したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

大阪の繁華街総合スレ

1名無しさん:2008/06/06(金) 18:10:52
梅田・北新地、難波・心斎橋の大繁華街の他、
天王寺・阿倍野、京橋、鶴橋、新世界、天六・扇町、
十三、上本町、天満橋、新大阪・南方、千林、駒川中野などなど、
大阪の個性溢れる街々の昔と今、そして将来について語りましょう!

※他都市の街との比較は厳禁です!
このような行為を見かけられたら、直ちに管理人さんに連絡して
削除依頼をしていただきますよう、ご協力お願いします。

100待兼山:2008/08/21(木) 23:59:51
>>88の続報。
天満橋の京阪シティーモールにこの前行ったら、
地下1階がテナントでちゃんと埋まっていたので安心した。
天満橋は風光明媚な繁華街という特色のある街だし、
中之島新線も開通することなので、これから発展してほしい。

101名無しさん:2008/08/22(金) 01:22:43
>>99
一応それらしきものはあります、CGアニメ村とか

やはりビジネス的な成功が重要じゃ。
個人的に安藤氏はどうかと思うけど、少なくとも彼を慕って来る人がいるので
そういう流れを作った方がいいかなと

102待兼山 ◆mwwO4lKtQE:2008/10/26(日) 21:10:18
阿倍野でイルミネーションの点灯があった模様。

http://abeno300.sakura.ne.jp/2008/10/illmination-hoop.html#more

天王寺は最近行ってませんね…。
「今日は天王寺にでも行くか」と思わせるようなレベルの街に早く復活してほしいものです。

103名無しさん:2008/10/26(日) 21:56:14
6年後の天王寺・阿倍野の風景がどうなるのか楽しみではあります
阪堺電車もLRTになったらいいのですが・・
まぁ今の風情がいいのかもしれませんが

104待兼山 ◆mwwO4lKtQE:2008/10/26(日) 22:16:22
>>103
新型路面電車でも風情は出せますよ。デザイン次第です。風情と洗練は両立可能だと思います。

それから、2chで意見が出ていましたが、阪堺上町線は上町筋を北上する形で延伸できればいいですね。
上町筋は自動車通行禁止にして、路面電車と歩行者のみが行き交う街づくりというのは無理でしょうか?
メインストリートの御堂筋とは違う、それこそ風情のある街ができたらいいなと思います。

105名無しさん:2008/10/26(日) 22:31:45
賛否両論はあると思いますが、御堂筋にLRTできたら凄いと思いますけど
洗練された大阪を見ることが出来る
御堂筋線があるけど地下だから風景を楽しむことが出来ないし

106名無しさん:2008/10/26(日) 22:53:47
いいけどやはり難しいのが…

107待兼山 ◆mwwO4lKtQE:2008/10/27(月) 17:31:21
阿倍野A1地区第二種市街地再開発事業 A2棟
http://blogs.yahoo.co.jp/onesjob2002/19051877.html

来年1月から着工予定のようです。

108名無しさん:2008/10/27(月) 18:39:37
どうでもいいけど地味にいいトリップだな。

109待兼山 ◆mwwO4lKtQE:2008/10/28(火) 00:47:32
>>107で紹介した再開発事業が完成したら、
あべのベルタはどうなるのでしょうね…。
完全に不要施設として撤去するわけにもいかないし、
再開発事業完成を機ににぎわいが戻ってくるとも思えない。
あの辺りは永遠にシャッター街のままなのでしょうか?
折角地下鉄駅直結なのにもったいない。

110名無しさん:2008/10/28(火) 00:52:11
そこら辺が行政主導だと難しい部分でもあるかと
まあやるしかないけど

111待兼山 ◆mwwO4lKtQE:2008/10/28(火) 00:53:46
やれやれ…ですね。

***

asahi.comより
くいだおれ太郎、道頓堀に戻ってくる 3軒隣で復活へ
http://www.asahi.com/national/update/1027/OSK200810270046.html

 閉店した大阪・道頓堀の飲食店「くいだおれ」の看板人形「くいだおれ太郎」が再び道頓堀に立つことが決まった。くいだおれ取締役、柿木央久(てるひさ)さん(41)によると、太郎が立つのは旧店舗の3軒隣にある商業ビル「セラヴィスクエア中座」(中座ビル)の前。来年の同ビルのリニューアルにあわせて、ビル側に長期レンタルされる形で復帰する。

 くいだおれと同ビルの所有会社側が、くいだおれの屋号と太郎を同ビルで使うことに合意。同ビルで飲食店「くいだおれ」の再開を目指す話も持ち上がっているという。

 くいだおれは、経営難から7月に閉店。太郎を「タレント」としてイベントなどに有料で貸し出すことは決まったが、「定住先」は未定だった。「道頓堀に残してほしい」という地元の声が根強く、経営陣は「道頓堀の街のにぎわいに一役買いたい」と応えたという。

112名無しさん:2008/10/28(火) 01:11:16
>>104

>阪堺上町線は上町筋を北上する形で延伸できればいいですね。

その手があったか。
ただ、天王寺駅前からそのまま北上すると上町筋ではなく谷町筋にいってしまいますね。
既存路線が上町筋の南伸の道路も通っていないし、北上しても上町筋にいかないし、
なぜ上町線と名付けられたんでしょうね。

上町筋の南伸の道路はむしろあびこ筋で、現在、谷町線が走っています。

113名無しさん:2008/10/28(火) 01:31:53
大阪の街並み画像
http://www.machi-ga.com/osakafu.html

114よっさん:2008/10/28(火) 09:13:10
産経関西より
http://www.sankei-kansai.com/2008/10/27/20081027-003327.html
やっぱりわては道頓堀ですわ くいだおれ太郎、来春にも"復帰"
 大阪・道頓堀で今年7月に閉店した食堂「大阪名物くいだおれ」の看板人形「くいだおれ太郎」が来春にも、すぐ近くの旧中座跡の商業ビル前に“復帰”することが27日、関係者の話で分かった。商業ビルをリニューアルして新たな飲食施設の開業を計画している企業と商標権を持つ「くいだおれ」(大阪市中央区)が、太郎設置の条件を協議中で、近く正式に発表する。

 「くいだおれ太郎」をめぐっては今年4月の閉店発表以降、譲渡の申し入れなどが200件以上殺到する一方で、「太郎を道頓堀に残してほしい」という要望も多く、「くいだおれ」は、太郎を売却せず貸し出す方法を模索していた。

 関係者によると、中座跡の商業ビル「セラヴィスクエア中座」をリニューアルし、新しい飲食施設の開業を計画している東京都内の不動産会社のグループ企業側が6月ごろ、「くいだおれ」側に提携を提案。「くいだおれ」が数ある申し入れの中で、有力な提携先として検討を続けてきたという。

 新しい商業施設は、大阪らしさをテーマに、飲食店を中心にしたビルに改装する予定。「くいだおれ」の屋号や、「くいだおれ太郎」の商標権は「くいだおれ」が継続して保有。詳細な使用条件については交渉中で、ビルの名前に「くいだおれ」が使用される可能性もあるという。

 中座はかつての道頓堀五座のひとつで、松竹新喜劇の本拠地として親しまれたが、平成11年に閉鎖された。跡地には16年、セラヴィスクエア中座が開業したが、今年5月に運営会社が経営破綻(はたん)し、テナントの撤退が相次いでいた。

>やっぱりわては道頓堀ですわ 

 そうでっか、一旦隠居したあんさんが無理して戻ってこなくてよろしっ、と東京メディアが使う怪しげな大阪弁で私の気持ちを書くとこうなります^^’

>今年5月に運営会社が経営破綻(はたん)し、テナントの撤退が相次いでいた。

 食いだおれが、超有名な太郎がいながらお客が太郎目当てに来てもお店の中には入らず飲食してもらえなかったから店をたたんだという事に何も学ばなかったのでしょうか?
 はっきり書きますが「食いだおれ太郎」は、マスコット人形としてまったく意味の無いものです。

 観光地にある飲食店のマスコットとして店先までしか人を集められず、店内に人を誘引さえるだけの力は無く飲食をしてもらえない。
 また‘間違ったコテコテ’のイメージを振りまき、大阪に対して間違った印象しか与えない。

 お金を落としてもらえないわ、大阪のイメージは悪くするわでは、何らの意味があるのでしょうか。

 どうせ新しい商業施設の前に立つことになっても店の前までしか人を集めるしか出来やしない。
 あと何年かしたら‘お役御免’で放り出される事になるでしょう。

115よっさん:2008/10/28(火) 20:13:25
産経関西より
http://www.sankei-kansai.com/2008/10/28/20081028-003352.html
道頓堀の街路灯不法占用 地元商店会に広告収入
 大阪・ミナミの道頓堀に設置された街路灯を、地元の道頓堀商店会が約2年にわたり不法占用し、広告看板を設置し広告収入を得ていることが28日、分かった。収入は少なくとも年間で数百万円に上るという。中には格安航空会社の広告で飛行機模型を取り付けた大看板もある。大阪市は「道頓堀は市道で、違法広告は見過ごせない」と撤去を求めているが商店会側は「駐輪対策の警備員を雇うための広告。撤去費用も出せない」と応じていない。市は強制撤去も検討しているという。

 市によると、違法広告が設置されているのは道頓堀の商店が軒を並べるメーンストリート。区分は市道で、商店会が昭和49年、道路の真ん中に街路灯12基を設置、占用許可を受けていた。しかし、平成17〜18年に市が、この市道に別の道路照明灯を設置したため、街路灯が不要になり、商店会が18年5月、8基の占用許可を取り下げた。残り4基は防犯カメラを取り付けて防犯に転用することで許可を継続した。この時点で商店会は8基を撤去しなければならなかったが、1基を撤去しただけ。残りは支柱を途中で折り、灰皿を設けた状態で放置していた。

 ところが、市は19年2月、街路灯11基の支柱にオーストラリアの格安航空会社の広告が設置されていることを確認。中でも防犯用として占用許可を受けていた戎橋に近い1基には、商店会側が柱を建て替え、航空会社をPRする飛行機の特大模型や広告看板、発光ダイオード表示板を取り付けていた。

 この状態は、商店会が占用許可の内容に反しているだけでなく、無許可で市道に広告物を張り出し、市の屋外広告物条例にも違反しているという。違法状態を解消するには、新たに占用許可を得る必要があるが、市は「広告物がある限り許可できない」としている。

 市は昨年6月から商店会側と撤去交渉をしている。商店会は「違法と認識しているが、広告収入は駐輪を整理する警備員を雇う費用などに使ってきた。広告は現在の契約が切れる来年3月末で外す予定だ。灰皿付き支柱は路上喫煙対策のため残す。商店会の会費では、撤去費用も工面できない」と主張、即時撤去には応じておらず、交渉は続いている。

 道頓堀の道路不法占拠をめぐっては、人気たこ焼き店「大たこ」が市有地を不法占有しているとして市が自主撤去を求め、大たこ側が「民法の規定で土地の時効取得が完成している」として、逆に市を提訴している例もあり、トラブルが尽きない。

116待兼山 ◆mwwO4lKtQE:2008/10/28(火) 23:25:39
>>112
上町線は以前は四天王寺西門前まで走っていたそうです。
上町台地を走るから上町線と命名されたのでしょうか?私も知りたいです。

いずれにせよ、もし現在の天王寺駅前駅から上町線を北へ延伸させ、
JR天王寺駅を超えてから右折して玉造筋に入り、
それから左折して上町筋に入り、四天王寺東大門を通り、
上本町駅や難波宮跡、大阪城大手門や府庁前を経由し、
京阪天満橋と結べば、かなりの観光路線になることができるのでは。
風情のある大阪の一面を路面電車で楽しむことができるでしょう。

117名無しさん:2008/10/30(木) 00:05:34
今の天王寺駅前駅は歩道橋を渡ったり、地下街を通って駅にいく形で、昨今の路面電車が見直されているバリアフリーとは程遠い構造ですよね。
改良するなら現在の天王寺駅前駅は「あべの近鉄前」とでも改称して、地平で乗り降りが可能なようにして貰いたいですね。

その上で上町線を北進させて天王寺駅前のロータリーに新たな停留所を設ける。

出来れば阿倍野筋のあの区間には自動車の通行規制を設けてトランジットモール化すれば、近鉄側とアポロ側の人の流れも活発になり一体化した回遊性の高い街ができるようになるでしょうが、流石にこれは難しいですかね?

