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ダグラス・ハーディングの実験スレ
1
:
幸せな名無しさん
:2025/05/19(月) 19:14:02 ID:wbM7fqgI0
認識の変更を(人によっては)すぐ起こすことが出来ると話題のダグラス・ハーディングの実験についてのスレです。
体験談や実験のコツ、応用方法etc、書き込みお願いします
公式サイト (スペースがあったら抜いてください)
ttps://headless.o rg/
ttps://www.youtube.com/user/headexchange
日本語
ttps://www.headless.o rg/japanese
ttps://www.youtube.com/@FacelessJapanFilms
ダグラスの本の翻訳者、高木悠鼓さんのサイト。定期的にオンラインWSを開催されている
ttps://www.ne.jp/asahi/headless/joy/index.html
実験の方法(日本語字幕)
ttps://www.youtube.com/watch?v=98CindnEs58&list=PLbB-KUDCtiykfLYTLuGKPcCRi56tqbZEZ
ダグラス・ハーディングの生涯(日本語字幕)
ttps://www.youtube.com/watch?v=h2oqJPA8nCo
116
:
幸せな名無しさん
:2025/07/31(木) 15:52:36 ID:u/RjQ2rk0
>113
ごめんなさい。107で詭弁さんのブログが言及されていたから書いていらっしゃったのですね。
上のレスを読まずに余計な書き込みをして大変申し訳ございません。失礼いたしました。
117
:
幸せな名無しさん
:2025/07/31(木) 17:47:47 ID:5P8QXZbM0
>>113
こんにちは。
達人と同一人物かもしれないというあくまで推測でして、違ったらブログ主さんに迷惑がかかるかもなのでブログ名は伏せさせていただきます、、、すみません。
ただこれだといけずですので、少しヒントを、、、。
「〇〇の書」というブログです。
〇〇はお釈迦さまが入滅した際に入られた境地を入れていただければ。
わかる方はわかるかと思いますが、ここまででお許し下さいm(_ _)m
ブログは途中で有料になりましたが、昔の記事は公開されています。達人と同一人物でなかったとしても、達人と同等の知識と気づきをお持ちの方です。素直にすごいなと思います。
118
:
幸せな名無しさん
:2025/07/31(木) 17:49:59 ID:5P8QXZbM0
>>114
こんにちは。
ええ!まさかあの時ご覧になってくださってたとは…嬉しいやら照れくさいやら…笑
当時は「神の最善」という言葉をよく使っていましたね〜。
「全自動」という捉え方、すごく共感します。
外側も内側も、自分で動かしてると思っていたものが、実は全部、ただ現れていただけだったんだなって。
思考も、決意も、文句も、迷いも、
ただ湧いて、流れて、消えていく。
人間という「私」はその真ん中で、ちょっと文句を言いながらも、やっぱりそれすらも、神の最善の現れなんですよね笑
で、よくある落とし穴がひとつだけあって、「もっと良い方法があるはずだ!」と探し始めた瞬間、「今の状態は不完全だ」という前提が生まれてしまう。
それがまた、不足の現実を生む仕組みなんですよね。
このトリックに気づくと、「今のままで完璧かも…」って抜けられたりする。
…とはいえ、
「もっと良くなりたい」「探したくなる」その気持ちすらも、また全自動笑
だから、探してしまってもOKですし、探してしまう自分を否定しようとする必要もありません。
ただ、その探す動きが「今は足りない」という前提を内包してるんだな〜と気づいているだけで、ふと風が止むように、意識は静かな場所へ戻っていくと思います。
これが、私の感じている「百発成功」ですかね。
作為しようが、脱力しようが、全部含んで、ただ起きている。
あらゆる動きが「神の最善」であるならば、探してしまうことさえも、ちゃんと神の脚本の一部。
そう思うと、どこにも抵抗も否定もなくなるんですよね〜。
私が色々書くと気になられるかと思いますが、
>>114
さんはそのまま神の最善への委ねだけで、足すことも引くことも、何もありません。
その在り方で完璧です。
こうして反応いただけるの、ほんとにありがたいです。
また不定期ですが顔出します笑
ありがとうございます。
119
:
幸せな名無しさん
:2025/07/31(木) 22:42:30 ID:vwxiH.Lg0
>>110
お返事ポエムありがとうございます笑
こんにちはさん、wildさん…
そうですか、そうでしたか、
YouTubeで達人さんたちのお名前やスレという
言葉を聞いてどこにあるのかな?と思っていたのですが、ようやく出会えた今ここ、です笑
>>110
さんのポエムを読んでると
思考で理解しようは起こらず
透明さが増して勝手に整うような
何だかとっても気持ちよいのです。
言葉のBGM?のような?
はい、首なし族&首長族として
気ままなポエム投下楽しみにしてますね♪
ありがとうございます!
120
:
幸せな名無しさん
:2025/08/01(金) 21:48:37 ID:Uv6XcZuE0
>>118
返事ありがとうございます!
質問しといて見ていませんでしたw
今の心境になってから、毎日見ていたここも回数減りました。
なんかもう…探す事はなにもないなってw
やはりそういう事でしたか!
今以上を求めたら不足を見ている事になる。でもそれも流れだからそれでいい。
これはまじで共感します!
結局、自分が思うままでいいんじゃないかと本気で思います。
それが動かされてるという事だから。
皆さんもメソッド必死にやって、達人の話聞いて…でも上手くいかなくて
苦しるんでと思います
僕も相当苦しみました。笑
でも、それで良かったんだと今ならそう思えます。その流れ全てが完璧なんだなーと
あ、この界隈で完璧という言葉よく聞くと思うんですけど
僕は自分にとっていい事になるとか、これからよくなるみたいなニュアンスで受け取ってて
この世界のどこが完璧なんだよと常に思って苦しんでましたw
でも勘違いでした。
エゴ的に言うと良いも悪いも含めて完璧でした(っω<。)
たとえ、映画の主人公が四苦八苦しててもそれは映像の中での事であって
映画作品として全体で見れば必要なシーンだし完成されてたみたいな。笑
いやーずっと見てたwildさんと絡めるなんて思ってもなかったww
ありがとうございます!
