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長年、悟り系真理探求してきた者だが質問あります?

145:2025/10/19(日) 16:26:55 ID:geSrq5oE0
>>141
>スレ主さんは、他者=自分?、他者を同じように愛せる境地になった?

→個人の私(個人の心)としては、好きなことは止められなく好きだし、興味のないことはどれだけ取り組んでも興味が出ない。笑
喜怒哀楽、あらゆる感情が起きる。いち普通の個人といえば、まったくその通り。
好かれることも嫌われることも当然ある。

じゃあ以前と変わらないのか?と聞かれたら、変化した部分はやはりあります。

変化したのは、「これまで現実だと思っていた世界そのもの」が、すべて偉大で不可思議な、夢の演劇の場だったという理解に変わったこと。
そのため、すべてはただ起きている。
同時に、真相的にはどれほど偉大で不可思議であっても、
夢なので「まったく起きていない」とも言えてしまうのです。

>社会が決めた善悪の枠。
→これはつまり、「夢の中には夢の中のルールがある」ということ。
そして夢は動きそのものだから、その時代その時代によって善悪も変化していく。

夢の中には「原因と結果」のルールがある。
だからこそ、あなたは「許し」や「受け入れること」に取り組んだ結果、それができるようになってきた。
うん、まさにその通り。

>自分のことは社会が決めた善悪の枠に囚われず、許し受け入れることはできるようになってきた。だけど、他者に対しては、好き嫌い問わず出会い自体には感謝の気持ちは持てても、誰彼問わず優しく接することはできないんだよね。

→感謝。すべてに対する優しさ。
これはね、愛と同じくらい深遠な言葉。
なぜなら、真理的な見地では、愛も感謝も「感情」ではないから。

愛も感謝もすべてに対する優しさも、
本当の意味は、個人や世界の視点から見たときの「真理の構造そのもの」あるいは「真理の絵そのもの」なんです。

とはいえ、個人の私たちは「愛」や「感謝」や「優しさ」を感じるという現象が起きる。
つまり──「愛」「感謝」「すべてに対する優しさ」は、取り組んだからそういう気持ちになれた、というよりも、
“取り組むこと”が起き、“そういう気持ちが起きる”ということが自然と起こった。

これは本当は「やること」ではなく、「起きてしまうこと」

だから、愛や感謝が起きていない時や、真逆のネガティブな感情が起きている時があっても、
まったく自然なんです。

そして、起きるときも、起きないときも含めて、すべては最適に起きている。

>エゴを捨てたら、最終的に利他の心は芽生えるの?

→エゴを捨てる、というのは「エゴ(個人)が私である」という前提が崩れること。

だから、そうなった個人は、
全体的な気づきの中の最適な流れの、ひとりの演者となる。
利他が起きるかもしれない。
利他を意識せず、やりたいことをやるかもしれない。
ただ、何をやるにしても、もはや「やり手」ではない。
そして、それが起きたとき、
「それが最適だ」ということすら忘れて、
全体性の流れの中で、やり手ではないことすら忘れて、何かをやる。笑

そんな感じかな。


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