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色界
9
:
和井 恵
:2013/06/24(月) 05:44:17 ID:GE8fIX9k
> 上記のご説明では「無所有処」を黒板やホワイトボードのような・・全ての存在のベースであると言う事なのですね。
つまり、中国思想(易経)で言う「太極」、あるいはインド思想の「ブラフマン」などの一元思想は、この世界(境地)と対応するのです。
> 不思議なのが、四聖八聖道の行で慧の行を修したとして・・なぜに次からの段階で心の解脱を目指すような行が組まれているのかです。
> つまりは、四禅定の修業の第四禅で不苦不楽の境地で正定の確定と言う事で、その境地を捨する事で慧の解脱を果たせたのであれば、
> この時点で無明は滅尽しています。
相応部経典12.70「因縁相応 47 スシーマ(須尸摩))」には、慧解脱のみで、無色界の瞑想も体得せず、六神通も持たない比丘たちが登場します。
※参照 →
http://blog.goo.ne.jp/waikei2008/e/1bf4fb22395af520f88e38da46a3c6bd
この経典を誤読して、だから釈尊の教え(修行)は、それらの世界や神通力などとは関係ないものなのだ…と主張する人もいますけどね。
…つまり、修行者の「気根(特性・向き不向き)」というものは、人それぞれなのです。
修行者は、大きく分ければ
1.観タイプ ( 随法行 → 見到 →慧解脱 … 慧解脱のルート )
2.止タイプ ( 随信行 → 信解脱 → 身証 … 心解脱のルート )
── の、二つのタイプに分類することが出来るでしょう。
「四禅定」だけで、「無学(それ以上修行をする必要のない人)」に達る人もいれば、
それよりも、行者(止)タイプで、止瞑想の方が得意だと言う人もいるのです。
それらの弟子たちを、全てを漏れなく涅槃に導くシステムが「九次第定」なのです。
(四禅定の後でないと、無色界の瞑想だけでは、最後の、想受滅へは到れません)
そしてまた、「自利(自己の解脱)」だけならば、確かに、慧解脱までて充分なのです。
しかし、「利他(後輩たちへの善導)」を考えた場合、「倶分解脱」の方が、より多くの人たちに対応できるということです。
釈尊の教えは、そこまでの道筋を(本人がそこまで行くかどうかは別として)示してくれているのです。
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