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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1nakano-shima★:2011/01/04(火) 14:35:48 ID:???0
【過去スレ】
大阪の歴史、伝統文化に関するスレ http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/travel/6501/1201947832/

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1295よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/24(水) 21:22:11 ID:U01tGM860
「巨大古墳の世紀」に迫る 奈良・大阪中心に51遺跡 橿考研付属博物館
2013.4.24 14:33
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130424/wlf13042414340017-n1.htm

 奈良、大阪両府県内で5世紀に築かれた遺跡の出土品などから、当時の政治実態を探る特別展「5世紀のヤマト−まほろばの世界」が、橿原市の県立橿原考古学研究所付属博物館で開かれている。両府県を中心に51遺跡の埴輪(はにわ)や鉄剣などの出土品約940点を展示している。6月16日まで。

 大阪平野南部の百舌鳥(もず)・古市古墳群などで、墳丘の長さが200メートルを超える巨大な前方後円墳が次々と築かれ、「巨大古墳の世紀」と呼ばれた5世紀をテーマに、その実像に迫るのが狙い。

 応神天皇陵とされる誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳(大阪府羽曳野市)近くの狼塚(おおかみづか)古墳で出土した珍しい導水施設形埴輪のほか、死者の魂を運ぶ葬送儀式で用いられたとされる、津堂城山古墳(同府藤井寺市)や巣山古墳(広陵町)の水鳥形埴輪などを展示。

 両府県内の遺跡で見つかった5世紀の有力豪族出現を示す大型の木製扉や刀装具なども紹介している。

 入館有料。月曜休館。問い合わせは、同館((電)0744・24・1185)。

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1297よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/26(金) 02:38:24 ID:p7BvKF9A0
四天王寺 盛り上げろ 地元若者がグループ結成
2013年4月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130425/20130425023.html

 和紙を使った体験や物販を通じて四天王寺かいわいを盛り上げようと、地元出身の若者たちが、参道沿いに会場を設け、月に1度イベントを開いている。町ぐるみの活動になるよう、さらなる発展を目指している。

 活動しているのは、天王寺中の同窓生で、建築やイラストなどに携わる5人。参道に訪れる人が年々減っていると感じ、にぎわいに一役買おうと昨年夏に、グループ「そら−四天王寺は謡う−」を結成し活動を始めた。

 イベントは「お大師さん」の名で親しまれる毎月21日の四天王寺の縁日に合わせて開催。メンバーの一人、和紙の卸売会社に勤める大上博行さん(26)の協力で和紙をそろえ、毎回、和紙と“何か”をかけ合わせたコラボ企画を実施している。過去には、和紙を活版印刷したり、参道沿いの商店主を写した写真を印刷したりした。

 20、21日は、近所の洋服屋の協力を得、和紙と“縫う”のコラボイベントを開催。和紙をミシン縫いして作ったトートバッグを展示し、小物入れ作りの体験会を開いた。

 活動開始から半年以上が過ぎ、なじみの顔が増えてきた。大上さんは「四天王寺に来るのが楽しくなったと言ってくれる70代の人もおり、手応えを感じている。和紙を、若者とお年寄りの交流のツールにし、いろんな人を巻き込んで面白い街をつくっていきたい」と話している。

 イベント情報はフェイスブック(https://www.facebook.com/shitennoji.sora)で発信している。

1298よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/26(金) 02:40:21 ID:p7BvKF9A0
「島熊山桜能」幽玄の美 大阪・豊中
2013.4.26 02:00
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130426/osk13042602000003-n1.htm

 豊中市緑丘の豊中不動尊で25日、新作の面を使った「島熊山桜能」が行われ、約200人のファンが幽玄の世界にひたった。

 不動尊近くにある島熊山(116メートル)で旅人が険しい山道に苦労した様子を詠んだ歌が万葉集にあり、歌碑が不動尊境内に立っている。桜能は山の歴史、風情をしのぼうと6年前から開かれている。

 本堂前に能舞台が特設され、観世流シテ方、山本博通らが、平家の武将で笛の名手といわれた平清経(たいらの・きよつね)とその死を嘆く妻の葛藤を描く能「清経」を舞った。

 清経と妻の面は昨夏に不動尊で開かれた能面祭での優秀作品が使用された。また、大蔵流狂言方、善竹忠重らの狂言「蚊相撲」も同様で、口をとがらせたユーモラスな表情が観客の笑いを誘っていた。

1299よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/29(月) 00:42:42 ID:kr41MsKo0
大阪・御堂筋:1000人がパレード 親鸞関連行事
毎日新聞 2013年04月28日 20時13分(最終更新 04月28日 20時35分)
http://mainichi.jp/select/news/20130429k0000m040045000c.html

 大阪市中央区の北御堂(みどう)(浄土真宗本願寺派本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)間の御堂筋約600メートルを結ぶ約1000人のパレードが28日、約30年ぶりに復活した。南御堂であった浄土真宗の開祖、親鸞の750回忌の関連行事。両御堂は御堂筋の名前の由来でもある。

 大谷派、本願寺派両派系列の高校から幼稚園まで約10校の児童生徒ら約500人がブラスバンドの演奏に合わせて行進。先頭では南御堂のキャラクター、ブットンくんがオープンカーに乗り、法要をアピールした。僧侶が法要前に同ルートを歩く「参堂列」の行列も続き、約500人が雅楽を伴奏にしずしずと歩いた。

 このパレードは、両御堂共催の「御堂まつり」の一環として1965年に始まり、資金などの問題で82年に中断。翌年、このパレードをちょうど引き継ぐような形で、大阪の風物詩、御堂筋パレード(2007年まで)が始まった。

 11月には北御堂主催のパレードもある。南御堂の実質的責任者、五辻(いつつじ)信行輪番(59)は「北御堂と協力して、御堂筋と両御堂の歴史などを広く市民にアピールしていきたい」と話した。【鈴木英生】

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1300よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/29(月) 00:56:05 ID:kr41MsKo0
大坂夏の陣「道明寺合戦」 チャンバラ参加者集え
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130428-OYT8T00017.htm

 徳川家康が豊臣家を滅ぼした大坂夏の陣(1615年)から2年後で400年を迎えるのを前に、藤井寺市の商店主らが、同市道明寺であった「道明寺合戦」のPRに力を入れている。歴史ファンに人気のある真田幸村(豊臣軍)と伊達政宗(徳川軍)が戦ったが、知名度が低いためで、5月3日には「道明寺合戦まつり」を開く。

 市内の商店主らでつくる道明寺まちづくり協議会や、阪南大、市などが昨年8月、実行委を組織。400年に合わせた企画を練り、11月に古戦場を巡るウオークなどを実施した。

 第2弾のイベントとなる同まつりでは、大人や子ども約200人が真田軍と伊達軍に分かれてチャンバラ合戦を展開。参加者は腕に紙風船を付け、おもちゃの刀で風船を割られると討ち取られたことになり、生き残った人数で勝敗を決める。参加費500円が必要で、当日参加できる。

 さらに阪南大国際観光学部の来村多加史(きたむらたかし)教授らが合戦をテーマにしたトークショーを開催。NPO法人「大阪城甲冑(かっちゅう)隊」(吹田市)や大阪芸術大忍術研究会(河南町)は居合などを披露する。

 今後は400年となる15年に向け、年に1、2回、イベントを企画する予定。同協議会専務理事で、かまぼこ店経営の篠田朋宏さん(50)は「様々な企画を実現して、歴史の舞台としての道明寺を広く知ってもらい、地域おこしにつなげたい」と話す。

 同まつりは午前10時〜午後8時。チャンバラ合戦は午後2時からで直前まで受け付ける。問い合わせは、平日に同市商工観光課(0729・391・1111)へ。

◆道明寺合戦 

 大坂夏の陣の戦いの一つで、1615年5月6日、藤井寺市道明寺周辺の石川河川敷などであった。伊達政宗ら圧倒的多数の徳川軍に対し、真田幸村ら豊臣軍も果敢に応戦したが、天王寺方面に撤退。その後、大坂城が落城した。

(2013年4月28日 読売新聞)

1301よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/04/30(火) 01:45:14 ID:uWAjRXIE0
僧侶ら千人練り歩く 親鸞750回御遠忌法要
2013年4月29日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130429/20130429036.html

 真宗大谷派・難波別院(南御堂)から浄土真宗本願寺派・津村別院(北御堂)まで御堂筋約600メートルのパレードが28日開かれ、両派の関係学校の生徒や門徒、僧侶ら約千人が練り歩いた。

 パレードは南御堂の主催で、宗祖親鸞の遺徳をしのび50年に一度執り行われる750回御遠忌(おんき)法要の一環として実施。北御堂の協力により、約30年ぶりの両派合同の行事となった。

 午前9時、真宗大谷派大阪教区の公式キャラクター「ブットンくん」が乗り込んだオープンカーを先頭に、パレードが北御堂からスタート。相愛中・高の吹奏楽部や大阪大谷中・高のバトントワリング部など学生らが行進を盛り上げた。

 同10時からは宗派の行事としての練り歩きが執り行われた。楽僧による笛の厳かな音色が響く中、稚児や門徒らに続き、赤色の傘の下を同宗派の大谷暢顯(ちょうけん)門首がゆっくりと進んだ。

