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本迹に関して対話するスレッド

10沖浦克治 ◆sFO4WcF4K2:2008/11/12(水) 08:14:29 ID:AJ3hr85o0
 『法華経に云く「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり是の如き人は諸仏の歎めたもう所なり、』
 (守護国家論)

 ご本尊様に祈って、歓喜するのは祈る本人です。
 我即ち歓喜す。です。
 祈れば分かりますが、喜びは自分の命の中から沸き出てきます。
 曼荼羅から伝わって来ません。
 命の中からなんですよ。
 湧現と言います。
 これが仏法の内道たる所以です。
 祈ってない人にはわかりません。

 曼荼羅が本。
 これはね、祈りを体験してない人です。
 御書にあります。
 伝教は何もなしで悟った。
 命に湧現したんですよ。

 『賢人と申すはよき師より伝へたる人聖人と申すは師無くして我と覚れる人なり、仏滅後月氏漢土日本国に二人の聖人あり所謂天台伝教の二人なり、此の二人をば聖人とも云うべし又賢人とも云うべし、天台大師は南岳に伝えたり是は賢人なり、道場にして自解仏乗し給いぬ又聖人なり、伝教大師は道邃行満に止観と円頓の大戒を伝へたりこれは賢人なり、入唐已前に日本国にして真言止観の二宗を師なくしてさとり極め、』
 (妙密上人御消息)

 ほらね、曼荼羅出てきません。
 師の存在が助縁か、自ら悟るか、どっちかです。
 第一、伝教は曼荼羅ありません。
 拝んでませんよ。
 所詮、仏法は人から人です。
 曼荼羅から人じゃありません。
 では曼荼羅はなぜか?
 道具ですよ、悟るための武器です。
 使うのは人。
 ピアノ弾きのピアノと同じです。
 武士の刀です。
 使う人が弱いと駄目ですね。

 『但し御信心によるべし、つるぎなんどもすすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼にかなぼうたるべし、日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給』
 (経王殿御返事)

 この様に、大聖人様がご自身の顕されたお曼荼羅を武士の刀だ。と、明言されておられます。
 これじゃ困る人種がいるんです。
 日蓮正宗にいる出家って奴らなんですよ。
 アレらは、何が何でも曼荼羅が神秘で摩訶不思議にしておかないと、信徒支配が出来ないんです。
 俺たちゃこれほどありがたいんだぞ。
 後ろに曼荼羅控えてる。
 この類です。

 曼荼羅本の方。
 いい加減に日蓮正宗辞めたら如何?


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