年夏、大阪市西区江之子島の旧大阪府庁舎跡の発掘現場を訪れると、高層ビルに囲まれた空き地の地下数メートルに、レンガ壁や御影石の階段、人の背丈ほどもあるレンガ積みの暖炉が100年以上前の姿で残っていた。

 旧府庁舎は明治7年に建てられ、中央に円形ドームがそびえた西洋風。大正15年に現在の大阪城近くに移転してからは、別の府施設として使われ、昭和20年3月の大阪大空襲で焼失したという。

 階段付近の鉄扉は茶色くさびて、全体が大きくひしゃげていた。空襲による衝撃かと思って、調査を担当した市村慎太郎・府立近つ飛鳥博物館総括学芸員に尋ねると、「考古学的には判断できないが、空襲以外にはちょっと考えられない」とのことだった。

 発掘からちょうど1年、成果をまとめた調査報告書がこの夏、府文化財センターから刊行された。建物跡や出土遺物の分析が主だが、とりわけ目を引いたのが昭和23年に米軍が同市西区一帯を撮影した航空写真だった。多くの建物が空襲で失われ、旧府庁舎も円形ドームの痕跡がかろうじて判別できる程度。遺跡や遺物中心の発掘報告書で、こうした写真は異例のことだ。

 「建物が空襲で焼け落ちるのを見た」。昨年7月、旧府庁舎跡の発掘を紹介する現地説明会が行われた際、当時の惨状を話すお年寄りもいたという。「たくさんの人が、さまざまな思いを抱きながら関心をもってくれた遺跡だった」と市村さん。「それだけに、報告書は少しでも詳しい内容にしたかった」と話した。

 写真も含めて全268ページで、厚さは2センチ。ずしりとした重みは、近代大阪の輝きとともに、戦争の影をも伝えていた。報告書は1冊千円。問い合わせは府文化財センター((電)06・6785・4531)へ。(文化財担当 小畑三秋)

897よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/08/15(水) 09:49:43 ID:CJvNXreQ0
羽広げサギソウ涼しげ 中央区の坐摩神社で見頃 大阪
2012.8.15 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120815/osk12081502000001-n1.htm

 シラサギが羽を広げたような形の白い花をつけるサギソウが大阪市中央区の坐摩(いかすり)神社で咲き始め、涼しげな風情が訪れた人たちを楽しませている。9月上旬まで見頃だという。

 ラン科の多年草で、長さ20〜30センチの細い茎に直径2、3センチの清楚(せいそ)な花を次々と咲かせる。神社では神紋の「鷺丸(さぎまる)」にちなみ、権禰宜(ごんねぎ)の北岡忠澄さんが約10年前から育て、毎年植え替えて増やしてきた。現在では「暁」「玉竜花」など5種類約2千株を栽培。このうち3割ほどが見頃を迎えた。

 例年よりやや開花が遅れたが、小さな“シラサギ”を撮影しようと、境内にはカメラマンたちが時折訪れている。神社は「花でひとときの涼を感じてもらえたら」と話している。問い合わせは坐摩神社((電)06・6251・4792)。


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