 沿道から行列を見守っていた主婦(50)=京都市=は「先のことばかりに目を向けず、今日この一日を一生懸命、大切に生きようという気持ちを再認識した」と話していた。

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1303よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/03(金) 01:52:51 ID:p8LnLj1o0
荘厳「万部おねり」 大阪・大念仏寺で始まる
2013年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130502/20130502035.html

 25の菩薩(ぼさつ)たちが人々を極楽浄土に迎える様子を再現する法要「万部(まんぶ)おねり」が1日、大阪市平野区の大念仏寺で始まった。5日まで。

 正式名は阿弥陀(あみだ)経万部読誦(どくじゅ)・二十五菩薩聖聚来迎会(しょうじゅらいごうえ)。室町時代から始まった来迎の儀式と、江戸時代から行われる阿弥陀経一万部の読誦を合わせて執り行う。

 融通念仏宗総本山・大念仏寺最大の伝統行事で、大阪市の無形民俗文化財に指定される。

 金色の仮面などきらびやかな25の菩薩の姿をした僧らは、本堂の外側に設置された橋を練り歩き、本堂正面から入堂。かねの音や雅楽が鳴り響き、境内が荘厳な雰囲気に包まれる中、極楽浄土に往生する様子が表現された。

 二十五菩薩お練り供養は連日午後1時から行われる。

1304よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/03(金) 02:35:03 ID:p8LnLj1o0
「創立」祝い舞楽奉納 住吉大社で「卯之葉神事」
2013年5月2日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130502/20130502034.html

 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で1日、住吉大神の鎮座を記念する祝祭行事「卯之葉(うのは)神事」が執り行われた。快晴の下、多くの関係者が神事に参列し、みやびやかな奉納舞楽などを見守った。

 第一本宮での本殿祭では祝詞奏上や奉仕者による献香、献茶がなされたのに続き、神前に卯の葉(ウツギ)の玉串がささげられた。この後、四天王寺、厳島神社とともに日本三大舞台として知られる境内の石舞台(重要文化財)で舞楽を奉納。天王寺楽所(がくそ)雅亮会の奉仕で、東西の楽舎から雅楽の音色が響く中、古式ゆかしい装束姿の舞人が次々と登場。舞楽の始まりに舞われる儀式的舞曲「振鉾(えんぶ)」をはじめ「桃李花(とうりか)」「綾切(あやきり)」などを繰り広げ、舞台前に集まった参拝者を魅了した。

 またこの日から境内南東にある「卯の花苑」で恒例の一般公開も始まり、来園者がタニウツギなど優美な花姿をカメラに収めていた。31日まで公開され見頃は中旬となる見通し。開園時間は午前10時〜午後4時。

1305よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/04(土) 20:40:52 ID:wCt4fX7Q0
幸村隊と政宗隊、激突 「道明寺合戦」追体験
2013年5月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130504/20130504021.html

 徳川家が豊臣家を滅ぼした大坂夏の陣(1615年)から400年を迎えるのを前に、人気の高い武将、真田幸村と伊達政宗が激突した道明寺合戦を追体験するイベントが3日、舞台となった大阪府藤井寺市内で開かれ、約300人がゲーム形式で“合戦”を繰り広げた。

 道明寺まちづくり協議会らでつくる実行委員会の主催。道明寺天満宮や石川河川敷を会場にさまざまなプログラムを展開した。河川敷で行ったゲーム形式の“合戦”では、約300人が豊臣側の真田軍と徳川側の伊達軍に分かれて参加。片腕に付けた風船を玩具の刀で割ると討ち取ったことになるルールで、子どもから大人まで楽しみながら迫力ある合戦の様子を再現していた。

 合戦について母親から教えられたという田中奨馬君(11)=同市=は「参加できてうれしかった」と喜んでいた。同協議会の森田剛浩会長は「400年の節目に向け、この地で合戦があったことを広め、町の魅力を高めていければ」と話していた。

1306よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/05(日) 07:28:36 ID:juV7tAo60
雨は降る降る古市で… 「竹内街道わらべ歌」1世紀ぶりに復活 5日に大阪・羽曳野で披露
2013.5.4 23:03
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130504/wlf13050423140021-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130504/wlf13050423140021-n2.htm

 飛鳥時代に整備され、日本最古の官道と呼ばれる「竹内(たけのうち)街道」が横切る大阪府羽曳野市で、大正期まで歌われていた「竹内街道わらべ歌」が約1世紀ぶりに復活。5日、同市で開かれる「第38回はびきの市民フェスティバル」で羽曳野少年少女合唱団が披露する。

 〈雨は降る降る古市で 傘を借る借る軽里で 馬に乗る乗る野々上で…〉

 手遊び歌の身ぶりで歌うわらべ歌には、羽曳野市から堺市にかけての街道沿いの地名が登場。街道の子供たちが歌っていたが、車道が整備されるにつれて忘れられていったという。

 復活へ動いたのは、同フェスティバル実行委の田仲基一さん(48)。今年が竹内街道の整備1400年となることから企画した。

 田仲さんの義理の母、立石雅子さん(71)が明治生まれの母からわらべ歌を教わっていたが、覚えていたのは冒頭部分だけ。実行委のメンバーと相談して情報を集めたところ、堺市西区の藤井一二三さん(87)が約15年前、歌詞を復元していたことが分かった。地元の高齢者から聞いたリズムと合わせ、羽曳野少年少女合唱団を指導する湊川和子さんが4月に復元させた。

 フェスティバルは市立峰塚公園(同市軽里)で開かれ、わらべ歌を披露する合唱団の公演は午前10時半。メンバーの芝田知里さん(17)は「自然に体が動く楽しい歌。覚えている人がいたら昔を懐かしんでほしい」と話している。

1307よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/06(月) 05:09:34 ID:6yEE2tfw0
勇壮「真田の赤備え」 志紀長吉神社で戦勝祈願祭
2013年5月5日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130505/20130505039.html

 大坂の陣で奮闘した信州上田の武将、真田幸村の威徳をたたえる行事「戦勝祈願祭」が4日、大阪市平野区長原2丁目の志紀長吉神社(鈴木理美宮司)であった。数多くの奉仕活動に取り組む大阪城甲冑(かっちゅう)隊をはじめ、長野県上田市から駆け付けた上田城甲冑隊のメンバーらが「真田の赤備え」で勇壮な行進や演武を繰り広げた。

 大坂夏の陣(1615年)の道明寺の合戦で伊達政宗軍と一戦交えた幸村が大坂城への帰路、同神社で戦勝祈願し軍旗などを奉納したことにちなんだ行事。

 約30人の甲冑隊は、多くの地域住民や歴史愛好家らが見守る中、ほら貝を響かせながら約200メートルの参道をゆっくりと行進。本殿前で軍旗奉納の様子を再現したほか、勇壮華麗な剣舞や試斬といった演武を披露した。地元から母親と訪れた柘植むつみさん(28)は「幸村公ゆかりの地とは知っていたが、歴史的な面でも興味がわいた」といい、境内の様子をカメラに収めていた。

1308よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/06(月) 20:16:09 ID:w/PIWQWg0
「適塾」展示品33年ぶり一新
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130506/4302101.html

福沢諭吉など数多くの人材を輩出した大阪・中央区の「適塾」の展示品が33年ぶりに一新され、日本の近代化を担った教育施設を知る史料60点が新たに展示されています。
福澤諭吉など日本の近代化に貢献した人材を輩出した大阪・中央区の「適塾」は今年創設者の緒方洪庵が亡くなって150年となることから、「適塾」を管理する大阪大学が33年ぶりに展示品を一新しました。
新たに展示された史料は60点に上り、このうち「適塾塾生等級別名簿」は1859年に在籍していた81人の塾生の名前をオランダ語の読解能力別にまとめたものです。
また、「頓宮篤弼宛緒方洪庵書状」は洪庵が、いまの岡山県で医師として活躍する門下生に病気の治療方法を書き記した手紙で、洪庵と弟子の交流が伺える貴重な史料です。
大阪大学適塾記念センターの廣川和花准教授は「緒方洪庵の人となり、多彩な人材を生んだ適塾の教育がわかりやすく展示されているので、多くの人に訪れていただきたい」と話しています。

05月06日 12時21分

1309よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/09(木) 05:23:27 ID:yNNOPxho0
わんぱく幸村 決戦にぎやか 天王寺でチャンバラ体験
2013年5月6日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130506/20130506082.html

 こどもの日の5日、大坂の陣(1614〜15年)で活躍した戦国武将・真田幸村にちなんだチャンバラなどの体験イベント「真田幸村 最後の決戦!!2013」が大阪市天王寺区の天王寺公園であった。参加した子どもたちは、おもちゃの刀を懸命に振り回しながら幸村顔負けの刀さばきを見せていた。

 14、15年が大阪の陣からちょうど400年に当たることから、同区が記念事業として企画した。

 園内のわんぱく広場では、子どもたちが日本殺陣道協会(西区)の指導を受けながら、敵役の同協会メンバーとの1対1の対決に挑戦。慣れない動きに戸惑いを見せながらも刀を数回ぶつけ合ってから相手の太刀筋をかわして思い切りよく腹に切り込んでいた。

 また水上ステージでは、天王寺区の水谷翔太区長が幸村に扮(ふん)したパフォーマンスショーを披露。抜いた刀をうまく鞘(さや)に収められず焦る姿に会場から笑いが起きていた。