118待兼山 ◆mwwO4lKtQE:2008/10/30(木) 21:48:31
>>117
たしかに天王寺・阿倍野界隈はバリアフリーとは程遠い状況ですね。
いくら歩道橋にエレベーターがあっても、路面を自由に歩ければ段違いの快適さでしょう。
しかし、あの交差点を自動車通行禁止は難しいでしょうね…。

思うに天王寺は、梅田のように地下街(道)だけで自由自在に
どこにでも行けるという構造になっていないのが問題だと思います。

地上面移動における回遊性の促進が難しいのであれば、
地下街(道)をもう少し工夫してみることも真剣に考えてほしいですね(地下道の新設など)。

その上で、JR天王寺駅北側や近鉄あべの橋駅南側に路面店が増えて、
それぞれがそれなりのサイズの街を形成すれば、回遊性の低さはあまり感じられなくなると思います。

119名無しさん:2008/10/30(木) 23:05:21
近鉄百貨店とHOOPとandを地下道で渡れないのが痛いな。四つ辻を地下道で行き来はできるが、自動車道の真下で十字路になってるってことですかいな?
四天王寺には仲見世通りとか伊勢のおかげ横丁みたいなのが作れないのは学校があるのがネックか?門に入ったとこの屋台はどこの香具師がやってんだろ。

120名無しさん:2008/10/31(金) 01:45:08
天王寺は谷町線が御堂筋線の下を走ってるために
移動する際はいちいち更にその下を通らないとダメですからねえ
しかもその階段も古いモノだから幅が狭くて急で非常に危ない

121待兼山 ◆mwwO4lKtQE:2008/10/31(金) 14:55:30
>>119
>近鉄百貨店とHOOPとandを地下道で渡れないのが痛いな。

それがまず第1の問題ですね。
大規模商業施設同士が地下で結ばれていないと、
地下街の魅力や感覚的な便宜性は半減します。

>>120
それも大きいですね。まず連絡通路全体を迷わない構造にして、
その上でどうしても上下差ができてしまうのであれば、
せめて全てエスカレーターでスムーズに移動できるようにできないものでしょうか。

122よっさん:2008/11/09(日) 17:42:38
NHK関西のニュースより
http://www.nhk.or.jp/osaka/lnews/04.html
道頓堀の新橋「浮庭橋」に
大阪の道頓堀川に開通する歩行者専用のつり橋の名称が公募の結果「浮庭橋」に決まりました。

この橋は道頓堀川をはさむ大阪・浪速区湊町と西区南堀江を結ぶ歩行者専用のつり橋で長さおよそ76メートル幅4メートルあります。大阪市が人の行き来を増やして地域の活性化につなげようと平成18年からおよそ10億円をかけて整備を進めるとともに、橋の名称を募集していました。
343通の応募があり、学識経験者や地域住民の代表でつくる選考委員会で審査した結果、大阪浪速区の会社員・安田直樹さん(34)の「浮庭橋」が選ばれました。
安田さんは「浮かぶ原っぱ」という橋の設計コンセプトをもとに名称を考えたということで、選考委員会から憩いの場という橋のイメージを最もよくあらわしていると評価されました。
大阪市の平松市長は「橋の特色をいかしたいい名前をつけていただいた」と話しています。
「浮庭橋」は来月に開通する予定です。

>この橋が出来る辺りは良い雰囲気を持ちつつありますから、それを道頓堀界隈まで持っていきたいですね。

123名無しさん:2008/11/09(日) 18:37:07
>>121
近鉄百貨店とHoopの間についてはタワー館建設と同時に2階レベルに屋内空中通路をつけて接続するみたいですけど。

124身内に府職員:2008/11/10(月) 00:53:39
>>123さま
汐留再開発区域に、ゆりかもめの駅からずっとペデストリアンデッキが
着いていたようなものでしょうか。

125トヨクニハウス:2008/11/10(月) 14:08:37
>>120
JRの下では?
>>121
御堂筋と谷町の構内連絡通路を取りやめて
外部通路のみなんてどうでしょうかね。
夏は湿気ムンムンしているし
階段しんどいし
あの通路は本当に不便ですね。

最近出来たエレベーター(ユニクロ横)中途半端ですよね。
車イスの人は
近鉄側からは百貨店orアポロ内のエレベーターを使用してたどり着くことができるが
JR側からはどうやっていくのだろうか…。

andについてはそう思うこともあるんですけど
ただ梅田ロフトも元々不便なところに建ててたにも拘らず
あの近辺全体が活性化している現状もありますので
近辺の風俗店が撤退すればあのエリア一帯がいい感じになると思います。

126待兼山 ◆mwwO4lKtQE:2008/11/11(火) 14:56:20
>>123
2階レベルですか。三宮みたいな感じになるわけですね。
しかしできれば地下でもあべちかからandまで行ければ、回遊性は全く変わってくると思うのですが…。

>>125
>近辺の風俗店が撤退すればあのエリア一帯がいい感じになると思います。

確かに、風俗店の派手な看板と客引きは非常に鬱陶しいですね。
天王寺駅北側のラブホテルも目ざわりです(特にあの偽大阪城!)。
しかしバーやクラブやスナックくらいなら、逆にもっとあった方がいいのではと思います。

天王寺は、居酒屋やレストランでほろ酔いになった後で行くところが少ない。
それが私があまり天王寺に足が向かない理由の一つです。
また、天王寺は、関空からJRで市内に来た人がまず到着する街でありながら、
高級ホテルが少ない理由もそこにあると思います。
ナイトライフが充実した街にしないと、旅行客は泊まりたいと思いません。

天王寺駅北側は、四天王寺周辺の持つ独特な雅を壊したくないので、
阿部野橋駅南側に歓楽街的な街作りができないものでしょうか。
まあ住宅街なので難しいのかもしれませんが…。

127トヨクニハウス:2008/11/12(水) 17:07:58
バー等は利用者数の割りに少ないかもしれませんね。

あまり東京と比較したくないですが、
品川は参考になるかもしれませんね。
品川に賑やかさをプラスしたような感じがいいかと思います。

天王寺はとなりがあいりん地区ってのが痛いですよね。
あいりんの恐ろしい雰囲気が私は好きだったりしますけど…。
あいりんの浮浪者が天王寺にまで流れてくるんですよ。

昼は四天王寺のお年寄りの参拝客でいっぱいの
天王寺北側の道も夜になれば浮浪者で埋め尽くされています。
中国の中高年売春婦もいるし。

アポロ裏も取り壊されたし
北側と偽大阪城があるラブホ街が改善されれば
街の雰囲気は一変するんでしょうね。

難波や梅田と違って開発の余地が大いに土地ですね。

128名無しさん:2008/11/12(水) 17:42:43
実際今は無き夕陽丘図書館にもあいりんにいてそうな人々が多数来て、便器を糞まみれにしたりしたもんよ。
そういう面々が活字主体の本読んでるのを見て外国人は驚くやろな。
兎に角上澄みは北へ北へ集まり、南方にババを掴まそうとするのはどす黒い陰謀か、大阪が惑星に成り下がって
東京に通じるキタ偏重の象徴か。

129よっさん:2008/11/13(木) 00:25:46
YOMIURI ONLINEより
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20081112-OYT8T00106.htm
支柱に「カメラ作動中」
南署など広報幕
 南署などは、府警がミナミの繁華街に設置している街頭防犯カメラの存在を目立たせ、犯罪抑止効果につなげようとカメラ支柱にPR用広報幕を取り付けた。

 カメラは今年3月、府が客引きや車上狙いなどの対策のため、大阪市中央区の宗右衛門町、心斎橋筋2、東心斎橋2に計24台設置。南署によると、暴行や当て逃げ事件など、カメラの画像が犯人逮捕に直接結びついたケースもあるという。

 広報幕は街を訪れる人に、より安心して歩いてもらえるよう、地域住民や商店主でつくるミナミ歓楽街環境浄化推進協議会などが中心に設置を考案。縦90センチ、横30センチで、目立つように黄色地に赤の白抜き文字で「街頭防犯カメラ作動中 ひったくり 車上狙い に注意!!」と書かれている。

 同協議会の岡本敏嗣理事長は「誰もが安心して歩ける繁華街にすることで、地域全体の治安力アップにもなるはず」と話している。

130名無しさん:2008/11/13(木) 09:26:27
御堂筋沿いの心斎橋も夜の銀座のように華やかにならないかな?
三愛ドリームセンターのようなNYにありそうなビルもカッコいいし
http://www.flickr.com/photos/altus/2103370212/sizes/l/

131名無しさん:2008/11/14(金) 00:55:13
昔の阿倍野再開発計画では近鉄南交差点付近の地下に広場が建設予定でした。
この広場を介し、近鉄百貨店南側と接続予定でした。
現在の東急SC計画にはありません。
地下通路で東急SC及びIDUのビルが天王寺駅に接続予定。
今の12番出口付近から地下道が接続されます。

132よっさん:2008/11/15(土) 15:20:30
日経ネット関西版より
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news003286.html
ミナミが変わる(1)「五座文化」再生探る
2008/11/10配信
 大阪・ミナミが町の様相を変えている。にぎわい創出の源の1つだった劇場や演芸場に代わり、高級ブランド店などの商業施設やレジャービルの目立つ町になった。往時を懐かしむ声が上がるが、激しい転変もこの地域の特色といえる。人の集まる地域であり続けるためのミナミの悩みと、取り組みを探った。

 心斎橋筋にある商店街の主催で11月1日、長堀通と心斎橋筋の交差点で、石橋の心斎橋が架けられて100年の記念式典が行われた。あいさつに立った平松邦夫・大阪市長は、「大阪人にとって、心斎橋はおしゃれをしてという町だった。その後、道頓堀に芝居でも見に行こうという時代もあった」と語った。

 道頓堀はかつて「道頓堀五座」と称された5つの劇場があり、「芝居の町」とうたわれた。だが、2002年の「浪花座」閉館で、「五座」は事実上、姿を消した。道頓堀の大劇場は現在、歌舞伎公演などが行われる大阪松竹座(1997年開場)があるのみだ。

 ミナミ全域で見ても、劇場は失われつつある。今年開場50年を迎えた大阪・難波の新歌舞伎座は来年6月末をもって、現在の場所での公演をやめ、上本町へ移転する。同じく難波の精華小劇場も、土地と建物の所有者の大阪市が16年までに売却も含めた「処分」の方針を打ち出したことで、存続が危ぶまれている。

●収益性の難問

 新歌舞伎座は主に、人気歌手や俳優を主演に据えた一座による芝居とショーの公演を行ってきた。客席数は約1600で、年間70万―75万人の入場者を集めている。移転の理由は、建物の老朽化。跡地の利用策は、まだ決まっていない。

 一方、精華小劇場は04年、小学校の体育館だった建物を活用して開設された。客席数は約150。小劇場系の劇団を招いて、約2カ月間の演劇祭を年に3回開催しており、今年の夏の演劇祭は約4000人の入場者があった。

 同劇場はそもそも、劇場が民業ベースでは成り立ちにくくなった状況を踏まえ、演劇界と地元、行政が連携して、大阪の劇団の育成などを目指してのことだった。当初から、「暫定的」な活用をうたっていたものの、「処分」方針の背景には大阪市の厳しい財政事情があるのは間違いない。

 どちらも、一等地にある。地価に見合った収益を追求しようとすれば、劇場は厳しい。関係者の手元に残る昭和4年のミナミの古地図と現在の地図を見比べると、劇場や演芸場に代わって遊技場が増えているが、経済原理が働いてということなのだろう。

