したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

大日如来はブラフマン

4:2013/05/27(月) 02:08:42 ID:kaIVvnv2
和井恵さん、こんにちは。返信を有難う御座います。

> ── 「四句否定」は、四聖諦を正しく理解するための「必要条件」なのです。

なるほど、必要条件だったのですか。

中論の帰敬序で、初めに八不、続いて「戯論の寂滅という吉祥なる縁起の理を説きたもう仏陀を、諸々の説法者のうちで最も優れた人として敬礼する。」と書かれていましたので、てっきり釈尊の教えを十二分に理解した龍樹が中論を書き上げる(説く)際に、「釈尊の教えの結果」=「龍樹の最終理解」=「戯論の寂滅」を冒頭に置いたのだと思いました。「戯論の寂滅」と言う「吉祥なる縁起の理」と言う事で、縁起の法の理解が起これば、その段階段階に応じて「戯論の滅」が起こると。そしてこの「戯論」とは、四句分別の事ではないのだろうかと思ったのですが・・

そして「空」が中論にて説かれ、その内容が「戯論の寂滅」と言うのは ⇒「四句否定」=「八不」=「第一義諦」=「戯論の寂滅」の流れのように感じていました。。

> 「四句分別」とは、「有る・無い」や「真・偽」といった「相対的な二つの価値」を利用して、存在論〈ある特定の決めつけ〉を思考によって創作してしまう、あるいは選択してしまう「意行」なのです。
> そして、その人が、ある特定の「見解〈価値観〉」を持つ、ということは、その価値観へのこだわりそのものが、「執着」の結果なので、遠離 ・離貪・解脱・覚りへの妨げとなるのです。

ご説明は理解しました。有難う御座います。

>それに対して、四聖諦は、「価値観〈見解〉」に執した「存在論」などではありません。
>どうすれば、苦を滅することができるかという、具体的な「方法論〈How to〉」を略説したものなのです。
>四聖諦は、苦の生滅のポイントを「渇愛」の有・無に置きます。
>そして、これが大原則で、これのポイントを外してしまったら、四聖諦は無意味になるのです。

四聖諦は実践的な方法論ですね。

>渇愛が有れば、苦が生起し、渇愛が無ければ苦は生じない。そして、渇愛を滅すれば苦も滅尽する。

渇愛が滅する段階に応じて、その苦も軽減していくと言う理解ですね。
そしてその愛は、欲愛・有愛・無有愛の三愛と表現されるもので、それに執着する事で苦が発生すると理解しています。つまりは、無常なるものが「在る=自性」と言う思いに一瞬でも囚われてしまい、それに固執する事で「苦」が発生すると・・今は、こんな風に理解しているのですが・・・

>そして、渇愛を完全に滅ぼす道が「八正道」であり、完全に滅ぼした状態、それが「涅槃〈ニルヴァーナ〉」なのです。
>これが、釈尊の「初転法輪」によって定義付けられた「涅槃〈ニルヴァーナ〉」の原義なのです。

理解しました。有難う御座います。

・・続きます


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板