121
:
幸せな名無しさん
:2025/08/23(土) 23:14:52 ID:3ZyP4UU20
ふと、思ったんですが
FPSゲームの一人称視点ってこの世界と同じじゃないかと。
画面のその人に顔ないですよね…
本人は顔があるとか、自分で動いてると思い込んでるとしたら
まんま僕らの世界と同じだ、、
で、そのキャラに指差しさせてるイメージしてみたらなんか分かりやすかった!確かに顔じゃなく世界があるかも。自分ってただの思い込みかもと思えました。
んーでもまだ自分という錯覚が邪魔してるなー
こんな事考えながらタバコ吸ってたら画面にタバコを寄せて画面から煙が出てる感覚になったww
122
:
幸せな名無しさん
:2025/08/24(日) 16:35:08 ID:d9e5j8cI0
それそれ
それだよそれ
123
:
幸せな名無しさん
:2025/08/24(日) 22:24:16 ID:8EbFOZZc0
自分の姿は鏡でしか確認したことはない。写真もあることはあるが。
目は直接目自身を見れない。バーチャル身体スーツを着て、そのなかから五感を通して世界を体験している。そんな感じ。
頭がないのは、当たり前。マッハの自画像の通り。
124
:
幸せな名無しさん
:2025/08/25(月) 00:43:55 ID:dQPStwrw0
自分が見えようが見えまいが究極的にはどうでもいいことです。
FPSだろうがTPSだろうがただの絵が動いてるだけでそんな世界も人も一切存在してないように、この世界も自分も他人も存在しません、ただの絵です。
125
:
幸せな名無しさん
:2025/08/25(月) 03:39:53 ID:2cQOXrZQ0
ダグラスハーディング1996年東京WSプレイリスト
ttps://www.youtube.com/watch?v=9RezH7h0e78&list=PLbB-KUDCtiyk_dv9nYkSAk85VfesIHWGq
次スレのテンプレによろ
126
:
幸せな名無しさん
:2025/08/25(月) 19:19:29 ID:.CuQ512g0
>>121
です
皆さんすごいですね…
僕はあんまわかってはないですけど
全部、勝手に動いんてんなーとは思うしこっちの意志なんも関係ないし
ならもう好きにやってくれ状態ですw
後、思う事があります
過去を思い出す時、映像としては出てくるけどなんか他人事というか
ホンマに自分が体験したんか?ってなるんですよね
思い出し映像も絶対ちょっと上から俯瞰してるし
当時は、五感を使ってリアルに感じてるだけであって
思い出してる時は五感働いてないから、他人事に感じるのかなって
結果、やっぱ映像やんけってww
127
:
幸せな名無しさん
:2025/08/25(月) 19:25:56 ID:.CuQ512g0
でも、確信がないからブレてる
皆さんは確信があるのかな…
だから、指差しでなにか分かればなと(っω<。)
まあ結局、勝手に動いてるからわかる時も勝手に来るわけですよね
128
:
幸せな名無しさん
:2025/08/31(日) 17:52:54 ID:Et6wjqHI0
顔のない実験鼻高い人不利だと今更気が付きました。
自分の鼻が見えるから顔がないように思いにくいんですよねと思ったけど
ハーディングも外人だし関係ないか
129
:
幸せな名無しさん
:2025/10/07(火) 12:58:52 ID:LUkMBP2k0
やっても顔が無いってのがまだよくわからないです
一瞬空虚と言うか、世界が私とは思わないけど「……」みたいな感じにはなる。
でもだからそれがどうした? って感覚
130
:
幸せな名無しさん
:2025/10/07(火) 20:35:46 ID:X/4/Uu7E0
自己観察かじってないとそうなりがち
131
:
幸せな名無しさん
:2025/10/21(火) 11:12:17 ID:7X/xa..20
翻訳者の高木さんが実験の会などずっと開催されていますが、
参加された方いますか?
価格も相当安いので良心的ですね
132
:
幸せな名無しさん
:2025/10/21(火) 23:59:40 ID:JDNZ9T9E0
>>131
参加したことあります。
ダグラスの実験がよくわからなかったので
参加すれば少しは何かわかるかもしれないと思ったのですが、
私は残念ながら参加してもわかりませんでした。。。
あと、たまたまだったのかもしれませんが
リピーターというか常連の方が多いようで
私だけ部外者という感じで少し居心地が悪かったです。
でも、仰るように費用は安いですし迷ってるなら参加してみるのもいいと思います。
133
:
幸せな名無しさん
:2025/10/23(木) 13:07:32 ID:i7X1dVcg0
ダグラス・ハーディングの本が12月に発売されるみたいだね。
新刊ではなくて1994年頃に発売された「心眼を得る」って本の再販らしい。
読んだことないから楽しみ。
134
:
幸せな名無しさん
:2025/10/23(木) 16:21:01 ID:smRUgfB20
>>132
ありがとうございました。
136
:
幸せな名無しさん
:2025/12/31(水) 13:48:39 ID:VKkjoL.k0
顔のない場所のことを「受容能力」とたしかハーディングは言っていたね。
顔のない場所には、世界のすべてが現れており、
その中には自分の肉体と思える映像や記憶も現れている。つまりエゴの要素が現れている。
その自分が映像の中で不足感を持ったとしても、それも既に受容されている。だからこそ頭のない場所に現れている。
既にすべてが受け入れられているんだ。
否定してもいい。
否定に抗い、自愛や完璧をやってもいい。
それさえも頭のない場所では受け入れられている。
そのままで自愛、完璧だったんだ。
137
:
幸せな名無しさん
:2026/01/26(月) 08:02:34 ID:9r6etcRQ0
頭のない場所を見ると、そこには
世界がある、自分と思える身体、思考がある。
世界も自分と思えるものも、そしてその思いも、
全部が同一の現れですよね。
思考があると任せられないとか、こう思うとダメではないのか?などもすべて同一の現れ。
そこに、それら現れを見張るエゴと名付けられた自分感覚もありますが、それも現れです。
現れはいつもあるのかと言うとそうではなく、
現れては消えてを繰り返してる
いつも在ると言えるのはこの「頭のない場所」のみ。
それがわかると今度は、
「今日はその場所に在ることができた」
「今日はできなかった」
というジャッジが起こり、そして
「だから今日は意識して在るようにしよう」
という頑張りが起きる。
しかし、これらも現れですよね。
いつの間にか、自分も現れであることを忘れ、
世界と自分を分離させてコントロールしようとしてしまう。
意識できようとできまいと、
常にそこに在り、そこしかないというのが真実なのではないでしょうか。
全託とは、思考をしたか、していないか、
をジャッジするのではなく、既に全託であったことを思い出すこと。
いえ、思い出すことさえも、
自分で行うことではないことを知ること。
なのではないかと思います。
138
:
幸せな名無しさん
:2026/01/27(火) 21:35:10 ID:0IVxXkP.0
>>137
>いつも在ると言えるのはこの「頭のない場所」のみ。
あ、ホントです、いつもありますね!そして、対象と思っていたものが、この私の「頭のない場所」にある、ように感じられました。対象が人の場合は、なかなかそうは感じられないですが、慣れてきたら、見え方が変わってくるかもです。
>思い出すことさえも、自分で行うことではないことを知ること。
何か問題が生じると、呼吸が浅くなり、繰り返し同じ思考が涌き、身体が緊張状態になっているようです。
自分や人を責めてしまう思いや不安、その感情が涌き、苦しくなりますが、それもそのままでいいのかも、と思えてきました。何かをしようとせずに、治まるまで待っていればいいのかな〜と。
139
:
幸せな名無しさん
:2026/01/27(火) 23:35:47 ID:82wPdL9k0
>>138
レスありがとうございます。
私のベースとなったハーディングの実験ですが、
