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四句否定
12
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:2013/06/03(月) 12:03:29 ID:haDDP0xo
釈尊の教えを元に瞑想中に心の中で、初めは言葉や思考によるイメージを作り出してそれに集中する事により、楽味・味著に対する危難・過患の想を作り出し、それを観察します。⇒有尋有伺定と言う理解です。
そしてこれを繰り返す事によって、やがて言葉や思考をイメージしなくてもその危難・過患の想が一瞬で再現出するようになってきます。⇒無尋有伺定と言う理解です。
そしてこの二種類の瞑想を集中して行っていると疲れてきて、又、集中が途切れてきますので、それを緩和させる為に行われる「想もイメージせず、それを観察もしない」と言う状態・・・そして最終的に無色界定では、何も対象とせずただこの状態で、ほんの僅かな危難・過患の想を観察(伺)している状態での瞑想であり、この場合、当然「掉挙」と言う心の浮つきも消え去る事になりますね。と言うのが現在の無尋無伺定と言う理解です。
ですので観瞑想は「有尋有伺定」「無尋有伺定」で、止瞑想が「無尋無伺定」となると言う理解です。
>『 原始仏典・和訳&解説 @ 和井恵流 』の方に、
>解説なども、同時に書き加えて、早めにUPする予定を立てました。
>ですから、少しお待ち頂きますが、それで原典〈一次情報〉を参照してください。
有難う御座います。上記は現在の理解ですが、三種の定がもしも私が今イメージしているものと遠くないものであるのならば、心の奥底のかなり些細な動きを文字で表現されているように感じます。。。尋と伺・・・それとリクエストなのですが、お暇なときで結構ですので「中部10経 念処経」の和井さん流の訳と解説をUPして頂けないでしょうか・・
宜しくお願いします。
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