 チャンバラをした近くに住む出水真輝ちゃん(5)は「ドキドキしたけどうまくできた。またやりたい」と息を弾ませていた。

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1316よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/13(月) 01:04:55 ID:e0Ckj1eg0
百舌鳥・古市古墳群の背景知る
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130511/4490051.html

世界文化遺産への登録を目指している百舌鳥・古市古墳群が、大阪に誕生するまでの背景を知ってもらおうと、古墳群が成立する前に作られたと見られる出土品を集めた展示会が大阪・河南町の博物館で開かれています。
堺市にある国内最大の前方後円墳、仁徳天皇陵とされる古墳などが並ぶ百舌鳥古墳群と、羽曳野市と藤井寺市にある古市古墳群は平成27年度の世界文化遺産登録を目指しています。
百舌鳥・古市古墳群は、いずれも4世紀後半以降に築かれたと見られていますが、府立近つ飛鳥博物館で開かれている展示会は、これらの古墳群が築かれるまでの歴史的背景を学んでもらおうと、古墳群が成立する前に作られたと見られる550の出土品を展示しています。
このうち、4世紀半ばに作られた「鰭付楕円筒埴輪」は、1.5メートルほどあり、百舌鳥・古市古墳群に大王の墓が築かれる前にも、大阪の地に一定の勢力を持った集団がいたことが裏付けられる資料だということです。
また、柏原市で出土された「歯車形碧玉製品」は、11個の突起物が珍しく、国の重要文化財に指定されています。
府立近つ飛鳥博物館の市村慎太郎統括学芸員は「百舌鳥・古市古墳群が成立する前の大阪南部が、当時、どういう地域だったのかを考えることができる貴重な物が展示されており、ぜひ見てもらいたい」と話しています。
この展示会は、来月30日まで開かれています

05月11日 12時20分

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1321よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/18(土) 05:06:55 ID:hUS4M8HE0
定説より200年以上前か 四天王寺の「宝蔵」再建
2013年5月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130517/20130517020.html

 境内が国指定史跡、鳥居や石舞台などの建築物が国の重要文化財に指定されている大阪市天王寺区の四天王寺で、境内に残る校倉造の「宝蔵」の遺構が、1812(文化9)年の再建時のものとされていた従来の認識から、約200年またはそれ以前にさかのぼる可能性が出てきた。

 再建時の年代は少なくとも豊臣秀吉、秀頼により再建された16世紀後半〜17世紀初頭以前。同寺所蔵の文書によると、従来通りに再建されてきたことは確実で、関係者は「極めて少ない双倉が残っているのは珍しく、貴重な遺構だ」と驚いている。解体修理に向けた事前調査の過程で分かった。

 「四天王寺式」と呼ばれる伽藍(がらん)配置を備える同寺は、593年の創建以来、16世紀後半には織田信長による焼き打ち、1614(慶長19)年には大坂冬の陣により焼け、1801(享和元)年には雷火で全焼するなど、戦災や自然災害による損壊と再建を繰り返してきた。しかし、宝蔵は境内の東端にあり、調査に携わる桜井敏雄元近畿大教授(工学博士)は「伽藍の端の端。焼け残る可能性は高い」とみている。

 宝蔵には聖徳太子ゆかりの宝物が収蔵されていることから、平安時代以降、天皇や上皇をはじめとする貴族がしばしば立ち寄ったとされ、通常は設けられることのない拝殿が備えられていたのはその証明だ。焼け残った要素として、倉への特別な意識があったという見方もある。

 建築技法に採用されている校倉造は、柱を用いずに木材を井型に組み合わせた様式だが、建物を支える12本の束柱について桜井元教授は「(上部で組み合わせる)校木に比べると決定的に古い」と話す。

 現在3間四方で残る宝蔵には過去に後方(東方向)へ伸びていた痕跡があり、建物が続いていたことを示している。本来は9間だが、3間の「仮宝蔵」として再建されたという記録が残っており、「江戸時代まで9間の双倉が残るというのは異例」(桜井元教授)だ。江戸時代に著された「新古建物間数書」によると、大坂冬の陣の際に「一部残さず焼けた」が、「この建物(宝蔵)は焼け残った」とある。建築様式は正倉院と同じで「摂津国四天王寺絵図」の図式が裏付けられた格好になる。

 焼けた形跡は解体してしまわないと分からないという。来年3月まで1年の解体修理で新たな事項が判明する可能性もあり、同寺管財課の山本修司課長は「しっかり調査し、後世に残していきたい」と話している。

1322よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/19(日) 02:42:03 ID:slkr89lY0
「住吉御文庫」すっきり 大阪、天日で蔵書を風通し
http://www.asahi.com/area/osaka/articles/OSK201305170145.html

 【宮田裕介】住吉大社(大阪市住吉区)境内の「住吉御文庫(おぶんこ)」で蔵書を天日にさらし、風を通す「曝書(ばくしょ)」が17日あった。快晴で心地よい風が吹く中、法被姿の大阪出版協会のメンバーら30人が約1千冊を1冊ずつ虫干しした。

 御文庫は、1723(享保8)年に大坂、京都、江戸の本屋が発起人となり建立した。大阪最古の図書館ともいわれ、儒教や和歌など様々な種類の書籍が約5万冊保存されている。住吉大社の小出英詞権禰宜(ごんねぎ)(37)は「庶民がお金を出し合ってつくったことに意味があり、上方・町衆の心意気を感じる」と話す。

 参加したフリーアナウンサーの城井珠実さん(45)は「風を通して本が生き返ったような気がします」。出版社勤務の井沢伸吾さん(25)は「本の隙間に紙切れが挟まっていたり、読んだ跡があったり、どういう人がいたのだろうと想像しながら作業しました」と話した。

1323よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/19(日) 02:51:05 ID:slkr89lY0
大阪あそ歩 〜街の達人たち〜

住友銅吹所から太閤下水
2013年5月17日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/asobo/130517/20130517033.html

泉屋の繁栄と秀吉の功績

 今回は住友グループのルーツである泉屋の繁栄を垣間見るとともに、豊臣秀吉の時代に築かれた下水で現在も現役で使われている太閤(背割)下水などを巡るコースに参加した。この日はあいにくの雨模様となったが、すみよし歴史案内人の会のメンバーとして地元のガイドも務めている塚越圭子さん(66)と、西野林さん(69)に連れられ、傘を差して地下鉄鶴見緑地線「松屋町駅」を出発した。

 長堀通にほど近い場所にあるのが、住友銅吹所跡。江戸時代の日本は世界有数の銅の産地として知られ、塚越さんは「大坂は日本の3分の1の銅の生産量があった」と教えてくれた。その中でも住友グループのルーツの泉屋(住友家)は、最大規模を誇っていたとされる。現地には銅の精錬に使われていた小型の炉が展示されていた。

 同じ敷地内の一角にあるのが、元住友家本邸内ビリヤード場だ。1876年に銅吹所が廃止された後、敷地は住友家の邸宅となった。1879年には洋館やビリヤード場が建てられた。ビリヤード場は玄関がアーチ状で洋風の造りだが、屋根の部分は瓦ぶきという和と洋が混在しており、独立の建物のビリヤード場としては国内最古という。

 五月人形などが並ぶ松屋町筋商店街を歩き、一角にあるUHA味覚糖本社ビルに入る。ビルの2階には同社のサテライトショップがあり、ショップ前のロビーには、平城遷都1300年記念事業のマスコット「せんとくん」を制作した彫刻家・薮内佐斗司さんのオブジェがあり、こちらで一休み。

 その後、訪れたのは太閤(背割)下水の見学施設。豊臣秀吉の時代に築かれ420年以上たった今も、改良が加えられた約20キロが使われている。背割の名前は、道路に面した建物の背中に下水溝を掘ったことが由来とされ、今も残るうちの約7キロが将来にわたり保存が可能として大阪市の文化財に指定されている。

 コースの最後は南組惣会所跡。江戸時代の大坂は幕府から派遣された大坂町奉行のもとに北、南、天満の3組があり、総称として大坂三郷と呼ばれていたという。もっともある程度の自治が認められており、西野さんは「町人文化が発達していた」と当時の様子を解説してくれた。

 大阪検定を受けるための勉強にとコースに参加したという東成区の30代の男性会社員は太閤下水の存在に驚いた様子を見せ、「近所に住んでいても知らないことが多い」と話していた。

 ○…あいにくの雨だったが、塚越さんと西野さんの明るいガイドぶりで、傘を差しながらの2時間ほどのまち歩きを堪能した。コースの途中では6月に迫った大阪検定が話題に上ることも。まち歩きを楽しみながら試験対策にもなるのが、大阪あそ歩の魅力でもあるのを実感した。

1324よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/21(火) 00:56:31 ID:VmU308JI0
愛情包まれ お別れ 大阪天満宮で「人形祭」
2013年5月20日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130520/20130520018.html

 長年、愛情を注いできた人形を供養する「人形祭」が19日、大阪市北区の大阪天満宮で執り行われた。多くの人形やぬいぐるみが集められ、同宮の神職によって奉納された。

 府内では毎年秋に府人形問屋協同組合が四天王寺で人形供養を行っているが、「年に1度だけでは」と、節句人形を製作する20社で組織する関西節句人形工業協同組合が主催し、今年で3回目。