頭がない場所を発見してから、探求の紆余曲折を経てここに戻ってきました。
これ以上も以下もなかったんです。
あなたも気付かれた、「頭のない場所」がすべてでした。
ここは願望実現の板ですが、
持った願望も、それを実現させようとメソッドをやることも、叶わなくネガティブに呑まれて抜け出そうと苦しんだことも、その他人生で起こるすべてのことが、
頭のない場所で起きては消える映像でした。
そこに良いも悪いも無かったんです。
良い悪いをジャッジする私も、この場所に現れている現象でした。
すべてが頭のない場所の許可のもと、起きたことでした。すべて受け入れられているからこそ、起きたことでした。
その現象を認められない私も、抵抗する私も、この場に起きた現象のひとつでした。
つまり、
すべてが許されている。
結局はこれしかなかったんです。
その先に何かあると探し回りましたが、
その私も完璧な現象でした。
140
:
幸せな名無しさん
:2026/01/28(水) 10:07:06 ID:qoHzvWkE0
>>138
すみません、自分のことばかり書いてしまいました。
焦り、不安、緊張
それを嫌だと思う思考
それに抗おうと方法を探す動き
それらを所有している自分
これらすべてが頭のない場所、
ハーディングの言う「受容能力」に許されたからこそ現れたと、気付くと、何でも完璧なんだなと思うと同時に、それ以上それらネガティブ要素をどうにかしようとも思わなくなりました。
しかも、それらネガティブと思える要素は、
今のこの受容能力には既に無く、消え去ってしまっています。それが本当の今の現実。
思考だけがそれらネガティブを反芻し現れているだけでした。
その思考も、もちろん受容されているからこそさっき現れたんだなと思うと、自然とコントロールする気も無くなり、今のままで何ら問題ないなととても楽になりました。
141
:
幸せな名無しさん
:2026/01/28(水) 18:37:09 ID:KFB8puno0
>>139
>>140
ありがとうございます。なるほどです。
>すべてが許されている。
今の段階ではまだ、ああそうなのだろうな、と思うくらいなのですが、
そのうちに、わかるといいなと思っています。
>すみません、自分のことばかり書いてしまいました。
いいえ〜、書いていただいて、ありがとうございます。気づきのきっかけになるかと思いますので、たくさん書いていただきたいです。
度々思考に吞み込まれながらも、自己観察を続けているのですが、まだ気づきは起きていなくて、このままで良いのかなと、きちんとできているのかなと、心配になってきます。でもきっと、少しずつは変わってきているのかなと思っています。
実験をしたり、ぼ〜っとする時間を取って、今を感じ、もっと頭のない場所を意識してみたいと思います。
142
:
幸せな名無しさん
:2026/01/29(木) 20:18:43 ID:F7mrqABk0
>>141
自己観察をされてますか。
ハーディングの頭のない場所は「見ている者」がいない場所です。なにせ頭がないのですから。
見ている者があるように感じますが、自己観察でそれらをよく見ると、それも思考なんです。
この頭のない場所という空間というか、意識上に起こった感覚のひとつです。
それは身体の感覚も同じですね。
事実は、頭などない世界のみが拡がっている。
というのが、記憶や思考を横に置いて見た時の世界の実相です。
>まだ気づきは起きていなくて、このままで良いの>かなと、きちんとできているのかなと、心配にな>ってきます。
これもまた、そのような思考が記憶というシステムをもとに現れただけです。
記憶上の私には、気づきもないですし、またその記憶を正としてしまうと、記憶から連動して不安も起きてくるでしょう。
しかし、そのような記憶を横に置いて、今のそのままを見てみて下さい。
そこにはただ世界だけがあり、不安を持つ私など見当たらないはずですよね。
それが唯一の本当の現実です。
普段そのような記憶からの連動によって仮の現実を見ていますが、よく見るとすべて記憶なんです。真の現実は常に問題などありません。
そこのどこにも「問題あり」など書いていません。
問題あるなと思うような状況でも、次の瞬間には破壊されて新しい現実となっています。
しかしながら、この話を聞いて、
「ではその今に留まらなきゃ!」と留まろうとすると、またハマってきます。
なぜなら、留まろうとする頭のある私が復活するからです。つまりエゴのことです。
その「留まらなきゃ!」という思考や、私と思える感覚さえも、この頭のない場所に現れた現象であり、常に流れており、壊れては現れてを繰り返しています。
ですから、今のままで良いのですが、
何も知らなかった時と違うのは、そのような自覚があるかどうかという話になります。
その自覚さえも、映像現象であるエゴで起こすはできない絶望的な話になりますが、
この話に興味がおありなら、フラグは立っています。
ぜひ続けられると良いと思います。
143
:
幸せな名無しさん
:2026/01/29(木) 23:19:17 ID:D4LQJsuU0
>>142
ご返信いただき、ありがとうございます。
実験の動画や、まとめ動画を見てきて、言われていることを、全てではないにしても最近やっと、頭でわかるようになってきたところです。
目を瞑っている時に、ただ暗いものがあって、目を開けるとそこに色のついた世界が拡がって見え、平面で奥行きがないと言われていることも、たまにですが、そう見えることもありました。「目の前が自分だった」というのは、まだ実感はないが、でも、私の意識の中に現れているのだから、私なのかもしれない、と思ったりもします。
>見ている者があるように感じますが、自己観察でそれらをよく見ると、それも思考なんです。
見ている者が思考だということを、最近、頭でわかりました。「私が見ている」と思っていたのですが、そうではないのですね。「見るが起きている」とか、「歩くが起きている」など、目の前に拡がっている世界と私とが、分離していないということを、体感としてまだわからないのですが、早くわかりたいです。
>普段そのような記憶からの連動によって仮の現実を見ていますが、よく見るとすべて記憶なんです。真の現実は常に問題などありません。
今日も少しモヤモヤとすることがあったのですが、意味づけをしなければ、ただの出来事だったのだなと思いました。数時間、胸の辺りがモヤモヤとして不快だったのですが、ただそれを感じていたら、治まりました。
記憶と反応によって、思考の物語が展開してしまっているのかなと思いました。
観察している視点で、ただそのままの事実を見て、流していけるようになれば、もう少し楽になれるのかなと思いました。
>その「留まらなきゃ!」という思考や、私と思える感覚さえも、この頭のない場所に現れた現象であり、常に流れており、壊れては現れてを繰り返しています。
一日のうちで、私が居ない、私というものを感じていない時もあれば、私という感覚や、私という現象が起きている時もあり、私とは、壊れては現れるような不確かなものなのだな、ということも最近わかってきたように思います。私というか、全てですね。
リラックスしている時に、気づきが起きやすいのですかね。実践を続け、身体的にリラックスできる時間を取ることで、少しでも早くに気づきが起きると良いなと思っています。
144
:
幸せな名無しさん
:2026/01/30(金) 12:58:46 ID:D.vuvOAY0
>>143
目を瞑る実験はとても良いですよね。
目を開けているとどうしても、見るもの(主)と見られるもの(客)に分かれて見えてしまいますからね。
目を瞑ると、
真っ暗な闇にどこからか音が現れ、どこからか肉体感覚が現れていますよね。
「これはエアコンの音だな」と言っているのは思考です。
その思考も現れです。
「これは床に触れている足の感覚だな」と言うのも思考です。
暗闇の中に、足のイメージが現れとしてふと見えるかもしれませんね。
そのようにラベリングなしで、
記憶を横に置いて純粋に見ると、
それはもはや音や肉体感覚という名前さえもない、どこかモヤモヤとしたエネルギーのような何かになりませんでしょうか。
そしてそのモヤモヤとした何かは、
真っ暗な闇と分離してるでしょうか?
