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明知と解脱

8和井恵:2014/02/20(木) 13:23:33 ID:/qZ2M5.20

> 偉大な菩薩は、

この言葉はNGワードです。
何故ならば、この言葉を認めると「偉大な菩薩」と「そうでない菩薩」の二つの概念(常見)が生起するからです。
そこに、「選民意識(うぬぼれ・慢心・俺は特別な存在なんだ)」が生まれる条件(二元の分別)が現れるのです。
そうではなく、菩薩はすべて偉大であり、そしてそれは誰もが成れる「目標(最高の自己表現)」なのです。
この世の中に、菩薩に「成れる人」と「成れない人」の二種類の別々の人たちがいるわけではありません。

> 現世で成就するまでに、のたうちまわるほどの苦痛を感じるものだ

誰もが、成就する(解脱を得る)までは、煩悩によって悩まされ、苦しめられ、のたうちまわります。
それは、菩薩の素質があるないと言うよりも、「苦を滅する方法」を知らないからなのです。

そして、釈尊も他の成就者たちも、「同じ」阿羅漢果を得ていました。

では、どこが異なっていたのかと言えば、道なき道を独自に切り開き「道」を開拓した人と、
その「道」を聞いて(教えてもらって)、その道を歩み、辿り着いた人の違いでしかありません。

しかし、最初に「道」を切り開いた人は、魁(さきがけ)として、先導者として、とても苦労をするのです。
しかし、それらの苦労(トライアル・アンド・エラー)こそが、他の人を導くときの役に立つ財産になるのです。

ですから仏教では、最初に阿羅漢果を得た人を「仏陀」あるいは「如来」として、尊敬したのです。

自己のみのことを考えるならば、同じ阿羅漢であると言えるのです。
しかし、他のひとたちの「苦しみ」を滅する手助け(救済というような上から目線はNG)をする時、
その経験値の差が、その能力の違いとなって現われるのです。


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