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沖浦克治と語るスレッド
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おはようございます、皆様方。
私が五老僧の見直しを考えたのは、30年以上前でした。
当時創価学会は、五老僧を裏切りの見本、として捉え、池田先生もしばしはそういう指導をされておられました。
そういう時代にあって私が疑問に思ったことは、戸田先生の青年訓の一節と、御講聞書が戸田先生と堀さんが編纂された御書全集に収録されてることでした。
『釈迦教団の中心人物たる舎利弗にせよ、阿難にせよ、皆若き学徒であった。
日蓮大聖人の門下も又、皆若き青年学徒によって固められていたのである。
日興上人は大聖人より二十四歳も若く、日朗も又二十一歳の年のひらきをもっていた。』
(青年訓)
歴史的な激励と遺言である戸田先生の青年訓。
その中に、興師と朗師が列挙されている。
そして、御講聞書は向師によるものであるに関わらず、御書全集に収録されている。
十代を終える頃からずっと疑問に思い、常に心の片隅にありました。
ある時に読んだ人間革命には、日持師の外蒙古までの布教の旅、そしてそのまま消息を絶たれたことが書かれてありました。
更にはアイヌごで日本人をシャモと呼ぶのは、日持師が自らを沙門と名乗ったことが語源とされています。
私はこれらをつなげて考えるなら、これまでの五老僧への評価は見直すべき時が来ると思っていました。
当然当時は日蓮正宗にいましたので、そういう事への自由な論議は不可能。
今、めでたく破門を勝ち取り、ようやく議論や討論が出来る時代となりました。
まことに佳き時代となったものです。
これひとえに池田先生の不惜身命の戦いのおかげでございます。
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