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自己観察スレ6
116
:
幸せな名無しさん
:2025/06/04(水) 23:25:59 ID:kVNaXpdo0
>>115
過去の記憶に、胸がぎゅっと締めつけられるような苦しさを感じることってありますよね。
きっと、ふとした瞬間に思い出がよみがえり、心がざわついてしまうのだと思います。
スマホの写真や、何気ないLINEのやりとり、あるいはただ頭の中で思考が思考を呼び、「あのときのこと」が急に現れる。
そういった縁があるものです。
そんな時に大切なのは、「自分=思考」だと思い込むのではなく、「思考を見ている側のわたし」がちゃんとここにいると気づいてあげることです。
思考が起こるたびに、「あ、今こんなことを考えてるな」とただ気づいて眺める。
その「気づき」の感覚を少しずつ育てていけたら、とても心が楽になっていきます。
思考を無理に止めようとしたり、消そうとしたりしなくて大丈夫です。ただ「気づいていること」、そして「眺めていること」。
それだけで十分です。
この「眺める」という感覚に慣れてくると、次に見えてくるものがあります。
それは、「私(自分)」という存在そのものも、実は過去の記憶や思考イメージの束にすぎなかったのでは?という気づきです。
実際、多くの思考は「私はこういう人間だ」「私はこういう経験をしてきた」「私にはこんな問題がある」といった、「私」を中心に展開していきます。でもよく観てみると、その「私」とはただの記憶の集まりに過ぎないようにも感じられてきます。
もしそれが本当にそうだとしたら、「私の人生」と思っていたものもまた、ただのストーリーだったのかもしれません。
まるで映画館のスクリーンに映っている映画のように。
この映画は、「別の領域」と呼ばれる場所から上映されていたようなものです。
つまり本当のわたしとは、映画の登場人物ではなく、その上映を見つめている観客のような存在なのかもしれません。
最後に大事なことをひとつ。
思考という役者が、もうひとりの思考役者を使って「思考を止めよう」としている…。
これは、一人二役の無限ループなんです。
だからこそ、その演技からいったん降りて、「ああ、またやってるな」と気づき、ただ眺めてみる。
それだけで、自然と演技はやみ、静けさが戻ってきます。
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