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本迹に関して対話するスレッド
101
:
蘭太郎
:2008/11/16(日) 07:42:57 ID:obDPCy620
沖浦さん、
>本迹と、勝劣を同じで論じると駄目なんです。 勝劣はある意味では絶対的な優劣なんです。
意味が解りません。
五重相対は大聖人様のお説き遊ばされた教判です。そこには明らかな優劣があり絶対的な勝劣です。
治病大小権実違目に曰く、
『法華経に又二経あり所謂迹門と本門となり本迹の相違は水火天地の違目なり、例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違あり爾前と迹門とは相違ありといへども相似の辺も有りぬべし、所説に八教あり爾前の円と迹門の円は相似せり爾前の仏と迹門の仏は劣応勝応報身法身異れども始成の辺は同じきぞかし、今本門と迹門とは教主已に久始のかわりめ百歳のをきなと一歳の幼子のごとし、弟子又水火なり土の先後いうばかりなし、而るを本迹を混合すれば水火を弁えざる者なり、』
小乗小仏要文に曰く、
『玄義の七に云く「若し迹因を執して本因と為さば斯れ迹を知らず亦本を識らざるなり天月を識らずして但池月を観るが如し』
斯く本迹の違いは歴然です、
自説を建てんが為に教判を歪めるのはダメです。
日蓮門下とは言えません。失格です。
声は本
響きは迹よ
ほととぎす
何方の句かご存じでしょうか。
例えば、地下道かトンネルの中で手を打ちます。瞬間パンと鳴り 残響が続きます。
手を打ち鳴る音は実体があり、後に残る残響音に実体はありません。
法華経の本迹とはこう言うものだと。
実に簡単明解、すばらしい句だと思いませんか。
さすがは日寛上人様。
貴方の本迹論は、便秘の屁みたいなものですよ。
音も嫌われるが、後に残る異臭には我慢ならない!!
勘弁ねがいますよ、ホントに。(~ヘ~;)
旅人氏の仰る如く 諸法実相抄の御文の前文には『されば釈迦多宝の二仏と云うも用の仏なり、』とあり、後の『此の釈に本仏と云うは凡夫なり迹仏と云ふは仏なり、』の 「迹仏は仏」とは釈迦多宝の二仏を指すのは明白です。
日興門流にては師伝を以て御書を拝します。
どうやら貴方は 日蓮門下でも 日興門流でも無さそうですね。やはり身延の一致派?(大嗤)
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