主客統一、世界との一体感など、
よくイメージされるような「私が世界と一体となる感覚」というのは間違いです。
なぜなら一体となりたい「私」自体が思考ですし、思考は起きては消える現象ですからね。
寝ているときや、映画に没頭(頭がない)している時は「私」はない。
つまり記憶を参照した時に起こる思考なんです。
主客統一の実際は、上記のように非常に単純です。
また、「わかりたい」「改善したい」「どうすれば良いのか」「こうしたいああしたい」「不安としてのモヤモヤ」などの感じられるものすべて。
それらすべては、さっき起きて「今」には既にない、思考や感覚としての現象です。
それら起こっては消えて行くものとして、目を瞑る実験で観ていかれると良いかなと思います。
このように聞いて、「そっか、私には気付きが足りないのかな?」と思うことさえも現象ですので、
頑張って気付こうとするのではなく、淡々と実験をやってみるのが良いかと思います。
145
:
幸せな名無しさん
:2026/01/30(金) 21:19:49 ID:QGU0/I.60
>>144
アドバイス頂き、ありがとうございます。
目を瞑って、感覚を感じるどころか、思考に意識がいってしまい、思考に呑み込まれては気づく、を繰り返して、少しして夢を見始め、さあ眠くなったから寝ようかな、というのをやってしまっていました。まったく実験になっていませんでした。教えていただけて良かったです。ありがとうございます。
指差し実験も、私の準備がまだまだのせいか、やってみても、実験にならないようです。
>そしてそのモヤモヤとした何かは、
真っ暗な闇と分離してるでしょうか?
今少しやってみたのですが、肉体感覚の、そのモヤモヤとした何かに
意識を向けてみると、安心と心地よさが感じられ、音はうるささなどがありますが、そのモヤモヤは真っ暗な闇そのもの、もしくは、真っ暗な闇をベースにしたそこでのそれ、といった感じでした。
>なぜなら一体となりたい「私」自体が思考ですし、思考は起きては消える現象ですからね。>つまり記憶を参照した時に起こる思考なんです。
そうだったのですね。「私」というのは思考であって、「私が世界と」となると、分離していますものね。記憶を持ち出さなければ、「私」というものはない、ということですね。
>それら起こっては消えて行くものとして、目を瞑る実験で観ていかれると良いかなと思います。
ありがとうございます。力まずに淡々と実験を行ってみたいと思います。
だんだんとコツを掴めるようになるかもしれないです。
質問をさせていただきたいのですが、何を質問させていただいたら良いのかがわからないのです。頭の整理ができていないのかもしれないです。
でも、お話をさせていただくことができ、アドバイスを頂けて、とても嬉しく思います。ありがとうございます。
146
:
幸せな名無しさん
:2026/01/31(土) 06:30:38 ID:q7hFLaQE0
>>145
こちらこそお話を聞いていただきありがとございました。
ハーディングの実験の立ち位置は、
この板で話されている多くの疑問だったことを明確にさせる在り方ですので、ぜひ続けていかれると良いと思います。
また何かあればたまに来ますので、
よろしくお願いいたします。
147
:
幸せな名無しさん
:2026/01/31(土) 11:59:31 ID:M1VtJUPc0
>>146
ありがとうございます。
探求の進み方が、私の場合かなり遅く、わかってきたように思えても、まだまだわかっていないことばかりなのです。でも、少しわかったり、少し変化が起きたりが嬉しくて、これまでやってこれたのだと思います。
ハーディングの実験は、惹かれるものがありますし、きっと私も気づくことができると思いますので、楽しみながら続けていきたいと思っています。そのうちに、実験に関することや、そうでないことでも、質問をさせていただきたいと思うことがあるかと思いますので、また是非ともお話をさせていただけましたら嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします。
148
:
黒猫
:2026/02/04(水) 00:33:21 ID:JvcLVX8U0
おすすめの本教えてください。
149
:
幸せな名無しさん
:2026/02/04(水) 18:21:58 ID:e/LbnGw60
>>148
ダグラス・ハーディングさん関係の本では、「存在し、存在しない、それが答えだ」と「頭がない男」を以前、購入し持っているのですが、ほとんど読んでいないのです。読書に集中できないみたいで、動画から学ぶのが好きです。お役に立てなくて、すみません。ちょうどその本の存在を思い出したので、読んでみようかな〜という思いになりました。ありがとうございます。
150
:
幸せな名無しさん
:2026/02/08(日) 23:32:24 ID:fe9YEwgo0
この実験においてポイントがあるとしたら、それは思考ではないでしょうか。
頭のない場所には様々な現象が起こっては消えていきますが、思考も例外ではありません。
しかし思考だけは「私」であるとして、現れとして放っておけない。
頭のない場所では、起こるものすべてが現れであり、流れる雲や風の音は放っておけるのに、思考だけは「私」そのものであり、私なのだからコントロールしようとしてしまう。
その「私」さえも、頭のない場所に起こる記憶という現れであるのに…。
「私」さえも現れならば、そもそもコントロールなどできないのではないでしょうか。
流れる雲はコントロールできませんし、風の音もコントロールできません。
同じように、「私」という記憶思考さえも周りの自然と同じ現象ならば、コントロールしようとすること自体おかしな話です。
いや、「コントロールしよう」という動きそのものが、現象として起きただけではないでしょうか。
楽になりたい。
どうすればいい。
何をすればいい。
それらの思考が雲と同じように現れ、
さらに「この思考をコントロールせねば楽になれない」という現れが、風の音のように起き、そして消えていく。
消えていったにもかかわらず、「私」という現れが起きると、また連動して「私を楽にしたい」という現れが起こる。
これらはすべて現れでありますが、
そこに本質的な問題があったわけではありません。
問題があるように見えたのは、現れの一部に「私」という札が貼られ、その札を実体だと誤認した瞬間でした。
思考が現れ、「私」という語が含まれたとき、その思考だけが特別な位置を与えられ、他の現象と同列に扱われなくなる。
雲は雲として流れ、
風は風として鳴り、
感覚は感覚として消えていくのに、
「私」という思考だけが、世界の中心であり、操作主体であり、責任者であるかのように扱われる。
しかし頭のない場所では、
その区別は見当たりません。
見えるもの、聞こえるもの、感じられるもの、考えられるもの。
それらはすべて、等距離で現れています。
近いものも遠いものもなく、主も客もなく、ただ起こり、ただ変わり、ただ消えていく。