 千日前で「トリイホール」を運営する鳥居学社長は、「私みたいなところでも続けていかないと、本当に無くなってしまう」と危機感をあらわにする。

 同ホールは飲食店ビル「上方ビル」の4階にあり、客席数約100席。1カ月に20日ほど、落語や浪曲など上方の芸能の会を催している。鳥居社長はここで、両親から引き継いだ旅館を経営していたが、バブル経済の終わりごろに旅館業に見切りをつけ、1991年から上方ビル経営に乗り出した。

 同ホールを設けた理由を、鳥居社長は「落語家の桂米朝さんに、若手育成の場がないから一肌脱いでくれへんか、と頼まれて」と振り返る。

 旅館は歌舞伎俳優や落語家が常連客で、芸能人とのつながりが深かった。飲食店ビル経営に転身するに当たり、米朝、古今亭志ん朝、吉村雄輝の3氏に相談に乗ってもらったという経緯もあった。

 ホールの運営は、「ずっと持ち出し続き。しかも、まだ開設当初の方が良かった」(鳥居社長)という。テナント料が現在よりも高かったからだ。経済状況に従ってテナント料を下げた結果、「ホール部分を、興行的に成り立つように考えていかねばならなくなった」と鳥居社長は話す。

133よっさん:2008/11/15(土) 15:21:06
●「ホンマ情けない」

 その上方ビルの前には、“芸能の神様”として「南乃福寿弁才天」がまつられている。建立は06年。米朝さんが道頓堀かいわいの現状を「ホンマ情けないで。こんな姿になったんは、芸に感謝する気持ちを表すものがまつられてないからや」と嘆いたのをきっかけに、商店街関係者や芸能人らが建立に動いたという。

 それから2年。地元では、「五座文化」の再生を目指す取り組みも始まっている。早稲田大学と連携して、上方芸能に関するフォーラムを開催するなどだ。ささやかな試みではあるが、「手をこまねいていては、芸能関連は無くなる」という危機感が、関係者を突き動かしているのだろう。
(編集委員 小橋弘之)

●江戸期、石材屋も集積

 「ミナミ」は、狭義には北が長堀川(埋め立てられて現在の長堀通)、南は道頓堀川、東は東横堀川、西は西横堀川(現在は埋め立てられている)に囲まれた地域、昔の「島之内」を指す。広義には、難波周辺や道頓堀、心斎橋周辺一帯の総称。

 江戸時代の「島之内」は、「粋どころ」としての側面が広く伝わっている。だが、川を利用した水運が盛んだっただけに、意外な施設も集積していた。

 その1つが石材屋。長堀川の川岸(現在の長堀通と御堂筋の交差点辺り)は「石屋の浜」と呼ばれたそうで、各地から運ばれてきた石材が積まれていた。こうした光景は、安政年間(1854―60年)の木版画「浪花百景」の「長堀石浜」などで、いまに伝えられている。

134よっさん:2008/11/15(土) 19:44:55
>道頓堀界隈には老舗が沢山あります。
 在阪放送局も積極的に老舗を取り上げてみてはどうでしょうか。

YOMIURI ONLINEより
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20081115-OYT8T00037.htm
戎橋筋老舗あり 無料誌創刊魅力を紹介
「ええ店見つからん」お嘆きシニアへ
 えびすばしには、変わらないものがある――。若者の街のイメージが強いミナミ・戎橋界隈(かいわい)のお店情報を中高年層に売り込むフリーペーパー「ぶらっと。」(B5判、12ページ)が今月、創刊された。大阪市中央区の戎橋筋商店街振興組合が、若い頃、ミナミで買い物を楽しんだ世代を呼び戻そうと始めた試みだ。掲載店などに置いてある。

 同商店街を構成する約90店の約6割が、ここ数年にできた若者向けの服飾雑貨店など。老舗の客からは「昔と変わってしもて、行きたい店が見つからへん」という声が漏れるという。

 創刊号は、南海難波駅から北へ延びる商店街を「遊び、装い、贈答・土産、飲食」にジャンル分け。創業約160年の伝統の技と味を継ぐ昆布店「をぐら屋」や、3万種以上の服地・布地を扱う「とらや商店」、書道・絵画道具の専門店「丹青堂」など〈オトナ〉に人気の20店を紹介している。かまぼこの「大寅」の項では珍しい一枚物のハモ皮の写真も載っている。

 フリーペーパーの企画に参加した、1870年創業の婦人服店「かわこ」の菊池正吾専務(32)は「楽しめる場所があることを知ってもらい、懐かしさを感じてほしい」と期待する。次号からは読者の希望も聞き、充実を図るという。

(2008年11月15日 読売新聞)

135待兼山 ◆mwwO4lKtQE:2008/11/15(土) 21:31:03
>>127
開発の余地は大いにありますが、市と近鉄だけが頑張っても限界がありますね。
もっといろんな業者が参入しないと、300mビルが完成しても天王寺はじり貧状態から抜け出せない気がします。

>>129
つまり、私が怪しげな店に入るのも全部カメラに撮られていたというわけですか(笑)

>>131
>昔の阿倍野再開発計画では近鉄南交差点付近の地下に広場が建設予定でした。

そんな計画があったんですか。もったいない。

ところで、阿倍野再開発施設とandは地下道では結ばれないのでしょうか。
さすがにこれは2階レベルで接続というわけにはいかないと思いますので。
各施設間の移動を出来るだけスムーズに、バリアフリーにしてほしいものです。

>>133
「情けない」と感じるとき。それは繁華街に文化がないと感じる時です。
騒がしいだけで深みがない。そんな街にはなってほしくない。
特に今増えている街頭ビジョン。がちゃがちゃした広告ばかりでうんざりします。

街頭ビジョンは、たとえ広告収入に結び付かなくても、街の格を上げるために
もう少し文化発信を意識した内容にできないものでしょうか。
全国ロードショーの映画の広告ばかりでなく、付近で開催されている演劇や展覧会の紹介、
あるいはそれこそ付近の老舗の宣伝などを通じて、その街独自の文化を街頭ビジョンに乗せてほしい。
全国どこでも同じような内容が街頭ビジョンに流れるなんて、まっぴらごめんです。

136よっさん:2008/11/18(火) 20:27:52
日経ネット関西版より
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news003435.html
ミナミが変わる(2)芝居衰退映す食い倒れの町
2008/11/17配信
 大阪・道頓堀は「食い倒れの町」とあって、飲食店の激戦地だ。店頭の人形が観光名物になっていた大型食堂「大阪名物くいだおれ」が7月に閉店。この一方、新世界で人気の串(くし)カツ店「だるま」が10月に路面店を出し、「若者や外国人の増えた道頓堀の現状を映す」と商店街の話題になった。

 「だるま」は道頓堀に2004年、浪花座の跡にできた食のテーマパークビル内に出店していた。ここを退いての路面店。同店運営会社の一門会は「道頓堀は観光客も多い。この店を定着させ、串カツがお好み焼き、たこ焼きに並ぶ大阪名物として、全国的な認知を得たい」と話す。

●動く看板の登場

 道頓堀でたこ焼き店やラーメン店が増え、「芝居の町」を懐かしがる年配者からは戸惑いの声が上がる。だが、「食い倒れの町」は新商品や新商法を導入し、新規店を受け入れて人を集め続け、「食い倒れ」の看板を大きくしてきた経緯がある。

 かつて、劇場を軸に芝居茶屋や飲食店が立ち並んでいた町は、昭和20年3月の空襲で灰じんに帰した。戦後の復興期を経て、昭和30年代になって現在の景観を形作る店ができ始めた。その1つ、巨大な動くカニの看板で目を引く「かに道楽」は昭和37年、戎橋の南東に全国1号店として本店を開いた。

 同店はカニの専門料理店で、産地直送を売り物にした。カニを山陰などから大阪に鮮度を保って運ぶ冷凍技術の開発があって、出店できたという。同店は時期を置いて、太左衛門橋のたもと、日本橋のたもとにも店を構えたが、道頓堀の3店はすべて角地。商店街関係者は、「角地は店舗の移り変わりが激しく、なかなか長続きする店はなかった」と振り返る。

 てっちりなどを軸に和食を提供する「とんぼりたよし」は昭和43年、中座の向かいに開店した。5階建て店舗は現在、午後11時閉店で運営している。だが、当初は年中無休・24時間営業だったという。コンビニエンスストアが展開する前だ。この営業方針は珍しく、評判になった。

137よっさん:2008/11/18(火) 20:28:44
●テナントビル化

 道頓堀の飲食店ビルは、昭和30年に建てられた「ドウトン」がはしりとされる。このビルは同55年ごろ、飲食チェーン店の入るテナントビルに切り替えられた。

 この数年後、並びにある寿司(すし)店「雛(ひな)寿司」など数店が木造からビルに建て替え、フロアの賃貸を始めた。そして、他の店の多くも追随し、道頓堀にもチェーン店が見られるようになったという。「雛寿司」の女将(おかみ)の荒木喜与子さんは、「ドウトンさんを見て、道頓堀でテナントビルが成り立つと分かった」と振り返る。

 各店のテナントビル化が進んだ背景には、人々の暮らしぶりの変化や、歌舞伎人気の低迷などがあった。芝居客中心では、商売が厳しくなったのだ。

 それとともに、土地の所有者自身の経営の店が少なくなった。さらに、自前ビルに自身の店と住居の両方を置く経営者となると、現在では「雛寿司」などごくわずかという。

 その「雛寿司」は文久3年(1863年)くらいの創業で、道頓堀で古い部類に入る。多くの老舗が姿を消した中、この店が寿司店を維持できているのは、「明治の半ば、3代目当主が『ひなすし』を商品化したおかげ」と荒木さんは話す。「ひなすし」は、小指の一節ほどの大きさのにぎり寿司。「お芝居の幕あいに食べやすいものを」との客の要望を受けて、生まれた。

 荒木さんは「寿司の生まれる過程に、道頓堀に根差した物語があるから、これを目当てに通ってくれる人がいる」と語る。

 道頓堀の人通りは大阪万博(昭和45年)終了後に一時落ちたが、盛り返し、最近は修学旅行生や外国人旅行客の姿が目立つようになった。無論、人通りが多いからといって、どの店もはやるわけではない。道頓堀という町や時代に合うかどうかがあり、店舗の入れ替わりは当然起きる。

 年配者が現在の道頓堀にとまどいを覚えるのは、「芝居の町」の薫りが急速に薄れたからだろう。店が変わり、そこで働く人たちが土地の人でなくなれば、相当な努力なくして町の薫りを保つのは難しい。「芝居の町」を過去の話にしてしまうのか、薫りを感じさせる町づくりに一層取り組むのか。道頓堀は、最終的な判断を迫られているように思える。
(編集委員 小橋弘之)

●飲食店、CMソングも競う

 道頓堀に店を構えた「かに道楽」「とんぼりたよし」「ドウトン」「くいだおれ」などの飲食店は、それぞれCMソングを作り、このCMソングでも話題をまいた。

 「かに道楽」の「と〜れとれピ〜チピチ」は、キダ・タローの作曲。「とんぼりたよし」の「たーんたーんたーよし」の歌詞は、「創業者の自作と聞いている」(運営会社ヤマナカの田井中まり子取締役)という。いずれも、分かりやすい歌詞と独特のメロディーで視聴者をひき付け、年配者には聞き覚えのある人がかなりいる。

 これらの店舗は、工夫した看板とCMソングで知名度を上げ、その所在地として道頓堀も一層注目された。

138よっさん:2008/11/20(木) 19:29:24
産経関西より
http://www.sankei-kansai.com/2008/11/20/20081120-003881.html
北新地活性 切り札はクイーン
 大阪・キタの繁華街、北新地で働く若手ホステスの中から接客やもてなしに優れたホステスを選ぶ「北新地クイーン」の最終審査が21日に行われる。高級クラブやラウンジ、飲食店など約3000店がひしめく北新地でも、不況のあおりを受けて近年、売り上げが大幅にダウンする店が続出。クイーンを各種イベントに派遣して全国に北新地をPRする狙いで、関係者らは「地域活性化の起爆剤に」と願いを込めている。