 境内には、午前9時の受け付け開始からひな人形をはじめ、フランス人形やこけしなどが寄せられた。同市東淀川区の平井起美代さん(70)は、幼い頃に祖母から贈られたひな人形から、親王以外の五人ばやしと三人官女の計13体を奉納。「私らの代で処分しなきゃと、春から少しずつ準備してきました。肩の荷が降りました」と穏やかな表情を見せていた。

 午後からは人形奉謝祭が行われ、神職らが玉串を奉納、祝詞をあげた。同組合の小出康雄理事長(70)は「作る以上、責任を持たなくてはいけない。今後もお役目を終えた人形たちの処分をお手伝いしていきたい」と話していた。

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1329よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/26(日) 23:08:40 ID:vrffU0KY0
北浜「住友ビル」保存へ…モダン建築の価値重視
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130525-OYO1T00614.htm?from=newslist

 三井住友銀行は、大正期に建設され、築90年近くになる大阪本店ビル(大阪市中央区)を建て替えず、保存することを決めた。大規模な改修工事にあたって、建て替え案も浮上していたが、歴史的な価値が高い建物を守るべきだと判断した。外観はそのままに内側に耐震板を設けるなどして耐震性向上を図る。

 大阪本店ビルは、関西の金融の中心地である北浜にある。地上6階、地下1階の建物は、延べ床面積約3万4000平方メートルで、重厚感にあふれる。住友財閥の本拠地として、当時の建築技術の粋を集め、1926年(大正15年)に完成。大阪市民には「住友ビルディング」として親しまれてきた。

 クリーム色の外壁は、美しく仕上げるため、古墳時代の石棺にも使われた兵庫県西部産の竜山石(たつやまいし)を粉砕してから張りつけている。現在では高価すぎて再現できない工法という。店内には、精巧な彫刻が施されたギリシャ建築様式の12メートルの柱が立つ。

 戦後の一時期は、建物の一部が、連合国軍総司令部(GHQ)の拠点になったことでも知られる。文化財には指定されていないが、建築家や研究者らが見学に訪れることもある。

 耐震性の向上やスペースの有効利用などを図るため、5年ほど前から、約50年ぶりとなる大規模な改修工事の検討が始まった。建て替える案や、東京・銀座の歌舞伎座のように後方に高層ビルを建てる案なども議論されたが、歴史的価値の高い建物をそのまま残すべきだという意見が多かった。

 95年の阪神大震災でも損傷せず、現在の建築基準に照らしても十分な強度があることがわかり、建て替えはしないという結論になった。同行の中田久義管理部長は「当時の危機管理意識の高さに驚かされた」と話している。

 今回の改修工事は、大災害があっても建物内で仕事が続けられるようにするためのものだ。内側から柱の間に板を渡し、耐震性をさらに高めるほか、川の氾濫に備えて高さ1・2メートルの防潮板を造ることにした。工事は今月から始め、2015年4月までに終える予定だ。近代建築に詳しい京都工芸繊維大の石田潤一郎教授は「モダンで洗練された大傑作で、次代に残すことは社会的意義がある」と評価している。

(2013年5月25日 読売新聞)

1330名無しさん:2013/05/27(月) 08:17:38 ID:OxyPshts0
>>1329
 読売新聞やThe Japan News、ヨミウリ・オンラインに掲載している記事や写真などは、読売新聞社の著作物で、日本の著作権法や国際条約などで保護されています。原則として、著作権者である読売新聞社の承諾を得ずに、読売新聞やヨミウリ・オンラインの記事や写真、図表などをコピー、転載、インターネット送信などの方法で利用することはできません。

http://www.yomiuri.co.jp/policy/copyright/

1331よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/28(火) 23:42:26 ID:NFqGgSAM0
百舌鳥・古市古墳群、世界遺産目指しPR作戦
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130528-OYO1T00803.htm?from=newslist

 墳墓として世界最大級の仁徳陵古墳(前方後円墳、全長486メートル)などで構成する百舌鳥(もず)・古市古墳群(堺市など)の世界遺産登録への機運を高めようと、地元が官民一体で<PR作戦>を展開している。大阪府内でも古墳群の存在は半数程度にしか認識されていないのが現状で、住民らは散策会を開いたり、古墳を模したパンなどを販売したりしているほか、府なども東京でのシンポジウムの開催を計画中。関係者は「大阪初の世界遺産登録の実現には地元の粘り強い運動が欠かせない」と力を込める。

散策ツアー
 同古墳群は、府が堺市などと連携して国に働きかけ、2010年、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)への国の推薦を待つ暫定リストに掲載された。

 15年の登録を目指しているが、府が11年9月に府民約1900人から回答を得た調査では、約45%の人が「大阪に古墳群があると知らなかった」とするなど、知名度は今ひとつだ。

 このため、府などは専門家を招いたシンポジウムを開くなどしてきたが、さらにアピールする必要があると判断。10月には東京都内の旅行会社に古墳群を巡るツアーの企画を持ちかけるほか、年内にも古墳群をテーマにした専門家のシンポジウムを都内で開く予定で、「古墳群の価値や魅力を訴え、存在を知ってもらいたい」と担当者は話す。

 地元住民も知名度アップに懸命だ。昨年2月、古墳群の価値を多くの人に知ってもらおうと、「堺百舌鳥歴史探検隊」を結成。月1回のペースで勉強会や散策会を開催、古墳周辺の清掃活動も続けている。

 隊長の米穀店経営・新宅義史さん(43)は「多くの観光客が近くの関西空港を利用しているのに、堺を素通りしているのが現状。登録が集客につながれば」と期待する。堺ライオンズクラブは今月12日、スタンプラリー方式で仁徳陵を巡る親子ウオーキングを開催、参加した約800人に地元ボランティアらが古墳の形状や埋葬者などを説明した。

関連商品

 古墳にちなむ商品も相次いで誕生している。

 JR百舌鳥駅前のパン店「ロアール」は前方後円墳形のあんパンなど5種類(105〜180円)を販売。店長の森田健司さん(44)は「お膝元の店として何かできないかと思った。見た目で、お客さんも面白がってくれる」と語る。

 同駅近くの飲食店「花茶碗(はなちゃわん)」も古墳をあしらったカレー(1000円)とパン(180円)を売り出し、人気。あめ製造業「堺あるへい堂」は仁徳陵をかたどった3色のアメ(1袋350円)を発案、観光案内所などで販売している。

 石見銀山遺跡(島根県)の登録活動にかかわり、文化庁文化審議会の世界文化遺産・無形文化遺産部会専門委員を務める中村俊郎さん(65)は「地元の盛り上がりは登録の重要な条件。ユネスコ関係者に大きな影響を与え、大きな一押しになるはず」と話している。

 百舌鳥・古市古墳群 堺市の百舌鳥古墳群と、羽曳野、藤井寺両市の古市古墳群からなり、4世紀後半〜6世紀前半築造の90基近くが現存する。百舌鳥には仁徳陵古墳、古市には国内2番目の規模の応神陵古墳(羽曳野市)がある。仁徳陵は「クフ王のピラミッド」(エジプト)や「秦の始皇帝陵」(中国)とともに世界3大古墳に数えられる。

(2013年5月28日 読売新聞)

1332よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/29(水) 23:51:31 ID:aegv8Lyo0
大坂の陣慰霊祭 399回忌を初めて営む
2013.5.29 14:06
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130529/wlf13052914160016-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130529/wlf13052914160016-n2.htm

 1614年の「大坂冬の陣」と翌15年の「大坂夏の陣」から400年を迎えるのを前に、大阪府柏原市の郷土史家や歴史ファン、ボランティアガイドら有志が戦死した豊臣方、徳川方双方の武将や兵士、民衆らを慰霊しようと、夏の陣前日にあたる6月1日の午後1時半から、柏原市の玉手山にある通称「大坂夏の陣戦没者供養塔」前で初の「大坂の陣慰霊祭」(399回忌)を行う。

 大阪府内では「大坂の陣400年」に向けて数々のイベントが計画されているが、慰霊祭実行委員長の元柏原市議、桝谷政則さんは「夏の陣は現在の柏原市をはじめ各地で大勢が亡くなった壮絶な戦であり、戦国時代を終結させ平和な時代を迎える節目だったことを知ってほしい」としている。

 現在の柏原市では小松山の戦い(1615年)で豊臣方の後藤基次ら400人が討ち死にした。玉手山の供養塔の正式名は「宝篋(ほうきょう)印塔」で、安福寺の珂憶(かおく)上人が1670〜1700年ごろ、激戦地を見下ろす山頂に建立した。

 両軍の戦没者を鎮魂している点が他の史跡とは異なっており、これまで郷土史家が研究対象にしたり、ボランティアが古戦場めぐりなどでガイドを行ったりしてきたが、慰霊祭は初めてという。

 参加自由。問い合わせは桝谷さん方(電話072・977・7677)。

1333よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/31(金) 06:09:53 ID:s07cC84M0
中宮寺跡の瓦に「難波津の歌」 職人が万葉仮名を練習
http://www.47news.jp/CN/201305/CN2013052701002154.html

 聖徳太子ゆかりの中宮寺跡(奈良県斑鳩町)で、「咲くやこの花」で知られる和歌「難波津の歌」の一部が刻まれた瓦片(7世紀中〜後半)が出土し、同町教育委員会が27日、発表した。

