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私共の拝むj御形木御本尊に関する話題
148
:
沖浦克治
:2010/10/09(土) 11:32:19 ID:AJ3hr85o0
日蓮正宗の歴史を見ればわかりますが、寛師以前、約100年間に渡って要法寺から、法主が来ていました。
その期間、当然、大石寺は、要法寺の下に位置づけられていたのです。
寛師はその現状を打開するために、色々考え、戒壇本尊本懐論を作ったんですよ。
大石寺にある戒壇本尊が大聖人出世の本懐で、三大秘法の当体なら、日蓮系において、大石寺が絶対の権限を持ちます。
ですので、観心本尊抄文段で、弘安2年10月12日の戒壇本尊こそが究竟中の究竟、本懐中の本懐だと主張したのです。
ですが、そう言うことは、御書に一言も書いていませんし、興師も目師も、書いていません。
そして何よりも、聖人御難事と同じ月に、三世諸仏総勘文教相廃流と言う法門の大事を書かれた御書に、戒壇本尊は一言も触れられていません。
極めて不自然です。
また、道師の書いた、三師御伝土代にも、熱原法難機縁の御本尊図顕が書かれていますが、戒壇本尊とは全く無関係です。
寛師は戒壇本尊本懐論を証明するために、御書の引用をしておりません。
只、後付の日にち合わせのみ。
極めて根拠が薄弱です。
これらをかんがみれば、戒壇本尊が出世の本懐で無いことは明らかです。
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