 北新地クイーンは、402店舗で構成される北新地社交料飲協会が今年2月、初めて企画した。長年受け継がれたもてなしの心を若手ホステスに継承するとともに、北新地のPRにも一役買ってもらう狙い。背景には、売り上げが落ちた北新地を盛り上げたいという地元関係者らの切実な願いがある。関係者によると、売り上げが2割以上落ち込んだ飲食店も多く、クラブなど数店舗を構えていたオーナーが経営を縮小する動きも目立つという。

 協会によると、クイーンには自薦、他薦をあわせ20代の若手ホステス34人が応募。協会役員7人が審査員を務め、9月に書類審査、10月に面接を実施した。

 2次審査の面接では「チャームポイントは?」「好きなワインの銘柄は?」「一発芸をやってください」など多彩な質問が審査員から投げかけられた。協会常務理事の織田高央広報部長は「質問に対する受け答えや、笑顔、歩く姿や座る姿勢などが審査ポイントになった」と説明する。

 その結果、最終審査には16人が進出。最終審査は21日に大阪市内のホテルで開かれる協会主催のパーティー「ようこそ!北新地へ」で行われ、来賓の各種業界団体の代表者ら約30人の投票とこれまでの審査結果の総合ポイントによって、クイーン1人、準クイーン2人が決定される。

 選ばれたクイーンは、北新地の堂島薬師堂周辺で毎年2月に行われる「節分お水汲み祭り」で街を練り歩くほか、1年間、北新地をPRするために活動するという。

 北新地で20年以上営業を続けるクラブ「神原」の神原三枝ママは「新地には、景気が悪くなると最初にその兆候があらわれる。飲み物の単価を下げたり、人件費を削減したりする店もあるだけに、クイーンが北新地の新たなシンボルとなって、全国から注目を集める契機になってほしい」と期待を込めている。

139待兼山 ◆mwwO4lKtQE:2008/11/20(木) 20:44:07
>>138
>「チャームポイントは?」「好きなワインの銘柄は?」「一発芸をやってください」など多彩な質問が審査員から投げかけられた。

私としては、どれだけ新聞をちゃんと読んでいるかという基準もぜひ設けてほしいですね。

私も貧乏なので、新地で飲むことなどほとんどありませんが、
他の街の飲み屋の人と話していて困るのが、まともな大人(あるいはこの掲示板を見ている人)なら常識と思われることを
全く知らない人があまりにも多く、その話題に持って行くまでに私が延々と解説をしなければならないということです。

私は金を払って飲んでいる客であって、講師ではない!!!

WTCが府庁移転先の候補に挙がっていることや、阿倍野に日本一の高層ビルが建つことくらい、
私に説明されるまでもなく新聞等で知っていてほしいですね。
最低限の知識を得る努力もせず、大人相手の接客なんておこがましい。

ま、私が金持ちになって新地で飲めるようになれば問題は解決するのでしょうが(笑)

140よっさん:2008/11/22(土) 01:26:32
>>138に関連して

asahi.comより
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK200811210083.html
大阪・北新地ホステスの「初代クイーン」に藤崎さん
 高級クラブなど約3千軒がひしめく大阪・北新地で21日夜、不景気を吹き飛ばすフレッシュな“新地の顔”を発掘しようと、第1回「北新地クイーン」の最終選考会があった。企業経営者ら来賓が投票した結果、若手ホステス16人から、「倶楽部うえだ」の藤崎まり子さんが初代クイーンに輝いた。

 世界不況の影響で、社用族が多い北新地の飲食店は軒並み売り上げがダウン。主催の北新地社交料飲協会は「クイーンが新地の『救世主』となってほしい」と期待を寄せる。

 投票では外見に加え、時事問題に対する知識やもてなしの態度なども評価対象になった。会場となったホテルの宴会場にはママやホステス200人近くがずらりと顔をそろえ、常連客ら約700人が詰めかけた。応募した34人から書類審査や面接を経て最終選考に残った16人はあでやかな着物姿で壇上に登場。場内が「おーっ」とどよめいた。

 初代クイーンの藤崎さんはホステス歴約8年。趣味は「ゴルフと同伴出勤」。ちょうどこの日が誕生日だったが、年齢は「非公表です」。今後1年、北新地のPR活動に参加する。「北新地は夢にあふれた街。不景気な世の中ですが、真心でお客さまに接し、自分も夢を与えていきたい」と意気込んでいた。(千葉正義)

141名無しさん:2008/11/22(土) 01:30:07
芸子さんが優勝すれば良かったかも

142よっさん:2008/11/22(土) 21:22:21
産経関西より
http://www.sankei-kansai.com/2008/11/22/20081122-003945.html
えびすタワー・ヤバフォ ミナミの元気印 またピンチ
 大阪・ミナミの量販店「ドン・キホーテ道頓堀店」の観覧車「えびすタワー」(大阪市中央区)が機械トラブルのため、5カ月以上にわたり営業を中止している。6月のトラブル発生後、修理も行われておらず、再開のめどは立たないまま。ミナミでは同じ会社が設計した同様の都市型アトラクション「フリーフォール ヤバフォ」(同区)もほぼ同時期にトラブルが起き、無期限で運休。ミナミ活性化を旗印に鳴り物入りで登場した新名所が、ともに窮地に立たされている。

 機械トラブル
 中央部に商売繁盛の神様「えべっさん」の巨大な模型があしらわれたえびすタワーは、平成17年3月のドン・キホーテ道頓堀店オープンと同時に開業。ゴンドラ32台が高さ77・4メートルの縦長の楕円(だえん)形の軌道を、約15分間かけて一周する。晴天なら40キロ以上離れた明石海峡大橋まで見渡せることができ、道頓堀川沿いという抜群の立地条件もあって、初年度には90万人近くが訪れたという。

 設計・建設を担当したのは、「インタミン・ジャパン」(東京都武蔵野市)。管理・運営も開業から1年間は同社の子会社が担当していたが、18年3月以降はドンキ側に移譲していた。

 ところが、今年6月18日に機械トラブルが起き、営業を中止。ドンキ側は設計段階から不備があった可能性を指摘した上で、イ社に改修を依頼したという。これに対し、イ社は「現在のところ正式な修理依頼を受けていないため、手のつけようがない」と反論しており、両社の主張は食い違いをみせている。

 ドン・キホーテは「きちんと安全性が確認できない限り、えびすタワーを動かすわけにはいかない」としており、再開は白紙の状態だという。

 一部破損落下事故
 一方、えびすタワーの南西約300メートルの御堂筋沿いにあるヤバフォは、レジャー施設「ナンバ ヒップス」のビル壁面に設置。6人乗りのゴンドラが地上74メートルから最大秒速22メートルで落下する。

 ところがオープン翌日の昨年12月14日にベアリングに不具合が起き、いったん運休。再開後の今年6月15日にも、客の手荷物落下防止のためのアクリル製カバーが破損して一部が下の御堂筋に落下する事故が発生し、同日以降営業を中止している。

 ヤバフォの設計・建設もイ社が担当。管理・運営を請け負っている同社子会社は事故後、カバーを網に変更するなどの改修を行い、国土交通省に運行再開の許可を申請したが、まだ許可が下りていないという。

 同省建築指導課は「遊戯施設に関しては2カ月ほどで認可が出るケースが多いが、ヤバフォの場合、ほかに構造を比較できる施設がないため、厳格な審査を行っている」としている。

143 ◆1k6V8TWPgw:2008/11/22(土) 22:49:12
>>139
よく分かりますよ、痛いぐらいに。腹が立ってくるぐらいによくあることです。
大阪の知識もないヤツが大阪を語っているときに「それは違う」と掣肘して、一から十まで説明。
(このような「語るヤツ」ほど、大阪をステレオタイプに見ているヤツが多い。例 「まぁ東京の人って、もともとお金持ちの人が多いから、街並みも上品で、キレイになるんじゃない?」)
しかしこれらには凝り固まった固定観念があり、その上、この手の話に興味がないからなおさら厄介。
メディアの洗脳を受けた「大阪自虐人間」には、いい加減勘弁願いたいものです。

144名無しさん:2008/11/23(日) 12:37:22
>>143
大都市はどこも好きで、色々と仕事や遊びに行って、あちこち知っている方なのですが
 大阪の良いところ
 東京の良いところ (大局的に比べちゃうのは申し訳ない、大都市ですしね)
でも「本当」の事(話題)を書いて
 ○荒らし扱いされるのが後者(東
 ○本当のことを書いて、ウソ扱いされるのが前者(西

特に、大阪の良い所に関しては、知らない人が多いですよね
文脈からして近所っぽい事情を知っている人も含むとおもうんです(>自虐な人かな)

やっぱメディアの洗脳なのでしょうかね、ほんと不思議です。
一度、私は知ってますよって意味で
東京のすこし地域的な事を書くと「この人は事情知ってる人だな」じゃ無く
典型的な大阪人だなんて書かれちゃったことがあるのです。
色々な意味で情報のない人がメディアに洗脳され自分が本当に見たリアルの意見が無いことに勘弁だと思うことが多々
でも、仕方ないのですかね
所詮観測点は自分ですし、書くのもその人の感覚だけなんですから。

145よっさん:2008/11/23(日) 12:49:22
大阪日日新聞より
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/081123/20081123005.html

北新地クイーン 初代は「まり子」さん 1年間PRに力
2008/11/23
 関西きっての「夜の社交場」として、東の銀座と並び称される大阪・北新地の初代クイーンが二十一日夜、大阪市北区のホテルで開催された「ようこそ!北新地へ」パーティーで発表された。

 北新地内のクラブから推薦された約五十人を対象に、主催者の北新地社交料飲協会が書類などで十六人を選考。この日は各種団体代表の投票で最終選考し、約七百人の参加者を前に公表した。

 初代クイーンに選ばれたのは、倶楽部うえだ所属の「まり子」(本名藤崎まり子)さん。この日が誕生日だったが「年齢は非公表」。趣味は「ゴルフと同伴出勤」という生粋のクラブホステスで、既にキャリア八年。「世の中不況といわれていますが、わたしたちは夢を売る仕事。一線で活躍する皆さまに新地で、日々の疲れを癒やしていただきたい」ときっぱり。

 まり子さんと、準クイーンに選ばれた琴音さん(クラブ山名)、愛さん(やまもと)の三人は、来年節分の「堂島薬師堂お水汲(く)み祭り」で先頭を行進するほか、大阪天満宮福娘にふんするなど一年間北新地をPRする。

>西の北新地、東の銀座。
 どちらも最近の経済の急減速で来店客数が減っていると聞きますが何とか踏ん張ってほしいものです。

146よっさん:2008/11/23(日) 13:12:10
YOMIURI ONLINEより
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20081123-OYT8T00054.htm
ミナミ活性化、朝市スタート
 大阪・ミナミの道頓堀川沿いの遊歩道「とんぼりリバーウォーク」で22日、大阪湾近くの農家が栽培した農産物や加工品を市価より安く販売、都市と農漁村の交流を深めようと「第1回 大阪湾岸朝市」が開かれた=写真=。23日も行われる。

 約400年前から船が行き交い、各地から海産物や織物などが運ばれてきたミナミ。活性化につながるイベントをと、商店主や生産者組合などでつくる大阪湾岸地域活性化交流会(森本啓一代表)が企画した。

 四国の有機野菜や和歌山の魚の干物、香川・小豆島のエキストラバージンオイル、兵庫の播州織バッグなどがずらり。反響をみて今後も開く計画で、森本代表は「新鮮な食品や珍しい加工品などの魅力を知ってほしい」と期待。

147 ◆1k6V8TWPgw:2008/11/23(日) 20:28:55
>>144
丁寧なレスありがとうございます。
多分自虐に走る人間は、情報通の「カシコ」と思われたいのでしょうね。
少なくともニヒリズムさえ展開しておけば、何なりと逃げ道もある訳ですし。