「私を楽にしたい」という思考が現れ、
「このままではいけない」という思考が重なり、
「どうにかしなければ」という衝動が起きる。
しかしそれらは、雲が重なり、風が強まるのと同じ出来事であり、誰かが計画して起こしたわけではありません。
気づいてみれば、
楽になろうとする動きも、
苦しんでいるという認識も、
それを観ている立場さえも、
すべてが同じ平面上の現れでした。
コントロールできないのではない。
コントロールする者が、最初から見つからない。
努力が無駄なのではなく、
努力という現象が、勝手に起きては消えている。
この理解に到達したとき、
何かが達成されたわけではありません。
ただ、余分な構えが抜け落ちただけです。
楽になろうとしなくても、その「しなくていい」という判断すら現れとして通り過ぎます。
理解し続けなくても、
理解が消えること自体が自然に起きる。
残るのは、何かをどうにかする必要のない現実が、最初からそうであったという事実だけです。
それは特別な境地ではなく、特別扱いが終わっただけの、ごく普通の世界ではないでしょうか。
そしてこの文章を書いているという出来事もまた、誰かが書いているのではなく、書かれているという現れが、今、静かに起きているだけです。
151
:
幸せな名無しさん
:2026/02/09(月) 21:22:22 ID:XTJAznNM0
>>150
お話をしていただき、ありがとうございます。
>その「私」さえも、頭のない場所に起こる記憶という現れであるのに…。
本当にそうですね。頭のない場所で起きている様々な現れの中で、そのまま流せるものと、流せないものとがあり、思考や感情となると「私」が出てきてしまい、「私の」という感覚になり、記憶、思考、感情、物語などと「私」との同一化をしてしまい、そのまま流すことができなくなってしまいます。楽になりたいために、不足を解消するために「どうにかしなければ」と、コントロールをしようとすることで、さらに苦しみを大きくしてしまっているようです。
でも、そのような動きも自然な流れ、自然な現象として起きただけなのですね。そのことも頭ではわかるのですが、「私」という感覚が強いため、思考や感情と距離を置いたつもりでも、しばらくの間、不快感を感じてしまい、苦しいです。
でも、思考に気づくことで、直ぐに止まる時もあれば、ただ眺めていることも、以前よりも大分できるようになってきたので、少しずつ楽になってきているな、とは思っています。
>思考が現れ、「私」という語が含まれたとき、その思考だけが特別な位置を与えられ、他の現象と同列に扱われなくなる。
頭のない場所では、すべてが区別なく、等距離で現れているということ、
なんとなくわかります。流れているものを掴まないで、力を抜いて、安心して見ていられるような、起こるに任せることができればいいですね。
>何かをどうにかする必要のない現実が、最初からそうであったという事実だけです。それは特別な境地ではなく、特別扱いが終わっただけの、ごく普通の世界ではないでしょうか。
出来事に対して、問題だと判断してしまうのは「私」ですので、不快な何かがあったとしても、ただ現れては消えていくもの、留めずに流していけるような、いつでも余裕や安心の状態、そのような感覚でいれたらいいなと思いました。
この不思議な、頭のない場所を探ることは、難しいようにも感じますが、おもしろいです。一番興味のあるところです。
152
:
幸せな名無しさん
:2026/02/10(火) 08:04:05 ID:nTrQzYD20
>>151
こんにちは。
レスありがとうございます。
とても丁寧に、ご自身の体感をそのまま言葉にされていて、読んでいて共感するところが多かったです。
この実験は面白いですよね。
今までの常識がすべてひっくり返ってしまうんですから。
でもですね、
その今までの常識に囚われていたことさえも、そのまま「現れ」だとすると、何も問題ではなくなるんですよね。
記憶や思考、そのまとまりである「私」と同一化して苦しむことも、コントロールしようとしてしまうことも、すべてが「現れ」なんです。
私たちはどうしても、
目指すべき到達点に至るべきだ、その到達点に辿り着くには何かしなければならない、気付かねばならない、と思い苦しみ探し続けます。
不足から充足へ移行すべき、
分離から統合へ到達すべきと。
しかしながら、この世界どこを見ても、ずっと同じ状態というのはありません。
寒い冬もあれば暑い夏もある。
そこに不足や到達点などありません。
それと同じように、私たちも、
どこにも目指す到達点などなく、今のその「同一化」自体が現れなんです。
一切無駄なものなどなく、十全なんですね。
この純粋な意識、「受容能力」には、許され認められたものだけが現れます。ここに無駄なものはありません。
ですから、「同一化してなんか苦しい」が今そのまま完璧に現れとして顕現しているんです。
もし「どこがこれの完璧なのか?」
と思うならば、それが完璧に現れています。
この言葉に抵抗感があるなら、それさえも受容能力に許され、現れています。
それに気付いて下さい、などと言いそうになりますが、そこに気付く、気付かなくても、
それそのままが100点なんです。
昔、詭弁さんという達人がおり、
全てが成功であると「百発成功」という言葉を残されましたが、
まさに、どんな状況でも全てが受容能力という意識の現れであり成功。そこに失敗はないんです。
余裕でいられたらいい、安心して見ていられたらいい、そう思うことも、とても自然ですよね。
ただ、その「そうありたい」という感覚さえも、今ここに現れては消えている、他の現象と何一つ変わらない現れ。
安心できている時も、できていないと感じる時も、力が抜けている時も、抜けていないと感じる時も、どちらが正しいということもなく、
ただその都度、そういう現れが起きているだけ。
「起こるに任せられたらいい」という願いが現れている時点で、すでにすべては起こるに任されていて、そこに例外はないのかもしれません。
だとすると、冒頭に書いたように何も問題ではなくなりますよね。
153
:
幸せな名無しさん
:2026/02/10(火) 21:53:57 ID:Mq9UWJQc0
>>152
ありがとうございます。読ませていただいていると、心がほどけて、静けさが拡がっていくように感じられます。それに、共感をしていただけたなんて、とても嬉しく思います。ありがとうございます。
>どこにも目指す到達点などなく、今のその「同一化」自体が現れなんです。一切無駄なものなどなく、十全なんですね。
渦中にいる時には、そのように感じることが、なかなかできないですが、良い悪いを判断し、何かを排除したいと思ってしまうことも、苦しいと感じてしまうことも、思考と同一化してしまうことも、そうでしかありようのない、自然な現れ、自然に起きて流れていることなのだ、と思えるようになるといいですよね。「同一化」自体も自然な現れなのですし、「私」なしで世界が展開しているような、その「私」というのも現れですし、安心して、お任せで過ごしていけそうですね。
