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本尊について

89白麦:2009/05/28(木) 02:54:29 ID:rXycI3ig0
沖浦さんへ、こんばんは。
>>88間違えて、投稿してしまいました。




『法華弘通のはたじるしとして』

 この通り御本尊様は、広宣流布の根本なんです。
 戸田先生は、御本尊様を、

 『大聖人様の生命。』(趣意)

 と言われました。
 眺め人は、読めない、読まない、理解できない、理解しない。
 本来、仏法は人のための法です。
 究極は人法一箇の大聖人の仏法です。
 人を救うために仏法がある。
 急患を救うためにドクターヘリを導入する。
 ドクターヘリを飛ばすために、病人がいるわけじゃないのです。
 病人がいない社会。
 これが理想でしょう。
 病人がいないとヘリはいりません。
 ですから、この喩えは究極の仏法の喩えとはならないのです。
 
 仏法は、世の中が乱れた時も平安な時も流布します。
 絶えず仏と魔は戦っているからです。
 歴史的な事実です。
 人を救うための法だからです。

 私と貴方、他の方々、人生は本人が生きる。
 他人の人生と変われません。
 子供が大病で苦しむ。
 親は、代わるものなら代わってやりたい。と思います。
 でも、代われません。
 本人じゃないからです。
 この体験する本人(五陰・衆生世間)がその方の人生での正報です。
 その方を取り巻く全ての環境(国土世間)が依報です。
 
 『依報あるならば必ず正報住すべし、』
 (諸法実相抄)

 住する衆生すなわち正報と、それぞれの国土すなわち依報とが
 一体になっているのが、生命の真実のありかたです。
 理の当然としてこうなります。
 仏法はその様な教えなんですよ。
 眺め人は読めない。
 なぜか?
 他人を破折攻撃するための御書の勉強だからです。
 修羅なんですよ。
 ご本仏様が命を懸けて書かれた御文。
 他人を攻撃に利用するのみ。
 大謗法です。

 同苦の祈りのない人は、人間革命は致しません。
 ゆえに宿命転換もありませんし、生きる喜びは沸かないのです。
 可哀相ですね。


自分の人生においては、御本尊を根本にした生き方が本地であり、
その他の生き方は垂迹です。


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