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沖浦克治と語るスレッド
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戸田先生が仏法上どういうお方なのか?
御書を引用致しましたが、私の師匠の言も引用致します。
『大聖人は広宣流布を予言された。
然し亡くなられた。
その後700年全く広まらなかった。
そしてあの戦争です。
既に大聖人仏法は滅びんとしていました。
その時戸田先生が御出現なされ、牢獄の中で 我地涌の菩薩の棟梁なり!と叫ばれた。
すると、一気に広まった。
まさに大聖人滅後七百年で、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、の御文を身でお読みになられた唯一のお方です。
不思議なことに、戸田先生は大聖人から丁度な七百年です。
仏法では三とか七と言う数字は特別な意味を持ちます。
そういうふうに考えると、戸田先生と言うお方の仏法上のお立場が見えて来ます。
但し、生命論のわからない人、所謂信心のない人にはわかりません。
経文には地涌の菩薩は法性の淵底から出現すると説かれてあります。
その通り戸田先生は牢獄の中と言う最も低い所で宇宙の仏界に題目を唱え悟られました。
御本尊はありません。
数珠も無いんだもの。
牛乳瓶の蓋で数珠をこしらえられたのは有名な話です。
大聖人も悟られた時御本尊はありません。
戸田先生もそうです。
それは牢獄に入られる以前は御本尊を拝まれました。
然し牢獄には御本尊は無い。
戸田先生が悟られたのち牢獄を出て自宅で最初にされたことは、御本尊を間近で見ることでした。
戸田先生は極度の近眼で御本尊の相貌をご存じなかった。
それが手に取るように分かった。
戸田宣先生と言うお方は公平に見て当時世界一の実力をお持ちの方でした。
諸君たちは戸田先生とお会いできなくて気の毒です。
でも、私がいます。』(趣意)
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