あと関東からの書き込みなんか相手しないほうがいいですよ。
これらは人の揚げ足を取って田舎モノのレッテルを貼るというだけの、空疎極まる田舎モノの集合体的発想。
此方とは価値観がまったく違うのですよ。(よっさんすいません)
あちらはあちら、此方は此方。深い崖のように袂を分けているので、今更どうにもなりません。気にすることはないでしょう。

148待兼山 ◆mwwO4lKtQE:2008/11/23(日) 20:43:56
>>140
「時事問題に対する知識」もちゃんと評価対象になっていたんですね。さすがは新地。
目が飛び出る料金も、それ相応のサービスがあるからなのだと納得。

それにしても、天王寺や京橋のニュースはあまりないんですね…。
まあ天王寺は近鉄百貨店がビル関連ニュース扱いになるからですが。

149よっさん:2008/11/24(月) 15:49:10
大阪日日新聞より
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/081124/20081124003.html
江戸時代の太夫道中再現 心斎橋・石橋架橋1世紀
2008/11/24
 大阪市中央区南船場の心斎橋筋北商店街で二十三日、江戸時代の太夫道中を再現した企画「太夫と心ぶら・心斎橋祭」があった。連休のさなか、豪華絢爛な時代衣装に身を包んだ一行が大勢の人であふれるアーケード内をあでやかに練り歩いた。

 一九〇九(明治四十二)年十一月二十三日の心斎橋・石橋渡り初め式から百周年の記念行事で同商店街振興組合(春木洋次理事長)が主催。かつて新町遊郭と道頓堀の芝居小屋とを結ぶ回遊路として発展した同商店街一帯の歴史にちなみ「一世紀を振り返り、あらためて『商売の原点・船場』を呼び戻そう」と企画した。

 行列には、かむろと呼ばれる幼女役を先頭に、肩貸し、傘持ちなどを従えた太夫が高げた姿で登場。内側に足を踏み出す独特の歩みで”しゃなりしゃなり”と進む姿が大勢の買い物客や外国人観光客らの目線をくぎ付けにした。

 このほか事前募集で参加した和装の女性ら約三十人も列に加わり、華やかな記念行事をさらに盛り上げた。

150名無しさん:2008/11/24(月) 17:55:22
2008/5/24
道頓堀の変貌 〝芝居街〟はコテコテの大阪へ
連日、観光バスがやって来る

 道頓堀の大型食堂「くいだおれ」が7月に閉店するが、その大きな理由に挙げた1つが「周辺環境の変化」だった。道頓堀は古くから全国に、その名をとどろかせた「五つ櫓(やぐら)」で知られた芝居の街であり、芝居茶屋から「赤い灯(ひ)青い灯(ひ)」と歌われた時代を経て今日まで、飲食店が軒を連ねる大阪を代表する盛り場である。しかし最近は街が大きく変わった。若者や外国人観光客が集まるのは良いのだが、ステレオタイプの大阪を求める客層に合わせた店ばかりが増え、大人の大阪人が楽しめない街になってしまった。大阪らしい香りを残す街が今後も生き続けていけるのだろうか。
大阪の盛り場に激震 くいだおれ閉店

 大阪の盛り場といえば、誰もが思い描くのが道頓堀の風景だ。川面に揺れるネオンのきらめきから、カニや竜の巨大看板へと、シンボルは置き換えられたが、わずか500mほどの道頓堀がいつの時代も大阪を代表する街であることには変わりがない。

 戎橋筋から東へすぐにある大型食堂「くいだおれ」。店頭では、名物人形「くいだおれ太郎」を取り囲んで記念写真に興ずる観光客の光景は相変わらず。聞けば閉店ニュース後は、激励の電話やメールに加え、食事客も増えているとか。

 「くいだおれ」は1949年に、焼け野原となった道頓堀に創業。翌年、赤と白のストライプというピエロ服に、喜劇俳優に似せた黒ぶち眼鏡で、チンドン屋の鳴り物を持たせた電気仕掛け人形を登場させた。物珍しさで話題になったが、その後は大阪のアイドル人形として海外へも出掛ける人気者にまで成長した。閉店で店よりも行く末を案じられており、関西大の宮本勝浩教授は「太郎」の年間経済波及効果を16億7000万円と分析し「大阪の大きな損失。何とか人形だけでも残して欲しい」とまで訴えている。
すっかり若者と外国人旅行客の観光地に

 「最近、たこ焼き、お好み焼きといったコナモンばかりがもてはやされ、若い人が立ち食い感覚になっている。伝統的な大阪料理を召し上がるお客様が少なくなった。家族経営でがんばってきたが、もう限界」と閉店理由を語った「くいだおれ」の山田昌平社長だが、まさに最近の道頓堀はすっかり変わった。

 家族連れで楽しむ姿がまるで見られない。目立つのは若者と韓国や中国などからの外国人観光客ばかり。日本橋付近には連日、大型バスがズラリと駐車されている。小旗を掲げたガイドに案内され、お好み焼き屋にゾロゾロ入る団体客。至る所にしゃがみ込み、歩きながら、たこ焼きを食らう外国人や若者たち。それに屋台に近いラーメン屋。ソースとスープの匂いが鼻に突く。
もとは大阪の香り漂う劇場街

 道頓堀は最も大阪の「ハイカラ」な香りが濃く漂った街だった。ベースは歌舞伎や人形浄瑠璃が演じられる芝居小屋が繁盛し、劇場街となった歴史にある。江戸時代の1650年ごろから平成のバブル崩壊まで、ほぼ400年も続いた成熟した、濃厚な文化でもあった。

 日本の芝居の本場として繁栄した道頓堀には、いわゆる「道頓堀五座」(中座、角座、豊竹座、竹本座、竹田の芝居)を代表に、2けたの芝居小屋があった。芝居見物には船で乗り付け、観劇後は芝居茶屋で一 献、あるいは食事を楽しむのが大阪人の娯楽だった。船で道頓堀へ、という習慣は大正時代まで残っていたそうだ。時代とともに劇場に変化はあっても、道頓堀はブロードウェーであり続けた。そして観劇客を相手に軒を連ねた飲食店も健在だった。

 戦後、復興した五座のうち、「朝日座」は「道頓堀東映」=昨年4月閉館=という映画館に代わり、「弁天座」は文楽座と改称し人形浄瑠璃の常打(じょうう)ち劇場になったが、松竹から文楽協会が経営を引き継ぐと朝日座の名に改めたものの、国立文楽劇場の発足で閉鎖された。

 「角座」は落語や漫才などの演芸場に転じ、繁盛していたが、ブームが去って閉鎖。今は映画館、演芸場(B1角座)の入った商業ビルとして復活している。しかし「B1角座」も今月末で閉鎖し、通天閣歌謡劇場を代替使用すると発表。「追い出される」通天閣の歌姫らの抗議活動が話題になっている。さらに松竹新喜劇の本拠地だった「中座」、松竹芸能の「浪花座」も、平成のバブル崩壊で閉鎖、売却のコースをたどり、五座は消滅した。

 大劇場としては五座ではないが、残ったのは松竹座だけだ。新しく建つのはテナントビルばかり。目に付く飲食店以外の店といえば、パチンコ屋にゲームセンター、みやげ物を売る雑貨店といったところ。風情がない。あまりにも大阪らしい街であったがために、ステレオタイプのコテコテ大阪を求められた道頓堀の悲劇かもしれない。

151名無しさん:2008/11/24(月) 17:56:07
【うどん】 芝居茶屋の情緒感じる 今井
「だし」は創業当時から守る上品な薄味

 コテコテのレジャービルの谷間に和風のたたずまいがホッとさせてくれる大阪うどんの老舗「今井」。服部良一らが通った「今井楽器店」の戦災で焼けた跡地に1946年の創業だが、初代は「稲竹」という芝居茶屋だった。店先が格子戸になっていた「昔の道頓堀の雰囲気を残しておきたい」との思いから、芝居街の情緒を感じさせる建物となった。隣接する旧中座の2002年の失火で被災したが、復興した。

 いくつもの店を食べ歩いて研究を重ねて完成させた「だし」は、天然昆布のコクを利かせた上品な薄味。創業当時から守っており、ファンは多い。なかでも「きつねうどん」は名高い。また「うどん寄せ鍋コース」での宴会も人気だ。
【おでん】 文化人が通った たこ梅
どんな歯なしでも食えると評判の「たこ甘露煮」

 織田作之助の「夫婦善哉」にも登場するおでん屋「たこ梅」の本店が昨年10月に復活、営業再開している。

 「たこ梅」は江戸時代末期の1844年に創業した老舗。かつては御堂筋よりも大店が多かった堺筋に近く、道ブラの旦那衆で混み合ったという。名物は「たこ甘露煮」で「どんな歯なしでも食える」と評判の1品。それに「さえずり」(クジラの舌)も名高く、多くの文化人に愛された。

 しかし道頓堀が若者ばかりの街になり、街は遊技場などが目立つようになったことから、5年ほど前に閉店した。そのため「たこ梅」といえば3支店あった梅田のイメージが定着しかけたほどだったが、客からの強い再開要望で5代目店主が本店の修復に乗り出した。店内の装飾などは長年に渡ってなじまれてきた物を残している。
【JAZZ】 ジャズの都の香り残す セント・ジェームス
別世界的な大人の憩いの場

 大正から昭和にかけて大阪ではダンスホールがはやった。ホールは専門のダンサーを置き、ジャズバンドを雇ったため、ダンスホールが多かった大阪、なかでも道頓堀が日本のジャズのメッカとなった。その後ダンスホールが営業禁止から閉鎖に至る間に、服部良一などの有力なジャズメンはそろって上京してしまった。それに伴いジャズの中心も東京に移り、道頓堀からジャズが聞こえなくなった。

 今ではジャズをすっかり忘れ去ったような道頓堀だが、頑張っているジャズクラブがある。1977年にジャズピアニストの田中武久さん(73)がオープンさせた「St・James(セント・ジェームス)」。記念写真を撮る観光客でにぎわう「くいだおれ」向かいのニコービル4階にあり「別世界的な大人の憩いの場」となっている。

 田中さんは関西大在学中からライブ活動を始めた関西ジャズ界の大御所。「とにかくレコードを聴きまくって勉強するしかなかった」と当時の懸命さを懐かしむが、いまでも毎晩、若いミュージシャンやゲストとのセッションを楽しむエネルギーに魅せられた若いファンも多い。大坂昌彦(ドラム)、井上陽介(ベース)の日本のトッププレーヤーとのトリオで、8月にはスタンダードジャズを中心にした新しいCDを出すという。

 海外のトップミュージシャンもよく来店するが、客層は20代から70代までと幅広い。もちろんハウスバンドによるライブは毎晩。夕方6時から翌2時まで。基本的には日曜が定休。

 「文化が強調できる街になって欲しい」とは、道頓堀に対する田中さんの思いだ。

http://www.pressnet.co.jp/osaka/kiji/080524_07.shtml

152 ◆1k6V8TWPgw:2008/11/24(月) 23:09:18
よい意味で古い文化を消していくのは(東京的に)それはそれで合理的だと思いますが、
しかし道頓堀に関しては、観光客受けする俗悪趣味に走り、悪い意味で文化を灯を消してしまったのが問題です。

今後、どのようなプランで道頓堀を再生していくのか。今まで通り俗悪趣味で通すのか。
それとも嘗てのようなブランドを再び確立していくのか。
今のような状態では、後者のほうは「完全に無し」ですね。
徹底的に堕落して、掃き溜めのようなクズ街になり、誰も近づかなくなってから失ったものの大きさを気付けばいい。
道頓堀界隈で「ナニワイズム」で観光客相手に商売をしている人間はそれと同時に潰れてしまえばいい。
若干過激ですが、今の道頓堀を見ているとこんな気になります。

153道後温泉倶楽部:2008/11/24(月) 23:13:57
St・James(セント・ジェームス>>学生の頃初めて行きました。昔は
jazz喫茶なるものが、結構あり地元の阿倍野にもムゲン(懐かしい・・)、今
でもあると思うtop シンバル、そして住吉に移転した、4分休符とか・・・。
以前の場所にあったセントジェームスの方が好きですが、今でもたまに行くと
田中さんのピアノがそのままで嬉しいです。そういえば、ボーカルでロコ
さんいましたよねえ。さて、ちょっと前(と行っても一年前?)に行った時、キース
ジャレットのFALLING IN LOVE WITH LOVEリクエスト答えて頂き、嬉しかった
です!!

