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白書さん
:2009/08/21(金) 05:32:46 HOST:u598232.xgsnu1.imtp.yokohama.mopera.net
440 名前: やまだ (SN8T65kQ) 投稿日: 2005/02/19(土) 15:52:41 [ oUbUZyMU ]
池田氏の学問観は、次の一節に表れています。「「マスコミ論」は、だれでも見ているテレビや新聞を評論するだけで、理論も体系もない」
逆にすれば、池田氏はまともな学問は、「理論や体系」があり、誰でも接してるようなものではないことをやる、ものということになります。理論や体系という言葉は実はかなり曖昧です。今でこそ確立された「理論や体系」があっても、それができる前に、それに至る営為は、池田氏に言わせれば学問ではないわけです。化学は学問だが、錬金術や占星術はそうではない、と池田氏は思っているのでしょう。しかし、科学史を少しでもかじっていれば判ることですが、そうした学問か否か、科学か否かは、その同時代の社会がそれをどのように制度化するかという違いでしかありません。そして制度化の程度からいえば、マスコミ論は着実に現代日本で制度化されているわけです。もちろん、あと50年、100年経った時に、21世紀初頭にはこんなものまで大学の講座があったのだと嘲笑されている可能性もあります。しかし、それはあらゆる学問について等しく開かれている可能性です。
また、だれでも接しているからこそ大事な問題だというのが、社会科学的に健全な感覚だと思います。また、視点を変えればメディアの送り手研究は池田氏の批判の対象にはならないのですから、むしろ「マスコミをやめた老人」の多くがやっている、<だれもが見ることのできないメディアの現場について評論する>ことが学問らしいということになります。「テーマは「知る権利」とか「プライバシー」とか「メディア規制」とか十年一日だ」というのは、それがマスコミ論の体系の中心にあるものの一つだからです(テーマが同じでも論じられる中身が十年一日かどうかまで理解した上で池田氏は議論しているか否かはまた別の問題です)。池田氏が実際に、メディアOBの一部にありがちな言説をどう思っているか、興味深いところです。
それから、「こんな話ばかりでは学問として格好がつかないので、...もっともらしい理屈をつけたのがカルスタだ」というのも奇妙に思います。学問はテーマの選択によって格好をつけるようなものではないからです(それにしても、池田氏は「理論/体系」と「理屈」をどう使い分けているのでしょう?自分が支持する、あるいは理解可能なものが前者で、そうでないのが後者、なのかな?)。
池田氏は、マス・コミュニケーション学会について「自分たちは「文化」を担う特別な存在だと思っているらしいが、インターネットの普及でその存在意義もあやしくなってきた」と述べています。後段は、2重の意味で書き飛ばしだと思います。一つには、従来型のマスコミがインターネットに呑まれてしまう、という言説が、テレビに普及によって新聞は消える、というのと同様に、一種の狼少年言説であり、従来型のマス・メディアは位置付けや社会的意義は変化していくとしても、その移行には時間がかかるという事実を無視しているからです。
また、もう一つ、もっと単純にいえば、インターネットの普及自体がこの学会では議論の対象となっているということを池田氏は無視しています。また、もし、前半のように思っている人たちがいるとすれば本当に問題だと思いますが、はたしてそうなのでしょうか。むしろ池田氏のように、一方で。自ら「テーマは「知る権利」とか「プライバシー」とか「メディア規制」とか十年一日だ」と断じたテーマで、既存の議論を踏まえた(批判的に乗り越える場合も、踏まえたことに違いはありません)議論を展開していながら、こうした文章も書き飛ばす姿勢の方が、自分を「特別な存在」のように思っているように感じられます。
ttp://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/03030009.html
ttp://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/02010100.html
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