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難解

21追儺:2021/08/11(水) 11:11:36
ついな

鬼やらい、なやらいなどともいい、日本では節分の豆撒(ま)きをこの名称でよぶことが多いが、本来は疫鬼を追い払う行事。中国では『周礼(しゅらい)』によれば、熊(くま)の皮をかぶり黄金の四つ目の面をつけ、黒衣に朱裳(しゅしょう)を着した方相(ほうそう)氏という呪師が矛と盾を手にして、宮廷の中から疫鬼を追い出す作法を行ったという。
 日本には、追儺は陰陽道(おんみょうどう)の行事として取り入れられ、文武(もんむ)天皇の慶雲(きょううん)3年(706)に、諸国に疫病が流行して百姓が多く死んだので、土牛をつくって大儺(おおやらい)を行ったというのが初見である。『延喜式(えんぎしき)』などによると、宮中では毎年大晦日(おおみそか)の夜、黄金の四つ目の面をかぶり黒衣に朱裳を着した大舎人(おおとねり)の扮(ふん)する方相氏が、右手に矛、左手に盾をもって疫鬼を追い払ったという。この除夜の追儺はおそらく大祓(おおはらえ)の観念とも結び付いて展開したものと思われるが、そのほか、寺の修正会(しゅじょうえ)や修二会(しゅにえ)の際にもこの鬼やらいの式が行われた。
 一方、民間の鬼やらいは二月節分に行われ、豆撒きが盛んであるが、なかには大晦日に豆撒きを行う例もある。追儺には、大晦日や正月の鬼やらいの行事をいう場合と、二月節分の豆撒きをいう場合とがあるわけである。概して日本の民俗における鬼に対する観念は複雑で、豆撒きも鬼を追い払うのでなく神への散供(さんぐ)と考えられ、単に疫鬼、悪鬼というだけでなく、むしろ悪霊を抑える力強い存在(善鬼)とみるようなところがある。


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