154よっさん:2008/11/26(水) 19:42:16
毎日jpより
http://mainichi.jp/area/osaka/news/20081126ddlk27040474000c.html
新大阪センイシティー:毎週土・日曜に「冬の花市」−−29日から来月21日 /大阪
 繊維問屋ビル「新大阪センイシティー」(大阪市淀川区西宮原2)は、29日から12月21日までの毎週土、日曜日に「第1回冬の花市」を開催する。毎年夏にはアサガオ市を開催しているが、今年からポインセチアとシクラメンも特別価格で販売する。

 ポインセチアは29、30日(2日間で400鉢、大600円、小300円)と12月6、7日(同)。シクラメンは同13、14日(2日間で200鉢、1000円程度)と20、21日(同)。いずれも販売時間は午前11時〜午後5時で、売れ切れ次第終了する。問い合わせは同シティー(0120・062・228)。

1554丁目の案山子 ◆K9Pr1/RLpU:2008/11/27(木) 08:41:01
写真見て驚嘆。こういうこと、大阪の商店街はもっとやって欲しい。

「太夫と心ぶら」うっとり100周年 心斎橋筋北商店街
 大阪市中央区の心斎橋筋北商店街で23日、江戸時代の遊女の行列を再現する「太夫と心ぶら・心斎橋祭」が行われ、あでやかな着物姿に高げたの太夫役らがアーケード内を練り歩き、道行く人の目を楽しませた。
 心斎橋・石橋100周年記念の催しとして、同商店街が、江戸時代、新町の廓(くるわ)から道頓堀の芝居小屋へ通う道として心斎橋筋付近がにぎわったことにちなんで企画した。
 同区のタレント養成学校の生徒らが太夫や男衆にふんし、公募で選ばれた5〜70歳の女性約30人も着物姿で後に続いた。鈴を鳴らし、一行がアーケード内約300メートルを往復すると、買い物客らがカメラ付き携帯電話で撮影したり、「きれいね」とため息をついたりして見入っていた。
(2008年11月24日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20081124-OYT8T00041.htm

1564丁目の案山子 ◆K9Pr1/RLpU:2008/11/27(木) 08:50:25
太夫との記念撮影会もあったそうです。

しかし、なぜ在阪テレビ局は報道しなかったのか?


心斎橋筋北商店街HPより
太夫と心ぶら・心斎橋祭
http://www.shinsaibashi.ne.jp/event/oiran2008/maturi.htm

157よっさん:2008/11/27(木) 08:57:53
日経ネット関西版より
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news003629.html
新「花月」も入居 笑い・食を満喫──京阪・京橋駅前 複合商業施設が28日開業
2008/11/27配信
 京阪電気鉄道は28日、京橋駅前で複合商業ビル「kiki京橋」(大阪市都島区)を開業する。吉本興業の新劇場「京橋花月」を核テナントに、飲食店など19店が入居する。笑いと食をクローズアップすることで、情報・文化を発信する施設にする。

 地上5階建ての同ビル最上階に入居するのが京橋花月。座席数は500で吉本の劇場ではなんばグランド花月(NGK)に次ぐ規模だ。漫才・落語のほかオリジナルの吉本新喜劇を上演する。

 1階と4階は飲食店が集まるフロア。4階のサッカー元日本代表ラモス瑠偉さんプロデュースのブラジル料理店「レストランテ カリオカ」は大阪初進出。ブラジル風バーベキュー「シュラスコ」などが食べられる。

158よっさん:2008/11/28(金) 08:42:59
YOMIURI ONLINEより
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20081128-OYT8T00070.htm
年末の北新地渋滞なくそう タクシー客待ち正しく
天満署など 警告書配り指導
 年末の忘年会シーズンを前に、深夜の北新地で渋滞の原因になっている「客待ちタクシー」に、交通ルールの徹底とマナー向上を呼びかけようと、天満署と大阪タクシーセンター、業界団体などが25〜27日、乗り場以外で客待ちをする違法タクシーなどに警告書を配り、一斉指導を行った。

 北新地では午後10時〜午前1時、タクシー業務適正化特別措置法に基づき、周辺道路は乗り場以外の駐停車を禁止。区域内も原則乗り入れを禁止するが、取り締まりや自主規制をかいくぐり、違法行為を繰り返す運転手が後を絶たない。

 25日は同署や業界団体関係者ら約30人が参加。客待ちで交差点や国道を占拠して2重、3重に停車する違法タクシーに、警察官らが警告書を渡し、渋滞緩和のために車両誘導を行った。

 同署の金田一男・交通課長は「事故も多く、円滑に通行できるよう、しっかり対策を講じたい」と話す。

159名無しさん:2008/11/28(金) 15:26:51
>>156
全部チェックしていないのでないと言い切れない部分がありますが
イベントやるから来て下さいという地元マスコミとの繋がりがないと弱いかも
ただ文化系はやはりテレビは軽視しがち

160名無しさん:2008/11/28(金) 21:06:31
>>152
くいだおれが典型ですね。人形で街を壊して、街を壊したせいで結局、廃業。街が壊れても人形だけ残る。こう展開はない方向にしないと

161よっさん:2008/11/29(土) 21:29:50
YOMIURI ONLINEより
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20081129-OYT8T00039.htm
ホワイティうめだ 新装FARURU 洋服など21店
 大阪市北区の地下街「ホワイティうめだ」の「ファッションロビー」が28日、「FARURU(ファルル)」と名前を変えて改装オープンした。女性を対象にした洋服店など21店が並ぶ。

 近くの阪急百貨店梅田本店建て替え工事に連動し、管理する「大阪地下街」が4月、8億円をかけて工事に着手。通路(幅12メートル)の東西の敷地(約1200平方メートル)に、12店が店名と販売するブランド名を変え、9店が改装して出店した。

 この日は午前10時に関係者らがテープカットし、早速、大勢の買い物客らが詰めかけた。同市都島区の主婦(45)は「以前より開放感があって、落ち着いた印象。また来たいですね」と話していた。

162よっさん:2008/12/08(月) 23:31:59
asahi.comより
http://www.asahi.com/kansai/sumai/news/OSK200812050103.html
大阪・ミナミってどこからどこまで? 範囲を「定義」
ミナミってどこからどこまで? 大阪・ミナミの活性化を目的に地元の企業や商店街、府や市など117の法人と個人が参加する「ミナミまち育てネットワーク」が5日設立され、ミナミの範囲を「定義」した。

 会長に就いた山中諄(まこと)・南海電気鉄道会長によると、北端は長堀通、南端は木津市場、東は日本橋、西は堀江エリアまで。ネットワークを立ち上げる準備会で協議して線引きした。長堀通、堺筋、新なにわ筋という3本の大通りに囲まれた約2キロ四方の範囲と重なり、面積は約400万平方メートル。阪神甲子園球場103個分だ。事務局は「今後活動が拡大していけば、ミナミの範囲もさらに広がっていくはず」と期待している。

 同ネットは別々に活動していた2団体が統合して設立。山中会長は「ミナミは最も大阪らしさの残るエリア。街全体が一つになって魅力を高め世界から観光客を集めるとともに、弱点とも言える安全面を向上させたい」と述べた。映画祭などイベントの開催、日本語と外国語の観光マップ作製といった活動を進める。

>私の感覚だと北側に広すぎるような気もします。
 長堀通はイメージ的にミナミとは思えないのですが。

163名無しさん:2008/12/08(月) 23:48:51
う〜んそうですねぇ
ミナミの範囲は人それぞれでどれが正解って言うのはないと思うんですけど
自分は北は長堀通り(ラウンドワンがあるとこまで)、南は南海難波駅、東は堺筋、西は阪神高速の高架下辺りですかね?
堀江やでんでんタウンはミナミとは別のエリアだと思っています

164名無しさん:2008/12/09(火) 01:01:33
南地(なんち)、旧南区でいいんじゃ…
ミナミよりも南だってあるんだし、拘るべきものでもないと思いますけど

165待兼山 ◆mwwO4lKtQE:2008/12/09(火) 20:49:49
>>163にほぼ同意です。それから、なんばパークスもミナミに含めて考えています。
「ミナミ」はよく使われる言葉なので、もっといろんな人から意見を集めてしっかり定義付けしてほしいですね。

166よっさん:2008/12/17(水) 09:07:34
日経ネット関西版より
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news003718.html
ミナミが変わる(3)道頓堀川、水澄ませ
2008/12/01配信
 道頓堀川のみを周遊する観光船の乗船客数が今年、初めて4万人を超えた。同コースで夏場半年間の運航が始まったのは2005年。「船の発着場や遊歩道の整備など、大阪市の水辺整備があって成り立った事業」(一本松海運)という。

 道頓堀川の整備に「親水」の視点が加わったのは、1995年以降と最近の話だ。大阪の市街地は低地が多いだけに、50年のジェーン台風と61年の第2室戸台風で、道頓堀川沿いの飲食店も高潮で水につかるなどの被害を出し、戦後はほぼ防災一辺倒できた。

 大阪市はジェーン台風の後、道頓堀川下流部の防潮堤を整備。だが、工業用の地下水のくみ上げなどで地盤沈下を招き、第2室戸台風の高潮を防げなかった。

●河川敷巡り裁判

 市は第2室戸台風の後、道頓堀川の護岸のかさ上げなどを行い、続いて水質浄化にも乗り出した。大阪万博が開催された70年ごろで、観光客に悪い印象を与えないためには、川の汚濁を見過ごせなかった。

 護岸かさ上げ事業は、思わぬ副産物を生んだ。「道頓堀川の河川敷は誰のものか」を、川の歴史とともに問い直すきっかけになったのだ。というのは、道頓堀を開削した4人のうちの1人、安井道卜(どうぼく)の子孫が65年、道頓堀川の河川敷5万坪の所有権を巡って、国と大阪府、大阪市を相手取り、大阪地裁に訴えを起こしたからだ。

 市はこの直前、道頓堀川上流部の両岸それぞれ約1.2キロを幅約7メートル埋め立て、この造成地の幅約4メートル部分を、接する土地の所有者約330軒に売る計画を明らかにしていた。売却代金は護岸整備費に充てる算段だった。

 道頓堀川周辺は大阪を代表する繁華街だ。5万坪の土地は当時、「2600億円」とも言われた。しかも、子孫側は当初、問題の土地は「道頓が豊臣秀吉から与えられ、道卜は道頓から相続した」と主張。開削者の1人で「道頓堀」に名を残す道頓や秀吉が絡んだため、大ニュースになった。

 裁判の過程で、道卜の子孫側は秘蔵していた安井家の文書を証拠書類として提出。大阪市大名誉教授の牧英正さん(84)は、市側の鑑定人として裁判にかかわり、関係資料に当たった。

 牧さんによると、道頓に関する資料はごくわずかしか残っておらず、「提出書類の中に、道頓と道卜の間柄を示すものはなかった」と言う。また、道頓その人については、「お茶にも関係した人物という以外、よく分からなかった」と話す。

 大阪地裁は12年近い審理の末、子孫側の請求を棄却。道頓堀川の河川敷は国有との判決が確定した。

167よっさん:2008/12/17(水) 09:08:10
●消えた牡蠣船

 護岸のかさ上げ事業は、河岸につなぎとめられた船にも光を当てた。船上で牡蠣(かき)料理などを提供していた「牡蠣船」だ。

 牡蠣船はかさ上げ事業のころ、道頓堀川だけで10隻ほど営業していた。牡蠣船の撤去なしには護岸工事を進められず、市は川の河岸の土地を払い下げる案などを示し、船の経営者は撤去に応じた。