 難波津の歌は古くから、1音に1字を当てる万葉仮名の手習いに使われ、瓦職人が生乾きの瓦で字の練習をしていたとみられる。同教委は「万葉仮名を練習する難波津の歌が、役人だけでなく瓦職人など広く一般に普及していたことが分かる」としている。

 瓦片は縦12センチ、横約10センチ、厚さ約1・6センチで、中宮寺跡から出土。平瓦の側面に「ツ尓佐久移己」の6文字がへらで記されていた。

1334よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/31(金) 06:31:15 ID:s07cC84M0
吹田から茨木まで 旧亀岡街道を散策 大阪
2013.5.12 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130512/osk13051202060003-n1.htm

 町歩きを楽しむ新緑歴史散歩「亀岡街道を歩く」が、吹田市から茨木市までの旧亀岡街道8キロで行われ、約30人が参加した。

 吹田郷土史研究会(竹田純立会長、約190人)の主催。歴史探訪や講演会を開催しており、今回が295回目のイベント。

 旧亀岡街道は大阪・高麗橋が起点とされ、吹田市南高浜町の「吹田の渡し」に上がり、摂津市千里丘などを抜けて茨木市宇野辺地区から亀岡(京都府)方面へ北上。日本海側へつながる道として重要だったという。

 今回は、JR岸辺駅北側の町並みを散策した後、奈良時代、大阪・難波宮の宮殿の瓦を生産した七尾瓦窯跡を訪ねたり、道標を見学したりした。参加者たちは「古い道に先人の暮らしの知恵を学んだ」と話していた。

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1336よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/31(金) 06:56:20 ID:s07cC84M0
【美人すぎるご当地キャラ】 日本最古の官道「竹内街道1400年」PRで初バイト
http://www.nicheee.com/archives/1910551.html

 ニッチーが“美人すぎるご当地キャラ”として密着取材する奈良県葛城市のマスコットキャラクター「蓮花(れんか)ちゃん」。今回、ご紹介するのは、ご当地キャラとしては異例ともいえる、蓮花ちゃん自身にとっても初めてとなる“アルバイト”をしたという話題だ。


奈良県と大阪府を結ぶ日本最古の官道「竹内(たけのうち)街道・横大路」が今年2013年にちょうど1400年を迎える。これをPRする資金集めのため、蓮花ちゃんは先日、竹内街道の沿道にあたる葛城市の「柿の葉すし本舗たなか」葛城店で、接客や掃除などのアルバイトを行った。


葛城市役所によると、蓮花ちゃんも、今後約1年かけて沿道各地を訪ねてその魅力を発信していく予定で、今回のアルバイトはその“事前準備”という。


今回、蓮花ちゃんは、店を訪れた客を相手に看板商品の柿の葉すしをすすめたり、女性店員と店内の掃除をしたりと約1時間のアルバイトをこなし、1400年にちなんで1400円のアルバイト代を受け取った。店側も「蓮花ちゃんはかわいいし、お客さんに対してのイメージもよかった。これから一緒に盛り上げていきたい」などと話すなど、とても好評だったようだ。


『日本書紀』によると、613年に「難波(なにわ)より京(飛鳥)に至る大道を置く」との記述があり、竹内街道・横大路のルートが重なることから日本最古の官道と呼ばれている。現在、敷設1400年を記念した関連イベントがこの沿道の各自治体で展開されている。

1337よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/05/31(金) 06:57:00 ID:s07cC84M0
オフィス街を彩る、癒やしのアジサイ 大阪・坐摩神社
2013.5.30 02:06
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130530/osk13053002060002-n1.htm

 オフィス街の中にある坐摩(いかすり)神社(大阪市中央区)でアジサイが咲き始め、白やピンクの淡い色の花が会社員らの目を楽しませている。6月上旬から中旬にかけて見頃を迎えるという。

 境内や石畳の参道沿いには、花が開くと手まりのような形になる「アナベル」や、円錐(えんすい)形で白色の花と深く裂けた葉が特徴の「カシワバアジサイ」など約20種150株がずらり。「緑の少ない都会の真ん中で癒やされてほしい」との思いを込め、同神社の北岡忠澄(ただずみ)さん(38)らが十数年前から育てている。北岡さんは、「まだ3分咲きですが、今年は例年より1週間ぐらい開花が早いですね」と話している。問い合わせは坐摩神社((電)06・6251・4792)。

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1350名無しさん:2013/06/01(土) 17:53:48 ID:7NCU6wfE0
YOMIURI ONLINEより
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20080926-OYO1T00255.htm?from=main1
平成版“騒動”決着か、「寺田屋は焼失」京都市が発表
 旅館「焼け残り修理、刀傷は本物」
 幕末の歴史の舞台となった旅館「寺田屋」(京都市伏見区)が当時の建物でない可能性があるとして調査していた京都市は25日、鳥羽伏見の戦い(1868年)で焼失した後、現在の建物が再建されたと考えられると発表した。市は旅館側に「維新時のまま」とする案内テープを修正するように求めた。旅館側は「一部を焼失しただけで、龍馬の弾痕や、柱の刀傷は当時のもの」と主張しながらも、市の公式見解も観光客に説明するとしており、平成の“寺田屋騒動”は収束しそうだ。

 同市歴史資料館が9件の文献資料などを調査。当時のかわら版に、鳥羽伏見の戦いによる焼失地域が描かれており、その中に寺田屋が含まれることがわかった。さらに、女将(おかみ)・お登勢が、定宿にしていた坂本龍馬の妻・お龍にあてた手紙に、焼失後に建てたとみられる仮屋を意味する「かり屋」の文言があることを確認した。こうした結果から、市は「現在の寺田屋は幕末当時の建物ではなく、その後に建て直されたとするのが妥当」と結論づけた。今後、市の観光案内のホームページに焼失について記載する予定。

 一方、龍馬暗殺未遂事件で龍馬が放ったピストルの弾の跡や、柱に残った刀傷について、旅館の運営会社「冨信」の津幡学社長(35)は「鳥羽伏見の戦いで、すべてを焼失したのではなく、修理して現在に至っている」と主張。しかし、市の見解を受け、案内テープなどに「市の調査結果も加える」としている。

 幕末史に詳しい木村幸比古・霊山(りょうぜん)歴史館学芸課長(60)は「研究者の間では、建物が全焼したことは知られていた。しかし、ロマンあふれる地に変わりなく、早く誤りを訂正して、観光客に楽しんでもらいたい」と話していた。
(2008年9月26日 読売新聞)

>市は「現在の寺田屋は幕末当時の建物ではなく、その後に建て直されたとするのが妥当」と結論づけた。今後、市の観光案内のホームページに焼失について記載する予定。
>幕末史に詳しい木村幸比古・霊山(りょうぜん)歴史館学芸課長(60)は「研究者の間では、建物が全焼したことは知られていた。しかし、ロマンあふれる地に変わりなく、早く誤りを訂正して、観光客に楽しんでもらいたい」と話していた。

 研究者の間では焼失したと結論が出ていて、市も焼失したと結論付けたのに、

>「鳥羽伏見の戦いで、すべてを焼失したのではなく、修理して現在に至っている」と主張。しかし、市の見解を受け、案内テープなどに「市の調査結果も加える」としている。

 旅館側は頑なに認めようとせず「これからも嘘をつき続ける」と堂々の宣言。
  申し訳ないがいかにも京都らしい話だと私は思います。

上記は近畿百科ニュースで私が書いた書き込みの抜粋です。
私を批判するものは何故に寺田屋の‘嘘’を批判しないのだ。
寺田屋これからも‘嘘をつき続ける’と堂々といっているんだぞ。

産地偽装ならぬ‘名所偽装’ではないか。これが許されるのか?
なんとか言ってみろ。

1351よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/03(月) 23:23:34 ID:C92IgFns0
豪商淀屋の実像に迫る 22日に講演会
2013年6月3日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130603/20130603018.html

 大阪の歴史・文化、産業を発信する季刊誌「大阪春秋」の通巻150号発刊記念講演会「大坂の豪商『淀屋』の実像に迫る」が22日に大阪市北区梅田の鳥取県関西本部交流室(大阪駅前第3ビル22階)で開かれる。午後2時〜同4時半。参加無料。

 主催は新風書房「大阪春秋編集委員会」。米市場開設などで巨万の富を築きながらも幕府に没収され、山陰の倉吉で商いを続けて再び大坂へ返り咲くなどした豪商・淀屋の興亡の歴史を三部構成で探る。

 演題と講師は次の通り。

 (1)前期「天下の台所−大坂−の礎を築いた『淀屋』」蒲田建三氏(淀屋研究会副代表)(2)中期「番頭・牧田仁右衛門の忠誠と、その後」福山琢磨氏(新風書房代表、大阪春秋発行人)(3)後記「大坂・大川町に再興された『淀屋清兵衛』家」毛利信二氏(淀屋研究会代表)

 申し込みは電話06(6768)4600、新風書房または090(3263)4108、淀屋研究会へ。

1352よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/03(月) 23:40:36 ID:C92IgFns0
芝居好き「柴右衛門」タヌキ 道頓堀の顔に
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130603-OYO1T00258.htm?from=newslist