>この純粋な意識、「受容能力」には、許され認められたものだけが現れます。ここに無駄なものはありません。
全てが完璧だと聞くと、以前は抵抗感がありましたが、最近は不足を感じていない時でしたら、「すべて完璧なのかもしれない」、と思うことができるようになってきました。不足を感じている時でも、余裕がある時でしたら、「これも完璧なのかもしれない」と思うことが、できるようになってきました。
「受容能力に許されているから、現れとして顕現している」、何かを責める必要も、問題だと思う必要もなかった、ただ現れていることに、気づいている意識としてあればいいですね。
>まさに、どんな状況でも全てが受容能力という意識の現れであり成功。そこに失敗はないんです。
詭弁さんのお話も集中して取り組みました。「百発成功」や「ルビンの壺」のお話も、とてもわかりやすく、勉強になりました。安心して、流れや無我で動くものに身を任せる、目の前のことをただ味わう、など。
>ただその都度、そういう現れが起きているだけ。
目の前のそうであることに始めから問題などなく、ただ純粋に見て、動いて、今にあれば良かったのだと思えてきました。現れては消える現象を、ただ観ている視点を確立できたら良いなと思っています。
154
:
幸せな名無しさん
:2026/02/12(木) 10:45:06 ID:jsRhtWuM0
>>153
こんにちは。
心がほどけて静寂が訪れたとは、私も書いて良かったなと思います。
こういった掲示板でも、私の言葉がどなたかのちょっとした気づきや救いになることが、私個人の幸せでもあります。
こちらこそ、ありがとうございます。
レスを読むところ、よく理解されている方のようですね。
私もそうですが、気づきのある人の文章を読むと、そこに到達せねば、わかりたい、という想いが湧きます。
しかし意識自体には不足や充足などの上下や良い悪いはなく、既に今のままですべてが完璧です。
ですから、気づきを求め実践することも完璧な現れであり、わかりたい、そこに到達せねば、という一見不足に見える動きさえも、意識の中に自然に起きている現れにすぎません。
不足を感じている時も、充足を感じている時も、
安心している時も、不安の渦中にいる時も、
どれかが正しく、どれかが間違っているわけではなく、ただその都度、そういう現象が起きているだけなんですね。
「思えるようになるといい」「確立できたら良いな」というその感覚も、とても自然だと思います。
そしてその「そうありたい」という思いさえも、今ここに現れては消えている現れの一つなのかもしれません。
確立できている時も、できていないと感じる時も、完璧だと思える時も、まったく思えない時も、どちらも同じ場所で起きているだけで、そこに遅れも不足もないように感じます。
意識は何かを選んで許しているのではなく、起きているものがそのまま現れているだけで、そこに無駄も失敗もありません。
安心して任せられている時も、
任せられないと感じている時も、
すでに任されて起きている。
気づけているかどうか、
うまく眺められているかどうか、
そのこと自体もまた現れであり、評価する主体さえも現れです。
ですから、今どの状態であっても、
そのままがすでに十全であり、百発成功なのだと思います。
155
:
幸せな名無しさん
:2026/02/12(木) 10:47:35 ID:jsRhtWuM0
ただ、これだけではつまらないかなと、私も思います笑
純粋な気づきの視点について触れておられましたので、ひとつだけ書いてみます。
今そのままで既に純粋な気づきの視点なのですが、それを覆い隠しているように見えるのが思考です。
ですから、思考に気づくということは、とてもシンプルで有効だと思います。
ただしポイントは、「気づきの視点になろうとしている思考」です。
なにかメソッドをしている時の思考の動き。
「これが視点だろうか?」
「こうするべきかな?」
「うまくできているだろうか?」
こうした「気づきを求めている思考」そのものが、実は気付く対象です。
視点を確立しようとするその動きに気づくと、探していた視点は、もともと離れた場所にはなかったことが見えてきます。
純粋な視点になろうとしなくても、
すでに、常に、気づきは起きています。
今そこに在る、拡がっている「場」がそうなんですね。
156
:
幸せな名無しさん
:2026/02/12(木) 22:58:05 ID:dTRF7PAE0
>>154
いつもご丁寧にご指導いただき、ありがとうございます。気づきそうな感じがしたりしています。こういったお話ができる機会は普段ないですので、とても貴重で、ありがたく思います。ありがとうございます。
私は以前、かなり多くのストレスがありましたので、自分を癒すことに大分時間がかかってしまいました。頭での理解も人一倍遅く、読んだものも、どんどんと忘れていってしまいますので、読書も苦手で、探求の進みがとても遅いです。でもかなり前に、なぜか彗空さんのブログにたどり着き、夢中で読ませていただいたことがありました。
>しかし意識自体には不足や充足などの上下や良い悪いはなく、既に今のままですべてが完璧です。
意識自体は、ただ観ているだけ、気づいているだけで、起こることの全ては完璧ですので、「私」はもう、サレンダーですね。「サレンダー」や「明け渡し」という言葉を聞いて、よくわからなかったのですが、このような感じの時に使うのですかね。
>意識は何かを選んで許しているのではなく、起きているものがそのまま現れているだけで、そこに無駄も失敗もありません。
意識は空っぽ、「空」ですので、現れては消えることを受け入れている「受容能力」、頭のない場所で起きていること、ですね。
>今そのままで既に純粋な気づきの視点なのですが、それを覆い隠しているように見えるのが思考です。
朝目覚めた時や普段、思考がない時、澄んでいて、静かで平安な感じが拡がっています。その状態は保てなくて、直ぐに雑念が涌いてしまいますが、「純粋な意識を保ちたい」という思いも現れですので、ただ起こるに任せていたいと思います。
>こうした「気づきを求めている思考」そのものが、実は気付く対象です。
自己観察をしていて、五感や思考、感情に気づいているものは、意識でなく、「純粋な気づきの視点」、自己観察自体が「純粋な気づきの視点」、ということであっていますでしょうか。対象となるものは思考、ということですよね。
>視点を確立しようとするその動きに気づくと、探していた視点は、もともと離れた場所にはなかったことが見えてきます。
こちらは、「視点を確立しようとするその動き」を観ようとして、思考を止めて静かに、そのことに意識を向けることで、「探していた視点は、もともと離れた場所にはなかったことが見えてくる」。思考のない、ただ在る、意識だけがある、ということが見えてくる、ということですかね。
>今そこに在る、拡がっている「場」がそうなんですね。
