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沖浦克治と語るスレッド
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理論からではなく、現実の結果から法の高低深浅を判断する。
大聖人仏法はそういう教えです。
何故こう言う功徳が創価の信心で涌現するのか?
この結果から理屈を考えます。
理屈から結果を導こうとは思わないタイプです。
大前提が自分自身の体験。
ニュートンと同じ。
りんごは何故落ちる?
創価は何故良くなる?
最初に現象があります。
事実があるんです。
それは何故?
これが大聖人仏法の教学です。
ですので、ニュートンが言った、
私は仮説は用いない。
と同じく、仮説は不要なんです。
事実として創価の信心に大きな功徳という結果がでる。
何故なんだろう?
これです。
本因妙は説明。
結果が先ずある。
その結果から原因を探る。
私は創価の信心を科学しています。
『日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず、』
(三三蔵祈雨事)
大聖人滅後700年間、久遠寺は栄大石寺は衰退しています。
この現実から見て行かないなら、六老僧はわかりません。
『例せば風に随つて波の大小あり薪によつて火の高下あり池に随つて蓮の大小あり雨の大小は竜による根ふかければ枝しげし源遠ければ流ながしというこれなり、』
(報恩抄)
やはり双方の源である、興師と向師の仏法指導者としての器の差だと考えざるを得ません。
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