仁左衛門ら信仰、阿波人形が中座跡地に

 かつて芝居の街として栄えた大阪・道頓堀の中座にまつられ、「人気の神様」として歴代の片岡仁左衛門や藤山寛美ら役者たちの信仰を集めてきた芝居好きのタヌキ「柴右衛門(しばえもん)」の伝説にちなんだ阿波木偶(でこ)人形が完成、7月、中座跡地のビルに飾られる。「道頓堀の歴史を伝える新たなシンボルに」と、地元関係者が徳島県の人形師に作製を依頼。4日、柴右衛門の故郷・淡路島で行われる神事には、同ビルに“先住”する「くいだおれ太郎」も駆け付け、新しい仲間を出迎える予定だ。

 かつて「道頓堀五座」と呼ばれた芝居小屋の一つで、松竹新喜劇の本拠地として親しまれた中座には、奈落の下に柴右衛門をまつるほこらがあった。浪人に化けて中座に通っていたが、大好きな仁左衛門の芝居に見とれるうち、思わず尻尾を出して正体がばれ殺された、と伝わる柴右衛門。その霊を鎮め、商売繁盛や人気の向上を願ったという。

 中座が取り壊された後、跡地に建った現在の「中座くいだおれビル」の地下に、新たなほこらが設けられたが、一般の目に触れることはなかった。

 そこで、約2年前から太郎のプロデュースを手がける会社社長、柿木央久(かきのきてるひさ)さん(46)らが「道頓堀に活気を取り戻すきっかけにできないか」と検討。知人を通じ、徳島県の伝統文化・阿波人形浄瑠璃で使われる阿波木偶人形の人形師・多田弘信さん(52)にタヌキの人形制作を依頼し、約1年かけて仕上がった。青地に金色の桜模様の装束を着けており、文楽人形の様に口や手を操ることができるという。

 4日は、分霊された柴右衛門のほこらがある、兵庫県洲本市の洲本八幡神社で関係者や太郎が出席して神事が営まれ、太郎がタヌキの人形を連れ帰る。7月中旬にも披露され、太郎が立つ同ビルの入り口付近に展示される。

 柿木さんは「道頓堀の新たな『顔』として、太郎とともに親しまれるようになれば」と期待する。

(2013年6月3日 読売新聞)

1353よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/03(月) 23:44:41 ID:C92IgFns0
【河内幻視行】
下赤坂城跡 急ごしらえの籠城で奮戦
2013.6.3 07:00
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130603/wlf13060307010000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130603/wlf13060307010000-n2.htm
 
 たっぷりと水をはられた田んぼは、太陽の陽をまだらにうつし、そこだけが鏡となって、銀板のように照りかえしていた。数えきれないほどの堤の段差がうねうねと、下から開けっぱなしにしたタンスのように迫りあがってくる。

 おとずれたとき、ちょうど田植えの最中だった。小さな穂が目にまぶしかった。棚田は、かなり急傾斜の谷間の三方にひろがっている。

 平成11年に「日本の棚田百選」に選ばれた。驚いたことに、千早赤阪村のいたるとこにある棚田は、鎌倉期から築かれたという。

 鎌倉末期の元弘元(1331)年9月中旬、この谷あいから、裏手の千早川沿いの街道の周辺には、幕府の大軍が包囲した。旧暦だから、おそらく棚田での稲刈りは終わっていた。

 農民たちの多くは、クワを槍(やり)や刀に取りかえ、棚田の上の、いま筆者が見おろしている丘陵に馳(は)せ参じた。砦(とりで)が築かれていた。赤坂城と呼ばれた。

 赤坂城はその後、さらに奥地の山間や、金剛山の麓にも築かれたため、それぞれ下赤坂城、上赤坂城、千早城と呼んで区別している。

 下赤坂城はそのなかでも、もっとも脆弱(ぜいじゃく)であった。『太平記』には「この城三方は岸高くして屏風(びょうぶ)を立てたる如し」と書かれているが、現在の地形から推定すると、とても「屏風」を立てたほど急峻(きゅうしゅん)とはいえない。

 駿河国出身で、幕府側の武士の血筋を引いていた楠木正成が、幕府打倒を目指す後醍醐天皇側に、なぜ加わったのだろうか。

 倒幕に立ち上がった後醍醐は元弘元年8月、京を脱出し、山城国の笠置城(京都府相楽郡)に籠城した。大和、伊賀、河内にもつながる要衝だが、周辺の武士たちは、もっぱら様子見を決めこんだ。

 ここからは『太平記』のフィクションの世界に入る。神秘的な登場のしかたをする。

*  *  *

 笠置の行在所で、後醍醐は夢を見た。ふたりの童子があらわれ、天皇にはもう隠れるところはありませんと、涙ながらにのべた。ついで、

 「但しあの樹の陰(かげ)に南へ向へる座席あり」

 と告げた。この夢を後醍醐に仕える僧侶に語ったところ、「木の南」は「楠」のことであり、金剛山の西に「楠木多聞兵衛正成」という武士がいるとこたえた。

 かくて正成が召され、すぐに笠置に参じた。すでに幕府軍は笠置城に向け大軍を送っている。圧倒的に後醍醐側が不利である。

 なのに下赤坂城に戻った正成は孤軍、蜂起した。領地の安堵など、後醍醐とのあいだに密約があったような気がする。

 だが、やがて正成と対立する足利側の軍記『梅松論』には「私の計(はから)ひ」もなく、「皆心ざしを君に通じ奉りゆへなり」と書かれている。どちらがただしいか、もちろん分からない。

1354よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/03(月) 23:46:16 ID:C92IgFns0
>>1353

http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130603/wlf13060307010000-n3.htm
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130603/wlf13060307010000-n4.htm

 「正成、蜂起!」に笠置城を包囲していた幕府軍は驚愕(きょうがく)した。すでに正成の武勇は、知れわたっていた。『太平記』の20万7600騎は大げさだが、おそらく数万の幕府軍が下赤坂城を取りかこんだ。


*  *  *


 棚田を見おろす丘は公園で、ベンチやトイレも整備されている。高台には「史蹟 赤坂城址」の石碑が立っていた。

 ときたま裏手から黄色い歓声が響いてきた。城跡に接するように、丘陵沿いに千早赤阪中学の学舎が建っていた。

 下赤坂城の規模はよく分からないが、なにしろ急ごしらえである。中学の敷地をふくむ百数十メートル四方ほどであった。深い堀もなく、わずかに塀が取り囲んでいるだけであった。籠城兵も500騎ていどとされる。

 幕府軍は「あな哀れな敵の有様や」と拍子抜けし、1日も持つまいと、思いこんだ。だが正成は周到な作戦をねっていた。

 ゲリラ戦である。農民兵を中心に別動隊を山陰の各所に潜伏させ、籠城兵が城から打って出るのと同時に、背後からゲリラ兵が攻めた。幕府軍は一時、潰走(かいそう)したほどである。千早城で行われた熱湯を長い柄でぶっかける奇襲もすでに、このときに行われたらしい。

 だがかんじんの笠置城はわずか1カ月ほどで陥落し、後醍醐も捕縄された。下赤坂城の籠城戦も20日ほど経(た)つと、兵糧がつきはじめた。

 10月17〜18日ころ、幕府軍はゲリラ兵の拠点を掃討したうえ、総攻撃に出た。正成は大雨が降った21日、敵方の死体約20体を埋めて放火したうえ、一族郎党を連れ、城をこっそりと脱出した。

 −−中学校の入り口わきの門柱には、校歌が刻まれていた。「丘あり古き城のあと 大金剛のみねの雲…」とあった。

 脱出後の正成の行方は杳(よう)として分からなかった。幕府側も焼死体をみて、死んだと思いこんでいたらしい。だが、「大金剛のみねの雲」の下で、ひそかに反攻の期をうかがっていたのである。

(福嶋敏雄)

1355よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/03(月) 23:47:31 ID:C92IgFns0
癒やし系親子 羽曳野でカルガモ人気
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20130531-OYT8T00102.htm

 羽曳野市誉田(こんだ)の誉田八幡宮で、境内の池を泳ぐカルガモのヒナが、参拝者の人気を集めている。

 同宮が8日、卵を抱く親鳥を発見。27日早朝に8羽の誕生を確認した。ヒナは親鳥を追って池を動き回ったり、岩の上で休んだり。カルガモのヒナが同宮で生まれたのは初めてという。

 中盛秀宮司(58)は「『見ていると癒やされる』と参拝者に評判。日ごとヒナは力強く泳ぎ、成長しています」と話している。

 問い合わせは同宮(072・956・0635)へ。

(2013年5月31日 読売新聞)

1356よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/04(火) 22:30:49 ID:40mutyto0
百舌鳥古市古墳群世界遺産要望
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130604/4791061.html?t=1370352501718

再来年度・平成27年度の世界文化遺産登録を目指す、大阪の百舌鳥・古市古墳群について、大阪府の副知事や周辺の3つの市の市長がきょう文化庁を訪れ、ユネスコへの推薦を依頼しました。
きょうは、大阪府の小西副知事と百舌鳥・古市古墳群がある堺市・羽曳野市・藤井寺市の3市の市長が文化庁を訪れ、近藤誠一長官に地元自治体で作った登録に向けた推薦書の原案を手渡しました。
百舌鳥・古市古墳群は、世界最大の前方後円墳、仁徳天皇陵とされる古墳をはじめ、大小およそ90の古墳が立ち並びます。
推薦書の原案では、古墳群は日本の王家や親族たちの墓の集合で、日本の当時の文明をもっともよく残す稀有な物証で世界文化遺産にふさわしいとしています。
ただ、平成27年度に世界文化遺産に登録されるためにはこの夏に国からユネスコに推薦してもらう必要があります。
しかし、日本では百舌鳥・古市古墳群以外にも、長崎の教会群や、北東北などの縄文遺跡群など3か所が同じ平成27年度の登録を目指しており、推薦されるひとつの枠をめぐり詰めの作業が進められています。
原案を手渡したあと、小西副知事は、「長官からはユネスコへの説明はまるで裁判のように厳しいと説明があった。今後も古墳群の価値を十分に世界に発信できるようしっかりと取り組んでいきたい」と話していました。

