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水都大阪

930名無し@良識派さん:2009/11/01(日) 14:12:22
http://mainichi.jp/area/osaka/archive/news/2009/10/29/20091029ddlk27070421000c.html

わが町にも歴史あり・知られざる大阪:/140 清水坂 大阪市天王寺区 /大阪
 
◇四天王寺へ、石垣迫る参詣道 清水寺、3条の「玉出の滝」は市内唯一
 大阪星光学院の南側の道に回ると、「きよ水」という名の喫茶店がある。まっすぐ行けば清水(きよみず)坂。石段を下りる。端は自転車用のスロープになっている。右側は星光学院のグラウンドの、左側は清水寺の墓地の石垣が迫り、なかなかに趣がある。

 もとはコンクリートで固められた変哲のない坂だったが、大阪市が景観を主眼に改修した。坂の途中、清水寺の石垣に、ひときわ大きな石が組み込まれているのを見付けた。文字が刻まれている。「以他力造立」「発起 肥前屋久兵衛」「取次 美濃屋喜八」「万延」などと読み取れる。なんだろうか。

 てんのうじ観光ボランティアガイドの松村基さん(72)に尋ねた。「清水坂は四天王寺参詣のメーンロード。船場などから松屋町筋を渡って大江神社の前を右に曲がって坂を上る。料亭浮瀬(うかむせ)も清水坂と共に大きくなったんです」。往来が多い坂だったと。

 で、あの石は? 「私の仮説ですが」と前置きして、「万延は幕末の1860年で、寺の造立はそれより200年ほど前だから、石垣を造った顕彰でしょう。石垣は、坂道を歩きやすくするための修繕と、寺領拡大のためだったと思います」。

 松村さんによれば、発起の肥前屋久兵衛はたぶん船場あたりの商人で、金を出したスポンサー。取次の美濃屋は寺とスポンサー、石工を取り次ぎ、計画を進めたのだろう、という。「以他力造立」は、「他力を以(もっ)て造立す」、つまり「自分の力だけで造ったのではない」という、浄土宗の他力本願を表す言葉だそうだ。なるほど、腑(ふ)に落ちる。

    ◇

 坂を下り、細い道を左に進めば、街路灯の脇に、「たき道」と彫られた小さな道標がある。左手に折れると、坂の名前のもとになった清水寺だ。大阪の清水さんは「新清水」と呼ばれるが、四天王寺の支院で、直接、京都の清水寺と関係はない。江戸時代の1640年、京都・清水寺から、聖徳太子作と伝わる十一面千手観音像を移し本尊としたため、という。

 大阪案内人の西俣稔さんが言うには「ここに清水の滝があるんです。大阪市内でたった一つの滝」。京都の音羽の滝を模した「玉出の滝」がそれ。境内を奥へ進むと、石垣から樋(とい)が3本突き出ていて、細い水が流れ落ちている。静寂に包まれた境内に、水の音だけが響く。

 岩壁を落ちていく白水、といった滝のイメージからはちょっと遠いが、お寺の縁起に、四天王寺の池から流れ出る霊水が源、とあるのを見れば、清冽(せいれつ)に感じられてくる。

 昔は滝の流量はもっと多かったようで、江戸時代の錦絵「浪花百景」には、音を立てそうなほどの3条の滝が描かれ、水ごりする人々も見える。また、境内にはカエデが茂り、秋ともなれば紅葉が見事だったという。

 さらに、清水の舞台もある。その昔は淡路島まで見通せたという。戦災でコンクリート製に変わり、いま目に入るのはビルや高速道路といったコンクリートの塊ばかり。その陰から通天閣がのぞいていた。【松井宏員】

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 ◇毎日文化センター「古地図で散歩する大阪」受講生募集
 大阪案内人の西俣稔さんの解説で、古地図を片手に大阪市内を歩きます。毎月第4日曜午後2時から。コースは、近松ゆかりの蜆川(しじみがわ)跡▽文人ゆかりの天王寺七坂▽偉人ゆかりの天満かいわい▽昭和が残る新世界▽京橋から大川沿い▽江戸・明治・大正の建築物が残る船場。

 11月22日〜来年4月の計6回。受講料は9650円。申し込みは毎日文化センター(06・6346・8700)。




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