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本尊について

88白麦:2009/05/28(木) 02:31:27 ID:rXycI3ig0
『法華弘通のはたじるしとして』

 この通り御本尊様は、もったいなくも道具なんですよ。
 戸田先生は、御本尊様を、

 『大聖人様の発明。』(趣意)

 と言われました。
 眺め人は、読めない、読まない、理解できない、理解しない。
 本来、仏法は人のための法です。
 法のための人じゃありません。
 人を救うために仏法がある。
 急患を救うためにドクターヘリを導入する。
 ドクターヘリを飛ばすために、病人がいるわけじゃないのです。
 病人がいない社会。
 これが理想でしょう。
 ですから、病人がいないとヘリはいりません。
 仏法は、世の中が乱れに乱れた時にしか流布しないのです。
 歴史的な事実ですよ。
 人を救うための法だからですよ。

 私と貴方、他の方々、人生は本人が生きる。
 他人の人生と変われません。
 子供が大病で苦しむ。
 親は、代わるものなら代わってやりたい。と思います。
 でも、代われません。
 本人じゃないからです。
 この体験する本人がその方の人生での本です。
 正報ですね。
 その方を取り巻く全ての環境が、人間関係も、仏法全ても含めて依報です。
 環境はそれ自体では存在できないのです。
 これが自分の環境だ。と感じる主体が必要不可欠です。
 
 『依報あるならば必ず正報住すべし、』
 (諸法実相抄)

 ですから、大聖人様も含めて、師匠も含めて、貴方や私の人生は私や貴方が正報、それ以外は依報。
 自分が本、他は環境で依報だから迹。
 理の当然としてこうなります。
 仏法はその様な教えなんですよ。
 眺め人は読めない。
 なぜか?
 他人を破折攻撃するための御書の勉強だからです。
 修羅なんですよ。
 ご本仏様が命を懸けて書かれた御文。
 他人を攻撃に利用するのみ。
 大謗法です。

 同苦の祈りのない人は、人間革命は致しません。
 ゆえに宿命転換もありませんし、生きる喜びは沸かないのです。
 可哀相ですね。


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