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涅槃

7:2013/10/07(月) 12:19:36 ID:x0SqdRKg
涅槃は、貪・愼・痴の滅尽された境地ですので、この境地に至ると言う事は、当然それに対応する受は滅尽されています。そしてその受が滅尽されていれば、当然、執着も消滅している事から、迷いの生存の世界も滅尽されており、つまりは、老死も滅尽されていますね。これが不死を得ると言う事であり、迷いの生存が滅した処に死はないと言う事ですね。

1094 いかなる所有もなく、執著して取ることがないこと、──これが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。

そして無明が滅尽されていると言う事は、続く無明ゆえの行も滅しており、妄執のない寂静なのですね。そしてその寂静の境地を、新たな対象として想起(妄執相の生起)させないと言う理解です。

733 正しく見、正しく知った諸々の賢者・ヴェーダの達人は、悪魔の繋縛にうち勝って、もはや迷いの生存に戻ることがない。

ここで言う「悪魔の繋縛」とは、十結の事ですね。

184 「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみを超え、知慧によって全く清らかとなる。」

1146 (師ブッダが現れていった)「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。」

人は、信仰により激流を渡り、漏尽智等の智慧により清らかになりますが、その激流を渡りきったのであれば、その信仰をも捨てなさいよと言う最後の釈尊の教えなのですね。そうすれば、十結を断じた「死の領域の彼岸」=涅槃に至っているだろうと。これが、有余依涅槃ですね。

間違い等ありましたら、ご指摘をお願いします。(上記引用は全てスッタニパーダです)


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