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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?
179
:
り
:2025/10/23(木) 18:52:37 ID:pqU2OPWw0
>>173
>恩寵は人生を好転させる程度の力はあれど、人が物理現実を超越するほどの力はないというのに。
→言いたいことはなんとなくわかります。
恩寵を「霊性を利用した超人的な力の取得」だと勘違いしてしまうな!という感じですかね。笑 (違ってたらすみません)
あと、「物理現実を超越する」という言葉の意味によってまた変わります。
真理探求とは、個人としての限界や思い込み、つまり“束縛”を超えていく道です。
そういう意味では、探求者は「物理的現実の縛りを超えていく者」とも表現できるでしょう。
>「り」さんは一元論者ですね?なんなら真理は一元を超えた所にあると、そういう思想です。
しかし、この対話を通じて私が感じたのは、人の真理は二元論という事です。
物質と霊、この二つは一部混ざりあうと同時にけして完全には混ざり合わない。
常に人間はその間に生きる存在であるという事です。
→なるほど。非常に本質的な観点です。
私自身も、そうした思想を学び助けられた時期があり、今でもそのような表現を用いることがあります。
ただ、正確に言えば、私は一元論者でも非二元論者でも不二一元論者でもありません。
しかし、それらを否定することもできません。
側からみたら、そうなのかもしれないし。
そして、どれもまた、ある段階において“真実を語っている”から。
そして、二元論を否定する気はありません。
例えば、真理そのものを“蜘蛛”だとしましょう。
蜘蛛はその本質的な働きとして糸を紡ぎ出します。
その糸は蜘蛛から生まれたものであり、蜘蛛と深く結びついています。
けれど、糸そのものは蜘蛛ではない。
同じように、物質世界も“真理から紡がれた糸”なんです。だからこそ、物質を「ただの幻想」と単純に切り捨てることはできません。また、切り捨てて実際的に生活することは不可能です。
むしろ、人間や個人、世界は──真理から見れば、不思議で、偉大で、驚きに満ちた、愛の表現そのものだと感じています。
(ただ、個人がそれを“そう感じようとする”ことには限界がある──というのは以前にも触れた通りです)
>真理探究者はいずれ才能と努力があれば一元論に到達します。「全ては一つだ」とそうなる。
それは真理だが人の真理ではない、という事を弁えなければならない。
→おっしゃる通りです。
ただ、逆説的に言えば「人を通して真理が自らを探求している」とも言えます。
人は真理を“知る”のではなく、真理が“人という形を通して自らを味わう”。
その最前線にいるのが、私たち人間なんです。
>最後に、私の遊びに付き合ってくれてありがとう。このレスはただの私の感想で、ある種のお礼みたいなものです。
もうこれで終わりにするつもりでしたが、また一つだけ。
「り」さんは真理が真理であるとどうやって認識しているのですか?直感ですか?
→こちらこそ、遊びに来てくれてありがとう。
このスレ自体が、私にとっても誤解を恐れず言うなら楽しい遊びのようなものです。笑
人は“意識そのもの”を悟ることができます。それが、人に起こり得る“悟り”と呼ばれるものです。その意識こそが、霊性そのものなんです。
最終的に“悟った者”さえも終わります。溶け去ります。
だからこそ、一元・非二元・不二一元といった立場をすべて超えてしまう。
もはや○○論者ではないんです。
「それそのもの」は、全概念をもってしても表し切れません。それはどれでもなく、また、どれでもある。不思議な話ですが、それが“真理”のあり方なんです。
その意味で、私が語る真理も、“それらを超えたところから、二元の言葉に翻訳している”ようなものです。
直感と言えば直感ですが、より正確には“それそのものの、直接的な知”
概念以前の不可思議な理解、です。
だからこそ、「不可思議」としか言いようがないんです。
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