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沖浦克治と語るスレッド
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巌虎さんの所で少々書いております。
その中で顕正会の主張する国立戒壇について少し説明いたします。
『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王帝釈等も来下して・給うべき戒壇なり、』
(三大秘法禀承事)
衣文はこの御文。
勅宣とは勅命の宣旨。
御教書はごぎょうしょと読みますが、現在はみきょうしょとも読んで実際に政治をつかさどる権力者からのもの。
要するに時の権力からの命令の書。
現在は民主主義の時代ですので、民衆の総意。
ウキペディアから引用致します。
なお、創価学会第2代会長の戸田城聖は「戒壇建立」について昭和31年(1956年)11月1日時点で「未来の日蓮門下に対して、国立戒壇(本門の戒壇)の建立を命ぜられたものであろう。」[2]と発言しており、戒壇を建立する主体はあくまで日蓮門下であって国ではないことを明言している。
〜引用終わり〜
創価学会が以前唱えていた国立戒壇は国家権力によるものではなく、民衆の要請によるものだと、最初から定義づけられていたことが明らかです。
更に、三位日順はその著である心底抄で、
戒壇の方面は地形に随うべし、国主信伏し造立の時至らば智臣大徳宜よろしく群議を成すべし、兼日の治定は後難を招くに在り、寸尺高下註記すること能あたわず。
以上のように述べております。
現在の硬直したような解釈はしておりません。
何れにせよ、世界広布達成の暁にはそれなりのシンボルとしての大伽藍が各国書く地域に必要であることは論を待ちません。
ご本尊でさえ大聖人は以下のように書かれておられます。
『爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、』
(日女御前御返事)
旗印(はたじるし)とは実際に敵に切りつける武器ではございません。
あくまでも戦いのシンボルです。
当然ご本尊を武器に例えられた御文もございますが、この文を読む限り御本尊にはシンボルとしての性格を強く持たされていたことが拝せます。
ご本尊ですらシンボルとしての側面を強く持つのですから、当然シンボルとしての大伽藍は必要です。
問題は、その大伽藍建立が目的となってはならないことです。
あくまでも、広布達成時に民衆の中から機運が盛り上がって建立される。
これでないとなりません。
顕正会さんのように本門戒壇の大伽藍建立を目的としてしまうなら、これは大聖人仏法からの逸脱でしかございません。
『
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