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沖浦克治と語るスレッド
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悟りの事ですが、学さん。
御本尊のまで唱題する時、悟りたい、悟りたい!と願う以外に無いと思います。
御書にあります。
『幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云、虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき、』
(善無畏三蔵抄)
大聖人自ら願を立てて祈った結果悟りを得られた。
戸田先生の獄中の悟達も同じですね。
無量義経徳行品第一の。
「其の身は有に非ず、因に非ず縁に非ず自他に非ず……」と三十四の、非ず。
「其の身」が仏の身を指していることは理解できましたが、三十四の否定が何を表現しているのか?
『この文は何を意味しているのか?
わかりたい!分かりたい!』(趣意)
唱題に乗せて宇宙へ放った祈りが悟りをもたらした。
『仏とは生命だ!!』(趣意)
私ごとで恐縮ですが、あの大罰の最中、
御本尊とは一体何なのだろう?
常に考えていました。
ある時の、ことです。
壮年部が大白蓮華の池田先生の開目抄講義の勉強をしている会合でした。
講義を聞きながら、大白蓮華をぼんやり読んでいると、解釈に方便の文字がありました。
その途端、閃きました。
そうか、御本尊とは方便なんだ!
悟りってそういう物なんだと思います。
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