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沖浦克治と語るスレッド
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他板での対話からです。
>池田名誉会長に伏せ拝すると、幹部会員の首が飛ぶと
いうのは初めて聞きましたね。
半世紀ほど前でした。
神戸の育英高校に池田先生が来られ、私は警備で下が先生の声が聞こえる場所にいたのです。
あるご老人が先生を拝みました。
すると先生は、「
『私を拝んではいけませんよ。
拝むのは御本尊様だけです。』(趣意)
優しく諭されて、その後そばにいた幹部に少し厳しく言われました。
『君達はこういう事が無いように普段からキチンと指導しておきなさい。
私を拝んだら邪宗です。』(趣意)
明快に言われましたし、直ぐ組織にはこの話が流れ末端まで徹底されました。
私はそのことを同時進行でよく知っている一人です。
普通の創価学会員で池田先生を拝む人はいません。
>昔、学会婦人部員達が池田名誉会長のお宅の前を通る
時、手を合わせるという話を顕正会時代に聞いたもので
すが……。
私も他人に手を合わせて祈りを送ることがしばしばございます。
先日も友人のお通夜で、御棺の中の友人の顔に方便自我偈を唱え少々唱題致しました。
又、生きておられるお方にも、福運の興隆や無事故等を祈って、手を合わせて唱題することはしばしばございます。
外目にはその人に祈りを送っているのか、その人を拝んでいるのか判別出来ません。
然しながら、お通夜での祈りも、例えば聖教新聞を配達して下さるお方などへ感謝の祈りをおくる時、信仰の対象として祈る事とは全く異なる行為です。
この点はキチンと把握しておかないといけませんね。
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