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大日如来はブラフマン

6和井 恵:2013/05/27(月) 03:33:24 ID:EgcCTBig

> 中論の帰敬序で、初めに八不、続いて
> 「戯論の寂滅という吉祥なる縁起の理を説きたもう仏陀を、
> 諸々の説法者のうちで最も優れた人として敬礼する。」と書かれていましたので、
> てっきり釈尊の教えを十二分に理解した龍樹が中論を書き上げる(説く)際に、
> 「釈尊の教えの結果」=「龍樹の最終理解」=「戯論の寂滅」を冒頭に置いたのだと思いました。
> 「戯論の寂滅」と言う「吉祥なる縁起の理」と言う事で、縁起の法の理解が起これば、
> その段階段階に応じて「戯論の滅」が起こると。
> そしてこの「戯論」とは、四句分別の事ではないのだろうかと思ったのですが・・

「戯論」=「六十二見〈梵網経〉」=「四苦分別」は、その通りで正しい認識だと思います。
ただ、「四句否定」をしただけで、ニルヴァーナ〈渇愛の滅尽〉へは到れません。

そもそも、釈尊が弟子たちに説いた「縁起」と、大乗仏教の説く「縁起」とでは、内容が異なりますからね…

 ※釈尊の説いた「縁起」の説明 → http://blog.goo.ne.jp/waikei2008/e/0c6cafb7465274c6899e8885bdd173f3


> そして「空」が中論にて説かれ、その内容が「戯論の寂滅」と言うのは
> ⇒「四句否定」=「八不」=「第一義諦」=「戯論の寂滅」の流れのように感じていました。。

大乗的な「空」の解釈としては、そうなるのでしょうね。


> 四聖諦は実践的な方法論ですね。

その通りです。


> 渇愛が滅する段階に応じて、その苦も軽減していくと言う理解ですね。
そしてその愛は、欲愛・有愛・無有愛の三愛と表現されるもので、
> それに執着する事で苦が発生すると理解しています。

欲愛とは、欲界〈五感に執した五妙欲の世界〉への渇愛。
有愛とは、色界と無色界〈より優れた瞑想の境地〉への渇愛。
無有愛とは、無想処への、あるいは「涅槃」への渇愛なのです。

つまり、言い換えれば、有想処・非想非非想処・無想処、
これら「三処〈三界〉」への執着〈結縛〉を生み出す渇愛を、全て滅するのです。

渇愛によって「輪廻転生」の苦しみの連鎖が生じる、ということが、
釈尊の教えの「根底にある認識〈基本認識〉」なのです。


> つまりは、無常なるものが「在る=自性」と言う思いに一瞬でも囚われてしまい、
> それに固執する事で「苦」が発生すると・・今は、こんな風に理解しているのですが・・・

大乗仏教の教義としては、その理解で正しいと思います。
ただ、大乗の教えと、釈尊が直接説いた教えとは「異なる」のです。

( つづく )


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