したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

テスト

51白書さん:2009/08/21(金) 05:30:48 HOST:u598232.xgsnu1.imtp.yokohama.mopera.net
まず、<コミュニケーション学部に当てはまる>といえような部分を列挙して見ましょう。
コミュニケーション学部のコンセプトが、「コミュニケーション」をキーワードにして諸学を結び付けるところから新しい体系を模索していこうとする学際的な試みである以上、「理論も体系もない」という池田氏の「マスコミ論」批判は、コミュニケーション学部についても、どこまで行ってもついて回ると思います。
また、文化論をカリキュラムの中に組み込んでいる以上、カルチュラル・スタディーズ的な内容も入ってくるでしょうし、「映画や漫画に小むずかしい理屈をつけただけ」の「文化的雑談」と池田氏なら判断するような授業も多いと思います。自分の仕事は、自分では位置付けが難しいのですが、CSに関する文章も書いてきましたから、私がCS的な研究をしていると思っている人もいるでしょう。
「古くさい左翼の発想」かどうかは判りませんが、「「読み解く」だけ」という内容の授業もあります、というよりも、ぜひとも必要です。自力でテキストを読むことができる段階に達するまでのリテラシー教育は非常に重要だと思います。私自身そういう部分を授業に取り込んでいますし、論文として書いてもいます。ちなみに、私自身、組合活動なども積極的にやってますから、本人の自覚とは別に左翼よばわりされても不思議ではありません(本物の左翼が怒りそうですが)。

それから、コミュニケーション学部には、語学系の教員もいますし、社会学専攻者もいます。コミュニケーション学部としては当然です。
池田氏は、「どこの大学でもリストラの対象になっている語学教師」としていますが、東経大でも語学教員の数は徐々に圧縮しています。また、池田氏の言うように社会学が「学問として先のない」状況なのかどうかは判りませんが、大学の教員採用が「失業対策である」といえば、それはあらゆる学問と同様にその通りです(それでも行き先のない大学院生は山積しているわけですが)。
文末の柄谷行人氏の指摘はその通りです。筒井康隆の『唯野教授の講議ノート』にある「一杯のかけそば」のポストモダン分析のように、そうした行為に伴うある意味での滑稽さはよく判ります。


439 名前: やまだ (SN8T65kQ) 投稿日: 2005/02/19(土) 15:49:47 [ oUbUZyMU ]

>>428(つづき)
一方で、池田氏の文章には、ここのレスと同じレベルの書き飛ばしが目立ちます。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板