よく聞いてきた「それ」のことが、「場」のことですよね。内も外も境目もない、拡がっている「場」、意識が拡がっているような、「在る」ということですね。
もしもよろしければ、お名前をお伺いしてもよろしいですか。私が思っている方と、もしも違っていたらいけないですので、お伺いしてみたいと思いました。数年前に潜在意識の動画を知り、何度かまとめの動画を見て、集中して学ばせていただいている方ではないかと思いました。掲示板を直接見るようになったのは、ほんの数ヶ月前からでした。
>こういった掲示板でも、私の言葉がどなたかのちょっとした気づきや救いになることが、私個人の幸せでもあります。
とても細やかでお優しく、わかりやすい表現の仕方でお話していただけて、これまでわからなかったことが、わかるようになったり、気づけたことが、たくさんあります。また、お話をされている方々のレベルも高く、その会話の内容が、始めはよくわからなかったりもしましたが、時期をみて、また何度となく見直してみる度に、少しずつ、わかるようになってきました。まだまだですが、少しずつ前進しているようです。いつもお世話になっております。ありがとうございます。
157
:
幸せな名無しさん
:2026/02/13(金) 22:01:54 ID:XCRo01aQ0
>>156
こんにちは。
長文で丁寧に書いてくださって、ありがとうございます。
こちらこそ、こういう話ができる機会はとても貴重で、私としてもありがたく思っています。
まず、「ご指導」という立場ではまったくありませんので、どうかそう思わないでくださいね。
また、YouTubeに載るような何かを名乗る者でもありません笑
同じように探究してきた一人として、今ここで起きていることを言葉にしているだけですかね。
ストレスの中を通ってこられたことや、ご自身を癒すのに時間がかかったということも、大変な歩みだったのだろうなと思います。
「早い遅い」「前進しているいない」というのは、「こうあるべき」という思考の物差しによる比較ですよね。本来的にはそれも現れの一つですが、渦中だとなかなか抜け出せないものです。
ところで慧空さんのブログに夢中になられていたということは、「自覚」をやられていたのでしょうか?
サレンダー(明け渡し)についてですが、特別な状態に到達することというより、起きていることに対して、抵抗する主体を立て続けなくなる、というニュアンスで使われることが多いですよね。
ハーディングで言えば、
主(私)も客(その他)も、全部勝手に起きる現れです。
思考も身体も世界も、コントロールしようとする思考も、思考の所有者も、すべて現れです。
そうであるなら、降参しようもない、というのが本当のところかもしれません。
視覚に意識を向ければ、勝手に風景が起きています。
聴覚に意識を向ければ、勝手に音が聞こえています。
触覚に意識を向ければ、勝手に触れた感覚が起きています。
五感すべてが、「私」抜きに勝手に起きています。
コントロールできるなら、風景の色も変えられるはずですし、音も変えられるはずですが、そうはなりません。
そして思考も同じです。
「私は好きな思考をしている」と思うことさえ、コントロールなしに起きています。
ですから、そもそもそのような仕組みであり、任せる者も任せられる者もなく、すべてが一体で蠢いている、という感じですね。
158
:
幸せな名無しさん
:2026/02/13(金) 22:10:50 ID:XCRo01aQ0
気づきの視点についてですが、それはどこか別の視点に移動して手に入れるものではなく、今目の前に現れていること、そのものだと思います。
現象が現れた瞬間は、本来そこに主客はありません。
ただ「ある」。
たとえば赤く丸いものが見えたとします。
その瞬間は、ただ色と形があるだけです。
しかし思考がほぼ同時に「りんご」と名付けます。
名付けた瞬間に、それは「私が見ているりんご」になり、対象が固定されると同時に、それを見ている「私」という側も立ち上がります。
分離は出来事そのものではなく、名付けやイメージによる思い込みのようなものです。
もし名付けなければ、ただ色、ただ形。
そして現れに名付けをせず、ただ色だけを見たとき、本来そこに遠い近いもありません。
近くても遠くても赤は赤ですよね。
距離という概念も、思考が作る関係性の一つですので、本当は分離はなくひとつなんですよね。
ですから、「視点を確立しようとするその動き」を観るというのは、思考を止めて到達するというよりも、その動きそのものが思考だと気づくことに近いかもしれません。
その思考の動きに気づいた瞬間、
何かが「見えてくる」というより、足場が崩れる、溶け合う、という感じになります。
視点を確立しようとしていた前提が思考だったと分かると、探していたものが離れた場所にあったのではなく、最初から分かれていなかった、という感じになります。
ただ在る。
自覚で言うならば、
「気づきの視点も私の考えである」
「そしてその私自身も考えである」
ここで足場が崩れます。
非二元や悟りの知識や気づきという囚われさえも、考えであると破壊した時、レッテルのない世界が露わになります。これはけっこう強力です。
そして面白いことに、すぐに
「今のこれがそれだろうか?」
「ちゃんとできているだろうか?」
と確認しようとした瞬間、また微細に分離が立ち上がります。
確認しようとする思考が、再び主体を立てるからです。
ですがさらによく見ると、その「確認している感覚」さえも、やはり現れている側に含まれています。
分離が起きたように見えても、それも含めて同じ場に現れています。
分離している感覚も、分離していない感覚も、どちらも溶けている側の出来事です。
ですから、何かを掴んで保持するものではなく、掴もうとした動きが見えたときに、すでにそれはほどけている、という感じですね。
思考がなくなることが本質なのではなく、
思考があってもなくても、それを包んでいるものは変わらない。
その変わらなさが、最初からずっと在る、ということなのだと思います。
前進しているかどうかも、本当は測れません。
前進していると感じる思考も、まだまだだと感じる評価も、同じく現れです。
ですから安心してください。
今このままで、すでに十全です。
159
:
幸せな名無しさん
:2026/02/14(土) 23:53:39 ID:RGOFvptI0
>>157
ありがとうございます。お話させていただくことができて、とても嬉しく思います。わからないままや、違う感じで捉えてしまっていることなど、改めてわかる方向に向かえたり、確認させていただくことができたり、とてもありがたく思っています。たくさんの説明をしていただき、ありがとうございます。
ストレスがあると頭に入りづらいという思いがあったのですが、もともと読んだり、聞いたり、書いたりしても、直ぐに忘れてしまうようで、彗空さんのブログを気に入って読ませていただいたのですが、内容をほとんど覚えていないのです。また余裕ができたら、見てみたいと思っています。なかなか、ああそういうことだったのか、という理解ができなくて、でもそれも現れなのですね。
