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私共の拝むj御形木御本尊に関する話題

75:2010/10/06(水) 20:52:04 ID:Kn7J7nnI0
高速さん こんばんは


>>70
 
わたしには、難しいです。
ごめんなさい。
勉強不足です。


参考にしてください。↓




御義口伝

五百品
     日本国一切衆生  題目御本尊  心法色法 煩悩即菩提生死即涅槃
      貧人       見此珠    其心大歓喜
                       信心ノカタチ
 此の文は始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり。


   ↓

●「我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり。」


一生成仏抄
「一心法界の旨とは十界三千の依正色心非情草木虚空刹土いづれも除かずちりも残らず一念の心に収めて此の一念の心法界にx満するを指して万法とは云うなり、此の理を覚知するを一心法界とも云うなるべし」





  寿量品廿七箇の大事
第一 南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事
 文句の九に云く如来とは十方三世の諸仏二仏三仏本仏迹仏の通号なり別しては本地三仏の別号なり、
寿量とは詮量なり、十方三世二仏三仏の諸仏の功徳を詮量す故に寿量品と云うと。
 御義口伝に云く此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり、
如来とは釈尊惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、
今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、
されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、
寿量品の事の三大事とは是なり、六即の配立の時は此の品の如来は理即の凡夫なり頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり、
其の故は始めて聞く所の題目なるが故なり聞き奉りて修行するは観行即なり此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり、
さて惑障を伏するを相似即と云うなり化他に出づるを分真即と云うなり無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり、
惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず唯凡夫の当体本有の侭を此の品の極理と心得可きなり、
無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり云云





唯凡夫の当体本有の侭の自分が 南無妙法蓮華経の本尊だと信じる事では、ないでしょうか?


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