06月04日 20時17分

1357よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/04(火) 22:35:37 ID:40mutyto0
安全な斎行へ連携確認 天神祭、警備会社担当者ら
2013年6月4日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130604/20130604031.html

 日本三大祭りの一つ、天神祭(7月24、25日)を前に、同祭渡御行事保存協賛会は3日、大阪市北区の大阪天満宮で警察、警備会社の担当者による会議を開いた。昨年の課題を踏まえ今年の天神祭の安全な斎行に向け、警備計画などについて確認した。

 現場レベルでの関係機関の連携強化が目的。府警本部や天満署などの各警察署、警備会社、同宮の担当者ら約40人が出席した。

 会議では陸渡御、船渡御、奉納花火などの行事計画を確認。警備会社の担当者からは今年から天神祭に従事する現場の警備員には「天神祭」と表記した腕章を着用させることや、見物客が集中するエリアでは熱中症に関する注意喚起の呼び掛けを定期的に行うことなどが報告された。

 同宮の岸本政夫禰宜(ねぎ)は安全な祭りの斎行に向け「密に連絡を取り対応していきたい」と話していた。

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1359よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/08(土) 23:39:32 ID:ZSrXFe3g0
恒久平和を祈念 第3次大阪大空襲から68年
2013年6月8日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130608/20130608034.html

 太平洋戦争末期の1945年6月7日、米軍が大阪市北東部などを標的に実施した第3次大阪大空襲から68年がたった7日、甚大な被害を受けた各地で法要などの慰霊行事が行われた。気温が30度を超える暑い日差しの中、遺族や九死に一生を得た体験者など多くの関係者が惨事の現場を訪れ、犠牲者を悼むとともにあらためて恒久平和を祈念した。

 白昼に米軍機の銃爆撃で約400人もの市民が亡くなったとされる長柄橋(大阪市北区天神橋8丁目)では終戦直後から継続されている慰霊法要が営まれた。当時の惨状を知る高齢者をはじめ、地元幼稚園児など幅広い年齢層が参列し、平和を願う観音像前で焼香。

そばには旧長柄橋の解体の際、機銃掃射を受けた橋脚の一部を切り出して保存してあり、こぶし大の弾痕に大空襲のすさまじさを思い起こしながら、参列者が一様に手を合わせていた。
 大人から子どもへ戦争がもたらした悲惨な歴史が再び繰り返されることがないよう、将来へしっかりと平和の継承がなされた。

 第3次大阪大空襲 1945年3月13〜14日、6月1日に続いて同月7日に米軍が100機以上の規模で実施した大空襲。B29爆撃機約400機とP51護衛戦闘機約130機が来襲し、午前11時ごろから正午過ぎにかけて都島、大淀、旭、淀川、東淀川、北、福島区のほか豊中市などで爆弾や焼夷(しょうい)弾を投下、機銃掃射を行い、約6万戸が被災、約3千人が犠牲となったとされる。

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1363名無しさん:2013/06/09(日) 10:58:55 ID:gCLX6T1Q0
第一次から三次までは、大阪三大空襲と言えるだろ。

1945年3月13〜14日(第一次)焼夷弾1773トン投下、犠牲者4665人
6月1日(第二次)焼夷弾2768トン投下、犠牲者3989人
6月7日(第三次)焼夷弾1842トントン及び爆弾751トン投下、犠牲者2832人

6月7日の爆弾投下は、大阪陸軍造兵廠を狙ったが造兵廠の被害は少なかった。
その影響で住宅地へ大型爆弾が落ちて、長柄橋も直撃を受けたようだ。

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1367よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/10(月) 05:40:56 ID:7v6CRj720
葦舟再現 伊勢と出雲の遷宮記念…枚岡神社
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130609-OYO1T00212.htm?from=main1

 伊勢神宮(三重県)と出雲大社(島根県)の遷宮が同じ年に行われることを記念して、大阪府東大阪市の枚岡(ひらおか)神社が8日、古事記に登場する古代の葦(あし)舟を再現した。

 16日に出雲大社沖の日本海、23日には伊勢神宮外宮(げくう)にある勾玉(まがたま)池でそれぞれ葦舟を浮かべ、日本再生を祈願するという。

 枚岡神社は、春日大社(奈良市)の勧請(かんじょう)元で「元春日」とも呼ばれる古社。その春日大社の神職を務めたことがある中東弘宮司(72)が「国を造った神を代表する両神社の遷宮年が重なる今年こそ、不況や震災で疲弊した日本の再生を願うのにふさわしい」と考え、今回の神事を企画した。

 そのうえで、古事記に、えびす様の起源の「蛭子(ひるこ)神」を乗せたとの記述がある葦舟を神事に用いることを発案。葦原保護に取り組む大阪市のNPO法人に協力を依頼し、伊勢神宮や出雲大社近くで刈り取られた葦の提供を受けた。

 この日は枚岡神社の氏子や参拝客ら70人が8時間をかけて約250キロの葦を編み上げ、長さ約5メートル、幅1・5メートルの舟を作り上げた。9日に完成奉告祭がある。

 16日と23日の神事では、葦舟の上で祝詞の奏上や神楽奉納が行われるといい、中東宮司は「よみがえりを意味する遷宮の年に、みなさんに今後の日本の有り様をじっくり考えてほしい」と話していた。

(2013年6月9日 読売新聞)

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1376よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/10(月) 23:57:13 ID:eznICcCw0
国内最古2400年前の「分銅」 大阪の遺跡
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20130610-OYO1T00462.htm?from=newslist

 大阪府八尾市と大阪市平野区にまたがる亀井遺跡(弥生時代)で1981年に出土した石製品11点(約2400年前、弥生前期)は、国内最古の分銅とみられることが、奈良文化財研究所の森本晋・国際遺跡研究室長の調査でわかった。

 国内最古とされた長崎県壱岐市、原(はる)の辻遺跡で出土した中国産の青銅製分銅より500年以上古いという。

 11点は国内産とみられる輝緑岩や砂岩などで作られ、直径1〜4・5センチ、長さ3〜8センチの円柱形。製作中とみられる1点を除く10点は8・7〜280グラムの6種類に分かれ、重さは最も軽い1点に対し約2、4、8、16、32倍と規則性がある。

 一緒に見つかった石杵(いしぎね)に祭祀(さいし)などに使う赤色顔料「水銀朱」が付着しており、森本室長は「顔料の重さを量るために使っていたのではないか」と話している。この石製品は、大阪府和泉市の府立弥生文化博物館で18日〜7月21日に公開する。

 菅谷文則・奈良県立橿原考古学研究所長(考古学)の話「弥生前期に国内でこうした分銅が作られていたとすれば驚きだ。商取引にも使っていたのではないか」

(2013年6月10日 読売新聞)

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1380よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/13(木) 00:51:01 ID:eaqBdY4o0
「大阪の凧」展
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130612/5220891.html

版画による鮮やかな色づかいが特徴の大阪の伝統的なたこを集めた展示会が、きょうから、大阪市の大阪歴史博物館で開かれています。この展示会には版画を何度も刷ることで出す鮮やかな色使いが特徴の大阪のたこや、たこの骨組みに貼り付ける絵など、約70点が展示されています。
このうち現在の大阪・西成区にあった大阪のたこづくりの当時の中心地、勝間村で作られたたこは軍服姿の鳥を形取ったもので、縦が55センチ、横が80センチの大きさで、明治時代には、ヨーロッパにも輸出されていたということです。
また、「仙花」と呼ばれる和紙を使ったたこは、ほかの凧よりも高くあがることで知られ、特にたこ揚げを楽しむ大人の間で、人気があったということです。
博物館の学芸員の伊藤廣之さんは、「大阪の凧を一堂に集めた展示会は初めてなので、バラエティー豊かな世界を楽しんでもらいたい」と話していました。
この展示会は、きょうから8月5日まで開かれています。

06月12日 19時34分

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1382名無しさん:2013/06/13(木) 06:44:13 ID:1Mbr8mLo0
http://sankei.jp.msn.com/region/news/130613/osk13061302020004-n1.htm
棒打合戦 稽古に熱 あす住吉大社の御田植神事 大阪
2013.6.13 02:02
 14日に住吉大社(大阪市住吉区)で執り行われる御田植(おたうえ)神事を前に、当日紅白に分かれて六尺棒を打ち合う棒打合戦に挑む小中学生らが連日、稽古に励んでいる。

 御田植神事は、住吉大社の創建時に神功皇后が五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈り、長門の国(山口県)から植女(うえめ)を招き、田植えをさせたのが始まりとされ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。参加する小中学生らは、棒打合戦のほか、田植踊などにも取り組む。