 牡蠣船の歴史は、元禄時代以前にさかのぼる。「文献などによると、そもそもは季節営業。10月初旬、広島から牡蠣を積んで大阪にやってきて、船を堀につないで牡蠣料理を提供。3月になると引き揚げていた」と、大阪歴史博物館学芸員の伊藤純さんは語る。

 それが、宝永5年(1708年)、大阪で起きた大火での活躍により、徳川幕府から今で言う「河川の占用」を認められたとされる。牡蠣船の船頭が幕府の制札(禁止事項などを通知するための木札)を火から守り、広島の牡蠣船に限り、大阪でどの橋の下につないでもよいとの特権を得たと伝わる。

 牡蠣船はやがて常時停泊するようになり、船も座敷などを備えた屋形船になった。道頓堀川では40年ほど前まで、河岸の屋形船は当たり前に見られた。

 道頓堀川の戦後を一番語るのは、「治水」と「親水」で12.5メートルまでに狭まった戎橋周辺の水面幅だろう。それと、川を巡る観光船や、ギンブナなどの魚。一時は、「どぶ川」といわれるほど汚濁していた。「護岸工事に合わせて下水道を整え、生活用水が川に垂れ流されないようにした。加えて、比較的きれいな大川の水が多く道頓堀川に流れるようにして、水質を改善した」(大阪市建設局)。

 市建設局は、道頓堀川の遊歩道の整備を続ける計画だ。それとともに、今後の整備の在り方に頭をひねる。市の河川担当者は「例えばの話、清流の道頓堀川は想像できますか」と話す。確かに、道頓堀川はよどんだイメージ。見た目が変わると川は一層、市民に近くなるかもしれないが、あまりに清いと道頓堀川とは思えない気もする。
(編集委員 小橋弘之)

●復興物語でもある「心中重井筒」

 近松門左衛門の名作「心中重井筒(かさねいづつ)」は宝永4年(1707年)12月、大阪・道頓堀の操り芝居の竹本座で初演された。歌舞伎の四座と操り芝居三座や、道頓堀にかかる橋、牡蠣船などが巧みに詠み込まれ、当時の様子を伝える浄瑠璃としても名高い。

 同作は、実際にあった心中事件を題材としたことでも知られる。それに加え、神戸女子大学の阪口弘之教授は「初演の2カ月前に起きた大地震の被害から、道頓堀が復興する様子を背景にしている」と話す。

 阪口教授によると、中橋(現在の相合橋)などは、高波で押し流されてきた船が橋げたに当たって崩落。その中橋の架け替えを描写するくだりが2度、「心中重井筒」につづられ、阪口教授は「近松による道頓堀の興行界の復興宣言であり、道頓堀への愛着を重ね合わせたもの」とみている。

168よっさん:2008/12/19(金) 22:31:23
asahi.comより
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000000812190001
電飾12000個 松竹座に光ツリー
2008年12月19日
 大阪・道頓堀の大阪松竹座の前面に18日、巨大なイルミネーションのクリスマスツリーが登場した=写真。点灯式には、19日から松竹座でコンサートを開くアイドルの今井翼さんが参加。ファンや通行人ら約500人が歓声を上げた。

 30・7メートルの高さから傘のように伸ばした44本のワイヤに約1万2千個の電球がきらめく。アイドルグループ「関ジャニ∞(エイト)」の横山裕さんの発案で去年から始まった。去年は緑色と白色の電球だったが、今年は今井さんのアイデアで電球を白一色にしたという。25日まで点灯する。

169よっさん:2009/01/21(水) 09:04:30
産経関西より
http://www.sankei-kansai.com/2009/01/21/20090121-005500.html
合言葉は「ええ街ミナミ」 「活性化協議会」の知事や府警本部長らパレード
 大阪・ミナミから違法な風俗店や無料案内所などを追放する目的で、平成17年に結成された「ミナミ活性化協議会」の代表者らが20日、大阪市中央区の道頓堀をパレードした。橋下徹府知事や平松邦夫大阪市長、縄田修府警本部長のほか、関西の経済団体の代表者らが参加。「みんなでつくろう ええ街ミナミ」を合言葉に、安全で誰もが安心して楽しむことができるミナミの街づくりを訴えた。

 この日、パレードに先立ち、協議会の第4回代表者会議を開催。採択された共同アピールでは、

「ミナミの課題解決に向け全力で取り組んでおり、その成果は確実に表れている」とした上で、風俗案内所の取り締まりなど監視体制の強化▽自転車等放置禁止区域の周知と民間駐輪場の有効活用▽地区計画の活用など街のルールづくりの推進—の3項目が新たに掲げられた。

 代表者会議で橋下知事は、「猥雑(わいざつ)さが売りでも安心・安全がないとミナミの良さは発揮されない。予算はいろいろと削ってきたが、教育と治安には力を入れていくので、行政と一致団結してミナミを盛り上げていきましょう」。縄田本部長は「府と市のタッグで行う治安活動の中で、府警は“実動部隊”。警察でやるべきこと、警察でしかできないことをしっかりとやっていく心づもりだ」と話した。



ミナミ活性化協議会に加盟する「ミナミ歓楽街環境浄化推進協議会」(岡本敏嗣会長)では、ステッカー約2000枚を製作、ミナミの環境浄化活動に賛同する店などに配布している。

 ステッカーは推進協と府警などが協力して製作。活動賛同を示す「活動の証」という文字のほか、「違法な店に貸さない 使わせない 認めない」のキャッチコピーを記載。また、ミナミの環境を浄化しよう▽放置自転車をなくそう▽賑(にぎ)わいのある街をつくろう—などと呼びかけている。

 推進協発起人の福長徳治さん(67)は「大阪の街ににぎわいを取り戻すためには治安の回復が第一。数年前に始めた環境浄化活動がようやく“点”から“面”へと広がりつつある。このステッカーを張っているお店を積極的に利用することで、お客さんにも活動に参加してもらいたい」と話している。

170名無しさん:2009/02/04(水) 12:26:08
南海難波駅、ロケット跡地に高さ30メートルの吹き抜け大空間
2月4日12時15分配信 なんば経済新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090204-00000000-hsk_nb-l27
難波駅の3階から1階を結ぶ「大階段」周辺に1月22日、高さ30メートルの「室内吹き抜け大空間」が誕生した。

 同施設を運営する南海電鉄と南海都市創造は、南海難波駅を中心に高島屋大阪店などが入る「南海ビル」や「なんばCITY」「スイスホテル南海大阪」などから構成される「南海ターミナルビル」の改修を2007年10月から行っている。待ち合わせスポットとして親しまれてきた同駅の「ロケット広場」でロケットを撤去するなどして工事を進めてきた。

 新たに誕生したのは、高さ30メートル、広さ1,200平方メートルの明るく開放的な吹き抜け空間。新たに大屋根を建設し、既存の屋根の撤去作業が完了したことで実現した。両社は同所を「ウェルカムロビー(仮称)」として、関西国際空港と直結する大阪の玄関口にふさわしい空間にしたい考えで、新たな回遊性を作り、駅全体の活性化を図る。

 今後は公共部分や店舗区画などの整備工事を行い、今年秋の完成を目指す。

171よっさん:2009/02/09(月) 22:27:09
asahi.comより
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000000902090002
ミナミ癒やした名店 幕 くろねこママ入院
2009年02月07日
 大阪ミナミの老舗(しにせ)高級クラブで、各界の著名人に愛された「くろねこ」が1月末、急きょ閉店した。ママの岡崎貴子(たかこ)さん(60)=大阪市阿倍野区=が食道がんを患い、思うように話せなくなったからだ。「元気になって帰ってきます」。最後の営業日、満席の店内で、入院中の岡崎さんが書いた手紙が読み上げられた。

 1月31日。約110人の客の前で、岡崎さんの手紙を妹の桑山奈津子さん(55)が読んだ。「くろねこ最後の日をひとり病室で迎える無念さ、悲しさ、悔しさ、さびしさは言葉にできません。病気に打ち勝って元のように話ができるようになりたい。突然の閉店、本当にごめんなさい」

 ■各界に惜しむ声
 現役時代からシーズンオフは必ず立ち寄るという阪神タイガースの岡田彰布前監督(51)は「ママの性格通り、静かな雰囲気の店だった。昨年優勝できたら、くろねこで打ち上げをやろうと思っていたほどお気に入りでした」。日本相撲協会の武蔵川理事長=元横綱三重ノ海=(61)は「星取表をきちんとチェックして、力士たちの緊張をうまく和らげてくれた。ママの復帰を待ってます」。

 ■接待の心冊子に
 岡崎さんは生まれ育った鹿児島県鹿屋市を離れて20歳で大阪へ。27歳のとき「くろねこ」を開店する。「明日もがんばろうとお客さんに思ってもらえる店にしたい」。客がいつ、だれと、どの席に座ったかを覚えた。「みんなのママ」でいようと独身を貫いた。どんな接待でも対応できるように、20代から50代まで幅広い年齢のホステスを集めた。地道な努力は少しずつ実を結び、ミナミで最も長い歴史のあるクラブの一つとして地元企業の経営者からスポーツ選手、歌舞伎役者まで様々な人が集まるようになった。

 特に力を入れたのはホステスの教育。自身の体験を元に、もてなしの心得を記した冊子をつくりホステスに配った。「一人前になるために熟読して下さい」と始まる冊子には、約50項目の心得が並ぶ。「お客様の名前は一度で覚えなさい」「お客様の前では酔わない」「聞き上手になりなさい」「約束したことは守りなさい」「しっかりお見送りしなさい」――どれも当たり前のことのようで、守り続けるのは簡単ではない。

 厳しいしつけを受けたホステスたちは店を巣立ち、自分の店を持った。ミナミには、そんな店が30以上ある。「くろねこは、私たちの学校でした」。この日かけつけた「OG」のママは振り返る。「確かにこの仕事は普通のOLさんよりお金を稼ぐことができるかもしれない。でも、お金だけでは生きていけません。きちんとした生き方や礼儀を学んだことが本当に役立っています。こんどは店の若い子に、私が教える番です」

 ■回復と再会誓う
 岡崎さんののど付近にがんが見つかったのは昨年12月末。声が出にくくなり、満足のいく会話ができなくなることが何よりつらくて、正月を泣きながら過ごした。「不況だからこそ店を続けよう」と思っていたが、治療に専念するため閉店を決めた。今、大阪市内の病院で抗がん剤治療を受けている。「病気を治してもう一度、みなさんに会いたい」。小さいが、はっきりした口調で話した。

172みずき:2009/05/04(月) 21:54:05
皆考えてなかなか踏み出せ
ないけど、どちらか選べるし、
ここは納得出来ます。

ttp://shio-splash.com/aab/

私はけっこう気に入ってます。

173名無しさん:2009/05/05(火) 04:03:32
東京・大阪、両方住みました。
住んでみて感じたことは「どちらもたいして変わらない」です。

「大阪はヤクザの本拠」これは間違いで、本当の本拠地は東京なんですが。(下記ULR参照)
在日の数も東京も大阪に負けず劣らず多いですよ。

ヤクザがらみの犯罪の検挙数は東京がダントツのワースト1位です。

事件の数も東京のほうが多いです。

東京の人が歌舞伎町を危険に感じないと言うのは当たり前。
大阪の人が新世界界隈をあまり危険に感じないのと同じです。

どちらも危険な場所はあるけど、何処が危険で何処が安全か分かっているからです。
安全なところしか行かないから危険に思わないだけです。

>観光で何回か行ったレベルでは‘怖い人、ガサツな人が多い‘といった感じです

これも大阪の人の立場で東京を見ると”冷たい人、気取った人が多い”と感じるかもしれませんね。

先入観でものを見ると正しく見れなくなりますよ。
http://birukan.fc2web.com/jj8k-nkmc/boukyokudan-sei1.htm

174名無しさん:2009/05/05(火) 04:15:55
昨日新世界に行ったんですがGWとあってか物凄い人で驚きました。
以前のあの界隈を知ってる者からすると、「あ〜変わったなあ」と深々と実感。
河豚の提灯やら通天閣、いつ出来たのか大きなビリケン人形が人気で写真をパシャパシャ撮られてました。
・・・が、そのすぐ近くの道端で浮浪者らしき男性が座って焼酎飲んでたり、ツーンとくるアンモニア臭がしたり。