>五感すべてが、「私」抜きに勝手に起きています。
>すべてが一体で蠢(うごめ)いている、という感じですね。
一体であったものを区別して、私と対象があるように思ってしまったけれど、すべては一つの源から流れている、その大きな流れによって動いている、起きている現象、ただ起きただけ、といった感じですかね。
>現象が現れた瞬間は、本来そこに主客はありません。ただ「ある」。
ベースに、ただ色、ただ形が現れ、それと同時に気づいていて、現れと気づき自体も一つのもの、思考をした時点で分離が起きたという感じですかね。
>探していたものが離れた場所にあったのではなく、最初から分かれていなかった、という感じになります。ただ在る。
それは、すべてが頭のない場所でのことだったという気づき、といった感じですかね。「レッテルのない世界が露になる」ことが体感としてわかる、ということですね。流れにお任せです。
どうしても確認をしようとしてしまいますものね。分離も同じ場でのことで、分離自体なかったということですかね。
今のままで、すでに十全であるとは、なかなか思えないですが、抵抗が外れてくることで、ありのままを受け入れるように、自然となってくるのかもしれないですね。
160
:
幸せな名無しさん
:2026/02/15(日) 02:02:25 ID:1OFKc3jc0
>>159
こちらこそご返信いつもありがとうございます。
彗空さんは私も一時期とてもお世話になりました。
書いてあることは非常に難しく、また一般的に知られているような非二元や悟りと話しが違うんですよね。
また彗空さんの気づきによる考察もたくさんあり、今まで積み上げてきた知識が崩されることも多いです笑
しかし自分も自覚を実践していくと「これを言っていたのか!」と言う事が確実にあります。
表現方法の違いなんだなという納得や、彗空さんの方が鋭く気付いてるかも?なんてことも多い方なのでとても勉強になりました。
自覚は自己観察の変形なのですが、よりやりすく、かつポイントが絞ってあり、余計な観念を生まず、観念を手放していけるのでおすすめですね。
何より、私のハーディングの実験の感覚を深めたのが、彗空さんの自覚でした。
スレチですみません。
色々書きすぎて混乱の元になるといけませんのでこの辺にしておこうと思います。
あなたの場合はよく理解されていますし、方向も合っていますのでハーディングの実験を続けられると良いと思います。
前にも書きましたが、この視点は本当にすべてが繋がるんですよね。
頭のない場所、受容能力の中で、
許された世界のすべてがオートマチックに現れているなら、私に起こるすべても許されオートマチックに現れている。
だからこのままでOK。
もしOKと思えないなら、それもオートマチック。
これは自愛とも繋がっていますので面白いです。
また何か書きたくなったらレスしますね。
付き合っていただき、ありがとうございました。
161
:
幸せな名無しさん
:2026/02/15(日) 19:32:49 ID:C8aYI5Rk0
>>160
こちらこそです。どうもありがとうございました。
せっかく書いていただいたものに、的外れなことばかりや、余計なお話までしてしまい、本当にかえっていろいろと申し訳ないという思いでいました。お話をさせていただくような段階ではなく、読ませていただくだけにして、自分の内側を観ていく感じが良いのかなと思いました。
とても詳しくブログのお話をしていただき、ありがとうございます。また見てみたくなりました。以前とは違った感じ方をするかもしれないです。
一人でじっくりと、実験や興味のあるものを見て、深めていけたらいいなと思っています。
貴重なお時間を頂き、本当にどうもありがとうございました。
はい、また楽しみにしています。変化が起きた時には、何か質問をさせていただきますね。
162
:
幸せな名無しさん
:2026/02/16(月) 15:54:23 ID:c65E.Wp.0
>>161
いえいえ、ご質問あれば遠慮なく。
すべては勝手に起きているとお伝えしましたが、質問やメソッドもそうなんだろうなと思います。
これらも起きては消えている。
しかし、そうだからと言って、何もしないわけにもいかないですよね。
何かやらなければという衝動を何も気付きのないまま無視することはできませんし、
聞いたりやったりしなければ腑に落ちることがなく、いつまでも無明であり、エゴとしてはやっぱり探してしまいますからね。
よく「何もしなくてよい」と聞きますが、究極的にはそうであっても、時間軸の中で生きている私たちにとっては、やって知るしかないなと考えています。
よく言われるように、レイヤーが違う。
ですので、上の方で「これだとつまらないですよね」と書いた以下はすべてエゴとしての実践の内容となっています。
ぜひいろいろ試してやってみて、最終的に「やってもやらなくてもOKだったんだな」と気付いていかれると幸いです。
ではでは。
163
:
幸せな名無しさん
:2026/02/16(月) 19:12:12 ID:9/Xr.4aE0
>>162
お気遣いいただき、ありがとうございます。
そのように仰っていただけて、心強く思います。
実践をしていく中で、わからないことが出てきましたら、
質問をさせていただきたいと思うことが、あるかもしれません。
そのような時には、またどうぞよろしくお願いいたします。
書いていただきました、実践の内容も読ませていただきながら、
いろいろと試して、最終的に気づきが起きるといいなと思っています。
どうもご親切にありがとうございました。
164
:
幸せな名無しさん
:2026/03/04(水) 20:41:15 ID:I73w9Eyw0
>>150
この書き込み、ドカンと来ました!
視界と言うスクリーンに記憶を映してるだけだったんですね!
思考感情、身体的感覚、五感全部スクリーンに移してただけでした。
そしてこれは実験ですが、スクリーンの素材を今までの不足、心配から安心、豊かさと言うスクリーンにしてみます。(なる的な奴です。)
こう言う閃きも全て起こってるだけなんですけどね。
何か実感したら、また書き込ませていただきます。
165
:
幸せな名無しさん
:2026/03/08(日) 09:51:58 ID:awqfnLT60
>>164
こんにちは。
ドカンと来たようで、こちらも書いて良かったです笑
そのひらめき自体も現象として起きているとちゃんと分かっておられるようですね。
スクリーンを安心や豊かさにしてみよう、という発想も自然に起きた現れでしょうし、逆にそれをやらないという動きが起きても、それもまた同じ現れですよね。
「なる」をやるもやらないも、どちらかが正しいというより、起きることがそのまま起きているだけ。それで完璧(おっとスレチ笑)
もし実験してみて何か実感があったら、ぜひまた書き込んでいただけたら面白いですね。
どう展開していくのか楽しみですね。
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