 棒打合戦に挑む小中学生らは約40人で、紅白に分かれ、甲冑に身を包んで戦う。棒打ちには害虫を払うまじないの意味が込められており、子供たちは連日、放課後などに住吉大社に集まり、激しい打ち合いに挑んでいる。

 大阪市立墨江小3年、岩根心君(8)は「練習は厳しいけど、本番は気持ちを込めて一生懸命やりたい」と意気込む。指導する住吉青年団副団長の隅野純一さん(53)は自身の子供時代を振り返り、「時代が変わっても当時の情熱は変わりません」ときっぱり。

 当日は午後2時から。子供たちによる田植踊と住吉踊で締めくくる。

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1384名無しさん:2013/06/13(木) 20:31:29 ID:EUqU/lQg0
愛染娘がNHK大阪訪問

大阪に夏の訪れを告げる「愛染まつり」が今月30日から始まるのを前に、浴衣姿の「愛染娘」たちが、きょう、NHK大阪放送局を訪れ、祭りをPRしました。
「愛染まつり」は縁結びの寺として知られる大阪・天王寺区の「愛染堂勝鬘院」の夏祭りです。
きょうは浴衣姿の愛染娘や関係者など約30人がNHK大阪放送局を訪れ、「あいぜんさんじゃ〜、ほーえーかーご!」という威勢のよい掛け声や祭りの成功を願って大阪独特の手拍子、「大阪締め」を元気いっぱいに披露しました。愛染娘の1人、新宮領優香さんは、「愛染娘たちの元気と笑顔で祭りを盛り上げますので、訪れた人に幸せな気持ちになってもらいたいです」と意気込みを語りました。愛染まつりは今月30日から3日間行われ、約60万人の人出が見込まれています。
また、初日は愛染娘を乗せたかごが谷町筋の沿道を寺に向かって練り歩く、「宝恵かごパレード」が行われ、祭りを盛り上げることになっています。

06月13日 19時09分

http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20130613/5124341.html?t=1371123039953

1385名無しさん:2013/06/13(木) 20:35:55 ID:EUqU/lQg0
>>1380

大阪の凧文化一堂 木村薫コレクション展
2013年6月13日
 大阪市中央区の大阪歴史博物館で12日、特集展示「大阪の凧(たこ)−木村薫コレクションから−」が始まった。大阪を代表する凧「勝間いか」の凧絵実物など約70点が展示されている。8月5日まで。


大阪の伝統凧「勝間いか」の凧絵の実物木版画や再現品が展示されている館内=12日午後、大阪市中央区

 池田市在住の木村さん(65)は日本やアジアの凧コレクターで、研究家として知られる。近世・近代の文献を参考に当時の凧の再現にも取り組み、本展では、勝間いかのほかに「いかのぼり」や「奴凧(やっこだこ) 与勘平」などの再現品を展示している。

 「勝間いか」は幕末から明治・大正時代に勝間村(現在の西成区玉出付近)で大量に生産された。ピークの明治36(1903)年には年間生産量が120万個に上り、国内に限らず欧米を中心とした海外にも輸出された。凧絵が錦絵の版画で制作されているのが特徴で、多くは上方浮世絵師による仕事だと推測される。

 同館周辺の大阪城南側は、かつてたこ揚げに多くの人が集まった場所だったこともあり、コレクター歴20年の木村さんは「たこ揚げの聖地みたいな場所で展示できるのは、天にも昇る気持ち。勝間いかの木版画はめずらしい物なのでぜひ見てほしい」と来館を呼び掛けていた。

 常設展示観覧料(大人600円、高大生400円)で入場。午前9時半〜午後5時。毎週火曜日休館。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130613/20130613024.html

1386名無しさん:2013/06/13(木) 20:39:52 ID:EUqU/lQg0
「ギャルみこし」参加を呼び掛け PR隊が来社
2013年6月12日
 日本三大祭りの一つ、天神祭(7月24、25日)を華やかに盛り上げる「天神祭ギャルみこし」の担ぎ手「みこしギャル」の応募を呼び掛けるPR隊が11日、大阪市中央区の大阪日日新聞を訪れた。前回のミス天神橋、吉田春菜さん(24)らがそろいの法被姿で、参加を呼び掛けた。


「天神祭ギャルみこし」への応募を呼び掛ける吉田さん(右から2人目)ら=11日午後、大阪市中央区

 天神祭ギャルみこしは今年で33回目。天神祭宵宮の前日に当たる23日午後、天神橋筋商店街(北区)を女性だけでみこしを担ぎ、練り歩く。

 7月13日に市立住まい情報センター(北区)で、「おもしろ」「スポーツ」「セクシー」のジャンルの中から選んだ仮装での自己PRと、重さ約70キロの「てんびん棒担ぎ」による選考がある。

 大阪日日新聞を訪れたのは吉田さん、前回準ミス天神橋の川野澄香さん(20)と上山真里愛さん(18)、御羽車娘の河井未菜美さん(21)ら。吉田さんは「みこしは重かったけど、夏の楽しい思い出になった。興味があれば思い切って応募して」と呼び掛けていた。

 募集人員は80人。応募資格は15歳(中学生は不可)〜30歳までの女性で、7月13日の選考会、同20日のオリエンテーション、同23日のみこしの巡行への参加が条件。

 天神祭ギャルみこしのホームページ(http://www.galmikoshi.com/)で30日まで応募を受け付けている。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130612/20130612023.html

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1388よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/15(土) 00:48:53 ID:L3eZip6.0
大阪夏祭りの始まり「愛染まつり」−愛染娘が恒例の広報活動
2013年06月14日
http://abeno.keizai.biz/headline/887/

 寺院「愛染堂・勝鬘院(あいぜんどう しょうまんいん)」(大阪市天王寺区夕陽丘町)で6月30日〜7月2日に催される「愛染まつり」で浴衣を着て宝恵駕籠(ほえかご)に乗る愛染娘が6月13日、マスコミ各社を回る恒例の広報活動を行った。

  愛染まつりは、関西で最初に浴衣を着ることで別名「浴衣まつり」。「天神祭」「住吉祭」と並び大阪三大夏祭りの一つで、「大阪の夏祭りは愛染さんで始まって住吉さんで終わる」といわれている。初日の30日に愛染娘が宝恵駕籠に乗って谷町筋を練り歩く「宝恵駕籠パレード」と愛染堂の多宝塔の前で「駕籠あげ」を行うのが恒例。今年は「あべのマーケットパーク キューズモール」が出発地点で阿倍野歩道橋も渡る予定。

 当日は、315人の応募から選ばれた10人と外国人枠2人の計12人の愛染娘がバスに乗ってマスコミ各社や大阪市役所などを回って広報活動を行った。

 広報活動を終えた愛染娘らは「緊張した」「楽しかった」などと話し、「たくさんの人に支えられて祭りができると感じた。祭りの間は笑顔を絶やさないようにします」と意気込む。

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1391よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/15(土) 22:26:41 ID:vUrDv0uE0
古式ゆかしく豊作祈願 住吉大社「御田植神事」
2013年6月15日
 大阪市住吉区の住吉大社(高井道弘宮司)で14日、米の豊作を祈願する「御田植(おたうえ)神事」(重要無形民俗文化財)が盛大に執り行われた。前日に続く猛暑の中、古式ゆかしい装束姿の奉仕者が踊りや舞などを奉納し伝統の神事を華やかに彩った。


御田の中央舞台で八乙女が舞う中、早苗を植える奉耕者ら=14日午後、大阪市住吉区の住吉大社

 同神事は約1800年前に同大社・第四本宮の祭神、神功(じんぐう)皇后が御田を造らせ、長門国(山口県)から植女(うえめ)を呼び寄せたのが起源と伝わる。

 境内南側に広がる御田(おんだ)では、実際に田の中に入る替植女(かえうえめ)が植女から早苗を授かって田植えを開始。御田の中央舞台で八乙女(やおとめ)として奉仕する同大社の神楽女(かぐらめ)(みこ)が「田舞(たまい)(八乙女舞)」を奉納する中、菅(すげ)がさ姿の替植女と男性の奉耕者が青々とした早苗を手際よく植えていった。

 このほか御稔女(みとしめ)による「神田代舞(みとしろまい)」や風流武者行事、棒打ち合戦、住吉踊などが次々と奉納され、多くの参拝者を終始魅了した。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130615/20130615027.html

1392よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/06/15(土) 22:28:35 ID:vUrDv0uE0
急病人発生の対応確認 消防と協賛会担当者会議
2013年6月15日
 大阪の夏を彩る天神祭(7月24、25日)を前に14日、大阪市北区の大阪天満宮で、同祭渡御行事保存協賛会と消防各署の担当者会議が開かれた。大阪市消防局や警備会社、大阪天満宮の担当者ら約20人が出席し、当日の急病人の発生に備えた119番通報の対応などについて確認した。


急病人の発生などに備えた協議を行った会議=14日午前、大阪市北区

 大阪天満宮の岸本政夫禰宜(ねぎ)が「(担当者が)一堂に会する場。忌憚(きたん)ない意見を頂ければ」とあいさつ。引き続き、警備会社の担当者から見物客が集中する付近では、熱中症対策の注意喚起に力を入れることが報告された。119番通報時には、詳細な情報を伝えることなどが確認された。

 天神祭は7月24日に宵宮祭が執り行われる。同25日に本宮祭、陸渡御、船渡御に引き続き、奉納花火がある。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/130615/20130615029.html

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