ガイド本を読んで大阪に観光に来る人はどうせ新世界か道頓堀しか見ないんでしょうけど
あれで「大阪に来た」と思われると悲しくなります・・・。
以上チラシの裏でした

175なみえ:2009/05/05(火) 17:46:20
最近気になり出して、けっこう
通ってます^^。
左の方がオススメです!

ttp://cutiebitch.com/aab/

私はかなりたのしんでます♪。。

176よっさん:2009/07/18(土) 11:27:09
http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/osaka/090718/osk0907180216003-n1.htm
「芝居の街」道頓堀よみがえれ 中座跡に多目的スタジオ19日オープン 大阪
2009.7.18 02:15
 大阪・道頓堀の中座跡に建つ「中座くいだおれビル」内に、芝居やダンス、演芸などができる多目的スタジオが19日、半年間の期間限定でオープンする。かつて劇場が集まっていた道頓堀のにぎわいを復活させたいと、演劇や芸能関係者が運営。稼働率が高ければ常設の可能性もあり、「消えかけている芝居街を復活させたい」と意気込んでいる。(中井美樹)

 同ビル4階の「スタジオZAZA」は大きさの違う3つのスタジオを設置。約400平方メートルの一番大きなスタジオは約200席あり、演劇やレビュー、映画上映などに使える。100席ほどの小さなスタジオは演芸の場として想定している。

 道頓堀は江戸時代以来、中座や浪花座など「道頓堀五座」を中心にした芝居の街として知られ、周辺の飲食店も栄えてきた。しかし昨年5月、最後まで営業を続けた角座が閉鎖。劇場としては松竹座が残るだけになっている。

 今回は、中座跡の商業ビルのリニューアルに際し、ビルオーナー側が大阪市内で複数の劇場のプロデュースを手掛けてきた、吉元常洋さんらに運営を依頼した。

 吉元さんは、作家の難波利三さんを委員長に、ジャズピアニストの大塚善章さんや劇作家の林千代さんらによる実行委員会を結成。「大・道頓堀文化祭」と銘打ち、演劇、演芸、アートなど幅広い内容のイベントを開催する。

 景気が回復すれば、半年後には、別のテナントが入居する可能性もあるが、スタジオが人を集める場所になれば常設の可能性もある。

 19日はオープニングイベントとして、ライブペインティングを開催。今後お笑いライブやストリートダンス競技会が行われる。利用を希望する団体・個人も募集している。問い合わせは((電)06・6212・3005)。

177よっさん:2009/07/21(火) 17:26:49
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000000907210004
なんばにも「ハチ公」像、待ち合わせ場所に
2009年07月21日
 秋田犬の「忠犬ハチ公」をモデルに米国・ハリウッドで制作された映画「HACHI 約束の犬」の公開を前に17日、大阪市浪速区のなんばパークスで月亭八光さん(32)が宣伝隊長としてPRした=写真。

 日本での映画の配給元の松竹が、名前を音読みすると「ハチコウ」となることから抜擢(ばってき)したという。月亭さんは「よく言われるのでありがたい」。芸人の先輩にかわいがられているといい、「(僕は)みんなのハチ公です」と笑いをとっていた。

 PR用に作られたハチ公のプラスチック製の像の除幕式もあり、松竹の担当者は「渋谷ではないけれど、待ち合わせに使ってほしい」。8月23日まで設置される予定という。

178よっさん:2009/07/21(火) 17:43:02
http://mytown.asahi.com/osaka/news.php?k_id=28000000907210005
大・道頓堀文化祭 半年間上演しっぱなし
2009年07月21日
 大阪文化の中心地だった道頓堀をもう一度文化の拠点にしようと、地元のアーティストや商店会などが立ち上がった。火事で全焼した旧中座の跡地ビルで、19日から約半年にわたって「大・道頓堀文化祭」を開催。演劇やダンス、演芸など様々な演目を予定している。実行委員会は「道頓堀に行けば何かやってると言われ、人が集まる場所にしたい」と意気込む。

 道頓堀は江戸時代から、中座をはじめ朝日座、角座など「浪花五座」が軒を連ねた芝居の街で、各地から芝居見物に来る家族連れらでにぎわった。しかし、来場客が減って閉館が相次ぎ、旧中座は02年9月の解体作業中にガス爆発。跡地に飲食店が集まる商業ビルが建った。劇場としては松竹座があるのみで、最近は観光客の滞在時間も短く「大阪文化の拠点」のイメージも薄れた、という。

 道頓堀を以前のような文化の発信地にしようと、作家の難波利三さんやプランナーの野田泰久さん、戎橋筋商店街振興組合の野杁(のいり)育郎理事長らが集まり、実行委員会を発足。跡地ビルの4階にできた、観客100〜200人が入る大小三つのスペースを設けた「スタジオZAZA(ざざ)」で、1月末までの半年間「文化祭」と銘打った連続公演を企画した。この期間中に客を根付かせ「道頓堀の劇場」を定着させようという狙いだ。

 16日に同スペースで会見した実行委員会は「観光客がふらっと入れる場所、若手で無名だが力のあるアーティストが発表できるところを目指す」と表明。演目は「文化祭」の間は随時公募し、ダンスや演劇の専門家の実行委員が内容を検討して上演団体を決める。運営を安定させるための募金も募る。

 会場費は平日や休日、チケット料金などによって異なるが、最も大きい「BOX1(ボックスワン)」で全日(12時間)2万5千〜13万5千円。公演や募金の申し込み、問い合わせは実行委事務局(06・6212・3005)へ。

179よっさん:2009/07/21(火) 17:45:52
>>178

  ようやく大阪自らの手での「道頓堀の再生」が始まるようで嬉しい限りです。

  大阪大好き、な私ですが今の道頓堀界隈はお世辞にも「居心地の良い」「居て楽しい」場所ではないたように感じていました。
  それは私だけではなく、多くの人が思っていたからこそ、多くの店が閉店し道頓堀界隈から賑わいが消えつつある状況になってしまったのだと考えます。

 道頓堀界隈に行く度に、今の道頓堀界隈の最大の問題は「街の中を貫く‘背骨’‘精神的支柱’にあたる」ものが無くなっていた事ではないかと考えていました。
 道頓堀界隈に於ける‘背骨’‘精神的支柱’とは「演劇」「芝居」といった『文化』ではなかっただろうか。

 ‘背骨’無き街、‘精神的支柱’無き街は「落ち着きの無いフラフラと世の風に漂うだけの虚無な街」でしかなくなる。
 だから、今の道頓堀界隈には昔からの老舗もあるけども、多くはただ単に「どうせ観光客なんか一回しかこないから‘メディアが取り上げる大阪像’に合わせて派手にして目立てばいい」的な、少しきつい言葉で書く事を許して頂けるなら『観光客も昔からの馴染みの地元大阪の客を馬鹿にした店』ばかりが幅を利かせていたように思います。

 今回、‘背骨’‘精神的支柱’にあたるのもの「演劇」「芝居」といった『文化』の輝きを道頓堀界隈に今一度、もう一度と立ちあがった動きを私は応援したいと思います。

180みなみちゃん:2009/08/31(月) 03:02:08
南の老朽化はげしいので南の再開発をするべきだと思う。役所にまかせず大阪市民全体か考えるべき 東京とは違うセンスの良いおしゃれな町ところどころ遊びのある町パチンコ風俗キャパクラなどの水商売なしでね。30代以上人もたのしめる都会してほしい。

181みなみちゃん:2009/08/31(月) 03:16:10
通天閣もつぶして欲しい。貧乏くさいから。もういらない。あいりんつぶしてほしい。ずこい迷惑あいりんって便利な場所にあるのよね。天王寺にとってもすごく迷惑だと思う。あいりんは大阪の衰退せいだ。

1824丁目の案山子 ◆K9Pr1/RLpU:2009/08/31(月) 07:21:50
>>181
>あいりんは大阪の衰退
の元凶。

同感。

183名無しさん:2009/08/31(月) 14:42:44
新今宮駅周辺は、本来なら南海なんば駅周辺と一体した再開発が出来るはず。
立地が良いだけにもったいないです。
あそこが日本橋電気街だったら、ヨドバシの影響も少しは抑えることが
出来たかもしれません。
電車から新今宮周辺の景色を見るたびにいつも思います。

184名無しさん:2009/09/04(金) 11:08:32
もしあいりんなければ、天王寺公園のまわりはカファやレストランができてとてもにぎわっていたとおもいますよ。女性を中心にね。とてももったいないです。今からでもやっていかないといけないと思います。プロ市民まけないで大阪市や大阪府がんばってほしいです。ホームレスの貧困商法も取り締まるみたいですしね。

185名無しさん:2009/09/04(金) 23:56:28
桜ノ宮界隈もそうだけど、天王寺公園はまずラブホをどうにかしないと。
特にあのセンスゼロとしか言いようのない、大阪城を模したような看板は景観破壊以外の何物でもない。

186名無しさん:2009/09/05(土) 01:09:52
桜ノ宮は春はさくらでぜんぜん見えませんよ。他の季節はわからないけど。

187名無しさん:2009/09/05(土) 01:13:34
桜ノ宮はドンキホーテでだいなしです。

188名無しさん:2009/09/05(土) 01:15:57
大阪市も大阪府も規制してほしいなぁ。

189名無しさん:2009/09/05(土) 01:22:53
交野市の人かわいそうだった。大阪府規制すればいいのに大阪府知事は何を考えてるのだろう。パチンコ店なんかいらない。

190名無しさん:2009/09/05(土) 17:36:59
>>189
交野市の人でもパチンコやる人ぐらいいるでしょ。
キンキキッズの堂本光一は芦屋出身だが父親がパチンコ好きでわざわざ神戸まで出かけているという話をTVでしていた。
何でも間でも自分の価値観を押し付けるのは良くない。

191名無しさん:2009/09/05(土) 17:37:57
×間でも
○かんでも

192名無しさん:2009/09/05(土) 18:46:13
でも、ある程度の規制は必要だと思います。やはり博打なので。存在としては風営法による合法ですが、
3店方式の景品交換所を介せば合法というのはよくわかりません。脱法行為と言うのでは。しかもこの運用
はパチンコなどのみで、他では認められず…。

例えば繁華街や駅前などでは規制して、海に面した場所や山中など、一方通行的にしか行けないような
場所で行うのが正しいと思いますが。未成年も利用できないようにするなど、カジノ方式による賭博合法化
をした方がいいと思います。限られた場所できちんと合法として行う、管理するのが半歩譲ってあるべき
望ましい姿かと。

繁華街の街づくりとしてこういうのも模索するべきかと。

193名無しさん:2009/09/05(土) 20:32:03
わたしはパチンコ店はいらないと思います。190さん交野市パチンコ店は住宅街にできるのですよ。ちゃんと調べて反論してください。今住人の方々は反対の署名運動をされていますよ。

194名無しさん:2009/09/05(土) 22:03:09
箕面船場がパチンコ店に侵されつつあるのが悲しいです。
市長は条例をつくり規制できないのかな。

195名無しさん:2009/09/05(土) 22:13:32
条例レベルじゃ厳しいですね。国で規制するレベルでないと、やはり。

196名無しさん:2009/09/05(土) 22:57:42
>>193
だったら私はパチンコ店進出賛成運動を行います。

交野市にパチンコ店進出を!!

197名無しさん:2009/09/06(日) 18:06:15
在日の人がパチンコ店やっているからって反対できないなんておかしいですよ。

198名無しさん:2009/09/06(日) 18:09:24
パチンコ店は音うるさいし、たばこくさいし、治安が悪くなるし、最悪です。

199名無しさん:2009/09/06(日) 18:39:50
ギヤンブルする人は破滅します。パチンコで破滅した人多いと思いますよ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板