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ソメルゼさんの教学部屋
151
:
首都高バトル01
:2012/06/04(月) 00:25:27 ID:zLvwUaR.0
*考察。
法華経を実践する者には、虚空会の儀式であらゆる諸天が
末法の法華経の行者を守る誓願を立てている。「 一切の諸天・不退に守護すべき経文文明なり〜臨兵闘者皆陣列在前 」である。御書p1070
釈迦如来、多宝如来がうなずき合うように、依報にある非情界は、正報の有情界が十法界の衆生の現れた生命を受け止めると言うことである。つまり国土が十界のそれぞれの相になるのは、人々、衆生の心の現れである。衆生の心清ければ寂光土となるのである。しかし寂光土は、衆生の心清ければ寂光土となるが単なる人々の心が写っているだけなのかと言うとそうではない。人がいようがいまいが、元々は寂光土なのである。源は絶待である。考察あれ。
仏の国土、仏国土は仏が住すから仏国土。それだけではない。
国土そのものも仏の身体なのである。源、本源が絶待ならば国土、世界は仏そのものである。ここに依正不二の原理から国土、世界は寂光土も仏と寂光の仏が、
穢土、娑婆世界の姿を現しているにすぎない。娑婆世界の非情界のものすべては、釈迦牟尼仏(と分身)なのである。問う、仏が娑婆世界なら非情有情すべて釈迦牟尼仏ではないのか!答える、これより先は難信難解に入っていく。
非情界は空の領域に入っている(中有)非情界はどこまでが釈迦牟尼仏でどこからが万象の生命なのか、区切る地点は、凡人の身であるので答えることはご容赦願いたい。ただ言えることは、仏界を中心に九界があるごとく、また人の体から十界の生命が現れるごとく、大地という体から数々の生命が誕生する。
草木にもなる仏なら、仏だけでなくあらゆるものを生命と捉えるとあらゆる生命も草木になったりすると言うことである。十界の衆生の生命に従い衆生の相と同じ相を現すが娑婆世界を釈迦牟尼仏と確定して、そこに誕生する非情界の生命は、釈迦牟尼仏と万象の生命が混合一体となって存在すると言うことである。
(十界内在、十界互具の生命があるごとく)さらに非情界の万象の生命は釈迦牟尼仏と不二の関係にある。釈迦牟尼仏と非情界の万象の生命は共存共栄で一体である。いやさらに別体でありながら溶け込んでいる。問う!木が森に溶け込んでいるのはわかるがそれでも大地と木は別々で溶け込んでいるようには見えないではないか!答える。溶け込んでいると言う表現が理解を妨げるならば大地と木、木から大地に手を差し伸べるように大地と木は固い絆で結ばれている。
続く、、、。
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