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阿羅漢果 達成した人

2和井 恵:2011/08/01(月) 20:08:21 ID:dUEsKc6Q
yamamotoさま、こんにちは。

> 現在の日本で、阿羅漢果 達成した人という方はいらっしゃるのでしょうか?

断定はできませんが、おそらく、一人もおられないのではないでしようか。
海外から、上座部の高僧の方なども来日されて、活動をされていらっしゃるようですが…

釈尊が亡くなられてから100年ほど経つと、仏教教団は、上座部と大衆部とに分裂をしてしまいます。
私は、この頃すでに、阿羅漢果を達成した比丘が教団にほとんどいなくなってしまっていたのではないか、と考えています。


── この、仏教教団の「分裂の原因」については、南伝と北伝とでは大きな相違があります。

南伝では、ヴァイシャリーのヴァッジ族の比丘が唱えた「十事の問題」が分裂の原因である、としています。
もともと、金品などの授受(布施を受ける)は禁止されていましたが、社会経済などの変化などを理由として、
現実に即してそれを緩和すべきだとする改革派(大衆部)と、それに反対する保守派(上座部)の対立が起きたのだというのです。

一方、北伝では、、大衆部の祖とされる人物、大天(だいてん)の唱えた「五事の問題」が原因であった、とされます。
この「五事」とは、阿羅漢に対する五つの悪見(不善の見解)のことを言います。

 1.天魔に誘われた時は阿羅漢も不浄の漏失(夢精)を免れない
 2.阿羅漢には不染汚無知というものがある
 3.阿羅漢にも世間的な疑惑はある
 4.阿羅漢にも聖慧眼を持たぬ者がいる
 5.真実、苦しいと叫ぶことから聖道が生じる

そして、何故、このように、南伝と北伝の伝える、教団分裂の原因が大きく食い違っているのかというと、

要するに、南伝というのは「上座部」の中で伝承されて来た情報ですから、上座部側からの「大衆部批判」が描かれていて、
北伝はその逆に、「大衆部」が継承した情報ですから、大衆部側から観た「上座部批判」が描かれているのです。

つまりこれは、お互いが、相手をどのように(批判的に)観ていたのか、ということがそこに描かれているのです。

ですから、上座部の人たちは、大衆部の人たちを「釈尊が決めた戒律を尊守することが出来ない連中」だと批判し、
大衆部の人たちは、「阿羅漢と言えども、実際には、夢精をしたり、無智であったりと、漏が尽きているわけではない」
と、長老たち(上座部)の中の「阿羅漢果を得たとされる人たち」を痛烈に批判をしているのです。

そして、この大衆部の「五事(阿羅漢への批判)」は、おそらくは、それなりの根拠があったのだろうと考えています。
つまり、実際に、「阿羅漢果を得たとされる人」が、五事に相当するようなことをしている場面を目撃した人がいたのでしょう。

 釈尊が亡くなられてから100年ほど経つと、仏教教団は、上座部と大衆部とに分裂をしてしまいます。
 私は、この頃すでに、阿羅漢果を達成した比丘が教団にほとんどいなくなってしまっていたのではないか、と考えています。

と、私が最初に書いたのは、このような理由からなのです。

もしも、阿羅漢果を得た人たちが教団に残っていたならば、さらに数多くの部派などに、分裂を繰り返すはずがありません。


…というわけで、阿羅漢果を達成した人は、当時の、釈尊の直弟子や孫弟子くらいまでで、
それ以降は、ほとんど顕われていないのではないだろうか、というのが、私の考えです。


ただ、預流果や一来果、不還果などを達成した人ならば、おそらく、いらっしゃる(可能性はある)のではないでしょうか。


> その人の生活はどのような社会生活になるのでしょうか?

阿羅漢果を達成した人は、出家者となるでしょう。
ただしこの「出家者」とは、お坊さん(僧侶)になることではありません。

「無所有」の実践者となる、ということです。

ただ、昔のインドとは違って、今の日本社会では、その環境なども含めて、とても難しいのではないでしょうか。


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