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百合ごっこ 本スレ

159名無しさん@秘密の花園:2009/12/31(木) 20:40:59
…と、まあ、今まで意図的に排除して来たけれども、ヒトの動作は量子効果が利用されている様には思えない。
但し、何やら、「私」と言う物は例外らしく、「私」は量子効果を利用した特別な存在とされる事が儘有る。
…唯、飽くまでも、「既知の物理学的知見を、取り敢えず何となくヒト個体に援用してみた」域を出ない説明が多いかな。
例えば、「ヒト個体の内、“私”を形作っているであろう脳と言う物質群の中の、量子的に振舞いそうな小さな物」として出て来た
「ペンローズのマイクロチューブル」なのだけれども、これ自体は、量子的に振舞いそうも無いと言う点で、失敗してしまっている。

…まあ、「私」に関しては、現時点では解らない事だらけなのだから(…そも、将来に亘って不明の儘かも知れない)、
「私」に対して、比較的新しい知見であり、まだ適用例も少ない量子論を、その解明が為に適用してみるのは、至極当然な反応だけれども、
だからと言って、「私」は量子論で説明出来る、と断言してしまうのは、「根拠が無い宗教」に過ぎない。

若しかしたら、認め難いだけで、「私」は、電磁気的なその電気ネットワークの結果、でしかないのかも知れないし、
はたまた、量子論などよりももっと深遠な、ヒトの機能では解り得ない何か、を元に動作しているのかも知れない。
唯、それが「魂」などと言う、陳腐で、「ヒトから見える物質」の影響を色濃く受けた属性しか持ち合わせていないモノだろうとは、私は思わないけれども。

さて、そんな訳で、矢鱈と「私」の説明に組み込まれ勝ちな量子論だけれども、何故か、その説明には、
無闇なまでに「自由意志」とやらが出て来たりする。
これ自体、非常に文系臭い表現で、「それ」が何なのかすら説明されていないのに、何故かこの表現を用いると、
納得出来てしまった様な気になれる、マジックワードだね。
そもそも、「量子的な振舞いを用いれば、“私”を説明出来る」ならまだしも、其処から派生した、「量子的な振舞いを用いれば、
“私”が“自由”に意思決定している事が説明出来る」などと言う主張にまでなれば、もう完全に信仰でしかないね。
しかも、何故か、量子的な説明を入れた物は、「自由意志を持つ私」で、量子的な説明が入らない物は、
「自由意志を否定した、正に人間を侮辱した機械論」になるらしいんだよ。
どちらも、「ヒトが物理法則に従っている」事を示すに過ぎないと言うのにね。
(唯、量子を利用したアルゴリズムに拠って、「私」の様な物を設計する事と言うのは可能だろうね。
無論、それがヒトの脳内で起こっているか如何かは別問題だけどね。)
なのに何故、量子的であれば、その事が即、「自由意志」などに繋がるのだろうか。
蓋し、量子の持つ「不確定性」とやらが、そして、量子の持つ「確率」とやらが、「私」の「多大なる可能性」を
想起させるのだろうね。
唯、量子と「私」が繋がっている事の説明が無ければ、そんな物床屋政談と変わらないんだよ。
根拠が無ければ、妄言だの信仰だのと言われても仕方が無い。
大体、「自由」などと言うのは、飽くまでも、「私」が脳での処理の結果感じる物に過ぎないよね。
その様な脳内幻想を、殊更に強調しなければ行けない理由が解らない。
「私」は特別だから、「自由」で無ければ行けないのだろうか。
…まあ、その「私は特別」と言った感覚もまた、ヒトに与えられているに過ぎないのだけどね。
さて置き、世界が決定論“的”であろうと、非決定論的であろうと、脳が「私」に「自由」と言う感覚を与えられるのであれば、
何も問題は無い筈なのに、得てして、決定論“的”な世界は「自由」では無い、とこれまた根拠も無く断言したりする主張も、
これまた多いけれども…  と、そうだね、そう言えば、決定論“的”が如何のこうの、と言う話から始まったんだったね。
一寸、それを踏まえて書いて見ようかな。


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