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五蓋と十結、四禅定と四向四果の関係について

3和井 恵:2013/01/06(日) 22:25:41 ID:dKCMkXR6
う〜ん、「 和井 恵 」 と 名前 を 記入したはずなのに、上記のコメントが、何故か 「 匿名 」 に なってしまっている …


> あと、もう一つ。
> 最近の記事で、五蓋を滅して初禅の段階で、苦受がなくなる、という話がありました。


そうですね。
これは単に 経典からの引用 というだけではなく、私自身の 体験 も 踏まえた上で 説明 をしているのです。
( まぁ、だから @和井恵流 と 銘打っている わけなのですけどね … )


> そうなると、その段階で個人の当座の苦しみからの脱却だけを志向する平凡な修行者はそれ以上進歩しなくなるのではないか、と思いました。

── 確かに、そうなってしまう かも 知れませんね。
でも、その人が、苦しみ ( 「 憂い 」 という 心の苦しみ ) から 解放される 「 だけ 」 でも、修行 をする 価値 は 十分あるのではないでしょうか。


> その時に、大乗的思想や菩提心を培っておくと、ある程度までは修行の向上に役立つような気がします。

ええと、大乗思想 や 菩提心 などは、釈尊の教え とは、ちょっと ベクトル ( 方向性 ) が 異なる … のですね。

釈尊の教えは、「 苦の滅尽 ( 輪廻からの解脱 ) 」 と そのまま ストレート に結びつく 教え なのですが、
大乗思想、── 特に 菩薩の誓願 などが絡んでくると、「 一番最後に涅槃に入る 」 ことを 目的 としますから、釈尊の教えは 「 適さない 」 のです。
むしろ、「 わざと輪廻し続ける 」 ための モチベーション を 保ち続けるための 「 教え 」 としての側面を、大乗思想は 持っているように見えるのです。


> しかし、それとて、渇愛の中の有愛(生存渇愛)に簡単にからめとられてしまいそうで、
> ある段階で択法覚支で、筏の教えとして捨て去らなければならない段階がくるような気がします。

「 涅槃に入る ( 現世涅槃 と 死後の涅槃 の 両方を含みます ) 」ことを目的としているのならば、
大乗の教えや菩提心などは、ある段階 ── というよりも、最初から捨ててしまって、釈尊の教え そのものを 修行した方が、結果が出るのが早いと思います。


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